学習通信040226
◎おおぉ……慈善、慈善
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京大「稲盛」「山内」ホール
京都大学が建設中の医学部百周年記念施設に「稲盛ホール」と「山内ホール」が設けられる。京セラの稲盛和夫名誉会長と任天堂の山内溥相談役が寄付金を出したのにちなみ、京大が感謝して命名した。三月完成の予定で、両社との共同研究などは当面予定していないが、京大は産学連携の拠点として学内外の利用を呼びかける。
記念施設は京都市左京区吉田近衛町の医学部構内に建設している新しい「芝蘭(しらん)会館」。地上二階、地下一階で延べ床面積約二千六百平方bだ。産学連携の担当教官が常駐し産学の情報交流向けに会議室を設ける。約九億円の建設費のうち稲盛、山内両氏が個人で一億円ずつ寄付した。
両ホールは二階に設け、二百五十席ずつある。中規模の学会、講演会、シンポジウムなどに利用できる。稲盛ホールは円形で席が固定され、黒を基調に落ち着いた雰囲気にする。明るい感じの山内ホールは四角形で席を移動でき、立食パーティーなどを開くこともできる。三月二十七日に完成記念式典を催す。
京大医学部OBらが数年前から製薬企業や地元企業を回って寄付金を募り、稲盛、山内両氏にも面談した。稲盛氏は「一九八五年に京都賞を始めたが、創設時から京大の先生に大変お世話になっているから」と寄付の理由を説明する。山内氏は親せきに元京都大学医学部付属病院長がおり、京大病院に通院したことが縁になった。
(京都新聞・夕刊 040221)
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ムハメド・アリがひと晩で何百万ドルも稼ぐことができるなどとは、まつたく不公平な話だ。しかし、かりにいまあの平等という抽象的な理念を実現しょうとするあまり、ムハメド・アリがひと晩のボクシングもしくはその準備のために費した毎日に対して、造船ドックで技術をまったく必要としないいちばん単純な労働に従事している人と同じ報酬しか稼ぐことを許されなかったとするならば、彼のボクシングを観て楽しんだ人こそ、もつと不公平な特権にありついたといわなければならなくなるのではないか。
もちろん、どうしてもこのような平等を実現したいというのであれば、そうすることは可能だ。しかしその結果、人びとがムハメド・アリのボクシングを観る機会をもてなくしてしまう。そのうえ、ムハメド・アリが未熟練のドック労働者の賃金と同じ賃金しかもらえないように制限されるとするならば、果たして彼がボクシングをするのに先立って、あの刻苦勉励の厳しい訓練や節制の生活に喜んで耐えるとはとうてい考えられない。
この「公平」という複雑な問題のもうひとつの側面は、たとえばトランプ・ゲームのバカラのような、チャンスに運命をかけるゲームを考えるとき明白になる。このゲームを遊ぼうと選択する人は、初めに同じ数のチップをもってゲームを始める。しかし、ゲームが進んでいくにつれて、手もちのチップの数は不平等となっていく。
ひと晩のゲームが終わつたときには、ある人はたくさんのチップを稼ぎ出し、他の人はチップをたくさん失ってしまっているだろう。平等の理念という名のもとに、勝利者が勝ったチップを負けた人に払い戻さなければならないとしよう。そんなことをすれば、ゲームの楽しみはまったくなくなってしまう。負けた人たちでさえそんなことを好みはしない。いや、その晩だけは負けた人は喜ぶかもしれない。しかし、勝とうが負けようが最初と同じ状態になるのがわかっていて、まだこのゲームをしようとする人がいるだろうか。
この例は、人びとが一見して想像するよりも、現実の世界に対してはるかに緊密な関係をもっている。毎日われわれはみんな、どこかで運にまかさなければならない決定をしている。ときには大きく運に賭けるかもしれない。たとえばどんな職業に就くか、誰と結婚するか、家を買うかどうか、大きな投資をするかどうかなどといった決定をするときだ。
もっと多くの場合には、それほど運に賭けずに決定をする。たとえば映画に行くかどうか、自動車が通っているのに道路を渡るかどうか、どの債券を買うかなどの決定だ。このどの場合をとつても、問題はどういう運の賭け方をするかを誰が決定するかだ。それに対する答は、なされた決定がもたらす結果に対し、誰が責任をとるかによって決まってくる。自分でその責任をとるのであれば、自分で決定を下せる。
