学習通信040312
◎アメリカってどんな国……「アメリカの体制には説得性があった。」
 
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アメリカは説得力を失った
 
 ──アメリカにとってイラク戦争はどんな意味があるのでしょうか。
 
加藤 第二次大戦がすんだ時、アメリカはすでに世界最強の国でした。最強の軍事力を持ち、経済力もドルが圧倒的に強かった。そして、政治的にも、問題はあるけれども、ヒトラーよりははるかに民主主義的であり、かつ人間的でもあるというので、かなりの程度に説得力をもっていた。
 
決して軍事力やドルの力だけじゃなくて、アメリカの体制には説得性があった。大学の水準はいろんな意味で世界最高、文化的にも米国は非常に強力だった。一九四五年から六八年ごろまではそうだった。
 
 ところが、ベトナム戦争が転機になった。ベトナム戦争以後は、軍事力はもっと強大になった。しかし、これが非常に大事だと思うんですけれども、アメリカは説得力を失った。ヨーロッパでのアメリカのイメージはベトナム戦争で非常に傷つけられました。そして今度のブッシュ二世がとどめを刺した。
 
 ブッシュさんは、ユニラテラリズム(単独行動主義)だから全然反省してないけれど、アメリカは今度の戦争で政治的説得力を完全に失った。私がアメリカ人だったら、あまりにも残念ですよ。アメリカが政治的説得力を築き上げるには長い歴史があって、第二次大戦後の対外政策がある程度貢献してるわけでしょ。そんなに簡単に、一日じゃできないんですね。しかるに、壊すのは一日でできる。それをブッシュは実行したわけだ。
 
 もちろん、すべてを失ったわけではない。軍事力は世界一。だけど、もはや軍事力しかない。日本の関東軍の将校と同じで、軍事力だけが強大で、他に説得力を持たない。それでは世界で孤立する。そうなると、一種、誇大妄想的な考え方が出てきて、軍事力ですべて片づくという幻想がだんだん大きくなる。
 
つまり、少し皮肉な言い方をすれば、軍事力以外に力がないから、軍事力ですべての世界の問題は片づくんだという神話ができる。その神話に、みんなが喜んでついていく。アメリカの弱さと圧倒的な軍事力の強さとが組み合わさると、一種の妄想が生じて、地球上のすべての問題は第一に米国によつて、第二に武力によって解決されるはずだ、という幻想にとらわれるんです。そして、その幻想は片っ端から壊れる。現に壊れつつある。
 
姜 僕も、イラク戦争を「妄想の戦争」と呼んできました。どうもアメリカは、リアリズムをなくしてしまった気がするんですね。
 
加藤 そうそう、そういうことです。
 
姜 湾岸戦争の時は、まだリアリズムがあった。だからこそレジーム・チェンジ(体制転換)まではしようとしなかった。サダム・フセインを弱体化させても、最後まで追い詰めなかった。だから、不徹底だつたし、アメリカの弱さを相手に見せてしまったと理解する人もいましたが、僕は逆に、一撃を加えてすぐに引く、つまりヒット・エンド・ランが軍事的にもリアルな考えだったと思うんですね。
 
ところが、今回はそうしたリアリズムを失ってしまった。そういう形でアメリカが突き進むことは、長い目で見ると、アメリカの相対的な衰退が始まっていると考えるべきでしょう。僕は、多極化の決定的な始まりではないかと理解します。
(加藤周一・姜尚中対談「歴史の分岐点に立って」論座4月号 朝日新聞社 p14-15)
 
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アメリカ版(一八八七年)序文
   ──アメリカの労働運動──
 
 訳者の希望によつて、本書への付録を書いてから一〇ヵ月たった。この一〇ヵ月のあいだに、ほかの国ならどこでも少なくとも一〇年はかかるであろうと思われる革命がアメリカ社会でおこった。一八八五年二月には、アメリカの世論は次の一点においてほとんど一致していた。
 
