学習通信040322
◎ものもち≠ヘどのように発生したのか

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 私は人類のなかに二種類の不平等を考える。その一つを、私は自然的または身体的不平等と名づける。それは自然によって定められるものであって、年齢や健康や体力の差と、精神あるいは魂の質の差から成りたっているからである。

もう一つは、一種の約束に依存し、人々の合意によって定められるか、少くとも許容されるものだから、これを社会的あるいは政治的不平等と名づけることができる。

この後者はいくらかの人々が他の人たちの利益に反して享受しているさまざまな特権、たとえば、他の人たちよりも富裕であるとか尊敬されているとか勢力があるとか、さらには彼らを自分に服従させるというような特権から成りたっている。

 人は自然的不平等の源泉は何かと尋ねることはできない。なぜなら、この語の定義そのもののなかに、その答えが言い表わされているからである。また、この二つの不平等のあいだに何か本質的なつながりがありはしまいかと探求することはなおさらできない。

なぜならそれは、命令する者のほうが服従する者よりも必然的にすぐれているかどうか、そして肉体または精神の力、知恵または美徳が、常に権勢や富に比例して同一の個人のなかに見出されるかどうか、を別の言葉で尋ねることになるからである。

そのようなことは、主人を傍聴させながら奴隷のあいだでたたかわすには恐らくもってこいの問題かも知れないが、真理を探求する理性的で自由な人々には適しないのである。

 それでは、この論文のなかで問題になるのは正確にいって何であるか。事物の進歩のなかで、暴力についで権利が起り、自然が法に服従させられた時期を指し示すこと、それから、いかなる奇蹟の連鎖によって、強者が弱者に奉仕し、人民が現実の幸福と引き換えに想像上の安息を購(あがな)うことに決心したのかを説明することである。

 社会の基礎を検討した哲学者たちは、みな自然状態にまで遡(さかのぼ)る必要を感じた。しかしだれひとりとしてそこへ到達した者はなかった。ある人たちは、この状態にある人間のうちに正義と不正の観念を想定することをためらわなかったが、人間がこの観念をもっていたにちがいないことも、その観念がかれに有用であったことさえも証明してみる気はなかった。

他の人たちは、自分に属するものを保存するという各人にある自然権について語ったが、属するとはどういう意味なのかを説明しなかった。また他の人たちは、まず、弱者に対する権力を強者に与え、それからただちに政府が生れるものとしたが、権力や政府という語の意味が人々のあいだに存在しうるまでにすぎ去ったはずの時間のことは考えもしなかった。最後に、だれもかれもが、たえず欲求や食欲や圧迫や欲望や倣慢について語っては、社会のなかでえた観念を自然状態のなかに移し入れたのであった。

つまり、彼らは未開人について語りながら、社会人を描いていたのである。自然状態が存在したことに対する疑いは、現代の大部分の哲学者たちの心中に浮んだことさえない。ところが、聖書を読めば明らかなとおり、最初の人間は神から直接に知恵と戒律とを受けたのであって、彼自身けっしてこのような状態にはいなかった。

そして、キリスト教哲学者ならだれでもそうすべきであるように、モーゼの五書を信用するならば、洪水以前においてすら、人々はかつて純粋の自然状態にあったということは否定しなければならない。さもなければ、彼らはなにか異常な出来事によってそこ〔自然状態〕にまた落ちこんだことになる。これは弁護するにはたいへん厄介で、証明するのもまったく不可能なパラドクスである。

 それゆえ、まずすべての事実を無視してかかろう。なぜなら事実は問題に少しも関係がないのだから。われわれがこの主題について追求できる研究は歴史的な真理ではなく、ただ臆説的で条件的な推理だと見なさなければならない。

そうした推理は、事物の真の起原を示すよりも事物の自然〔本性〕を示すのに適しているのであり、われわれの自然学者たちが毎日のように世界の生成について行なっている推理に似てもいる。宗教がわれわれに信じるように命じているところによれば、神自身が万物創造のすぐ後で人間を自然状態から引き出したのであるから、人間が不平等であるのは、そうであるように神が望んだからであるという。

