学習通信040325
◎オウムから……B「当事者性、というか想像力……」

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「強い国家」を求めるな

 話をもとに戻す。
 オウムの人々とわれわれの共通の危うさとしてある、歴史認識の脆弱さについてである。オウムの人々は、麻原彰晃の言い方によるなら<日本が第三次世界大戦で大きなダメージを受けた時、今までの日本の文明を残し、そして生き残った人たちを救済するために>(「麻原彰晃手記」『宝島30』一九九五年五月号)、具体的に歴史にコミットしようとした。

 だがこれまで見てきたように、その歴史認識は、歴史に対し何らかの具体的行動を起こすには、余りに杜撰(ずさん)であった。しかし既に述べたように、その彼らの杜撰な歴史に括抗し得る正史を、左翼も右翼もおたくも描き得ないまま、われわれは戦後をやりすごしてしまった。オウム真理教をめぐるこの騒動をもし克服しようとするなら、そこには否応なく「正史」を再構築する作業が不可避となる。

 そのことと関連して国家ということについて述べておく。阪神大震災とサリン事件の共通項としてしばしば、国家の不在と、更に一歩踏み込んだ形でのより強い国家への希求が、論壇を中心に語られ始めている。二つの出来事の背景に、戦後社会を通じて去勢され、稀薄化した国家の、それ故の危機管理能力の欠如を指摘する論調である。

 なるほど、常識を超えた自然災害や犯罪を前にしてしまったとき、超越的な権力にすがろうとする気持ちはわからぬでもない。その時、超越的なものの具体的な形として強い国家、明瞭な輪郭を持つ国家が浮上するという文脈も理解できる。

 だが、その誘惑に身をゆだねてしまっては、決して正史は語りえないとばくは考える。国家を語るな、というわけではない。しかし、国家を求めてしまった時に起きうる判断停止にやはりぼくは危倶を覚える。

 既に指摘したように、オウムをめぐる騒動の中で、法の執行がいくつかの原則をあっさりと飛び越えている。そこには、国家の超越的なふるまいを求める余りの、われわれの判断停止がある。確かに、上祐氏にディベートの水準で「人権」や「権力の濫用」を語られてしまった時、もはやそれらは余りに矯小なもののように思える。

 そして、このような戦後社会を支えてきたはずの原則が、オウムの人々のディベート的物言いの中にしか残っていないことを憂う。原則が蹂躙されることに、かつてであれば異議を唱えることが役割であった「朝日新聞」系のメディアでさえ、例えば「週刊朝日」一九九五年四月二十八日号は一応、両論併記の立場をとりつつも、<今回の事件が犯罪史上例がないものだけに、警察の強硬姿勢を支持する法律家も多い>とし、捜査法の「弾力的手法」を肯定するコメントで百人を超える信者の逮捕に関わる記事を結んでしまっている。

 しかしここで一つ原則を捨てることは、歴史からの更なる後退のようにぼくには思えてならない。

 オウム真理教をめぐる騒動がメディアを埋める中、海の向こうでは、アメリカの人々がまたもや日本への原爆投下を肯定する発言を繰り返している。だが、それに対し、日本人は毅然として否ということができない。アジアの国の人々が、日本の国の人々が第二次大戦を曖昧化しようとする際に強く抗議するように、何故、原爆を肯定するアメリカの人々に強く抗議できないのか。ぼくはいつもそれが不思議でならない。

 そこにはやはり日本人が戦後社会を通じて、歴史認識を構築する努力を怠ってきたことが深く関わっているように思う。

 ぼくはこのエッセイの中で繰り返し、陰謀史観の危うさが、自己を免責する閉じた歴史記述にある点を指摘してきた。当たり前のことだが、
歴史にはこれを共有する他者がいる。

 第二次世界大戦をめぐるアジアの人々と共有する歴史認識を、日本が作り得ていないことと、原爆を歴史的必然とするアメリカの人々の歴史認識に明瞭な異議申し立てができないのは、ともに他者と共有すべき歴史を構築する努力を欠いてきた点で、同じ問題に行きつくのである。

 ぼくはまるで古い左翼のようなことを書いている。しかしサブカルチャー的言説の無秩序な引用からなる歴史認識が、オウムの内側に奇妙な超越的国家を出現させ、それが暴走し、そしてたった今、日本人であるわれわれは権力に一種の「超越」を許し、これを押し潰そうとしている。宗教弾圧だとは敢えて言わない。なぜならそこでふみにじられているものは、それよりも更に大きなものだからだ。