すなわち、アメリカにはヨーロッパ的な意味での労働者階級は存在せず、したがって、ヨーロッパ社会を分裂させている労働者と資本家との階級闘争はアメリカ共和国ではありえないということ、したがってまた、社会主義は外国からの輸入品で、アメリカの土地にはけっして根をおろすことはできないということである。
 
しかし、そのころ、ペンシルヴェニアの炭鉱夫や、そのほか多くの職業のストライキのうちに、そしてとくに、八時間労働日の大運動のために全国的にすすめられていた準備のうちに、きたるべき階級闘争がその巨大な影を投げかけていたのである。
 
この大運動は翌年五月にはじまることになっており、そして実際にはじまったのである。私が当時これらの兆候を正しく評価し、全国的な規模での労働運動を予想していたことは、私の「付録」がしめしている。
 
しかし、こんなに短期間に、こんなに押さえきれないほどの力で、運動がとつぜんはじまり、草原の火のような速さでひろがり、アメリカ社会を根底からゆるがすとは、当時、誰も予想することはできなかった。
 
 事実はこのとおりであって、ゆがめることも異論をとなえることもできない。これがアメリカの支配階級にどれだけ恐怖と衝撃を与えたかということは、昨年の夏、私を訪問してくれたアメリカのジャーナリストたちが、おもしろおかしく、私にうちあけてくれた。この「新しい出発」は、アメリカの支配階級を扱いようのない恐怖と困惑の状態におとしいれたのである。
 
しかし、その当時、運動はまだはじまったばかりであった。黒人奴隷が抑圧され、製造業が急速に発展したために、アメリカ社会の最下層となってしまった階級が、混乱のうちに、あきらかにつながりのない騒乱をつづけざまにおこしただけであった。
 
年末までに、こういうごちゃごちゃとした社会的な騒乱ははっきりとした方向をとりはじめた。
 
この膨大な数の労働者大衆が広範な地域で自然発生的、本能的に動きだし、どこでも同じような、そして同じ原因による悲惨な社会状態への共通の不満が同時に爆発し、そのことによって彼らは、自分たちがアメリカ社会のなかの新しい独自の階級を形成しているのだということ、つまり──事実上──多かれ少なかれ世襲的な賃金労働者、プロレタリアの階級であるという事実を自覚したのである。
 
そしてほんとうにアメリカ人らしい本能によって、この自覚から彼らは自分たちの解放へむけて次の段階へすすんだ。
 
それは独自の綱領をもち、国会議事堂とホワイト・ハウスの征服を目標とする労働者政党の結成である。
 
五月には、八時間労働日のたたかい、シカゴやミルウォーキーなどの紛争、はじまったばかりの労働者の蜂起を残酷な暴力と階級裁判でおしつぶそうとする支配階級の企て。
 
一一月には、すべての大中心地での新しい労働党の結成と、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの選挙。これまでは五月と一一月といえば、アメリカのブルジョアジーは合衆国国債の利子の支払いのことしか、思いっかなかった。
 
これからは彼らは、五月と一一月は、アメリカの労働者階級が自分たちへの利子の支払いをもとめた月としても、思いだすであろう。
 
 ヨーロッパ諸国では、労働者階級が、自分たちは近代社会の独自な、そして現在の社会状態のもとでは永久的な一つの階級を形成しているのだという事実を十分に理解するのには、何年も何年もかかった。
 
そしてこの階級意識から、支配階級のさまざまな部分がつくっている古い政党のすべてから独立し、これらに対立する独自の政党を結成するようになるまでには、さらにまた何年もかかった。
 
アメリカという恵まれた土地では、中世の遺物が障害になることもなく、歴史は一七世紀に発達した近代ブルジョア社会の諸要素からはじまっているので、労働者階級はその発展のこういう二つの段階を一〇ヵ月以内でとおってしまったのである。
 
 しかし、これらすべてはまだはじまりにすぎない。労働者大衆がその不満と利益の共通性を感じ、他のすべての階級と対立する一つの階級としての連帯を感ずること、この感情を表明し、これを実行するために、自由な国ならそのためにどこでももうけられている政治機構を動かしはじめること──これは第一歩にすぎない。
 
