学習通信040308 
◎「可哀相にと涙はこぼれても、人を泣かせる悪い奴がいるなんて、全然思わんかったもんね。」……
 
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 うちの多喜二も一途な子だからねえ、タミちゃんに初めて会った日、心の底からこの子を、こんな場所から救い出したいって、思いこんだらしいのね。四日もつづけて、山木屋へ出かけて、飲めもしない銚子一本取って、タミちゃんと話していたらしいの。
 
 そんなこともあって、多喜二は小説を一生懸命書いていたんだべか。
 ああ、話がどっかで後先になってしまったみたいだわね。多喜二はあの夜、「母さん、おれタミさんっていう子、放つておけない気がするんだ」
 って、初めて会ったタミちゃんに心ば奪われているようだった。わだしはそん時まだ、タミちゃんという娘に会ったことがなかった。だども、日頃の多喜二のいうことやすることを信用していたから、タミちゃんはまちがいない娘だべと、すぐに信用したのね。
 
第一わだしは、秋田の貧乏育ちだから、家のために売られた友だちば何人も見ている。よく世間では、水商売の女とか女郎とか言って、蔑むども、わだしにはそんな気持ちは、これっぽっちもなかった。小さなきょうだいたちが腹をすかしている、親は働いても働いても貧乏だ。泥棒することも知らないほど正直だから、人にだまされたりする。
 
もう娘ば売るより仕方がなくて、娘の前に両手ばついて、親だって泣き泣き子供ば売る。どこの親が、自分の娘ば商売女に売りたい者があるべ。若い時からそんな貧乏ば見てきたから、タミちゃんは立派な親孝行娘だと思ったよ。
 
 わだしがそう言うと、多喜二が喜んで、
「そうか、親孝行娘と言ってくれるか。やっぱりおれのおふくろだあ」
 なんて、涙ば拭いていたこともあったっけ。
 
 それにしても貧乏神というものは、よくよく執念深いもんらしい。タミちゃんのおっかさんは、四人も一ぺんに子供ば人にやってしまって、よっぽど淋しかったんだべか、一年忌はおろか、半年も経たんうちに、再婚してしまった。男は金を稼ぐと思ったからこそ、再婚したらしいけど、そのおやじさんはのんべえで、ぐうだらときた。酒は飲むし、仕事は怠ける。前よりもひどい貧乏で、苦労するようになってしまった。
 
 そんな頃かねえ……わだしの思いちがいもあるかも知れないから、ちがってたらごめんなさい……そんな頃にタミちゃんは、小樽の山木屋に室蘭から転売されて来たの。そして、多喜二と知り合ったというわけ。
 
 タミちゃんと知り合いになってから、多喜二は時々、今まで見せたことのないむずかしい顔をして、じっと腕組みしてることが多くなった。そしてわだしに、
 
「母さん、人間って一体何だろう〜」
 なんて、突然言うことがあった。また、
 
「母さん、人間は、物でも、動物でもないんだ。もっと貴いものなんだ。それを売っただの買っただのして、よいもんだろうか。金の力で、いやだいやだという女を、男の思いのままにして、いいもんだろうか」
 
ってね。わだしはね、本当の話、貧乏に生まれたら、売られても仕様がないんだなあと、小さい時から思って育った。多喜二のように、人を売ったり買ったりすることが悪いとは、気がつかないで大人になった。売られたもんは可哀相だ。運が悪い。そんなことしか思わんかった。けどねえ、多喜二に言われてみて、人間は貴いものだ、金で自由にしてはならんものだ、ということが段々のみこめてきた。
 
 呆れたもんだねえ。いい大人になりながら、人が売られるのを、可哀相にと涙はこぼれても、人を泣かせる悪い奴がいるなんて、全然思わんかったもんね。
 
 多喜二はね、またこうも言つたっけ。
「毎晩男に体を買われて、つらい思いをしている女が、小樽だけでも何百人もいる。日本中にはどれほどいることか。女は死ぬほどいやな思いをしているのに、男はそれが楽しみだ。男にとって女は、単なる遊び道具なのか。人間が遊び道具、冗談じゃない。たった一度の人生だよ、母さん。その人生を泣いて暮らす女がいる」
 
