学習通信040323
◎ものもち≠ヘどのように発生したのかA

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人間のエゴによって誕生した資本主義

 ヨーロッパではこの三〇〇年あまり、アメリカではこの二〇〇年あまり、そして日本でもこの一〇〇年あまり、われわれの生活を支配してきたのが「近代」=「西洋文明」的な考え方です。そして、この考え方の根本に、個人主義という価値観があります。近代というのは、封建制度から解放されたのち、個人主義をベースに発達した時代なのです。

 そして、資本主義こそ、この個人主義とともに発展したシステムだったといえるでしょう。

 資本主義が誕生する前、ヨーロッパは農奴を最下層に組み込んだ封建制度の時代でした。封建領主の高率の税金に苦しむ農民が蜂起し、その動きが一三世紀から一四世紀にかけてヨーロッパ全土に広がり、封建制度は崩壊していきます。

 そこに、産業革命が起こり、資本主義が発展していくことになります。
 資本主義は、人間が我欲=自我=エゴを一番大事なものとしてつくり上げたシステムです。自分が一番、エゴが一番大事であるということが論理化されて、大きな時流となっていきました。これとともに産業革命が起こり、近代科学も誕生したのです。

 その後、一八世紀の後半にフランス革命が起こりました。フランス革命には封建国家に対して国民が自由を勝ち取ったというイメージがありますが、一七八九年八月の人権宣言の大前提となったのは、人間にとってエゴがもっとも大事なものだという考え方です。

 エゴを大事にすることを前提とした人間社会で共同生活をしようと思ったら、博愛も大事にしなければなりませんし、平等も自由も大事にしなければなりません。エゴが大事、自分だけが可愛いでは社会は成り立ちませんから、博愛と平等と自由を掲げたのです。

 それを表しているのが、フランス革命のときに制定された、青(自由)・白(平等)・赤(博愛)からなるフランスの三色旗といえるのです。

 その後、ヨーロッパには二つの社会体制が生まれました。自由よりも平等が好きという人たちが目指したのが社会主義であり、共産主義です。それに対して、自由のほうが平等より好きという人々が目指したのが資本主義と考えてもいいでしょう。

 こうして、西洋文明における「近代化」は相反する二つの制度、いわゆる資本主義制度と共産主義制度を生み出しました。

 ところが、よくよく考えてみると、個=我(エゴ)はどうしても共同生活を破壊する方向に働きます。さらに、自由と平等は相反する概念ですし、エゴと博愛とが結び付くことは不可能です。

 共産主義も資本主義も、その出発点において、すでに矛盾を抱えたシステムだったのです。というより、近代的発想=エゴが何よりも大事ということが、大きな矛盾なのです。

 「自然の摂理」に根元的に反する思想ともいえそうです。とりわけ、エゴを最重要視することで肥大していくシステムである資本主義は、その発展、成熟とともに、論理的にも現実的にも、さらなる矛盾を生んでいくことになったのです。

二一世紀、「宇宙の意志」の時代が始まった

 それでは、矛盾を抱えた資本主義が、なぜこれだけの繁栄を築くことができたのでしょうか──。
 これについて私は、人間のエゴがある範囲までは資本主義とぴったり合ったからではないかと思っています。

 エゴというのは、目先の権力欲や名誉欲、金銭欲、所有欲、そして快楽を追い求めていくものです。汚い手段を使ってもなんでもいいからお金を求めるというエゴを、その気にさえなれば、そして行動すれば、あっという間に満たしてくれる仕組みが資本主義なのです。矛盾を抱えながら資本主義が発展してきたのは、このように目先の我欲を巧みに取り込んだシステムだったからなのです。

 地球環境を破壊するとか、人間の生き方に不調和をもたらすなどという面倒なことについてはほとんど考えることなく、欲望のままに行動し、お金儲けのことだけを主に考える。これが、資本主義の本質ともいえそうです。