その次の一歩は、こういう共通の不満にたいする共通の救済手段を見つけだし、それを新しい労働党の綱領のなかに具体化することである。
 
そしてこの一歩は──連動のなかでもっとも重要で、もっとも困難な一歩だが──アメリカではまだこれからふみださなければならない。
 
 新しい政党は明確な積極的な綱領をもたなければならない。それは状況の変化に応じて、また政党自身が発展するにつれて、こまかい点では変化するかもしれないが、しかし、やはり、さしあたり党が一致して同意するものでなければならない。
 
こういう綱領がまだ作成されていないか、あるいはまだ未熟な形でしかつくられていないかぎりは、新しい政党もまだ未熟な存在でしかない。
 
それは一部の地方には存在するかもしれないが、全国的には存在しないであろう。それは潜在的な政党であって、現実の政党ではないであろう。
 
 こういう綱領は、最初に作成されたときの形態がどうであろうとも、あらかじめ決定された方向へ発展するものでなければならない。
 
労働者階級と資本家階級とのあいだに深い裂け目をつくりだした原因は、アメリカでもヨーロッパと同じである。この裂け目をうめる手段も同様に、どこにおいても同じである。
 
したがって、アメリカのプロレタリアの綱領は、その達成すべき究極の目的にかんしては、ヨーロッパの戦闘的プロレタリア大衆が六〇年にわたる対立と討論をへて採択した綱領と、最終的には一致するであろう。
 
それは、すべての生産手段──土地、鉄道、鉱山、機械など──を社会全体が直接に所有し、これをすべての人の利益のためにすべての人によって共同で運用するために、労働者階級による政治的権力の獲得を、最終的な目標として宣言するであろう。
 
 しかし、もし新しいアメリカの政党が、ほかのすべての政党と同じように、それが結成されたという事実そのものは政治的権力の獲得への要求をしめしているにしても、権力を獲得したときにどうするかという点では、まだ意見の一致からは遠い。
 
ニューヨークや、その他の東部の大都市では、労働者階級の組織化は労働組合の線に沿つてすすみ、各都市で強力な中央労働組合をつくっている。ニューヨークでは中央労働組合は昨年一一月、ヘンリ・ジョージを旗手にえらんだ。
 
そのため、その暫定的選挙綱領には彼の原理がつよく反映していた。北西部の大都市では選挙戦はかなり漠然とした労働者の綱領でたたかわれ、ヘンリ・ジョージの理論の影響は、あったとしても、わずかであつた。
 
そして、これらの人口と工業の大中心地で、新しい階級的運動が政治的に高揚している一方で、全国的には「労働騎士団」と「社会主義労働党」という二つの広範な労働組織があり、このうち後者だけが、先に要約したような近代ヨーロッパの立場と一致する綱領をもっているのである。
 
 このようにアメリカの労働運動は、三つの多少ともはっきりとした形をとってあらわれている。第一のニューヨークにおけるヘンリ・ジョージの運動は、現在のところは、主としてその地方において重要性をもつものである。たしかにニューヨークは合衆国のなかでとびぬけてもっとも重要な都市である。
 
しかしニューヨークはパリではないし、合衆国はフランスではない。そしてヘンリ・ジョージの綱領は、現在の形では狭すぎて、地方的な運動か、せいぜい、一般的な運動の一時的な局面の基礎にしかならないと、私には思われる。
 
ヘンリ・ジョージにとっては、住民の大多数から土地をとりあげたことが、金持と貧乏人とへ人びとを分裂させたことの、大きな一般的な原因である。しかしこれは歴史的には完全に正しいとはいえない。
 
アジアの古代や古典古代においては、階級的抑圧の一般的な形態は奴隷制であり、つまり、大衆からの土地とりあげというよりは、彼らの身体を所有することであった。ローマの共和制の衰退期に、イタリアの自由な小農民がその農場をとりあげられたとき、彼らは一八六一年〔南北戦争〕以前の南部奴隷諸州の「白人貧民」と同じような階級を形成した。
 
