学習通信040229
◎「軍国主義は双葉の内に阻止しなければならない」……と。
 
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「お国のために命投げだす人を」
軍国主義教育を美化
 
 民主党の西村真悟衆院議員は、二十五日に東京都内で開かれた「教育基本法改正促進委員会」の設立総会のあいさつで、「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す」(「朝日」二六日付)などと発言しました。
 
 戦前、「お国のために」と侵略戦争に国民をかりたてた軍国主義教育を美化するとともに、国民に戦争のために命を投げ出すことを迫るとんでもない暴言です。現憲法下での政治家としての資格が問われます。
 
 同時に、西村氏の発言がイラク派兵が強行されるもとで行われたことも重大です。結局、自衛隊の海外派兵は、国民に「命を投げ出す」ことを求め、そのための教育基本法改悪を狙っていることを示しています。
 
 西村氏が参加した「促進委員会」は自民、民主両党国会議員でつくった議員連盟で、後ろ盾は改憲右翼団体の中心となっている日本会議(三好達会長)。自民、公明両党の実務者による「与党教育基本法改正に関する検討会」が今国会への教育基本法改悪案の提出を見送ったことから、民主党を取り込み、法改悪の動きを加速させる狙いがあります。西村氏の発言は、こうしたなかで行われたもので、一議員の暴言ではすまされません。
 
 憲法は、二千万人を超えるアジア諸国と三百万人を超える日本国民の生命を奪った侵略戦争の痛苦の反省のうえにたって生まれたもので、教育基本法は、憲法の平和と民主主義の理念を具体的に実施し保障する法律です。
 
 西村氏の発言は、それを目の敵にし、歴史逆行の道に突き進めるものです。西村氏は、教育を語る前に、「征伐隊」を名乗り襲撃事件をひきおこした「刀剣友の会」の最高顧問を務めたことなど、みずからのけじめを
つけることが先決です。(高柳幸雄記者)
(しんぶん赤旗 040227)
 
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軍国主義は双葉の内に阻止しなければならない
 
 その一、確立した軍国主義との闘いには妥協点はないということです、屈服か拒否しかありません。
 
 なぜなら軍国主義とは「国の利益」(現在では実際には独占資本の利益)のためには「戦争(大量殺人)も辞さない」とするものだからです。
 
「戦争(大量殺人)も辞さない」と言うことは、当然のこととして戦争に反対したり妨害する者についても、敵前逃亡、スパイ、売国奴のレッテルのもとに逮捕、投獄も当然と言うことになるのです。
 
したがって確立した軍国主義への屈服の一歩は全面屈服、すなわち戦争への全面協力にまでいかざるをえなくなるのです。その内心が迎合か、追随か、屈服かは、その行為においてはさしたる違いを持たないことになります。
 
 その二、したがって軍国主義は未然にふせがなければなりません、確立してからでは遅いのです。
 
 その時になって抵抗しようとすれば、それは死を賭してたたかわなければなりません。しかし軍国主義体制はある日突然にできあがるものではありません。
 
軍備の増強、生産や資源、そして労働力などを戦争に優先して使える社全体制の確立、多くの国民が戦争もやむなしと考えるイデオロギー的統合、そして戦争反対勢力の排除・弾圧。そうしたことが長期にわたってじわじわと進められ「気がついた時には遅かった」と言われる状態にされるのです。軍国主義のあらわれは双葉の内につみとらなければなりません。
 
 その三、天皇制権力は最初から軍国主義そのもの、戦前の日本において軍国主義と闘おうとすれば天皇制権力との闘いが不可避でした。
 
 一八六八年の明治維新によって確立した天皇制政府は「富国強兵」の名の下に最初から強力な軍事体制の確立をめざしました。
 
早くも、一八七四(明治七)年には、日本人が漂着して殺されたという理由で台湾に出兵、そして、一八七五(明治八)年には日本の軍艦が鎖国政策をとっていた朝鮮の領海を侵犯し、江華島の守備隊が砲撃したことを理由に開国を要求し、領事裁判権を認めさせるなどの不平等条約をおしつけました。
 
