学習通信040311
◎「冤罪という事は、あり得へんの?」……と。
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神戸児童殺傷 当時14歳少年仮退院
遺族へ異例の通知
社会復帰 長い道のり
「一生かけて、長男とともに精いっぱいの謝罪と償いをさせていただく」──神戸市の児童連続殺傷事件で十日、関東医療少年院を仮退院した男性(二一)の両親が発表した手記。「重い十字架を背負って」「人間を放棄しないで」──被害者の土師淳君の父親と山下彩花ちゃんの母親が寄せた手記。法務省は退院したことを遺族側に通知、被害者側へ異例の対応を取りました。関係者の重く、複雑な思いのなか、男性は更生への長い道のりを歩みはじめました。
男性は一九九七年十月に関東医寮少年院に収容され、二〇〇一年十一月に職業訓練のため、中等少年院に移されました。二十歳になった〇二年七月、神戸家裁が本人の矯正と生活環境の調整のため、〇四年末までの収容継続が必要と判断。男性は〇二年十一月に再度、関東医療少年院に移り、仮退院に向けた最終的な教育課程が進められていました。
関係者によると、男性は当初問題視されていた性的サディズムや反社会的な価値観といった精神疾患が改善され、「一人で死なせてほしい」と投げやりだった態度もなくなったといいます。「あのころの自分はまるで夢のようで二度と同じ気持ちになることはない」と事件当時を振り返り、「温かい人に囲まれて生きたい」と考えるまでになったといいます。
また、被害者遺族の手記を何度も読み返すうちに、「罪の重さを忘れず、一生償っていきたい」などと謝罪の気持ちを示し、働いたお金で賠償金を支払いたいと考えるようになりました。嫌っていた両親とも面談し、集団生活にもなじんでいるといいます。
元少年の両親の手記(一部)
仮退院した男性の両親の手記(一部)を紹介します。
【父】
長男は立ち直りのきっかけを確実につかみ始めたと思います。入所当初の状況からしますと、大変な変化です。ここまでこられたのは、担当の先生、教官の方々のおかげです。親として心よりお礼を申し上げます。
長男は厳しい現実に立ち向かう精神力も身につき、頑張ってみようという気持ちになっていると思います。本人は仮退院後、家族の元へ戻りたくはない、と言い、私たちと一緒に生活することを拒んでおります。
しかし、私はもし、許されるのであれば、本人がいずれ、受け入れてくれるのであれば、しばらくは家族五人で一緒に暮らしたい、と願っております。
長男は十四歳のまま、少年院にずっと入っていたので、やはり現実社会を知りません。慣れるまで戸惑うことも多いでしょう。
年の近い弟たちと生活を共にして最近の若者の生活、考え方などを教えてもらい、助け合える関係を兄弟ではぐくんでくれるようになれば、そして家族で再出発ができればと願っております。
弟たちはいずれ、独立していきますが、私と妻は死ぬまで長男の側にいて、どんなに厳しい状況になっても、長男が二度と間違いを起こさぬよう見守り、更生に全力を尽くします。
そして、許されることはなくとも、へこたれず、三人で力を合わせ、被害者の方々へ精いっぱいの償いができるよう励まし合っていきたいと思っております。
どうか、長男や私たちの今後を静かに見守っていただければ、と重ねてお願い申し上げます。
そして最後になりました
が、土師淳君、山下彩花さんのごめい福と、事件被害者のお子様の健やかなご成長を心よりお祈り申し上げます。ご遺族の方々にはただ、ただ、申し訳ないという思いでございます。重ねて心よりごめい福をお祈り申し上げます。
【母】
一九九七年六月二十八日(土)午前七時に長男が警察に連れて行かれてから、六年九カ月余りが流れました。
当時は何が何だかわからないままに毎日が目まぐるしく過ぎていきました。頭がおかしくなるかもしれない。でも、かえっておかしくなった方が、何も分からなくて楽かもしれないなとも思いました。
それからは、毎日おびえた生活をしてきました。何度も死にたいと思いましたが、もし、私たちが死ねば、被害者の方々、ご遺族の怒りや悲しみを受け止めるのは、長男以外になくなる。何よりも、どうしてこのような事件が起きたのか、真相を究明する妨げにもなる、それこそ、もう一つの罪かもしれない。生きながらえて、悲しみや怒りを受け止めなければならないと思いました。
普通の生活が、どれだけ自由で貴重なものかという事が、今回の体験で、よくわかりました。長男は入院当時は、面会に行っても当日の朝、いやだと言って会ってくれない事もありました。がっくりしましたが、いつかは会ってくれるだろうと思い、すごすごと主人と二人で帰ったこともあります。長男はこのまま一生、医療少年院暮らしをするかもしれないと言いしれぬ不安を覚えました。
長男が入院して三年ぐらいたったころから、少しずつ、いい方向に向かっていった様な感じがしました。私たちの眼を正面から見て、自分の思っている事が話せる様になり、大変な変化だと思いました。それからは、会うたびに良くなってきていると実感し、とてもうれしく思いました。