 だが、もしオウムという集団が歴史認識を育むことなく、これをサブカルチャーに代行させてきた点に於て戦後の日本社会の縮図であるのなら、その果てに自らの内に奇妙な超越的国家を発生させ、その暴走を許した彼らの失敗もまた、この日本がたった今、はらむ危うさを予見しているのだと考えるべきではないか。

 サブカルチャーの無秩序な爛熟の果てに、突如として、グロテスクなまでの超越的なものが出現し、人々はこれにあらがいきれない。大正から昭和初期に出現した、あまりに行きすぎてしまった消費社会の果てに、かっての日本人が気づかぬうちに台頭を許したものが何であったのか、思い起こすのは決して無駄ではない。

 オウムの人々はそのことを警告してくれたのだと解するのは、余りに彼らに同情的だろうか。
(大塚英志著「戦後民主主義のリハビリテーション」角川書店 p347-350)

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 一九七九/一九九五/一九九九──きっかけとしてのオウム事件

姜 九五年に阪神 淡路大震災と地下鉄サリン事件がありますね
森 オウムについてお話ししたいんですが ちょっとその前にお聞きしたしことかあります 姜さんはオウムについて言及をあえて避けておられませんか

姜 ええ そうなんですよ 例の「麻原彰晃」については一時期いろいろな噂や流言蜚語が流れました。被差別部落出身者ではないかとか、在日ではないかとか。オウム事件が起きてからたまたま熊本に帰ったときに、床屋に入ったら、床屋のご主人が「いや、それにしてもオウムってのは怖いですね、あれは日本人じゃないでしょう」とお客さんに言うんですよ。僕はそのときに何かえも言われぬ、名状しがたい気持ちになったんです。

森 「在日」といったのですか。
姜 いや、「在日」とはいわないけれども、要するに、やはり非日本人として見たいという願望がある。

森 「あんなことができるのは日本人ではありえない」ということですね。
姜 ええ。それは一般の庶民のなかにもあったと思います。それからオウムについては、わからないことが多すぎた。これについて何かを発言するには、自分が相当、本腰を入れてやらなければいけない。安易な言葉や図式、物語に当てはめるのはまずいんじゃないかという気がしていました。僕はむしろ森さんに、ああいうドキュメンタリー(『A』『A2』)を撮り、オウムを経験することで、ご自身として変わっていった部分についてお聞きしたいのですが。

森 まずオウムの事件には、実はまだわからない部分や矛盾が非常に多いんです。たとえば村井刺殺事件の背景や、そもそも坂本弁護士の家の鍵がなぜ開いていたか、警察庁長官狙撃事件も真相はさっぱりわからない。とにかく未解決なまま曖昧に残されている要素は幾らでもあるのに、なぜかそうした検証が当時もいまも全く為されない。為されないまま蓋をしようとしている。そもそも地下鉄にサリンを撒いたという動機すらいまだによくわからない。謀略史観的に見ようとしなくても、どうしてもそう思いたくなるほど奇妙な事件です。

 僕自身は、オウムの事件が起きるまでは本当にあまり深く物事を考えずに、ごく普通のフリーのテレビ・ディレクターという立場にいたのですが、結局、『A』という映画を撮る過程は、僕にとっては外圧ですね。志や使命感があってオウムを撮ったわけではなく、自分のなかのルーティン・ワークとしてオウムを被写体にしようとしたら、いろいろな障害や遮蔽物が次々に現れて、どんどんヒステリックな対応に追い込まれていき、つまり自分自身が社会にとってのオウムと同じようなポジションにどんどん追い込まれていったわけです。

気づいたらテレビ・メディアから放り出されて一人になってしまっていた。ならば自分で撮るしかないということで撮りだして、その過程が触媒となって、たぶん僕のなかにいろいろな化学変化が現れたのだと思います。

 もうひとつ言えるのは、一九九九年の小渕内閣で、かつてだったらありえないほどの大きな変革を内包する法案(周辺事態法、通信傍受法、国旗・国歌法、改正住民基本台帳法)が、立て続けに通ってしまいました。その背景にあるのは、やはや一九九五年ではないか。オウムによるボディー・ブローがじわじわと効いてきて、その反発としての民意がどんどん形成されました。要するに「危機管理意識」ですね。過剰な危機管理意識は、共同体の結束へと短絡します。日本人にとっての最も大きな共同体は、結局はこの国家という曖昧な枠組みです。だからこそこの年に、流れが加速されてしまった。

 つまり、震災を伏線にしたオウムの事件が、戦後の高度経済成長が一段落した頃から七九年、八九年を節目として地下水脈のように流れていた深層意識に、一挙に弾みをつけてしまったのではないでしょうか。その意味ではオウムによって新たに生まれたものではなく、飽和しつつあったものに対して、オウムが大きな引きがねになったことは間違いないのではないかという気がするのです。とくに意識面において。国民一人一人の意識にとって、あの事件は簡単には拭い去れない大きなスティグマ(傷痕)になったような気がします。