 増田俊男さんは、『ブッシュよ、お前もか…』のなかで、資本主義についてこう述べています。

 「資本主義はまさに資本、お金が『主』である。資本主義社会における経済の営みは、国家が掲げる理想的な言葉、思想、哲学とは関係ない。経済を動かす原動力は、人間の『欲』である。欲が欲を生んで、人間を行動に追い立てる。

 人間は、自分の欲を満たすために労働する。この欲を満たすために働こうとするエネルギーに支えられているのが、資本主義社会である。

 資本主義はまた、競争主義でもある。人の欲と欲が競いあう。欲望と欲望が競争しあって『妥協点』が決まる。この妥協点こそ、市場の正義である。これが、資本主義の正義なのである」

 資本主義とは、資本のある者が勝ち、資本のない者が負けるという優勝劣敗、弱肉強食のシステムともいえます。これは、原始人が斧で弱い生き物を狩っては食べていたような、文明程度の低い時代から、原則としては一歩も変わっていないシステムなのです。

 それは、万人が幸福になることのできるシステムとは程遠いものがあります。常に誰かの犠牲の上に成り立つという、根本的に欠陥をもったシステムともいえるでしょう。

 増田さんは、人間の欲望に基づいて動く世界を「資本の重心」によって動いていると喝破しました。増田さんは、「資本の意志」について、次のように定義しています。

 「自由競争の資本主義社会では、個々の投資判断がもっとも資金効率がいいと思われるかたちで行われるなかで、お金がもっとも極大となる選択が繰り返される。世界的規模で、あたかもお金自身に意志があるかのように、増殖していくのである」

 この意志を見抜くことによって、増田さんはさまざまな予測を見事に当ててきたのです。
 たしかに、二〇世紀までは、「資本の意志」と呼べるものが存在し、世界を動かしていたと、私も思います。それによって、資本主義はここまで発展してきたのです。

 しかし、二一世紀に入って「資本の意志」の時代は終わったと思います。これは増田さんも述べていることですが、「資本の意志」が働いているなら、ブッシュ大統領や小泉首相は誕生しなかったのではないかと思います。

 「資本の意志」は、常に資本の拡大を求めていくものです。しかし、日米の二人のリーダーがやっていることは、資本の拡大どころか、縮小以外の何ものでもありません。

 増田さんは、「資本の意志」に代わって「力の意志」が働きだしたようだと言っています。私には「力の意志」も目先的なものに思えます。
 資本の拡大に反することをするリーダーが日米で選ばれたことが、「資本の意志」の終焉を意味するのは確かです。私は、第一章でも述べたように、これこそ「宇宙の意志」が働きはじめた証拠だと考えています。

資本主義は性悪説を基本にしたシステム

 先に述べたように、資本主義も共産主義も、まつたく同じ出発点、つまりエゴが大事だという前提のなかで、自由か平等かのどちらを主に選んだかにすぎません。自由が平等より大事だという人間のエゴに従って、共産主義というか社会主義は、いま地球上からほとんど消えました。しかし、エゴと博愛が、いま争っているのです。

 現代社会は、いわば、エゴと博愛というまったく相反するものが対立し、括抗している状態だと思います。
 資本主義が発達するとともに、お金がすべての価値を決める世の中になりました。お金がすべて、いまがすべて、自分がすべてであるという発想の社会になつてきたのです。

 当然、矛盾が表面化してきます。そしていま、積もり積もった矛盾が、日米を中心とする資本主義国の不景気と対テロ戦争というかたちで表れることになりました。

 このような矛盾するものを内包している資本主義に対して、自然は調和しています。自由で、開けっ放しで、秘密も何もありません。融合はしても、不自然な分離はしません。助けあいはあっても、不要な競争はないのです。

 しかし、資本主義の根本のエゴには矛盾があります。エゴが高じると、自分の自由のために他人の自由を束縛したくなってしまうのです。それが、いまのアメリカにもっとも強く表れているようです。

 第一章でビル・トッテンさんの話を引用しましたが、一部のお金持ちが自分たちのためだけに国を動かしているようにみえるという現実に、共産主義の末期と限りなく近いものを感じます。