そして、奴隷と白人貧民という、いずれもみずから解放する能力のない二つの階級のあいだで、古代世界は崩壊してしまった。中世では、封建的抑圧の基盤となったのは、人民から土地をとりあげることではなく、逆に、人民を土地にしばりつけることであった。
 
農民は土地をもっていたが、農奴または隷農として土地にしばりつけられ、夫役や生産物で領主に年貢をおさめる義務があった。近代のはじまり、つまり、一五世紀の終わりごろになって、ようやく、大規模な農民からの土地とりあげによって、労働力以外にはなにももたず、その労働力を他人に売ることによってのみ生活をすることのできる近代賃労働者階級の基礎がつくられたのである。
 
しかし、土地のとりあげによってこの階級が誕生したとしても、この階級を永続的なものとし、その数をふやし、独自の利害と独自の歴史的使命をもつた独自の階級ヘとそれをつくりあげていったのは、資本主義的生産と近代工業と大規模農業の発展であった。
 
このことはすべてマルクス(『資本論』第八〔七〕篇「いわゆる本源的蓄積」)によって詳しく説明されている。マルクスによれば、現在の階級対立と労働者階級の社会的転落の原因は、彼らからすべての生産手段がとりあげられたことであり、そのなかにはもちろん土地もふくまれている。
 
 もしヘンリ・ジョージが、土地の独占こそ貧困と悲惨の唯一の原因であると宣言しているのなら、その救済策は社会全体が土地をとりもどすことにあると考えるのは当然である。ところで、マルクス派の社会主義者も、社会が土地をとりもどすことを要求しているが、それは土地だけでなく、他のすべての生産手段のとりもどしを要求しているのである。
 
しかし、この点を問題にしないとしても、もう一つ、別の違いがある。土地をどうするのか? マルクスに代表される近代の社会主義者は、土地は共同で、共同の責任で所有され、経営されるべきであると要求しており、その他すべての生産手段、鉱山、鉄道、工場などについても同様のことを要求している。
 
ヘンリ・ジョージは、土地を現在と同じように個人に貸しつけ、ただその配分を規制し、地代を現在のように私的な目的でなく、公的な目的に用いることだけに、とどめようとしている。社会主義者の要求は、社会的生産の体制全体の完全な革命ということであり、ヘンリ・ジョージの要求は、現在の社会的生産様式には手をつけずにおくということで、これはじつはリカード派のブルジョア経済学者の急進派がすでに論じていたところであり、彼らもまた国家による土地の地代の没収を要求していたのである。
 
 ヘンリ・ジョージがすべてを語りつくしたと考えるのは、もちろん、不当であろう。しかし私は彼の理論を私が見たままにうけとらざるをえないのである。
 
 アメリカの運動の第二の大きな部分をなしているのは労働騎士団である。そしてこれが運動の現状をもっとも典型的にあらわしているように思われる。というのは、それが疑いもなく、ずばぬけて最強だからである。巨大な組織が無数の「会議」という形をとって広大な地域にひろがっており、労働者階級内部のいろいろなニュアンスをもつた個人的意見や地方的意見をすべて代表している。
 
これらの会議全体は、それにふさわしいあいまいな綱領のもとにまとまっていて、彼らが結ばれているのは、その実行不可能な規約によるというよりは、彼らの共通の願望のために団結しているという事実そのものによって国内の一大勢力になっているのだと本能的に感じとっているためである。それはもっとも近代的な傾向がもっとも中世的な仮装をし、外見上は専制的に見えるけれども実際には無力な専制のもとにもっとも民主的で、反逆的である精神が隠れているという、ほんとうにアメリカ的な逆説──これがヨーロッパ人の目から見た労働騎士団の姿である。
 