しかし、もし人類が自分だけですておかれたとしたら、彼らはどうなっていたろうかということについて、人間とそれをとりまく存在との自然〔本性〕だけをもとにして推測を立てることは、宗教もこれを禁じてはいない。これこそ私が求められていることであり、私がこの論文で検討しようとしていることである。

私の主題は、人間一般に関係があるのだから、私はあらゆる国民に通する語法をえらぶことにつとめよう。というよりは、私が話しかける人々のことだけを考えるために時と所とを忘れて、自分が今アテナイの学園に在って、先生たちの教えを復誦(ふくしょう)しており、プラトンやクセノクラテスのような人たちを審査員にし、人類を聴衆にしているものと仮定しよう。

 おお人間よ、お前がどこの国の人であろうと、お前がどんな意見をもっていようと、聴くがよい。以下に述べることこそ、嘘つきの、お前の同胞たちの書物のなかにではなく、断じて嘘をつかない自然のなかで、私が読みとったと思ったとおりのお前の歴史なのだ。自然から由来するものはすべて真実であろう。

その歴史のなかに偽りがあるとしたら、不覚にも私がそれに自分のものを混入した場合にかぎられるだろう。私の語ろうとしている時代は非常に遠い昔である。なんとお前はかつての姿から変ってしまったことだろう! 私は、いわば、お前の種の生活を、お前が自然から受けた性質にもとづいて、描いてみようとしているのだ。

その性質は、お前の教育とお前の習慣とが、堕落させることはできたが、破壊することはできなかったものである。個人の生涯には人がとどまっていたいと思うような時期があるものだ。

だから、お前も、お前の種がとどまっていてほしかったと思うような時代を求めるだろう。お前の不幸な子孫になおいっそう大きな不満を予告しているいろいろな理由のために、現在の状態に不満なお前は、恐らく、もう一度むかしに返れればよいがと望むだろう。そしてこの感情はお前の最初の祖先への讃辞や同時代人への批判となり、不幸にもお前の後に生きる者にとっての恐怖をよび起すにちがいない。
(ルソー著「人間不平等起源論」岩波文庫 p36-40)

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 だから、デューリング氏が、こんにちの所有を<力づくで手に入れた所有>と名づけ、これを「同胞をただ天然の生活の資の使用から締め出すことだけに基礎をおくのではなく、──もっとずっと重要なことであるが──人間を圧服して奴僕的奉仕をさせることに基礎をおく、そのような支配形態」と言っているのは、この関係全体を逆立ちさせているわけである。

人間を圧服して奴僕的奉仕をさせることは、圧服のすべての形態において、<この圧服する人には、隷属させられた人を使用するのにぜひとも必要な労働手段が意のままにできる>、ということを前提しており、奴隷制の場合には、そのほかになお、<奴隷を生かしておくのにどうしても必要な生活手段を意のままにできる>、ということを前提している。

つまり、すべての場合に、すでに成る程度の平均を越えた<財産の所有>を前提しているのである。

この<財産の所有>は、どのようにして生まれたのか? いずれにせよはっきりしているのは、それが強奪されたもの、したがって、<強力>にもとづいているものであるケースも確かにありえようが、しかし、このことはけっしてそうでなければならないというものではないのである。

それは、労働によって得たものであってよいし、盗みとったものであってよいし、商売によって得たものであってよいし、だましとったものであってよい。そればかりか、およそ強奪されることができるためには、その前に労働によって得られていなければならないのである。

 そもそも私的所有というものは、歴史のなかで、けっして強奪と強力との結果として登場してくるのではない。反対である。

或る種の物に限られてはいても、すでにすべての文化民族の太古の自然生的な共同体の、影に存在している。

早くもこの共同体の内部で、はじめは外部の人間との交換において、発展して商品の形をとる。

共同体の生産物が商品形態をとることが多くなればなるほど、すなわち、生産物のうちで生産者自身の使用のために生産される部分が少なくなればなるほど、生産物がますます交換を目的として生産されるようになればなるほど、共同体の内部でも交換が原初の自然生的な分業を駆逐していけばいくほど、共同体の個々の成員の財産状態がますます不平等になり、古くからの土地の共同所有がますます深く掘りくずされていき、共同体はますます急速にその分解に向かって進み、分割地農民の村落に変わっていく。