二〇〇二年五月二十三日(木)仙台に面会に行った時、長男の様子を見て、とっさに判断し、前から胸につかえていた事を聞きました。長男の顔をじっと見て「冤罪(えんざい)という事は、あり得へんの? お母さんは直接あんたの口からはっきり聞かんと、納得できへんネ!」私は泣きながら聞きました? すると長男は、私の眼をじっと見て、涙を浮かべて、下を向きながら「あり得へん」と一言答えました。
その時私は、一瞬頭が真っ白になり、ス一っと血の気が引いた様な気がしましたが、この五年間の胸のつかえが取れ、ぼうぜんとしていた様な気がします。でも、これで完全に何か吹っ切れました。これから、長男と三人で一生償っていこうと、固く心に誓いました。
本当にたくさんの方々に助けてもらい、長男もやっと立ち直りのきっかけをつかめた様に思います。でも年齢は二十一歳ですが、本人の中では十四歳で止まったままだと思います。
長男から「お父さんとお母さんの子供でよかった。産んでくれてありがとう。お母さんを苦しませる様な事は二度としません。ごめんなさい」という手紙をもらったときは涙をボロボロ流しながら読みました。親として一番うれしい言葉でした。
今、長男は、不安と未知の世界に飛び出す勇気を持とうと懸命に頑張っています。被害者の方々への償いも一生懸命していくと思います。長男にとっても私たちにとっても、気の遠くなるような、厳しく長い道のりだと思いますが、できれば静かに見守っていただければと思います。
これから何があるか、分かりません。被害者・遺族の方々への謝罪をはじめ、しなければならないことも山ほどあります。ですが、長男と共に、勇気をもって生き抜いていきたいと思います。
遺族が手記
青年が仮退院したことを受け、被害者土師淳君=当時(一一)=の父守さん、山下彩花ちゃん=同(一〇)=の母京子さん(四八)はそれぞれ手記を寄せました。要旨は次の通り。
十字架背負い生きてほしい
土師淳君の父
元少年Aの仮退院にあたっては、マスコミがさまざまな報道を行ってきました。彼に対する矯正教育が適当であったのか、教育期間は短くはなかったのか、などのいろいろな問題があると思いますが、最も重要な問題は、やはり彼は本当に更生したのかということだと思っています。更生をしたという判断をすることは、実は非常に困難なことです。
本当に更生しているのかということは、今後の状況をより正確に観察した上で判断されるべきものと思います。保護観察期間中だけでなく、保護観察期間を過ぎた後も、何らかの方法で経過を追ってほしいと思います。
仮退院した後に一般社会に出たとき、元少年Aはさまざまな苦難に遭遇することになると思います。それは当然の試練だと思います。そして彼の犯した罪は、一生かかっても償いきれるものではありません。そのことを絶対忘れずに、そして心に重い十字架を背負った状態で生きていってほしいと思います。
人間を人生を放棄しないで
山下彩花ちゃんの母
男性が医療少年院で確実な矯正教育がなされたものと信じたい反面、あれほど残虐な行為をして、わずか六年という時間で人間の心を取り戻し、まっとうな社会生活を営めるのかということに疑問を感じているのも否定できません。
男性に対して私個人としては、「社会でもう一度生きてみたい」と決心した以上、どんなに過酷な人生でも生き抜いてほしいと思っています。
そうは言っても、私は決して犯罪者に寛容な被害者ではありません。また、決して罪を許してもいませんが、彩花ならきっと、凶悪な犯行に及んだ彼が、それでもなお人間としての心を取り戻し、より善く生きようとすることを望んでいるように思えます。彩花のためにも、彼には絶望的な場所から蘇生(そせい)してもらいたいのです。
私たちに対する謝罪とは、もう二度と人を傷つけず、悪戦苦闘しながらもいばらの道を生き抜いていくことしかないと私は考えています。
現実社会は決して甘くはありません。そして、平穏な日々ばかりの人生ではないでしょう。それでも、人間を、生きることを、放棄しないでほしい。それこそが私たち遺族の「痛みと苦しみ」を共有することになるのです。
子どもがかかわる事件が起こるたびに、子どもをとりまく最大の環境である私たち大人が、いま一度「自分はなんのために生きているのか」を真剣に問い直さなければならないように感じます。そして、行き詰まった死生観を立て直すことや、「子どもの幸せのための教育とはなにか」を深く思索していくことが根本的な解決の方途ではないかという感を強めています。
そっと見守って
加害者の弁護を担当した野口善国弁護士の話
仮退院してくる男性は、犯行当時の少年と同じ人物ではなく十分に成長しています。彼が少年院で教育を受けた六年余りは決して短くなく、自由を制限され苦しむ中で、十分に悩み考えることができる期間でした。彼が仮退院した後はごく普通の人として接してもらい、そっと見守ってやってほしい。
超難関な「道」
事件を担当した神戸家裁の井垣康弘判事が青年にあてた手記を寄せました。要旨は次の通り。
仮退院後のキミの人生をマラソンに例えると、山あり谷あり嵐ありの「茨(いばら)のコース」で、距離も60キロはありそうな超難関な「道」です。
キミは、これを走り抜くだけの基礎的体力・気力は少年院で十分身につけました。
