学習通信040318
◎春闘……「それぞれのレベルにおける労使の十分な対話と協調が経済・社会の安定に」……。
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経営者の役割と使命
(1)社会の安定帯としての労使の役割労使は社会の安定帯である。企業、産業、地域、ナショナルセンターなど、それぞれのレベルにおける労使の十分な対話と協調が経済・社会の安定に大きな役割を果たし、新しい労使関係を創造する。雇用問題についても、全国各地で労使協同の取り組みがはじまっているが、これらを実効あるものとするための一層の協力が不可欠である。労使、さらには政労使が一致協力して、現在の難局を乗り越えていかなければならない。
これからは物心両面の豊かさをめぎすべきであり、企業も個人も多様な目標を掲げ、自らの責任によってその達成に向けて不断の努力を続けていくことが望まれる。目標は異なっても、企業や個人が互いに共感と信頼をもてば、多様性のダイナミズムによって経済・社会は発展する。「多様な価値観が生むダイナミズムと創造」こそが、わが国の活力と魅力を取り戻すためのエネルギーの源となる。労使にはベクトルをあわせて、こうした新たな時代を切り拓くべく挑戦を続けることが求められている。
特に社会保障制度のように、国の制度であっても労使がともに直接的に利害関係を共有する分野については、労使で真筆に話し合い、現実的な結論を得た上で、政府に対して働きかける行動を労組にも期待したい。
(2)経営者の役割と使命
最近の相次ぐ不祥事により、企業に対する株主や顧客・消費者の不信感が強まっている。一度失った社会的信用、コーポレート・ブランドは容易に回復できるものではない。経営者は、社会規範を遵守する社内の仕組みや体制をつくり、常時それが正常に機能しているか否かを確認する必要がある。
企業は単に公正な競争を通じて利潤を追求するだけでなく、広く社会にとって有用な存在でなければならない。「よき企業市民」という自覚のもとに企業活動を進めることによって、社会・経済の発展に大きく寄与できる。
経営者が高い倫理観に裏づけられた哲学とビジョンを広く社内外に示し、透明性の高い経営を率先垂範することによって、従業員の間に働く誇りや喜びが生まれ、企業の社会的評価も一段と向上する。
21世紀は物質的豊かさに加え、精神的な豊かさが求められる時代である。こうした時代に経営者に要求されるものは、新たな価値観の創造、信頼の獲得、企業活動を通じて社会の活力を向上させようとする意思の力である。このような「高い志」に裏打ちされた経営が、国益や社会の利益を増進し、ひいては活力と魅力溢れる日本をつくり上げていく道へつながる。
こうした志を実現するためには経営者のリーダーシップの発揮が不可欠であり、同時に企業の諸関係者からの意見に真撃かつ謙虚に耳を傾けることが求められる。その意味で、経営者はまさに「強く、正しく」なければならない。こうした姿勢が強い競争力を育て、社会に信頼される企業をつくることになる。
(日本経済団体連合会「経営労働政策委員会報告」2004年版 p67-69)
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春秋
読者はお気づきと思う。本紙の春闘関連記事に付ける飾りカットに春闘の字がない。代わりに「2004春 賃金・雇用」としている。今の季節の経済・時事詠に春闘を季語に使わない「春不況マンガと日経を読む若さ」(福住茂)という句も既に見られるぐらいで、自然なことだ。
▼正続二巻の「絶滅寸前季語辞典」を編集した夏井いつきさんは春闘に一項をさき「景気低迷の続く社会構造によって絶滅の危機にさらされているという、極めて珍しいケースである」と書く。
▼きのうは金属労協加盟組合への集中回答日。昔と同じなのはホワイトボードに次々と回答を書き出す光景だけで、春闘は様変わりだ。四半世紀前の1979年の記事を見ると「国民春闘共闘会議、スト宣言集会」「交通ゼネスト」「妥結基準で合意」「公企体ベア有額回答」などの見出しが並ぶ。今の若い人には、いちいち説明が要る。
▼「潮流のおと春闘の終わりけり」(多田和弘)。春闘そのものが終焉(しゅうえん)を迎えたことを詠んだ、と深読みもできる句だ。月給や一時金の引き上げ交渉をする意味合いは薄れたが、この時期に雇用の条件や賃金の決め方を労使で話し合う慣行は続くだろう。季語は消滅しても、サラリーマンにとって経済の「潮流のおと」が気になる季節であるのに変わりはない。
(日経新聞 040318)
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春闘 労働組合運動の新たな転機