そうではなくて、誰か他の人が結果の責任をとるというのであれば、自分でその決定をするのを許されるべきだろうか。もしくは、実際にそんなことが許されるだろうか。たとえば先に述べたバカラを、あなたが誰かに代わつてその人のおカネを賭けながらやるとしよう。その人はどんな決定をするのかあなたに無制限にまかせてくれるだろうか。もしくは、そもそも無制限にまかせてくれるべきだろうか。
この場合ほとんど間違いなく、その人はわれわれの裁量の仕方に制限を設けるのではないか。どういうふうに自分の裁量でやっていいか、ある程度の規則を前もってこしらえておくのではないか。また、以上とはきわめて異なった例をとれば、いまわれわれの家屋が洪水による被害を受け、政府(すなわちわれわれの仲間の納税者たち)がその再建のための費用を負担してくれるとして、再び洪水の危険がある場所に、政府の許可なしで自由に家屋を再建するのを許してくれるだろうか。
個人的な決定に対する政府の介入が増大してきたのは、「すべての人に公平な分け前を」という運動の進展と手をつないでであったということは、けっして偶然なことではない。
人びとが主体的に自分白身で選択を行い、その選択によってもたらされる責任の結果の大半に対して、自分で責任をとるというのが、人類の歴史のほとんどを通じて支配的であつた体制だ。
この体制こそが、何人ものヘンリー・フォードやトーマス・アルヴァ・エジソソやジョージ・イーストマンやジョン・D・ロックフェラーやジェームス・キャッシュ・ペニーたちが出現してきて、過去二百年にわたってアメリカ社会を前進させようと努力してきた、あの誘因を与えてきたものだ。
この制度こそが、これらの野望に燃えた発明家や産業の先導者たちが着手した、危険に満ちた企業をまかなうための投下資本を拠出するように、他の人びとに誘因を与えてきた体制でもある。もちろんこの発展の過程で、多くの敗退者たちも輩出した。実際のところ、勝利者たちよりも、より多くの敗退者たちを生み出してきた。
それらの人の名前を、われわれは覚えてはいない。それにしても大半の場合、敗退した人たちも危険をちゃんと承知のうえで、それらの事業に参加していった。彼らは運にまかせていることを十分に知っていた。こうして勝利を占めた人も失敗した人も出てきたが、これらの人びとが運にまかせる意欲をもっていたからこそ、社会は全体として大きな利益を得ることとなった。
この体制が生み出した経済的繁栄は、新しい製品やサービスが開発されたことや、そのように新しい製品やサービスを生産するための新しい方法が生み出されたり、こうして生産された製品やサービスを広範に流通させるための新しい方法が出てくることによって、社会のすみずみまで行きわたることになった。
その結果、社会共同体全体の富の増大が発生し、一般大衆の福祉が上昇したが、これらの大きさは技術革新者たちが蓄積した富の全体よりも、はるかに大きなものとなった。たしかにヘンリー・フォードは大きな財産を手に入れた。しかし、国は全体として、安く頼りになる交通機関や、大量生産の技術を手に入れた。
その上多くの場合において、個人的な財産は、究極的には社会の利益のために大きく貢献することになったのだ。すなわち、ロックフェラー財団やフォード財団、カーネギー財団等は、「機会の平等」とか「自由」とかが、つい最近まで理解されていた意味あいで機能してきた体制のおかげで生み出されたすばらしい成果であり、無数といっていいほどの数にのぼる個人的な慈善活動の中で、もっとも有名なものだというだけのことでしかない。
ほんのちょっとした見本を述べるだけで、十九世紀から二十世紀の初めにかけて、どれほど爆発的に慈善活動が増大したかを垣間見ることができる。「一八八〇年代から一九一七年にかけてのシカゴ市における文化的慈善活動」の調査報告書の中で、ヘレン・ホロヴィッツは次のように書いた。
世紀の転換期に、シカゴは矛盾に満ちた衝動に駆られた市だつた。この市は、産業社会の基本的な財貨を取り扱っていた商業の中心地であり、同時に文化的向上という風に巻き込まれた共同体でもあった。一人の評論家がいったように、この市は「豚肉とプラトンとの不思議な結合」を実現した市だった。