しかし、もしわれわれがたんなる外見上の奇妙さにまどわされないなら、この巨大な集団のうちに、ゆっくりと、しかし確実に、現実的な力に成長しつつある膨大な潜在的エネルギーをみとめないわけにはいかない。労働騎士団はアメリカの労働者階級全体がつくりだした最初の全国組織である。
 
その起源や歴史がどのようなものであれ、その欠点やわずかな混乱がどのようなものであれ、その綱領や規約がどうであれ、彼らは現実に存在する。それは事実上アメリカの賃金労働者階級全体がつくりだしたものであり、唯一の全国的組織であって、彼らを団結させ、その力を敵にたいしても彼ら自身にたいしても感じさせ、未来の勝利という誇り高い希望で彼らをみたしているのである。
 
というのは、労働騎土団は発展する余地がある〔ない〕というのは正確ではないであろうから。彼らは絶えず発展と革命の過程を十分にすすんでおり、大量の可塑性の素材がふくれあがり、発酵しているかのように、その本来の性質にふさわしい形態をもとめている。
 
この形態は、自然の進化と同じように歴史の進化もそれ自体の内在的法則をもっているのと同じくらい確実に、達成されるであろう。そのときに労働騎士団が現在の名称のままでいるかどうかは、どうでもよいことであるが、局外者にとっては、ここにこそ、アメリカの労働者階級の未来と、それとともにアメリカ社会全体の未来とが形づくられている素材があるということは、あきらかであるように思われる。
 
 第三の部分は社会主義労働党からなりたっている。この部分は名前だけの政党である。というのはアメリカのどこにおいても、現在までのところ、それは現実に政党としての立場をあきらかにすることができないからである。
 
さらにそれはある程度までアメリカにとっては外来のもので、最近までほとんどもっぱらドイツ人移民からなり、自分たちの国の言葉を使い、たいていはアメリカの共通語をほとんど使えないのである。
 
しかしそれが外国生まれのものであるとしても、それは同時に、ヨーロッパにおける多年の階級闘争の経験で武装し、また労働者階級解放の一般的条件についてはアメリカの労働者がこれまでに獲得した洞察よりははるかにすぐれた洞察で武装しているからである。
 
このことはアメリカのプロレタリアートにとっては幸運な事情であって、彼らはヨーロッパの階級的仲間の四〇年にわたる闘争の知的・精神的成果をとりいれ、利用することができ、それによって彼ら自身の勝利を早めることができるのである。
 
というのは、私が先にのべたように、アメリカの労働者階級の究極的な綱領は、ヨーロッパの戦闘的な労働者階級全体が採用している綱領と、またドイツ系アメリカ人社会主義労働党の綱領と、本質的に同じものでなければならないし、同じものになるであろうからである。
 
そのかぎりにおいて、この政党は運動のなかできわめて重要な役割を演ずるよう要求されている。しかしそのためには、この党は外来の衣装をすっかりぬぎ捨てなければならないであろう。彼らは徹底的にアメリカ人にならなければならないだろう。アメリカ人が自分たちの方へ近よってくると期待することはできない。彼らは少数者であり移民なのであって、大多数を占める本国人であるアメリカ人の方へ、彼らがいかなければならない。そしてそうするためには、なによりもまず英語を勉強しなければならない。
 
 この巨大な流動的な大衆のさまざまな要素──ほんとうは対立しあっているのではなく、出発点がさまざまなために実際上たがいに孤立している要素──を融合するためには、いくらか時間が必要であり、いまでもいろいろな点で見られるように、ある程度の摩擦なしにはすまないであろう。
 
たとえば労働騎士団は東部の都市のあちこちで、組織された労働組合と地域で争っている。しかしこういう摩擦は労働騎士団自体の内部にもあり、そこでは平和と調和などは見られないのである。しかし、これらはそれを見て資本家が勝ち誇るような衰退の徴候ではない。
 
それはたんに、無数の労働者の大群がはじめて共同の方向にむかって動きだしたものの、まだ彼らの共通の利益をあらわす適切な表現も、たたかいにもっとも適した組織形態も、勝利を確保するのに必要な規律も見つけだしていないということのあらわれにすぎない。
 
