学習通信040317
◎オウム……「共有すべきは、それを乗りこえていく経験」と。
 
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オウム事件
今こそ乗り越えていく経験を
 悲劇に耐えられずに 「国家」にすがる危険
 大塚 英志
 
 神戸の児童連続殺傷事件で逮捕された男性が仮退院したというニュースが流れた時、ぼくが深い感銘を受けたのは被害者の母親の談話だ。彼女は自分は「決して犯罪者に寛容な被害者では」ない、とあえて前置きした上で、にもかかわらず加害者の男性に「絶望的な場所から蘇生してもらいたい」と語った。
 
それは彼女自身が絶望的な場所から悪戦苦闘し、立ち直った経験を経て初めて語りうる重いことばだ。「犯罪被害者の人権」が熱心に語られるようになったことで、ぼくたちはこの何年か、この事件に限らず不幸な犯罪による被害者の悲しみや絶望や怒りを共有する態度を相応に身につけた。とすれば、次に共有すべきは、それを乗りこえていく経験とそれがもたらすものではないのかと彼女の談話によって知らされた。
 
 神戸で得たもの
 
 本紙から求められたのはオウム真理教事件を改めて今、どう受けとめるべきかという問いかけだが、神戸の事件から始めたのはそこにまさに「受けとめ方」のあり方への一つの答えがあるからだ。
 
 ところでぼくは最近、イラク派兵を差し止める訴訟にほんの少し首を突っ込み、名古屋の若い弁護士たちと話すようになった。東京ではメディアも普通の人々も「反戦」を口にするのにどこかためらいがあるのに、なぜ名古屋ではこんなに熱心に人々が集うのだろう、と東京に住むぼくが疑問を□にすると、それは「神戸」の経験が少しは作用しているのかもしれないと教えてくれる人がいた。
 
言うまでもなく「神戸」とは阪神淡路大震災のことで、反戦運動にコミットする人々の中には神戸でのボランティア体験を持つ人が少なからずいるということだ。と言ってもボランティアを経験したので社会参加に積極的だ、というほどに単純ではない。
 
東京からテレビモニターを介して見ているだけだったぼくになど想像のしようのない悲劇がそこには無数にあって、被災地の人々やそこに集まった人たちは、にもかかわらずそれを乗り越えようとする経験をした。それによって得た確かさがきっとあるはずだ。
 
 情報化のなかで
 
 翻って、東京に暮らし、メディアの経験に頼るぼくのような人間が同時期に「経験」したのがオウムの事件だった。無論、ぼくたちの大半は事件の被害者でも何でもない。自然災害と宗教テロという悲劇の質も異なる。にもかかわらず、やはり思うのは、東京に生きメディアの経験に頼るぼくたちは、神戸の人々が悲劇を乗り越え得たような経験に、いまだ至っていないのではないか、ということだ。
 
オウムの事件の後、いわゆるナショナリズム的言論が一方では人々の心をとらえ始めた。ナショナリズムの必要を説く人々はナショナルな感覚こそが高度情報化社会に対する抵抗の根拠だと主張する。それは、明らかにオウムを意識している。オウムのもたらした不安が人々の心の内で克服されていないからナショナリズムに人はすがるのか、ともふと思える。
 
 無論、悲劇を乗り越えようと口でいうのは易しいが、それはとてつもなく困難だ。だが神戸の事件、阪神淡路大震災という二つの悲劇を乗り越えようと努力する人々がいる一方で、オウムという経験はいまだ乗り越えられていない。それは事件の被害者の方々や教団にかかわった人々以上に、むしろ「東京」や「メディア」という情報化した社会を生きる人々の問題としてある。
 
悲劇に耐えきれず「国家」という超越性に自身を委ねるなら、それは麻原に「私」を重ねてしまったかつての信徒たちと変わらない。だからこそ乗り越える方法としてこれからのオウム論は語られるべきだと思う。
(しんぶん赤旗 040317)《識者のコメント》
 