文化をめざしたシカゴ市の運動を、もっとも明白に物語っているのは、一八八〇年代から一八九〇年代の初期にかけて、この市に建てられた数多くの偉大な文化的設備だ(たとえば美術館、ニューベリー図書館、シカゴ交響楽団、シカゴ大学、フィールド博物館、クレーラー図書館等がある)……。
これらのいろいろな文化的設備は、シカゴ市における新しい現象だった。これらの設備を建設するにあたって、これをもたらした最初のはずみが何であったにせよ、それらの大半は企業人たちのグループによって組織され、維持され、管理された……。
しかし、これらが個人的に後援され管理されていたとしても、これらの設備は市の全体のため計画されたものだった。これらの設備の理事会のメンバーたちは、個人的な美学的ないし学術的あこがれを満足させようとしたり、社会的目標を達成しようとして、このような文化的慈善活動をするようになったのではなかった。
自分たちの管理力が及ばなかったいろいろな社会的諸力の爆発に悩まされ、しかし同時に理想的な文化的観念に満ちて、これらの企業家たちは自分の市を浄化し、市民的ルネッサンスを推進する方法として、美術館や図書館や交響楽団や大学を建設しょうと思い立ったのだ。
いうまでもなくこのような慈善活動は、文化的な設備に限られていなかった。ホロヴィッツが他のこととの関連で書いたように、シカゴ市には「多くの異なったレベルで、いろいろな活動のいわば爆発とでもいうべきことが」発生していた。
しかもこのシカゴの例は、孤立した事象ではなかった。そうではなく、ホロヴィッツが書いたように、「シカゴは当時のアメリカのエッセンスのように思えた」。これと同時代に、ジュイン・アダムスによってシカゴにあの有名なフル・ハウスが設立された。このフル・ハウスが、アメリカで設立された多くのセツルメントの最初のものだった。
こうして設立された多くのセツルメントは、貧困者に文化と教育を広め、日々の問題についても彼らを助けることとなった。また、多くの病院や孤児院やその他いろいろな慈善活動のための設備が、同じ時期に次から次へと設立されていった。
これらの例にみるように、自由市場体制とより広い社会的・文化的諸目標の追求との間には、どんな矛盾も存在していない。また、自由市場体制と不幸な人への同情との間にも何の矛盾もない。このような同情が、十九世紀において行われたように個人的な慈善活動の形をとろうが、二十世紀になつて増大してきたように政府の援助を通じて行われようが、これらの活動が他の人びとを助けたいという希望の表現である限り、両者の間に違いはない。
しかし、次のふたつの異なった援助の仕方は、どちらも政府を通じて行われるので、表面上は同様に思われるかもしれないが、実はふたつの間には天と地ほどの違いがある。そのひとつの方法は、われわれ全体の九〇%が社会の底辺にある一〇%の人びとを助けるために、お互いに課税をすることについて意見の一致をみるという形での、政府を通じる援助の方法だ。
もうひとつは、社会の底辺の一〇%の人びとを助けるために、社会のトップの一〇%の上流階級に課税することを、残りの八〇%が投票によって決定し、政府を通じてこれを行うという方法だ。
すなわち、この方法は、AのためにDが何をしなければならないかを、BとCとが決定するというグラハム・サムナーの有名な例の、具体的な場合だ。第一の方法は、不幸な人を助けるのに賢明な方法かもしれないし、そうでないかもしれない。有効な方法かもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、この第一の方法は、「機会の平等」と「自由」とに対する信念と矛盾しない。これに対して第二の方法は、「結果の平等」を追求しており、「自由」に対して完全に対照的なやり方だ。
(M&R・フリードマン著「選択の自由」日本経済新聞社 p220-225)
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しかし、「教養ある」イギリス人がこういう利己心を、それほど公然と見せびらかせていると考えてはならない。逆に彼らはそれをきわめて卑劣な偽善で隠している。
──なんだって、イギリスの金持が貧乏人のことを考えていないだって、彼らはほかのどんな国にも見られないような慈善施設をつくったではないか?そうだとも、慈善施設をね!