──略──
2、労働組合への新たな「変質」策動とその矛盾
「パイの理論」も投げ捨てた財界戦略によるリストラ、雇用・労務管理の新たな展開と強化が、労働者の抵抗を増大させることは明らかです。
そこで財界・大企業は、労働組合への新たな「変質」策動によってそれを抑えつけようとしています。
一つは、多様な形態の不安定雇用労働者を労働組合によって管理させようとするものです。
「就労形態の多様化により、長期勤続を前提とせず、企業への帰属度の高くない従業員の比率が高まるなかで、企業内の新たな労使関係のあり方も労使で模索されなければならない」(日本経団連「経労委報告」)。
「労働組合は、経営側の幅広い提案を受け、多様化する職場の意見を集約し、それをもとに労使の話し合いによって決定し、実行に移していくという本来の役割に徹するべきである」(日本経団連「新ビジョン」)。労資協調主義的労働組合を労務管理機構へと「変質」させる動きです。
もう一つは、さらにすすんで労働組合を生産活動の補完物へと「変質」させる動きです。
「今後は、個別企業が生き残りをかけ、労使一体となって生産性向上に取り組む」(「経労委報告」)。「全ての従業員が生きがいを持って働き、充足感を味わえる企業を実現するためには、労働組合も変革を迫られる」(「新ビジョン」)。つまり労働組合は、労働条件と権利の守り手でなく、働き方の面で職場のまとめ役になれというのです。
すでにトヨタ労組は、賃金をはじめとする「基本的労働条件の向上」を求める方向から、「働きがい・やりがい」を高める方向に活動を転換する方針を決めています。これは労働組合がQC(品質管理)など小集団活動の主体になる道です。
こうした方向は、必然的に、財界が主張する「春闘」の終えんと、企業の競争力強化の方策を討議・検討する「春討」「春季労使協議」への転換と結びつきます。団交権の否認、労働組合の否認です。
しかし、この策動も、搾取と抑圧の強化による労働者の状態の悪化、労働者の抵抗の増大、企業活動の阻害という矛盾を拡大するだけです。小集団活動など「職場活動の強化」(トヨタ労組)を重視すればするほど、職場から「労働者のための労働組合を」求める新たなたたかいに結びつく条件が生まれます。
トヨタでは、技能職に成果主義をもちこむ新賃金体系で一般職の年功的昇給を三十八歳までに抑えようとしましたが、労働組合との交渉で四十八歳までとなりました。職場の労働者の抵抗の反映です。典型的な労資協調主義組合である金属労協のある幹部は「集団でものをつくりあげる製造現場に、人の失敗を喜ぶような成果主義を持ち込んでもうまくいくものか」といっています。
「変質」策動も、職場では大きな矛盾と弱点をもっています。
いま問われているのは、団結して労働者の生活と権利を守るという労働組合存立の原点です。
組合員の要求や意見が反映する労働組合をとりもどすため、〇四春闘のなかで職場から組合民主主義を確立していくことが「要」になっています。組合民主主義、それは労働組合の「命」ともいうべきものです。
──略──
(しんぶん赤旗 040314)
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一八四七年の恐慌後の景気の回復は新しい工業時代のはじまりであった。穀物法の廃止と、そこから必然的に生じたその後の財政改革は、イギリスの工業と商業に願ってもない活動の場をつくりだした。すぐそれにつづいてカリフォルニアとオーストラリアの金鉱が発見された。植民地市場はイギリスの工業製品を吸収する力をいよいよ拡大させていった。ランカシァの力織機は何百万というインドの手織工を一挙にこの世から追いだした。中国はますます開放された。
しかし、とくにアメリカは、この巨大な進歩をなしとげてきた国にとってさえ前例のないほどのスピードで発展した。そして、われわれの記憶にあるとおり、当時アメリカはまさに植民地市場にすぎなかったのであり、しかもすべての植民地市場のうちで最大のもの、つまり、原料を供給し、工業製品を外国から──ここイギリスから──買う国だったのである。
〔訳注〕イギリス版では「とくにアメリカは……買う国だったのである」は「とくにアメリカは──当時、商業的にいえば植民地市場にすぎず、ただずばぬけて最大の市場だったのだが──この急速に進歩する国にとってさえ驚異的な経済発展をとげた」となっている。
しかし、これらすべてのことに加えてさらに、前の時代の終わりに導入された新しい交通手段──鉄道と大洋航路の汽船──が、いまや国際的な規模で実用化され、これによって、いままでは萌芽にすぎなかったもの、つまり、世界市場が現実につくりだされた。