 そう言って、多喜二はいても立ってもいられんような顔をしたことがあった。もちろん、たった一度の人生を泣いて暮らすのは、女ばかりじゃない。男だって泣いているもんはある。とにかく、タミちゃんを何とか救ってやりたいって、多喜二は家にいるッギにも、たまに顔ば見せるチマにも言うようになった。チマも、まだ見ぬタミちゃんの身の上を思って、助け出すことには賛成した。けど、誰も、タミちゃんがどのくらい借金があるか知らんかった。
 
 そんな頃、ツギが一度、こっそり、わだしにこんなことを言ったことがある。
 
「ね、母さん。いつか、わたしが果物屋の店に買い物に来た女の人のこと、言ったことあるよね。女の人が、ひと盛りいくらの安いりんごを買うか、いいほう買うか、迷っているのを見て、可哀相だったって言ったら、兄さん、その人に新鮮な果物を買っても、本当の解決にはならんぞって。世の中にはたくさんの貧しい人がいて、一人や二人に親切にしてやっても、貧乏は絶えないぞって。タミちゃんという人一人助けても、何千何万っていう女郎の人は、助けられんよねえ」
 
 わだしはなるほどと思った。タミちゃんは助かるかも知れん。けど、たくさんの売られた女の人ば、どうしたら救うことができるか、わだしにはよくわからんかった。多喜二は、「だからいい世の中が来るように、おれは小説を書くんだ」
 
 と言ってたども、本当にそんな世の中が来るんだべかと、つくづく考えさせられてね。タミちゃんを救けてやりたい。この気持ちに変わりはないども、むずかしい世の中だと思った。多喜二はわだしたちより、もっともっと世の中のことば考えて、頭の中一ぱいだったんだべな。
 
 多喜二は時々、銀行の帰りにタミちゃんの所に寄って来るようだった。もちろん、下の店でテーブルの椅子に坐って、話ばするだけのこと。多喜二の話では、タミちゃんっていう人は、本当に初心な娘っこでねえ。客にそっと手でも握られようもんなら、ぱっと立ち上がって、逃げ出したりする人だと言っていた。
 
そんなタミちゃんが、男に体ば売るのは、どんなに口惜しいことだったべ。それば知ってる多喜二も、どんなに辛いことだったべ。だから多喜二は、酌をするタミちゃんに、小指一本触れまいと気をつけたようだよ。
 
 多喜二はね、タミちゃんに、何か本を貸してやっていたようだった。
 「あんね、母さん。タミちゃんは、もっと人間とは何かっていうことを、勉強しなければならん。いや、タミちゃんばかりじやない。世の中の者全部が、自分は人間だ、という誇りを持たなければならん。人間には、していいことと悪いことがあると、みんながわかった時、本当の意味でこの世は変わる。不幸を生きぬく時、人間は幸せになる。不幸に押しつぶされていてはならんのだ」
 
 そんなことを、多喜二はよく言っていた。あの子は、おんなじことを飽きずに、何べんも言う子だったからねえ。
 
 またある時、こんなことも言ったことがある。
 「誰もが同じだけ金を持っていても、同じだけ幸せになるとは限らん。人を幸せにするのは、金だけではない。そこんところに気がつかなければならん」
 
 とね。これはわだしにもよくわかった。金はないよりあったほうがいいが、少しくらい足りなくても、笑うことはできるのね。そう言えば多喜二は、
 
 「貧乏人のほうが、金持ちよりよく笑う」という諺もよく言っていた。そう言われればそうだわね。金持ちで何人も妾のある家に笑いはないわね。いがみ合うばかりでね。
 
 ところで多喜二は時々、
「闇があるから光があるんだ」
 
 と、独りごとのように言っていた。何を考えて言っていたもんだか、わだしにはわからねども、多喜二はタミちゃんの身の回りが、どうしようもなく真っ暗で、闇のようだと言っていたから、やっぱりタミちゃんのこと思っていたんだべな。
(三浦綾子著「母」角川文庫 p97-103)
 