 資本主義社会は競争を是としている社会です。勝つためには、人は悪いことだってするものだという前提に立っているといえるでしょう。資本主義は性悪説を基本としているのです。

 性善説で成り立っているのが「自然の摂理」=「天の理」とするならば、性悪説はいままでの「地球上の基本的ルール」=「地の理」の根本ルールかもしれません。

 性悪説をとつている資本主義社会では、アメリカのように、リスクマネジメントが発達することになります。常にリスクを考えていなければ、安心できないのです。しかし、百に一つ起こるか起こらないかわからないようなことを前提にするというのは、非常なムダです。

 「天の理」の時代が到来したとき、悪いことをする人はいなくなるでしょう。悪いことをする人が一人、二人いるからといって、法律から何から、犯罪を防ぐための面倒な仕組みをつくらなければならないというのは、まったくムダだと思います。

 これだけ「天の理」に反している資本主義が地球上でここまで繁栄することになったのは、「宇宙の意志」が「地の理」を認めて実験してみたのだと思います。
(船井幸雄著「断末魔の資本主義」徳間書店 p120-127)

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経済発展の時代は終わった踊りましょう!
   ダグラス・ラミス(政治学者)

2)なぜ貧乏なのか

 『100人村』はこの恐ろしいまでの不平等を白日の下にさらす。しかし、なぜそうなったのか、どのようにそれが維持されているのか、については何も語っていない。この部分は読者に考えるよう残された。
 しかし、これは全くもって最も重要な問題だ。
 貧乏な人たちは天然資源の乏しいところに住んでいるから貧乏なのか?

 ちがう。世界の極貧層のうちには世界で最も資源豊かなところに住んでいる人たちがいる。そこから途方もない富が豊かな国々へ引き出され、移される。そして、世界の富裕層のうちには比較的資源の少ないところに住み、貧しい国々から資源を輸入して富を維持している人たちがいる。

 貧乏な人たちは一生懸命働かないから貧乏なのか?
 ちがう。概して(仕事中毒の人を別として)、より豊かな人たちはあまり働かない。そして、スーパーリッチは全く働かない。もちろん、金持ち国でもよく働く人たちがたくさんいる。しかし、誰も、貧乏な国のコーヒーやバナナプランテーション、服やスポーツシューズをつくるスウェットショップ(訳者注:低賃金・劣悪な労働条件の工場。「苦汗労働工場」との訳語もある)に比べて、過酷な労働をしているわけではない。

3)「開発」と「発展」

 貧乏な人たちは経済発展の遅れた地域に暮らしているから貧乏なのか?
 これが大多数の人びとが信じていることで、今の世の中で支配的な考え方だ。しかし、それは大変な幻想だ。

 1949年、ハリー・S・トルーマン米大統領が「アメリカ政府は『低開発国を開発させる』プログラムを開始する」と世界に向けて発表した。それから半世紀以上、開発計画は、多くの政府だけではなく、国連やその関係機関、IMF、世界銀行、WTO(世界貿易機関)、またたくさんの強力なNGO(非政府組蘭)といった、世界の最も力のある機関によつて支持されてきた。さらにそれは貧富を問わず世界のほとんどすべての国で、その統治エリートや企業、経営界によって支持されてきた。

 このことの意味を明らかにするのは重要だ。「経済発展」は世界の貧しい人びとをその貧困から救い上げる慈善事業のようなものではない。むしろ、地球上のすべての社会で産業革命を遂行させるプロジェクトなのだ。言い換えれば、これは世界中のすべての人を資本主義産業システムに動員するものだ。

 その初期段階、この動員は植民地主義という方法で行われた。植民地では多くの人びとが奴隷や強制労働によって産業経済に参入させられた。他の多くの人びとは奴隷にはならなかったが、植民地システムのなかで植民者が所有するプランテーションや工場で職を探すほかなかった。

