学習通信040310
◎「女が働くことなしに歴史は作られないのだ」……と。
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国会議員の女性比率
日本低迷 7%で134位
議会の国際交流を推進する列国議会同盟(IPU)によると、国会議員(二院制の国では下院)に占める女性の比率で日本の衆院は百八十一カ国中、百三十四位に低迷していることが分かった。昨秋の衆院選で女性議員が減り、昨年三月の前回発表時よりさらにランクを下げた。欧米主要国に大きく後れを取り、アジアの平均も下回った。
IPUによると、日本は先の衆院選(定数四百八十)で女性の当選者は選挙前より一人減の三十四人で、全体に占める比率は七・一%と〇・二ポイント減。議会が存在する世界の百八十一カ国中の順位も前回の百三十二位から一段と後退した。
国別の首位は昨年九月の下院選で女性が四八・八%とほぼ半分を占めたアフリカのルワンダ。二位はスウェーデン(四五・三%)、三位はデンマーク(三八・〇%)と北欧諸国が上位を占めた。(ジュネーブ──清水真人)
(日経新聞 040310)働く女のひろがりの歴史
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此の頃こそ女性が働くことについて色々な意見が交されています。しかし、それは戦後に目ざましくおこってきた現象です。かっては女が働くことはきわめて特殊なことのように思われていました。明治の初期、近代資本主義のさきがけのような時代、たとえば製糸工場で働き手としての女を求める場合、なかなか人が集らなくて、あの手この手の苦労があったことは有名なはなしです。
そういう時代の次に、低賃金労働の花形としての女性が婦人労働史に大きく位置を占めてきます。それは女性にとって、苦難と恥辱と戦いの歴史でした。それだけにどちらかというと、外へ出て働く女は家貧しく、どうしても現金収入が女によってでも獲得されねば、本人も家族も食べてゆけないというような必然性によって、婦人労働はその歴史を展開してきたのです。
戦後はまったく違った様相がくりひろげられています。意識の点では大変たよりないような、たとえば職場の花でもかまわないどころか、むしろその方がいいとさえ思っている人も、又、たくましい労働意欲を持って女が働くことは当然のことで、男とくらべてとやかくいうことじたいおかしいのだとする、はっきりした意見の持主も、さまざまの段階の、そしてとてもたくさんの女性が働いているのです。
戦中派の筆者は、時々ラッシュ時のターミナルを眺め、もまれながら深い感動にとらわれずにはおられません。一人一人の意識の点ではたよりなくてむしろそんな女性が働いていることが迷惑でさえあるような人まで含めて、やはり婦人の労働史は書き替えられつつあると心から信じます。
働く女性が作る大消費市場
時々おかしくなります。たとえば高等学校を卒業する生徒をめざして、その生徒たちの卒業前に、企業側が主催するおしゃれの仕方というような色々の催しがよくあるようです。ある民放が世話をして、そういう会をした時、私は招かれて行ったことがあります。
その会はスポンサーが、ストッキングと化粧品のメイカーでして、いともはなやかに会は進められてゆきました。大変なお金がかかっているだろうと私は思いました。卒業予定の女学生は化粧品の詰め合わせとストッキングをプレゼントに貰うのです。きらびやかな雰囲気でした。なぜこのようなことが行なわれるのでしようか。どうしてたくさんの女生徒がただで品物を貰えるのでしょうか。チャリティショーではないのであって、やはりそこには利潤問題があります。
就職コースを終えたその生徒たちは、やがて色々な職場に入って働きだします。質素な人もいれば派手な人もいるでしょうが、誰だって化粧をし、誰だってストッキングをはくでしょう。その時、ひよっとして、あの懐かしい母校にいた時分、これこれのメイカーが品物をプレゼントしてくれたなあと思い出すことによって、その女性はそのメイカーの品物を買うかもしれません。靴下はこれこれのメイカーのものをはきますなどといっている人は割合に多いようですが、もしその品を選ぶチャンスが一足のプレゼントによって決定づけられるならば、一足の投資は実に安いものにつくでしょう。