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夫婦別姓国会まで8年
夫婦別姓を盛り込んだ法制審答申から8年。自民党の大物反対議員が落選した今国会は民法改正の好機だ。当事者たちは待ちくたびれている。
 
「別姓の法案も通りそうだし、もう少し待ちましょうよ」
 東京都に住む会社員の原田康郎さん(55)が、教師をしている妻(41)にそう言われたのは9年前。以来、事実婚を続けている。
「まさかこんなに待つなんて」
 
 二人が夫婦であると証明する書類は「夫(未届)」と記載された住民票だけ。でも、職場の結婚祝い金ももらえたし、家族用の教員住宅にも入れた。特に不自由は感じなかつた。子供のことを除いては。
 
 子供は5歳と3歳。「婚外子(婚姻届を出きないカップルの間の子)」として生まれたが、上の子が幼稚園に通うようになってから裁判所で原田姓に改姓した。
 
 理由はこうだ。幼稚園の送り迎えは原田さんの役目だが、父親の送迎自体が珍しい上に、年齢の離れた父子で、姓も違う。対応する先生が代わるたび、名札や呼び名について説明した。そのつど「複雑な事情の家庭ではないか」と気を使われるのが負担だった。子供を原田姓に変えただけで、対応がスムーズになった。父親としての実感もさらに強まった気がする。
 
 年をとるにつれ、万一のときのことも気になつてきた。夫婦のどちらかが病院に運び込まれて緊急手術や、場合によっては医療保護入院が必要なときに、法律上の夫婦でないと承諾書のサインができないことがあると聞いた。「外形的にも夫婦だとわかつたほうが安心だから」法律婚にするつもりで、法案が通るのを待っている。
 
夫婦の98%が夫の姓
 
 民法750条は夫婦が「夫又は妻の氏」を称すると定め、必ずどちらかの姓に統一しなければならない。現在、98%近い夫婦が夫の氏を名乗る。ここに「各自の婚姻前の姓」を加え、夫婦が別氏を名乗ることを選べるようにしたのが「選択的夫婦別姓制」だ。
 
 この制度を盛り込んだ民法改正案を法制審議会が96年2月に法相に答申してから、はや8年。この間、何度も自民党総務会の保守的な長老議員らに葬られてきた。01年には森山真弓大臣下の法務省が法案提出を目指したが、ならなかった。
 
 その間に、この運動の先顔に立っていたが離れた女性もいる。
 天体物理学者の加藤万里子さん(50)は、女性科学者の地位向上をライフワークにしてきた。
 
 加藤さんの夫は農村地帯の旧家の長男。夫の郷里で披露宴をやって、その足で役場に婚姻届を出した。しかし、独身時代に「マリコ・カトウ」の名で修士論文や博士論文を発表していた。旧姓使用は研究を続ける上で死活問題だ。
 
 別姓選択を求める市民団体に参加し、文部科学省と交渉して、研究者名簿や科学研究費の申請で旧姓使用を認めさせたりした。
 
 だが、苦労して旧姓使用を勝ち取ったものの、離婚届を出し、今は事実婚にしている。夫婦関係は解消しないが書類だけ離婚する「ペーパー離婚」だ。
 
 「離婚届を出したら解放感でいっぱいになった。たかが紙きれ一枚でこんなにすっきりするなんて」
 
 今の加藤さんは、中途半端な旧姓使用が認められるよりは、ペーパー離婚や事実婚がふえて、いろんな結婚形態があることが普通になったほうがいい、と考えている。
 
旧姓使えず仕事で不利
 
 一方で、責任ある地位につくようになった30代の働く女性たちは、法案が通らないことにいらだちを募らせている。一級建築士、技術士として大阪市内の企業に勤める岡村栄子さん(38)も、その1人。
 
 結婚は94年。婚姻届を出し、戸籍上の名字は「岸田」に。でも、社内人脈や顧客との関係は岡村姓で築いてきたので、仕事は旧姓で通すことにした。会社は当初、「本人確認ができなくなる」として、旧姓使用を認めなかった。
 