問題は、キミの場合、汗をしたたらせ、力走する姿・かたちそのものが、淳くん・彩花ちゃんたちをはじめ、ご遺族や社会に対する「償いの道」でもなければならないことです。キミが一生走り続ける姿を、これから生まれる子も含め、何千万人もの子どもたちやその親が見詰めます。そのことはしっかりと覚悟して決して忘れないで下さい。
(しんぶん赤旗 040311)
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植物は栽培によってつくられ、人間は教育によってつくられる。かりに人間が大きく力づよく生まれたとしても、その体と力をもちいることを学ぶまでは、それは人間にとってなんの役にもたつまい。かえってそれは有害なものとなる。
ほかの人がかれを助けようとは思わなくなるからだ。そして、ほうりだされたままのその人間は、自分になにが必要かを知るまえに、必要なものが欠乏して死んでしまうだろう。
人は子どもの状態をあわれむ。人間がはじめ子どもでなかったなら、人類はとうの昔に滅びてしまったにちがいない、ということがわからないのだ。
わたしたちは弱い者として生まれる。わたしたちには力が必要だ。わたしたちはなにももたずに生まれる。わたしたちには助けが必要だ。わたしたちは分別をもたずに生まれる。わたしたちには判断力が必要だ。生まれたときにわたしたちがもってなかったもので、大人になって必要となるものは、すべて教育によってあたえられる。
この教育は、自然か人間か事物によってあたえられる。わたしたちの能力と器官の内部的発展は自然の教育である。この発展をいかに利用すべきかを教えるのは人間の教育である。わたしたちを刺激する事物についてわたしたち自身の経験が獲得するのは事物の教育である。
だからわたしたちはみな、三種類の先生によって教育される。これらの先生のそれぞれの教えがたがいに矛盾しているばあいには、弟子は悪い教育をうける。そして、けっして調和のとれた人になれない。それらの教えが一致して同じ目的にむかっているばあいにだけ、弟子はその目標どおりに教育され、一貫した人生を送ることができる。こういう人だけがよい教育をうけたことになる。
ところで、この三とおりの教育のなかで、自然の教育はわたしたちの力ではどうすることもできない。事物の教育はある点においてだけわたしたちの自由になる。人間の教育だけがほんとうにわたしたちの手ににぎられているのだが、それも、ある仮定のうえに立ってのことだ。子どものまわりにいるすべての人のことばや行動を完全に指導することをだれに期待できよう。
だから、教育はひとつの技術であるとしても、その成功はほとんど望みないと言っていい。そのために必要な協力はだれの自由にもならないからだ。慎重に考えてやってみてようやくできることは、いくらかでも目標に近づくことだ。目標に到達するには幸運に恵まれなければならない。
この目標とはなにか。それは自然の目標そのものだ。これはすでに証明ずみのことだ。完全な教育には三つの教育の一致が必要なのだから、わたしたちの力でどうすることもできないものにほかの二つを一致させなければならない。しかしおそらく、この自然ということばの意味はあまりにも漠然としている。ここでそれをはっきりさせる必要がある。
自然とは習性にほかならない、という人がある。これはなにを意味するか。強制によってでなければ得られない習性で、自然を圧し殺すことにならない習性があるではないか。
たとえば、鉛直方向に伸びようとする傾向をさまたげられている植物の習性がそれだ。その植物は、自由にされても強制された方向に伸びつづける。しかし、樹液はそのために未来の方向を変えるようなことはしない。そこで、植物がさらに伸びていくと、その伸びかたはふたたび鉛直になる。
人間の傾向も同じことだ。同じ状態にあるかぎり、習性から生じた傾向をもちつづける。しかもわたしたちにとってこのうえなく不自然な傾向をもちつづけることもある。しかし、状況が変わるとすぐに、そういう習性はやみ、ふたたび自然の傾向があらわれる。
教育はたしかにひとつの習慣にほかならない。ところで、教育されたことを忘れたり、失ったりする人があり、またそれをもちつづけている人もあるのではないか。このちがいはどこから生じるのか。自然という名称を自然にふさわしい習性にかぎらなければならないというなら、右のようなわけのわからないことを言わなくてもいい。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p24-26)
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「子どもがかかわる事件が起こるたびに、子どもをとりまく最大の環境である私たち大人が、いま一度「自分はなんのために生きているのか」を真剣に問い直さなければならないように感じます。そして、行き詰まった死生観を立て直すことや、「子どもの幸せのための教育とはなにか」を深く思索していくことが根本的な解決の方途ではないかという感を強めています。」と。
人間の成長に対する信頼……。怒りの連鎖が止揚≠ウれる
学習通信040217 を重ねて深めよう。
Aの母親の手記 胸がつまり涙なしに読むことはできないのです。