 第2次世界大戦後、植民地解放運動によつて直接的な植民地化が不可能になり国連憲章もそれを違法にした。しかし政治的植民地はなくなっても、経済的な動員のプロセスはなくならない。今度はそれが「発展」とか「近代化」と呼ばれるようになった。今日では「グローバリゼーション」と呼ぶのが流行っている。名前や方法は変わったが、世界を資本主義産業システムの下に再編するという本質的なプロセスは変わっていない。

 このプロセスによって絶対的貧困を無くし貧富の差を減らすことができる、と信じている人たちがいるようだ。しかし、それは奇妙なことだ。19世紀の初めからよく知られているように、資本主義産業システムはそれ自身に任され(つまり、その働きは自由市場に任され)、貧富の差を拡大させている。

資本主義の初期、西洋諸国においてこれは労働者階級の貧困化を意味した。その後、(植民地化で始まった)経済システムのグローバル化によって、そのシステムが必要とする貧困労働者階級は植民地(後に「第三世界」「グローバル・サウス」と呼ばれるようになるが)で形成されるようになった。欧米や、彼の日本、そしていくつかの他のアジア諸国において労働者階級が比較的繁栄することになったため、もし開発が十分長く続けば貧困を解決するだろう、という幻想をつくった。

これを信じた人たちが気がつかなかったのは、この経済システムが世界規模になったとき、その経済システムの「金持ち」な方へ移れたのはほんの一握りの国で、不平等は再生産され続け、今や主に北の国と南の国の間の不平等になっている、ということだ。この傾向は第2次世界大戦後の半世紀にわたる開発を通じて競いてきた。1960年、金持ち国に住む世界人口のうちの20%の最富裕層は、貧乏国に住む20%の最貧困層の平均して30倍の収入を得た。1990年までに比率は倍になり、60対1となった。

 繰り返すが、これは発展が予期に反して失敗したということではない。世界の主要な政治的・経済的機関が積極的に推進して、失敗などありえようか? 貧困は貧困として発展させられてきているのだ。貧困は再編され、合理化され、体系的に利益を引き出すものにつくり変えられてきた。これは「貧困の近代化」と呼ばれている。

 これを視覚化するために、貧乏国の典型的な都市の建築を考えるといい。中心部にはガラスと鋼鉄でできた高層ビルがあり、その郊外にハンドメイドのスラム街があるだろう。私たちは前者を「発展している」また「近代的」、後者を「発展が遅れている」と考えがちだ。しかし、それは間違っている。

両者とも等しく新しく、開発のプロセスの産物なのだ。スラムの住民はグローバル経済にいろんな形で結びつけられている。もしかすると、彼らは高層ビルの窓をふいたり、トイレを掃除したり、車を駐車させたり、リサイクルのためのビンやプラスティックを集めているかもしれない。ちょうどスウェットショップでブランドもののスポーツシューズをつくるのが近代的なように、これらは全て高度に近代的な職だ。しかし、人びとを貧困から解放する職ではない。

 世界経済システムは不平等を前提に、不平等を再生産する。ちょうど、ピストンの上下にかかる圧力の不平等が内燃機関を動かしているように、経済的不平等が世界経済を動かしている。そういう「富」の概念に不可欠なのが、よりお金をもつことで他人に対してもてる権力だ。貧乏でなければ、誰がスウェットショップで働き、他の国に送られ自分では決して買えないものをつくったりしようか?
(池田香代子&マガジンハウス編「世界がもし100人の村だったらA」マガジンハウス p103-109)

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 しかし、「人間を圧服して奴僕的奉仕をさせること」の最も現代的な形態である賃労働を説明するのにも、われわれは、強力を使うこともできなければ力ずくで手に入れた所有を使うこともできない。

古代の共同体が分解するさいに、したがって、私的所有が直接また間接に一般化するさいに、労働生産物の商品への転化が、自家消費のためではなく交換のための労働生産物の生産が、どのような役割を演じたか、ということについては、すでに〔右に〕述べた。