 それでも上司や同僚が異動するたび、呼び名、名刺、名札、座席表、社員用メールアドレスなど、「岡村姓を使いたいのですが」と控えめに、でも根気よく、新任の上司や担当者に説明した。努力の甲斐あつて、会社も来年からは旧姓の使用を認めてくれそうだ。
 
 ところが、社内で昇進し、対外的な仕事が増えるにつれ、新たな壁に突き当たっている。国家資格である一級建築士や技術士の登録は旧姓が認められないのだ。
 
 建築確認申請書や工事現場に立つ確認済証の看板には建築士の名前が書かれる。地方自治体の入札には技術士の名前が必要だ。公的な書類は戸籍名、名刺は旧姓と食い違うので、取引先などにいちいち説明しなければならない。
 
 岡村さんは技術士の中でも、部門の管理者として、会社が国土交通省近畿地方整備局に届け出ている「技術管理者」。本来なら営業の看板なのに、会社にとっても本人にとつてもすっきりしない状態だ。
 
 もし将来、開業すれば、事務所登録は法律名になる。名前が通じないと営業上も不利だ。信用にも関わる。
 
 子供が2人いる。保育園や小学校には緊急時の連絡先として職場と旧姓を伝えてある。ペーパー離婚も考えたが、夫には「そこまでしなくても」と反対された。
 
 「弁護士や司法書士は旧姓使用が認められたのに、技術系の資格はまだまだ遅れている。法案には期待しています」
 
強硬反対派議員は落選
 
 そうした中、野田聖子衆院議員ら、自民党有志でつくる「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」(笹川堯会長)は、今国会で「例外的夫婦別姓制」を議員立法で成立させることを目指している。
 
 法務省案の「選択的別姓」と違うのは、夫婦は同姓が原則とする点だ。職業生活上の事情、祖先の祭祀の主宰など、裁判所が許可した場合に限って「例外的に」別姓を認める。結婚している夫婦は一度離婚しなければならない。夫婦の合意で同姓か別姓かを選べる法務省案に比べると、かなり後退した。専業主婦で兄弟がいる場合は別姓は難しそうだ。
 
 ここまでハードルを高くしたのも、これまで別姓案を潰してきた強硬反対派を取り込むためだ。
 
 もともと娘しかいない野中広務氏や山崎拓氏らは別姓の理解者だ。しかし、山中貞則氏(2月に死去)は「オレの目の黒いうちは通させない」と強硬に反対してきた。だがその山中氏が02年、例外的別姓法案を見て「これなら応援する」と「実現させる会」の最高顧問に就任した。これで流れが変わった。
 
 昨年11月の総選挙の結果も後押しする。強硬反対派だつた奥野誠亮氏、太田誠一氏は引退、落選で国会を去った。通称使用の制度化を主張する独自案で別姓反対のシンボル的存在だつた高市早苗氏も落選。票になるのならと、多くの議員が賛成に回る、とも見られる。
 
 しかし、夫婦別姓の問題にくわしい宮崎哲弥氏は、「別姓を主張する人たちは親の姓を名乗る『生家主義』になつている。家族単位から個人単位の社会への変革を目指すなら、別姓は中途半端。民法や戸籍法全体の枠組みも抜本的に変えるべき。野田案は家裁の許可や祖先の祭祀を持ち出すなど、時代に逆行している」
(アエラ 04.3.15 p80-81)
 
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 したがって、婚姻には、人類発展の三つの主要な段階にだいたい照応する三つの主要な形態がある。
 
野蛮時代には集団婚、未開時代には対偶婚、文明時代には姦通と売春とによって補足された一夫一婦婚。対偶婚と一夫一婦婚のあいだに、未開時代の上段階に、女奴隷にたいする男子の支配と一夫多妻が割りこむ。
 
 われわれの全叙述が証明したような、この順序のなかに示されている進歩は、女子が集団婚の性的自由をますます奪われていくのに、男子は奪われない、という特徴をおびている。
 