とにかく彼女たちはささやかなりといえども、自分で金を稼ぎ、自分の判断によって財布のロを開けるのですから、メイカーたちにとっては実に魅力に満ちた市場になるのです。安い宝石、安い毛皮、安くてしゃれたさまざまの消費財が、いたる所に華やかに繰り広げられています。こういう現象は敗戦以前の日本にはたえてなかったことです。
つまり働くということが大変あたりまえになってきて、昔のように経済的理由、それも大変切迫した理由で働くばかりではなくなってきたのです。
昔から女は働きつづけてきたが
もちろん戦後にどっと女が働き出したというように言うのはまちがいだと思います。日本史はそのある部分を働く女性によって築かれているといっても過言ではないでしょう。農村、商業地、そんな所では大昔から女は働きつづけてきました。
商業史などを見ても行商に従事し、市に品物を運び、その品物を生産する婦人の力なしには、日本の商業は成り立たなかったのではないかと思われるほどに、女の力はたくましいようです。
ですから、女が働くことなしに歴史は作られないのだと言えると思いますが、明治以後、特に戦後顕著になってきた状況は、やはり自分の労働力を売る形でお金を取る人がどっと増えたということでしょう。
つきあいという点で見てもその違いがはっきり指摘されます。職場を外に持って大勢の仲間とともに賃金を得るという形の働き方では、色々な点で家の中で、いわば孤独に働いていたような時代とは違った人間関係が出てくるでしょう。たのしく楽になって元気付く場合もあると同時に、今までは使うことのなかった気をつかい、うんざりしてしまうことも多くなるでしょう。
女はダメか──新しい世界に出発しよう ──
ことに今までの日本の女性は組織の中での自分を見つめることは比較的少なく、きわめて小さなサークルの中での苦労がいやに目立つような生き方を強いられてきました。それだけに人間関係作りが、時にはキメが細かすぎたり、気にしなくてもいいことを気にしたり、そして考えるべきことを考えなかったりするようなちぐはぐなことも、過渡的な現象として色々おこってきます。
そしてそのあげくに、女はやはり視野が狭い、組織人として働くに適していない、人を使うことが出来ない、感情的だ、腹が出来ていない、等々、あらゆる悪口を云われて、やはり女はだめなのかとがっかりするようなことがしばしばあります。一方、家を中心としたさまざまの繁雑な人間関係は現代でもやはり相当程度濃厚に残っていて、そちらにも色々と心使いはせねばなりません。
並べたてれば「ああしんど」と投げ出したくなります。しかし、私は女がだめだと言われる領域のことは、始めから本質的に女がだめなのではなくて、そういう場でのものの考え方、行動の仕方が女にとってまるで新しい場面であるがためのとまどいが随分あると思います。
男性の方は女にくらべて体制を支える責任者であり、長い間、社会のおもだった部分で支えてきた歴史はとてつもなく長いのですから、おのずとそういうことに対する場面的な適応が、女よりすぐれて見えるのは、しごくあたりまえのことではないでしょうか。女はやはりだめだと溜め息をついて、簡単に音をあげてはならないと私は思うのです。
男も長い長い誤謬と修正の苦悶の伝統の上に、その男ならではという才能の現われを形作ってきたのではないでしょうか。その意味では、これから女の歴史は、これまでとはまったく違った形で築かれてゆく部分が大変多いのです。
もちろん女が男の陰になつて作りあげてきた歴史の面は、これからもほとんど女にゆだねられることがつづくでしょう。内に外に私たち働く女性は、新しい人間関係の調節をおこない、それによって我が身にも社会にも光を与えたいと思います。
(寿岳章子著「働く婦人の人間関係」汐文社 p1-6
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私は、日本について、二つの角度から話してきました。
一つは、男女平等という問題でも、日本には、ルールなき資本主義≠ニいう恥ずべき実態がある、という問題です。
もう一つは、日本の女性のDNAには、女性の自立と同権をめざす強力な歴史が刻みこまれている、という問題です。(笑い、柏手)