オリエントの専制政治と、征服者である遊牧諸民族のつぎつぎに代わる支配とは、こうした古い共同体に数千年にわたってなにも影響を及ぼすことができなかった。

〔ところが、〕共同体の自然生的な家内工業が大工業の生産物との競争でしだいに破壊されていくにつれて、共同体はますます分解していく。

この場合に強力が問題にならないのは、モーゼル川流域とホーホヴァルト山地との「農民共同体」でいまでも行なわれている共有耕地の分割のさいに強力が問題にならないのと同様である。

農民たちは、耕地の私的所有が共同所有に取って代わることが自分たちの利益になる、とわかってこそ、そうしているのである。

ケルト人・ゲルマン人のもとで、また、インドの五河地方〔インド半島北西部、インダス川流域の地方で、現在、東部はインドに、西部はパキスタンに、それぞれ属する〕で、土地の共同所有にもとづいて行なわれた自然生的な貴族の形成でさえ、はじめは、けっして強力にもとづいたものではなくて、自由意志と慣習とにもとづいている。

私的所有が形成されてくるとろではどこででも、これは、生産および交換の関係が変わった結果として、生産の増大と交易の促進とをはかるために、──つまり、経済的原因がもとで、起こるのである。

強力はそのさいまったく役割を演じない。なぜと言って、強奪者が他人の財貨をわがものとすることができるためには、その前にすでに私的所有の制度が存在していなければならない、ということ、つまり、強力は、所有状態を変化させることはできても、私的所有そのものを生み出すことはできない、ということ、これは明らかではないか。
(エンゲルス著「反デューリング論-上-」新日本出版社 p227-229)

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 そこでわたしは、右に想定したような子どもの一人を導いていくとしたなら、こう考えるだろう。

子どもというものは、人ではなく物を攻撃するのであって、やがてかれは、経験によって、年齢においても力においても自分より上にある者をだれでも尊敬することを学ぶ。

しかし事物は自分で身をまもることはしない。そこで、子どもにあたえなければならない最初の観念は、自由の観念よりもむしろ所有の観念であるが、所有の観念をもつことができるためには、子どもが自分でなにかを所有していなげればならない。

衣類や家具やおもちゃを例にとりあげるのは、なんの意味もない。そういうものを子どもは自由にしているわけだが、なぜ、どうしてそれらを手に入れたのか、子どもは知らないからだ。人がくれたからもっているのだ、と言ったところで、たいしたことはわからない。

あたえるためにはもっていなければならず、したがって、子どもが所有するまえに所有ということがあるのだが、説明しようとするのは所有ということの原理なのだ。

それに、あたえるということは一つの約束ごとであるが、子どもにはまだ約束ごととはどういうことかわからないのだ。読者よ、お願いする、よく注意していただきたい。

この例においても、他の無数の例においてもみられるように、人は子どもの能力ではなんの意味ももたないことばをかれらの頭におしこんで、しかもかれらを十分によく教育したと信じているのだ。

 そこで所有ということの起源にさかのぼることが問題となる。そこから最初の観念が生じてくるはずだからだ。

──略──

 子どもに原始的な観念をのみこませる方法についてのこのようなこころみには、所有の観念がおのずから労働による最初の占有者の権利にさかのぼるみちすじが明らかに見られる。

これは明確、単純で、しかもすべて子どもの能力で理解できることだ。そこから所有権と交換ということにいたるには、ただ一歩すすめばいいが、そのあとは説明をうちきらなければならない。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p142-146)

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◎ものもち≠ヘそもそもいつからなのか。なにが根拠になっているのか。未来の社会では、なにをもって所有を意識するのだろうか。まったく素朴で、重要な問題ではないのか。