そして現実には、集団婚は男子にとっては事実上今日にいたるまで存続している。
 
女子にあっては犯罪であり、法律的および社会的に重大な結果をまねく事柄が、男子にあっては名誉とみなされたり、最悪の場合でもこころよく許される軽い道徳的な欠点とみなされる。
 
だが、古来の婚外性交が現代において資本主義的商品生産によって変化させられ、それに適応させられていけばいくほど、つまりそれがあからさまな売春に転化していけばいくほど、それだけますます退廃的な作用をするようになる。
 
しかもそれは、女子よりも男子のほうをずっとひどく退廃させる。
 
売春は、女子のあいだでは、ただそういう不幸な目にあっている者だけを堕落させるのであり、それさえも普通考えられているほどひどく堕落させることは決してない。
 
それに反して、売春は男子世界全体の品性を低下させる。
 
だから、とくに男子の長期の未婚状態は、一〇中の九まで、婚姻期の不貞のための正式の予備校なのである。
 
 いまやわれわれは、一つの社会的変革にむかって進んでおり、そこでは一夫一婦婚のこれまでの経済的土台も、それの補足物である売春も、ともに確実に消滅するであろう。
 
一夫一婦婚が生まれたのは、比較的大きな富の一人の手──しかも一人の男子の手──への集中と、またこの富をほかのだれでもなくその男子の子どもたちに相続させようとする欲望とによるものであった。
 
それには、男子のではなく女子の一夫一婦婚が必要だったのであり、したがってこうした女子の一夫一婦婚は、男子の公然または隠然の一夫多妻をさまたげるものでは決してなかった。
 
だが、きたるべきこの社会的変革は、少なくとも耐久的な相続可能な富──生産諸手段──のかぎりなく大きな部分を社会的所有に転化することによって、相続のこうした配慮全部を最小限度にちぢめるであろう。
 
ところで一夫一婦婚は経済的原因によって生まれたのだから、この原因が消滅すれば、それも消滅するだろうか?
 
 それは消滅するどころか、むしろはじめて完全に実現されるであろう、と、こう答えても不当ではあるまい。
 
というのは、生産諸手段が社会的所有に転化されるとともに、賃労働、プロレタリアートも消滅し、したがってある数──統計数に算定できる数──の女子が金銭とひきかえに肌身を提供する必要もまた消滅するからである。
 
売春は消滅する。
 
〔だが〕一夫一婦婚は、没落するかわりに、ついに一つの現実性になる──男子にとってもの。
 
 したがって、男子の地位はいずれにしても大きく変えられる。だが女子の、すべての女子の地位も、いちじるしい変動をこうむる。
 
生産諸手段が共同所有に移るとともに、個別家族は社会の経済的単位であることをやめる。
 
私的家政は、社会的産業に転化する。子どもたちの扶養と教育は公務となる。
 
嫡出子であろうと庶子であろうと、一様にすべての子どもたちの面倒を社会がみる。
 
それによって、今日、乙女が思いわずらうことなく恋人に身をまかせるのを妨げているもっとも主要な社会的──道徳的ならびに経済的──要因をなしている、「結果」にたいする心配がなくなる。
 
これは、いっそう無軌道な性交と、それによってまた処女の誇りと女の恥についてのいっそうルーズな世論とをしだいに生じさせる原因に、十分なりはしないだろうか? 
 
また最後に、近代世界では、一夫一婦婚と売春とはなるほど対立物ではあるが、不可分の対立物、同一の社会状態の両極であることは、われわれのすでに見たところではないか?一夫一婦婚をも、ともに淵に引きずりこまないで、売春は姿を消すことがありえるのか?
 
 ここに一つの新しい要因が作用しはじめる。一夫一婦婚が形成された当時は、たかだか萌芽として存在していた要因、つまり個人的異性愛がそれである。
(エンゲルス著「家族・私有財産・国家の起源」新日本出版社 p102-104)
 
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◎私たちの恋愛観が問われています。
 
きょう国際婦人デー
 
 8日は全世界の女性たちが、『パンと権利と平和」を求めて、いっせいに行動する国際婦人デー。今年は、アメリカのイラク侵略と占領への怒りが広がる中で行われます。
 ─略─
(しんぶん赤旗 040308)