姜 そうでしょうね。いまの北朝鮮報道もオウム抜きには語りえないと僕は思っています。確かに一九九九年の小渕内閣で、国旗・国歌法から通信傍受法まで立て続けに通りましたが、七九年からちょうど二〇年後だったんですね。

 自分たちの立っている地盤が揺れている状態──僕は「内戦感覚」といったのですが、内側に異物が形成されて、それがこんなに拡がってきたという感覚。それが犯罪報道という意味で少年犯罪にも投影されていたような気がするんです。社会の内側にある不気味さみたいなものをどうするかという議論になっていきました。

森 メディアは手法も含めて明らかに変わりました。たとえば「モザイク」です。もちろんオウム以前からあったテクニックですが、目的が大きく変わりました。以前ならあくまでもこれは被写体を保護するための窮余の策でした。でもオウムをターニング・ポイントにして、むしろ、対象を守るのではなくて自分たちメディアを守るために、エクスキューズとしてモザイクを付ける、もしくは声を変えるということが主流になってしまったんです。

しかも無自覚なままに。でもそうなると、映像や情報に対する責任はどんどん希薄になります。多用されるテロップの理由を、耳の不自由な人のためと本気で思い込んでしまう。この無自覚性が怖いんです。

姜 やはりセキュリティー意識の裏には、市民生活が脅かされるのではないかという恐怖感があって、どこかに既得権益の意識があるのではないか。それがとくにバブル経済のなかでつくられていった面がある。「善良で健全な市民をある日突然襲う不気味な影」のような、そういう破綻要因みたいなものですね。それが国民的なレベルで共有されたのがオウムでしたが、戦前だったら「不逞鮮人」といったかもしれないのです。関東大震災のときの、「不逞の輩が市民生活を襲ってくる」という……。

 僕はなんとなくオウムに対して非常に多義的な感覚があったのでしゃべりにくかった。それをどうとらえたらいいのかわかりませんでしたが、「市民対全く異質なもの」という対立に際し、実は戦後民主主義的な感覚がそこで問われたと思うのです。市民がある日、突然排他的になる。市民主義というのは、いざとなったらやはりマジョリティーの側で匿名の暴力みたいなものを振るいかねない。そういう点で、僕は戦後民主主義はもう失効したのじゃないかと思ったのです。そういう意味ではオウム事件は大きかった。

──『A2』の制作そのものは二〇〇〇年ぐらいからですか。

森 九九年からです。正式な公開は二〇〇一年ですが、元々『A2』は撮る気はなかったんです。『A』で自分としてはオウムと社会というテーゼについては全部表現しつくしたつもりだったのですが、その後の日本社会の変質に対して、「これはなんか加速がついてきたな」という感じがすごくあったんです。たとえば破防法(「破壊活動防止法」)です。事件直後にはさすがにオウムへの適用が棄却されましたが、一九九九年一二月に、内実はまったく変わらない団体規制法(「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」)が、世論の圧倒的な支持を受けて成立しました。

 地域住民たちのオウムへの排除の構造も、『A』と『A2』とではまったく違います。後者では、より攻撃的に、剥きだしになっている。事件直後よりも時間を置いたほうが攻撃性を増すというこの現象はいったい何だろうという疑問は、『A2』を撮る大きなモティベーションでした。この構造のひとつの要因は、事件の動機がわからないという焦燥なんです。でも、ならば事件をもっと多角的に解析しようという方向には行かない。とにかく一日も早くオウムなる存在をこの社会から抹消したいという欲望と並行しで、意味不明なものに対しては過剰に防衛意識が発動するようになってしまった。

姜 僕にとっては、北朝鮮が「外なるオウム」で、オウムは「内なる北朝鮮」、そういう感覚でした。

森 危機管理意識って一旦発動したら、もう止めどなくなっちゃうんですね。その意味では強迫神経症に近いです。オウムによって喚起された他者への不安と脅威は、標的を探すことで充足しようとするけれど、実は巨大になるだけなんです。その延長がいまの北朝鮮問題だと思います。もし一〇年前だったら、拉致問題はこんな展開にはならなかったような気がします。

姜 そこから見える日本社会の変化みたいなものが、政治的なレベルだけじゃなくて、もっと深いレベルでどうなっているのか。この社会で生きている人びとに、何が起きてきたのかを、いまこそきちっととらえるべきですね。