こういう世界市場は、当時はまだ、イギリスという一大工業中心地のまわりにあっまっている多数の、主として、あるいはもっぱら、農業をおこなう国からなりたっていた。イギリスはそれらの国の余剰原料の大部分を消費し、その見返りとして、工業製品にたいするそれらの国の需要の大部分を供給していた。
したがって、イギリスの工業発展が巨大な前代未聞のものであり、一八四四年の状態は今日から見ると比較的ささやかなもの、ほとんど原始状態のように思われるのは、すこしも不思議ではない。
しかし、このような進歩があらわれるのと同じ程度で、大工業もまた外見上は道徳的となった。工場主と工場主が、ちびちびと労働者のものをかすめとって競争するというようなやり方は、もう引きあわなくなった。事業はそういうけちくさい金もうけの方法をのりこえてすすんだ。製造業の百万長者は、こんな小細工で時間を失うよりも、ほかにしなければならないもっとましなことがあった。
そんな小細工は、せいぜい、競争に負けたくないと思えば一グロッシェンにでも食いつかなければならない金に飢えた小事業主にふさわしいことであつた。こうして工業地方から現物給与制度は姿を消した。一〇時間法案や一連の小改革が成立した──これらのものはすべて、自由貿易や無制限の競争の精神には真っ向から対立するものであったけれども、しかしそれとともに、不利な状態にある同業者にたいする巨大資本家の競争を、さらにいっそう優勢にしたのである。
さらに、工業設備が大きくなればなるほど、またその労働者が多数になればなるほど、それだけ労働者との紛争のたびごとに生ずる損害や事業上の障害も大きくなる。
そこで、時間がたつにつれ、工場主、とくに大工場主には、新しい考え方が生まれた。彼らは無用な紛争を避け、労働組合が存続することと、その力を、みとめ、ついにはストライキさえ──ちょうどよいときにはじまった場合だけではあるが──彼ら自身の目的を達成する有効な手段としてみとめるようになった。
こうして、かつては労働者にたいするたたかいの司令官であった大工場主が、いまでは平和と調和を最初に呼びかけるようになった。そしてそれには十分な理由があるのである。
こういう正義と人類愛への譲歩はすべて、実際には、少数者の手への資本の集中を促進し、小さな競争相手をつぶしていくための手段にほかならなかった。小資本家はこういう特別のもうけがなければ生きていけなかったのである。これら少数の人びとの手中では、以前のささやかな余分な収奪はまったく重要性を失ったばかりではなく、いまや大きな基盤をもつ事業にとってはかえって邪魔物となった。
こうして資本主義的生産の発展は、ただそれだけで、少なくとも主導的な工業部門では──というのは、あまり重要でない部門では事情は違うので──以前に労働者の運命を悪化させていたこまごまとした負担をすべてとりのぞくのに十分であった。
このようにして、労働者階級の貧困の原因は、そのようなささいな弊害のなかにではなく、資本主義制度それ自体のうちにもとめるべきだという重大な根本的な事実がますます前面におしだされてくるのである。
労働者は資本家に自分の労働力を売り、一日いくらという金額をうけとる。数時間働くと彼はその金額の価値を再生産する。しかし彼の労働協約には、彼の労働日を完全にみたすためには、さらにつづけて数時間働かなければならないと書いてある。彼がこの追加的な剰余労働時間に生産する価値が剰余価値であり、それは資本家にはなんら費用をかけないが、それにもかかわらず、彼のポケットに流れこむ。
これが、文明社会を、一方ではロスチャイルドやヴァンダビルトのようなあらゆる生産手段と生活手段の所有者である少数者と、他方では労働力以外になにももっていない膨大な数の賃金労働者とに、ますます分裂させていく制度の基礎なのである。そして、こういう結果は、あれこれの副次的な弊害のせいではなく、ただ一つ、この制度自体のせいである──この事実は、イギリス資本主義の発展によって、いまでははっきりとしめされている。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 -下-」新日本出版社 p196-200)
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◎「労働者階級の貧困の原因は、そのようなささいな弊害のなかにではなく、資本主義制度それ自体のうちにもとめるべきだという重大な根本的な事実がますます前面におしだされてくるのである。」と。
日本の労働者階級もますます政治的に闘うことがもとめられている。