彼らはうぬぼれたパリサイ人のようなお恵みの心をプロレタリアにむけ、また搾取された人たちが当然手にいれるべきものの一〇〇分の一でもその人びとにかえすなら、世間にむかって人類の最高の慈善家のような顔をしているのだが、こういうことをするためにまずプロレタリアの血までしぼりとって、それでまるでプロレタリアのためにつくしているかのように考えているのだ!
それは、それをうけとるもの以上に、それを与えるものを非人間的にする慈善であり、ふみにじられた人びとにいっそう深い屈辱を与える慈善であり、社会から追放され、非人間化された賤民にたいして、まずお前たちの最後のもの、つまり人間としての主張を捨て、まずお恵み下さいとお願いしろ、そうすれば、施しものをして非人間というスタンプを額に押してやるだけのお恵みの気持をもってやろうという慈善である!
だが、これらすべてがいったいなんであろう。
イギリスのブルジョアジー自身に聞いてみよう。『マンチェスター・ガーディアン』紙で、編集者あての次のような手紙を私が読んでから、まだ一年もたっていない。この手紙はまったく当然の、筋道のとおったものとして、いっさい注釈なしに掲載されたのである。
編集長様!
しばらく前から、私たちの町の大通りでたくさんの乞食に出会います。彼らはぼろぼろの服を着て、病人のようなふりをしたり、むかつくような傷や不具の身体をわざと見せたりして、しばしば非常に恥知らずに、しつこく、通行人の同情をひこうとしています。
私たちは救貧税を払っているだけでなく、慈善施設へも多額の寄付をしているのですから、こういう不愉快な恥知らずなわずらわしさから保護される権利をもつだけのことはしたと思います。
もし警察が、私たちが安心して市に出入りする程度の保護さえしてくれないのなら、私たちはなんのために市の警察の維持費にこんなに高い税金を払っているのでしょうか? ──この手紙が多くの人に読まれている貴紙に掲載され、それがきっかけとなって市当局がこういう厄介もの(nuisance)をとりのぞいてくださることを希望しています。
敬具
一淑女
ごらんのとおりだ! イギリスのブルジョアジーは打算的に慈善をするのだ、彼らはなにもただでは与えない、彼らはお恵みも商売だと思っている、彼らは貧民と取引をし、そしてこういう、私が慈善目的にこれだけをむけるとすれば、それによって私は、これ以上わずらわされないという権利を買うのであり、お前たちの方は、自分のうす暗い穴ぐらでじっとしていて、お前たちの貧しさを見せびらかしながら私の繊細な神経をイライラさせないようにする義務があるのだ!
お前たちは絶望するならするがよい、しかし静かに絶望すべきなのだ。このことを私は契約する。このことを私は病院へ二〇ポンドを寄付して買いとったのだ!
おお、キリスト教徒であるブルジョアのなんという恥知らずな慈善よ! ──しかも「一淑女」がこう書いているのだ。そうだ、淑女なのだ。彼女がこのように署名したのはたいしたものだ。
幸運にも彼女は「女性」と名のる勇気はもはやない。しかし、もし「淑女」がこんなふうであるとすれば、「紳士」はいったいどうなのだろうか? ──それはたった一つの例ではないかと、人はいうだろう。しかし、けっしてそうではない。
この手紙はまさにイギリスのブルジョアジーの大多数の気持をあらわしているのである。そうでなければ編集者はこれをとりあげなかっただろうし、なんらかの反論がつづいたであろう。私はその後の号で反論をさがしてみたが無駄であった。
そして慈善の行為の効果については聖堂参事会員のパーキンソン自身も、貧民はブルジョアジーによる救済よりも貧民同士で助けあうことの方が多いといっている。
こういう立派なプロレタリアによる救済は、彼が自分自身飢餓とはどんなものかを知っており、乏しい食事の表を犠牲とし、しかもよろこんで犠牲にしているのであって──こういう救済は、満腹しているブルジョアが投げてよこす施し物とは、まったく違ったひびきをもっているのである。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 -下-」新日本出版社 p131-134)
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◎紳士≠スる稲盛、山内……。