 今後、「戦闘員」と考えられている自衛隊員が、一年間に何人かは死ぬような状況が恒常的に続くでしょう。そして、それを普通のこととして受け入れる社会になるのではないでしょうか。同時に、戦場と非戦場との分断線がなくなるのではないかと思うのです。つまり、われわれはお茶の間で湾岸戦争を見てきたし、イラク戦争を見てきましたが、今後はいろいろなところでテロ(それはもうオウムが示してくれたのですが)の危険性があり、地下鉄に乗っていてもヤバイ。

そういう感覚を常に持ちながら生活せざるをえない。アメリカはいまそうなっていますが、そうするとかなり過剰監視社会になるのでほないかという気もしています。表現者の立場から森さんはいまそれをどういうふうに考えでおられますか。

森 危機への最も安易で確実な対処法は、共同体が内部的に結束しながら、弾かれた「異物」を攻撃し排除するという方法です。究極の危機管理は、仮想敵をつくって先制攻撃することです。要するにいまのアメリカです。これほど強引にイラクに侵攻した背景にはその構造もあると思う。でもそれ、によって、逆にテロなどの日常のリアルな危機はもっと濃密になります。いってみれば戦場が僕らの領域のなかにもどんどん進出してくるという状況があって、またそれによって危機管理意識が煽られて……とそのくり返し。この悪循環は一度はまってしまったらもう抜けられません。その副作用として出現するのが、監視・管理社会ですよね。大きなものに依拠したい、見守られたいという感覚です。民事不介入という警察の原則はすっかり消えましたね。でもなぜこんな原則ができたのかを誰も考えない。

 「当事者性」という条件──状況打開の可能性はどこにあるか

──ただ、状況はとても厳しいのですが、お二人に共通しているなと思うのは、非常にポジティブな発想や思考法をお持ちでもあるということです。

森 僕は内面的にはものすごくネガティブな男です。でもなぜか映像や文章はポジティブというか、絶望しないという文脈になってしまうんです。意識的にそうしているわけじゃないんですけれど。

姜 森さんのなかには、この社会のなかでこういう状況になっても、自分は映像を見てもらうことを通じて人と出会い、つながっていくんだというポジティブなものがありますよね。それはどういうことなのでしょうか。
森 具体的に引用しましょうか。たとえば『A2』では、排斥運動をくり返す住民や右翼たちとオウム信者たちが、いつのまにか親和してしまうというシーンがあります。メディアは絶対にこれを報じません。親和する住民や右翼の共通点は、どちらも過激な排斥運動の主体であるという一点です。

過激だからこそ彼らはオウムの領域に踏み込むんです。そうすると信者たちの息づかいや脅えの表情や笑顔に接して、信者にも普通の感情が、あるということに気づくのですね。当たり前なことなのですが、それを実際に感じるか感じないかの違いがあって、かたや行政なんかの監視団は絶対にオウムには近づかない。−定の距離を置いたまま双眼鏡で覗いたりしながら監視を続ける。そうなると不気味な存在であることは永劫に変わりません。

 オウムを被写体にすることでこの数年、日本社会のいやな部分を、僕は散々見たし体験してきました。でもだからこそ、人には絶対に多様な可能性があることを確信しています。回路が閉じたままであればその状況は変わらないけれど、何かのはずみに人は変わります。いまたとえば「北朝鮮を攻めろ」と言っている連中だって、実際にもし国交が正常化されて行き来するようになったら、「実はあの頃はあんなこと言ってたんだよ」ときっと笑うでしょう。僕は、人間にはその資質は絶対にあると思う。

姜 いま森さんが指摘された、踏み込むからこそ対立するものとの関係ができるというのは非常に重要な視点です。ずっといままで一番腹立たしく思っているのは、日本のなかでマジョリティーを形成していると思っている人が、ニュートラル・コーナーにいると考えていることです。ひところ「フツー」という言葉がはやったけれども、在日の問題とか南北間題とかいろいろ見ていくと、マジョリティーだと自認している人は、自分がニュートラル・コーナーにいると常に思っているんですね。「何かに片寄った見方をしてはいけないんじゃないですか」とすぐに言う。そこには当事者性が欠如していると僕は思う。

 オウムの問題でも北朝鮮の問題でも(何も深刻な問題でなくてもいいのですが)、自分が何らかの形で、どこかで当事者性を持っていて、何かをしたり、生きているのだということが自覚できない。結局、自衛隊の問題も、「自衛隊が行って死んじゃった」、「ああ、そう、やっぱりそれは自衛隊の方の問題でしょう」と、全く当事者性がないんですね。