彼らはまだ大革命戦争の最初の大動員部隊で、各地でばらばらにあつめられ、装備され、一つの共通の軍隊を形成するために集合しつつあるけれども、まだ正規の組織も共同の戦闘計画ももっていないのである。
 
集合しつつある縦隊はあちこちでぶつかりあい、混乱や、はげしい口論や、衝突の恐れさえ生じている。しかし、究極の目的が共通なのだから、小さな争いはすべて最終的には克服される。
 
やがて、ばらばらに進軍し口論していた諸大隊は、一列の長い戦闘隊形をととの、え、敵にたいして整然とした戦線をしき、武器をきらめかせながら無気味な沈黙を守り、前面には大胆な見張りの兵を配置し、後方には動揺することのない予備兵をおいて援護されるであろ。
 
 こういう結果を生むためには、さまざまな独立の団体を、たとえその暫定綱領がいかに不十分なものであろうと、それが真に労働者階級の綱領であるなら、そういう綱領をもった一つの全国的な労働者の軍隊に統一すること、──これがアメリカにおいて達成すべき次の大きな一歩である。
 
このことを実現するために、そしてその綱領をその目的にふさわしいものとするために、社今王義労働党は、ヨーロッパの社会主義者たちがまだ労働者階級のほんの少数にすぎなかったときにとった行動と、同じように行動しさえすれば、大きな貢献をすることができるであろう。
 
この行動路線は一八四七〔一八四八〕年の『共産党宣言』のなかで、次のような言葉ではじめてしめされた。
 
 「共産主義者」──これがわれわれがその当時用いた名称であり、現在でもけっしてそれを拒否していない──「共産主義者はその他の労働者階級の政党と対立して別の政党をつくるものではない。
 
 彼らは労働者階級全体の利益と区別される別の利益をもたない。
 彼らはセクト的な独自の原理をかかげ、それによってプロレタリアの運動の型をつくり、それにはめこむものではない。
 
 共産主義者がその他の労働者階級の政党と区別されるのは、ただ次の点だけである。一、さまざまな国ぐにのプロレタリアの一国的闘争において、彼らは、すべての一国的利益からは独立したプロレタリア全体の共通の利益を指摘し、前面におしだす。二、資本家階級にたいする労働者階級の闘争が経過しなければならないさまざまな発展段階において、彼らはつねに、どこにおいても、運動全体の利益を代表する。
 
 したがって共産主義者は、一方においては、実践的にはすべての国の労働者階級の政党のもっともすすんだ、断固とした決意をもった部分であり、他のすべてをつねに推しすすめていく部分である。他方、理論的には、彼らは、圧倒的多数のプロレタリア以上に、プロレタリア運動の進路、条件、およびその究極的な全般的結果について、明確に理解しているという有利さをもっている。
 
 このように、彼らは労働者階級の直接的な目的の達成のために、当面の利益の実現のためにたたかう。しかし現在の運動のなかで、彼らは運動の未来を代表し、未来を考慮している」。
 
 これが近代社会主義の偉大な創始者カール・マルクスと、そして彼とともに私と、またわれわれとともに活動していたすべての国の社会主義者たちが、四〇年以上にわたって守ってきた行動路線であり、その結果、いたるところで勝利にみちびかれ、そして現在、ヨーロッパの多数の社会主義者が、ドイツでもフランスでも、ベルギー、オランダ、スイスでも、スペイン、ポルトガル、デンマーク、スウェーデンにおいても、一つの同じ旗のもとに、一つの共同の軍隊として、たたかっているのである。
 ロンドン
  一八八七年一月二六日  フリードリヒ・エンゲルス
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態-下-」新日本出版社 p181-191)
 
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◎私たちには、アメリカの労働者運動がよく見えません。アメリカを紹介する書籍は、アメリカ追従の小泉内閣が出来てからラッシュですが、そこからも労働者運動はよく見えません。
 
深めて下さい。アメリカ論を、正確に……。また社会主義の行動路線を。