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事実判明は少なく「通過点」
 ジャーナリスト・江川紹子さんの話
 
 弁護人の顔つきも初公判に比べてずいぶんと年を重ね、本当に長い裁判だったと感じた。一連の事件は法廷だけで決着はせず我々一人一人が考え続けなければならない問題。判決は終着点ではなくあくまで一つの通過点と受け止めている。すべての責任は松本智津夫被告にあることが確認された一方、松本被告の公判だからこそ判明したという事実が少なかったのが残念。
 
 特に坂本弁護士一家殺害事件の捜査の問題点が明らかにされなかったのが心残りだ。オウムへの捜査を急いでいれば、その後の犯罪の発生を防ぐことができたかもしれない。弁護側にも有利な材料となったはずで、追及を期待していた。
 
社会背景考慮してない
 宗教学者・島田裕巳氏の話
 
 一連の事件を松本智津夫被告の欲望の結果とする判決には社会的背景が考慮されていないと感じる。冷戦構造の崩壊に伴い、社会に疑問を持つ若者たちが左翼運動から宗教に流れていった時代でなければ、松本被告個人の思想は広がらなかった。
 
米同時テロも同様の背景があると考える。松本被告は、人の弱点を鋭く突き、心をつかむ能力があったが故、多くの若者が集まった。オウムは松本被告抜きには考えられず、死刑判決が出ても信者の崇拝は変わらないのではないか。
 
沈黙で事実追究できず
 作家・佐木隆三氏の話
 
 これまで弟子たち十一人が一審で死刑判決を受けており、首謀者の松本智津夫被告の死刑は至極当然だ。判決内容についても「サリンを東京に散布して首都を壊滅し、日本にオウム国家を建設して自ら支配しようとした」など一連の事件の動機を一歩踏み込んで認定した意義は大きい。
 
 ある時期から松本被告が弁護側の問いかけにさえ沈黙する異常事態が続いたことは非常に不満だ。裁判の当事者は被告で、本人が法廷で自ら言葉を発しなくては真実の追究ができない。松本被告が自ら発言を求めた時になかなか発言を許さなかった裁判所、弁護団の責任は大きい。
 
「主犯」鮮明になった
板倉宏・前日本大学司法研究所長人刑法)の話
 
 地下鉄サリン事件をはじめ弁護士一家殺害事件や松本サリン事件などすべての事件で、松本智津夫被告の指示だったとする信者の供述の信ぴょう性を全面的に認めている。各事件で松本被告が主犯だったことが鮮明になる判決。一つ一つの事件が死刑に値する犯罪だけに厳しい判決は当然。
(日経新聞 040328)
 
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潮流
 
『罪と罰』(ドストエフスキー)の主人公ラスコーリニコフは、シベリアの流刑地で夢にうなされます。微生物が人にとりつく夢です
 
▼その微生物に感染すると、凶暴な人間と化す。自分の考え方や信仰が絶対だと揺るぎない自信を持ち始め、相手を理解できない。不安におののく人々が殺し合いを繰り返し、人類は滅びる…
 
▼主人公は、世界には、子どもを生むのが仕事の<凡人>と、新しい言葉や社会をつくる<非凡人>がいると考えていました。<非凡人>は思想のために人を殺してよい、といいます。そして彼も、(非凡人)の方へ一歩踏みだすとの理屈で、殺人を犯します
 
▼夢で自分の「理論」の行き着く先を悟ったのでしょうか。彼は夢のあと、更生へと向かいます。おそらく、人類を、自分を、救うのは「愛」だけと感じつつ。しかし現実においては、彼のような「理論」は形を変え色を変え、現れます。ドイツのナチズムのように
 