だから「行ってもらっていいのよ」という感じになるし、そういう声をよく聞くんです。結局いつでもニュートラル・コーナーがあると思っていて、そこにいることがマジョリティー。メディアだって、分厚いマジョリティーをつくっていて、そこに関係していくわけですから。

 そうすると、憎しみがあれば相手と激しく敵対して、和解する可能性ってあるわけですよね。だから、僕なんかは意外と「ニュートラルに自分は行動していますよ」とか「公平にものを見ていますよ」とかいう人ほど信じられないときがあって、むしろすごい偏見であっても極論を持っている側のほうが、場合によっては、非常に変わりうる可能性もある。いままでのメジャーなメディアは、結局ニュートラル・コーナーにいるという立場からものをつくり、報道を行い、そういう形で受け手もいるだろうということで循環していたと思うのです。

結局、そこから生まれてくることは、やはり遠くから離れて敵対するものを見て、そこに当事者性が全然ないから、いつまでたっても問題に触れないで済む。それが一番の問題じゃないでしょうか。変な言い方ですが、「表層的な市民主義」という言葉がそこにドッキングしたような気がするんですよ。

森 わかります。メディアはずっと「ニュートラル」を標榜し、錦の御旗にしてきましたから。でも見方を変えれば、たとえば北朝鮮やオウムに限らず、最近ではあらゆる事件において、「被害者の気持ちになれ」という意味での表層的な当事者性が、攻撃性に転化しながら前面に出てくることもありますよね。

姜 そうそう、逆にね。それが人質にとられる。当事者性というときに、非常に難しいのですが、北朝鮮との出会いは、いまの拉致被害者の立場に当事者性を見いだして国民がそこに雪崩を打っているわけですよね。しかし、これは一回は経なければならないプロセスなのではないかなと思っています。

だって、北朝鮮と韓国は七〇年代までもう殺し殺されでしたから、当事者性どころか、過剰な当事者性が生きていたわけです。それが韓国はいまずっと変わってきているのですが、日本はニュートラル・コーナーにいたものだから、自分たちはイノセント(無垢)だと考えていたと思います。これは仕方がないプロセスではないでしょうか。このままで終わるわけはない。オウムと同じで、必ずどこかで揺り戻しが起こる。何か違う当事者性、自分たちが過剰に陥っている当事者性から少し離れた、本当の意味でのニュートラルになるかどうかわかりませんが。

 揺り戻しが起きなければ、おそらくこのままでは出口がないし、何とか過剰な当事者性から少しでも軌道修正するように、僕たちも働きかけていこうとしているのです。在日の問題を考えていくときにも、過剰な当事者性から脱却する、そしてもう一回当事者性に戻っていくような、そんなジグザグ運動でしたから、きっと北朝鮮の問題でもそうなるのではないかと思っています。

森 撃沈した北朝鮮の例の工作船が、いま船の科学館に展示されています。初日は各局トップニュースで報道されましたが、僕が見た範囲では、一〇人の工作員の自爆については一局たりとも触れなかったんですよ。あれはテレビの前で本当にびっくりした。レポ一ターがマイクを持って、ここにこんな弾痕がありますとか、こんな銃火器を設置していましたとかは事細かに伝えるのだけれど、この狭い船倉に一〇人が集まって自爆のスイッチを押したという事実確認がすっぽりと抜け落ちていた。

彼らがその瞬間何を思つたのか、最後に何をつぶやいたのか、当事者性、というか想像力ですね、それが機能停止している現実を見せつけられました。

 確かに麻痺はいずれは解けるし、これほどに偏るなら揺り戻しもいつかはくると思うのですが、ちょっと不気味なのは、この流れを利用し、便乗しようとする動きがあることです。

姜 だからイラクへの派兵は大きいと思いますよ。仮に行ったとして、そこで矛盾を抱えて、いろいろなものを掘り起こしていける事態になるのか、それともいまの流れが森さんの言ったように加速されるのか。大きいと思いますね。

 でも、一人一人の人はそんなに愚かではないし、それなりに何か政治的な言説やメディアで言われている言説とはかなり乖離した本音の部分を持っている人が多いのではないかと思うのです。これまではそれが政治的に代表されていないから、そこのところに訴えかけていくというのかな。そんなにひどい状態だけを許しておくような状況でもないと思いたいのです。思いたいし、また信頼してやる方法しかない。まだ予測はしがたいけれど、いまがとにかく大きな変化の契機になることは間違いないでしょうね。

──どうもありがとうございました。【司会…編集部・山本賢】

(月刊:世界「対談 姜尚中×森達也 何が反復されてきたのか」
 04年2月号 p125-131)

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◎「オウム」問題から何が見えるのか。