私は、日本の女性がさらに美しく、さらに輝くためには、そのDNAにふさわしい活力を大いに発揮して、日本の社会を、男女の平等と女性解放という分野でも、先進的な社会に変えてゆく活動と努力が必要だと思います。そして、この分野で私たちが前進することが、必ず、日本社会全体を前向きに発展させる力となることは、間違いありません。
戦後五十七年間、日本の女性たちは、その方向で歴史を切り開いてきました。そのなかで、新日本婦人の会は、一九六二年に誕生し、日本の女性の活動の先頭に立って、四十年の歴史を刻んできました。
私は、妻が創立当初からの会員だったこともあつて、この四十年間を、比較的身近に見てきた一人です。
新婦人が誕生した時の率直な印象を言いますと、「日本の女性が関心をもつあらゆる問題を、平和と社会進歩の立場で取り上げる、すばらしい女性の組織」が生まれたなと、そのことに新鮮な驚きをもって注目したものでした。(拍手)
実は、十年前、新婦人創立三十周年のレセプションにお招きを受けたとき、私は、あいさつのなかで、創立当初に私がもったこの印象について話しました。そして、そのこととあわせて、三十年の活動をへた新日本婦人の会をどう見ているかについても、話しました。
──いろいろな運動に参加してきた私自身の経験からいつても、国民の運動のあるところ、新日本婦人の会の旗が必ずひるがえっていること。
──そして、国民のどんな運動でも、そこに新日本婦人の会が参加すると、
国民のあいだに大きく胸を開いた明るさ、
生活にしっかり足をおいた者の強さ、
未来に目を向けた者の輝き、
そういうものが、運動の全体にみなぎることを実感すること。
三十周年ではこんなあいさつをさせていただきましたが、これは、それからさらに十年たったいまでも、いつそう強く感じている私の実感であります。(柏手)
「大きな社会的変革は、美しき性(女性) の力の働きなしには起こりえない」(マルクス)
最初にエンゲルスから話を始めたので、最後に、エンゲルスの親友だったマルクスの言葉をあげたいと思います。マルクスが、親しい友人夫妻にあてた手紙の一節です。
「いくらかでも歴史を知っている者はだれでも、大きな社会的変革は、女性の力の働きなしには起こりえないことを知っています。社会の進歩は、美しき性──これはみなさん方のことです(笑い)──の社会的地位を尺度として、正確にはかることができるものです」(マルクスからクーゲルマンへ一八六八年十二月十二日)。
社会の進歩と変革の運動における女性の役割をみごとに描きだした、すばらしい言葉だと思います。そしてこの言葉は、マルクス、エンゲルスが生きた十九世紀以上に、二十一世紀の世界と日本にあてはまる言葉だと思います。
マルクスがこの手紙で「美しき性」と呼んだ女性のみなさんが、この日本で、女性の平等と尊厳をめざす運動をいちだんと前進させるとともに、よりよき社会をめざす社会進歩の運動にも大きな貢献をなされるよう、新日本婦人の会の運動、日本の女性の運動がさらに大きく発展することを願って、私の話の結びとするものです。どうもありがとうございました。(大きな拍手)
(不破哲三著「ふたたび「科学の目」を語る」新日本出版社 p121-124)
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──フーリエはたんに批評家であるだけでなく、彼のいつもかわらぬ快活な天性は、彼を諷刺家に、しかもあらゆる時代をつうじてもっとも偉大な諷刺家の一人にした。彼は、革命の退潮とともにさかんになった詐欺的投機や、当時のフランスの商業の全般に見られた小商人根性を、みごとにしかもおもしろくえがいている。
それよりももっとみごとなのは、両性関係のブルジョア的形態とブルジョア社会における婦人の地位についての彼の批評である。ある社会における婦人の解放の度合いが全般的な解放の自然の尺度であるということは、彼がはじめてのべたことである。
(エンゲルス著「空想から科学へ」新日本出版社 p37-38)
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◎「全般的な解放の自然の尺度」と。自然の尺度なのです。だれでもが感じる≠ニ言うことでもあるのでしょうか。