▼オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)元代表に対し、東京地裁が死刑判決を下しました。犠牲者二十七人にのぼる殺人を指示した、と断じます。世の終わりの「最終戦争」やオウムの国家づくりを唱え、元代表が絶対の存在だったオウム。まやかしの思想のため、邪魔者も市民も手にかけました▼元代表は、八年近い裁判の間、夢をみたでしょうか。土に埋められた幼い坂本龍彦ちゃんや、「最終戦争」の、悲惨な姿を。罰するにとどまらず、オウムの病理をえぐり出すまで、事件は終わりません。
(しんぶん赤旗040228)
 
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オウムは何を発明したか
 
 私がまるで「オウム真理教評論家」のような日々を余儀なくされていた頃、一番よく受けた質問の一つは、「なぜ、高学歴の研究者がサリンのような『人を殺すためにしか役立たない』非人道に手を貸したのでしょうか」という質問だった。
 
「そんなことは歴史上初めてのことではないでしょう。科学者が核兵器の開発研究に関係した時、とっくに体験済みです」──これが私の答えだった。国家がエリート集団を組織し、大量殺戮のために科学を動員し、約三〇万人を殺したのだ。だから、サリンを憎む同じ目を核兵器にも向けてほしい、とそう思う。
 
 人々はまた、「なぜ、オウムは『千年王国』の国民たるオウム信徒以外は殺してもいいというような差別的生命観に傾斜したのでしょうか」とも聞いた。「しかし、残念ながらそんなことは、心身ともに健康なドイツ民族国家を建設するために、幾百万ものユダヤ人・黒人・ジプシー・遺伝病患者・身体障害者などを殺していったナチス・ヒトラーの時代に体験済みでしょう」と私は答えた。
 
 オウム真理教団がそうした妄念に囚われていった原因をたどれば、第一に、麻原彰晃教祖の狂気への迷走がある。狂気は往々にして、カリスマ性と表裏をなす。無論、オウムのような非理性的な集団に若者たちが心傾けていった背景には、現代社会が抱え込んでいる構造的な原因があるに相違ないが、教団が狂気に走った直接的な原因は、何よりも「教祖の狂気」にある。
 
一九九七年ハルマゲドン説や阪神大震災地震兵器説などは、いずれも彼の狂気から出た妄想の例にほかならない。問題は、なぜそうした教祖の狂気が濾過されず、教団そのものの意志にまで高められていったのかである。
 
 地下鉄サリン事件の実行犯の一人だった「治療省」トップの林郁夫元医師は、「サリン入りの袋を開ける際、良心の呵責に苛(さいな)まれて躊躇したが、教団の命令には逆らえなかった」という主旨の供述をしているが、そうした理性の残澤をも押し潰していく教団内部の絶対服従体制が、教祖の狂気に対するチェック機能を失わせ、教団全体を殺人者集団にしていったに相違ない。
 
筋肉少女帯の大槻ケンヂ流にいえば、教祖に向かって「おいおい、それちゃうやろう」と言える自由さえ根こそぎ奪い去る、最も凶暴な仕組みがそこにはあったのだ。
 
拉致・監禁・薬物使用などによる裏切り防止のための暴力的手段、「無間地獄に落ちる」という宗教教義上の脅迫等々。「麻原教祖絶対君主体制」の背景には、徹底的に自由を剥奪する最も非人間的な暴力的体質があったのだが、それは絶対主義的天皇制の下にあった戦前の日本や、ヒトラーの下にあったナチス・ドイツで体験済みの苦渋でもあった。
 
 こう考えてみると、オウム真理教団の狂気は、オウム自身の発明品というよりは、本質的には過去の人類の狂気の体験の縮小再生産のようにも見える。オウムが、隣人愛や利他主義や博愛を説くはずの宗教の名において、人間性の最も暴力的な面を肥大させて殺人集団と化したことは、宗教界にとっての一大不幸だったに相違ない。
(安斎育郎著「人はなぜ騙されるのか」朝日文庫 p218-219)
 
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◎学習通信040311 も重ねて深めて下さい。
 
オウムを乗りこえるとき……何が見えてくるのだろうか。