そして一八九四年には朝鮮を日本の支配下におくために日清戦争を、一九〇四年には中国東北部、朝鮮の権益をめぐって日露戦争を行いました。一九一〇年には朝鮮を併合し、日本の植民地として一九四五年まで支配を続けました。このように天皇制政府は最初から軍国主義的特徴をもった権力でした。
 
 ヨーロッパではのちにファシズムが支配することになったドイツやイタリアも議会制民主主義の国でしたし、共産党も合法政党として活動しており、議会でも大きな位置を占めていました。フランスやスペインでは一時期とはいえファシズムに反対する人民戦線政府を樹立することにも成功していました。
 
したがって主権在民、「政治は国民のために」、共産党を含め互いの思想・信条の違いを認めた上で社会生活、政治生活を送るということは国民的常識として定着していました。ヨーロッパでファシズムが勝利するためには、このように確立していた民主主義を破壊しなければなりませんでしたし、逆に国民の側からはファシズムに反対する点で共産党も含めた広大な統一戦線を結成する基盤がありました。
 
 しかし日本の場合は天皇絶対の政治制度のもとで、共産党は最初から非合法におかれ徹底した弾圧の対象とされていました。そしてファシズムの確立は既存の政治制度(権力)の破壊の上に作られるのではなく、絶対主義的天皇制権力そのものが軍事ファシズムへと発展しました。
 
したがって戦前の日本において天皇制軍事ファシズムと闘おうとしたとき、主権在民・天皇制打倒という見地がなければ徹底して闘うことはできませんでした。
 
戦前の日本においてヨーロッパのようにファシズムに反対する統一戦線ができなかったのは、主権在民を主張する共産党が非合法におかれているとともに、社会民主主義政党が反共分裂主義の立場をぬけきれなかったこと、そして共産党の側にも誤ったセクト的な社会民主主義政党論があったことなどもあります。
 
しかし一番根本的な問層は主権在民の見地から戦争に反対し、その根源となっている天皇制に反対し、その打倒を主張する勢力が共産党以外に存在しなかったという日本の政治的後進性でした。闘う意志と行動があってはじめて統一も問題となるのです。この点が大学人にとっても最大の弱点でした。
 
 戦前の軍国主義の元凶であった天皇制にかわって戦後の我が国における戦争、軍国主義の危険・原因は後述するように安保条約ならびに自衛隊です。ところが今日、この安保条約と自衛隊に反対する政党は日本共産党だけとなっていることは日本国民にとって重大な事態と言わざるをえません。
 
 その四、思想・主義を貫く厳しさ、勇気を身につけなければならない。
 
 無知や偏見は人間の行動を狭いものや間違ったものにします。真理をつかんでこそ我々の行為は法則にかなった正しいものになります。問題は真理を知ったものがそれを貫けるかどうかです。社会は支配勢力と被抑圧者、利害の対立する階級に分裂しています。
 
真理を貫こうとしたとき支配者・経済的優越者からのさまざまな冷遇、差別、排除そして弾圧を覚悟しなければなりません。とりわけファシズムとの闘いは投獄・死を覚悟した闘いが必要です。
 
知識・真理を学ぶ、知る、それを自己の行動の指針としてはじめて自己の思想・主義と言えます。真理を知ったものは思想・主義を貫く厳しさ、勇気を持たなければならないと思います。
 
 戦争に反対の考えを持ちながらそれを行動にうつす勇気をもたなかった若者が、学徒出陣の戦場で死に直面したとき「こんなみじめな死を迎えるのだったら、あの時、戦争に反対しておけばよかった。
 
同じ死ぬならなにも言うことなく戦場で死ぬのではなく、戦争反対を言って牢獄で死ぬべきであった」と考えました。今日私達はこのような厳しい状況には置かれていません。しかしそのようにさせないために今の時代を精一杯生きなければならないと思います。
(鈴木元編著「像とともに未来を守れ」かもがわ出版社 p84-87)
 
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◎「知識・真理を学ぶ、知る、それを自己の行動の指針としてはじめて自己の思想・主義と言えます。真理を知つたものは思想・主義を貫く厳しさ、勇気を持たなければならない」と。