ところでしかしマルクスが『資本論』のなかで明々白々に立証しているように──そして、デューリング氏は、用心して、これにはただのひとことも触れないようにしている──商品生産は、或る発展段階で資本主義的生産に転化するのであって、この段階では、「商品生産と商品流通とにもとづく取得の法則または私的所有の法則は、この法則自身の内的で避けることのできない弁証法のせいで、その反対物に〔『資本論』では「直接の反対物に」〕急転するのである。

すなわち、最初の操作として現われた等価物どうしの交換は、一転して、ただ外見のうえで交換が行なわれるだけのことになるのである。

と言うのも、労働力と交換される資本部分そのものが、第一には、等価なしに取得された他人の労働生産物の一部分にすぎないからであり、第二には、その生産者である労働者の手でただ補填されなければならないだけでなく、新しい剰余」(超過分)「をともなって補填されなければならないからである。

……最初には、所有〔『資本論』では「所有権」〕は、自分の労働にもとづくものとして現われた。

……所有は、いまでは」(マルクスの展開の終わりでは)「資本家の側では、他人の不払労働を〔『資本論』では「他人の不払労働またはその生産物を」〕取得する権利として現われ、労働者の側では、自分自身の生産物を取得できないこととして現われる。

所有と労働との分離が、外見上は両者の同一性から生じた一法則の必然的帰結となる」〔Ib、九九六/九九七ページ、C、一〇〇〇/一〇〇一ページ〕。

言いかえれば、強奪と力ずくの行為と詐欺との可能性がまったくないとしてさえ、<すべての私的所有は、はじめは所有者自身の労働にもとづいている>、と仮定してさえ、<その後の全経過を通じて、ただ等しい価値が等しい価値とだけ交換される>、と仮定してさえ、それでもやはりわれわれは、生産と交換との進展につれて必然的に、現在の資本主義的生産様式にいきつく。

すなわち、生産手段と生活手段とが一つの少数者の階級の手中に独占されることに、ものすごい多数者でつくみ別の階級が無産のプロレタリアに押し下げられることに、思惑的な生産と商業恐慌との周期的な交代に、生産におけるこんにちの無政府状態全体に、いきつくのである。

この経過全体は、純経済的な原因をもとに説明されており、強奪や強力や国家や或るなにかの政治的介入をただの一度も必要としなかった。「力ずくで手に入れた所有」は、ここでも、事物の現実の経過についての無理解を隠すためのほら吹き文句にすぎないことがわかる。

 この経過は、歴史的に表現すれば、ブルジョアジーの発展史である。もし「政治的状態が経済的状況の決定的に重要な原因である」のなら、近代ブルジョアジーは、封建制度との闘争のなかで発展してきたのではなくて、封建制度が自由意志で生み出した愛し子でなければならない。

だれでも知っているとおり、実際に起こったのは、その反対のことであった。

市民階級は、もともとは、支配者である封建貴族に租税を納める義務を負う・すべての種類の隷農と農奴とから補充されていた・抑圧された身分であったが、貴族との絶え間ない闘争のなかで、つぎつぎに権力の地位をたたかいとり、ついに最も発展した国ぐにで貴族に代わって支配権を握るにいたった、──フランスでは、貴族を直接に倒すことによつて、イギリスでは、貴族をますますブルジョア化して自分自身の装飾的な頭部として自分に合体させることによって。

そして、市民階級は、どのようにしてこのことをなしとげたのか? ただ「経済的状況」の変化だけを通じてであって、政治的状態の変化は、遅かれ早かれ、自由意志でにせよ闘争の結果としてにせよ、これに続いたのである。

封建貴族にたいするブルジョアジーの闘争は、地方にたいする都市の、土地所有にたいする工業の、現物経済にたいする貨幣経済の、闘争であった。

そして、市民たちのこの闘争における決定的に重要な武器は、彼らの──はじめは手工業的でのちにはマニュファクチュアにまで進歩した工業の発展によって、また、商業の拡大によって、絶えず増大していった──経済的な権力手段であった。

この闘争全体を通じて、政治的権力は貴族の側にあった。ただし、王権が貴族に対抗する市民階級を利用して一方の身分を他方の身分で牽制した一時期は、例外である。

しかし、政治的にはまだあいかわらず無力な市民階級がその経済力の増大によって危険なものになりはじめたその瞬間から、王権は、ふたたび貴族と同盟を結び、そうすることによって、まずイギリスで、ついでフランスで、市民階級の革命を呼びおこした。

フランスの「政治的状態」がもとのままで変わっていなかったのに、他方、フランスの「経済的状況」が成長してこの枠をはみ出したのである。政治的身分ということでは、貴族がすべてであり、市民は無であった。

社会的地位ということでは、市民がいまでは国内で最も重要な階級であったのに、他方、貴族は、その社会的機能をすべて失ってしまい、ただ所得のかたちでこの消滅した機能にたいする支払いを取り込んでいるだけであった。

そればかりではない。市民階級の生産は──マニュファクチュアだけでなく手工業でさえ──とっくに中世の封建的な政治形態に収まりきらない成長をとげていたのに、この生産全体は、引き続きこの政治形態のなかへ、すなわち、生産の妨害と桎梏とでしかない千にものぼるツンフト的特権と地方および州の関税障壁とのなかへ、押し込められたままであった。

市民革命による革命は、この状態を終わらせた。しかし、それは、革命が、デュ−リング氏の原則に従って経済的状況を政治的状態に適合させること──これこそまさに、貴族と王権とが長年のあいだやってみて無駄に終わった、そのことではないか──によってではなく、反対に、古いかびくさい政治的がらくたを投げすてて、新しい「経済的状況」が存立し発展することができる政治的状態をつくりだすことによって、であった。

そして、この経済的状況は、自分に適合したこの政治的および法的雰囲気のなかで、輝かしい発展をとげた。この発展はきわめて輝かしいものであったから、ブルジョアジーは、いまではもう〔フランスの〕貴族が一七八九年に占めていた地位からあまり遠くないところまできているほどである。

ブルジョアジーは、ますます社会的に余計なものになっていくばかりか、社会的な障害物になっていく。それは、生産活動からますます抜け出して、かっての貴族のようにただ所得を取り込むだけの階級にますますなっていく。

そして、自分自身の地位のこのような変革とプロレタリアートという新しい階級の創出とを、どんな<強力>手品をも用いずに純経済的な仕方でなしとげたのである。

そればかりではない。ブルジョアジーは、自分自身の行為と活動とのこの結果をけっして欲しはしなかった、──反対に、この結果は、ブルジョアジーの意志に反しブルジョアジーの意図に反して、逆らうことのできない力で貫徹されたものである。

ブルジョアジー自身の生産諸力が、ブルジョアジーの指揮にはとうてい従わないまでに成長して、いわば自然必然性をもって、ブルジョア社会全体を没落かそれとも変革かに向けて駆りたてている。

そして、いまブルジョアたちが崩壊しかけている「経済的状況」を倒壊から守ろうとして強力に訴えるとすれば、彼らはそれに上ってつぎのことどもを証明するだけである。

すなわち、彼らが、デューリング氏と同じように、「政治的状態が経済的状況の決定的に重要な原因」であるかのような錯覚にとらわれている、ということ、まったくデューリング氏と同じように、「本源的なもの」すなわち「直接的な政治的権力」を用いて、あの「第二次的な事実」すなわち経済的状況とその避けられない発展とをつくりかえることができる、と思い込んでいる、ということ、

つまり、蒸気機関とそれで動かされる現代的機械と世界貿易とこんにちの銀行および信用の発展との経済的諸結果を、クルップ砲とモーゼル銃とでこの世界からふたたび撃ちはらうことができる、と思い込んでいる、ということ、以上である。
(エンゲルス著「反デューリング論」新日本出版社 p229-233)

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◎最初から貧富の差が存在したのではない。

船井氏は経営コンサルタント……「自然の摂理」に根元的……などと。こうした「資本主義」を多くの経営者、労働者も身につけているといえる……。

◎学習通信040322 を重ねて深めましょう。