学習通信040401
◎人のつながり……「人間分子の関係、網目の法則」

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 唯物論的歴史観はつぎの命題から出発する。

すなわち、生産が、そして生産のつぎにはその生産物の交換が、すべての社会制度の基礎であるということ、歴史上あらわれたどの社会においても、生産物の分配は、それとともにまた諸階級あるいは諸身分への社会の編成は、なにがどのように生産され、生産されたものがどのように交換されるかにしたがっておこなわれるということである。

したがって、すべての社会的変動と政治的変革の究極の原因は、人間の頭のなかに、すなわち、永遠の真理と正義についての人間の認識の発展に求めるべきでなくて、生産様式と交換様式の変化に求めるべきであり、それは哲学のなかでなくて、その時期の経済のなかに求めるべきである。

現存の社会制度が非理性的な、不正義なものであり、理性は無意味になり、幸いが災いになったということについての認識の発展は、生産方法と交換形態にいつのまにか変化がおこり、以前の経済的条件にあわせてつくられた社会制度がもはやこの変化に適合しなくなったことの、一つの兆候にすぎない。

それはまた同時に、あばき出された弊害を取り除くための手段もまた、変化した生産関係そのもののなかに──多かれ少なかれ発展して──存在しているにちがいないということを意味する。この手段は、けっして頭のなかで考案すべきものではなくて、頭をつかって現存の生産の物質的事実のなかに発見すべきものである。

 では、この点から見て現代の社会主義はどういう状態なのか?

 現在の社会制度は──いまではかなり一般的に認められているが──今日の支配階級、すなわちブルジョアジーによってつくりだされたものである。

ブルジョアジーに固有の生産様式は、マルクス以来、資本主義的生産様式という名称でいいあらわされているが、それは封建制度の地方的および身分的特権とも、人びと相互の人身的きずなともあいいれないものであった。

ブルジョアジーは封建制度をうち砕き、その廃墟の上にブルジョア的社会体制を、すなわち自由競争、移転の自由、商品所有者たちの同権、ならびにありとあらゆるブルジョア的な栄光に輝く王国をうちたてた。

資本主義的生産様式はいまや自由に発展できるようになった。ブルジョアジーの指導のもとにつくりだされた生産関係は発展し蒸気と新しい作業機が古いマニュフアクチュアを大工業に転化させてからは、前代未聞の速度と規模で発展した。

しかし、かつてマニュフアクチュアとその影響のもとに発展した手工業が、同職組合の封建的束縛と衝突するようになったように、大工業はいっそう全面的に形成されてくるにつれて、資本主義的生産様式がそれを閉じこめている束縛と衝突するようになる。

新しい生産力はすでにその利用のブルジョア的形態をのりこえて成長した。生産力と生産様式とのこの衝突は、人間の原罪と神の正義との衝突というように、人間の頭のなかに生じた衝突ではなくてそれは事実のなかに、客観的に、われわれの外部に、それをひきおこしたその人間の意欲や行動そのものと無関係に存在しているのである。

現代の社会主義は、この現実の衝突が思想のうえに反射したものにほかならず、なによりもまず直接この衝突のもとで苦しんでいる階級である労働者階級の頭のなかに生じた観念的反映にほかならないのである。

 では、この衝突とはどういうものか?
 資本主義的生産以前に、したがって中世には、生産手段にたいする労働者の私的所有を基礎とする小経営が全般的に存在した。小さな自由農民または隷属貧民の農業、都市の手工業がそれであった。

労働手段──土地、農具、仕事場、手工具──は、個人の労働手段であり、個人的使用だけを目あてにし、したがって当然小型な、ちっぽけな、制限されたものであった。しかしそれらは、そうだからこそまた、通例は生産者自身のものであった。

これらの分散した、局限された生産手段を集積し、拡大して、強力に作用する現代の生産の槓杆に変えることが、まさに資本主義的生産様式とその担い手であるブルジョアジーの歴史的役割であった。この両者が、一五世紀以後、単純協業とマニュフアクチュアと大工業という三つの段階を追って歴史的にこのことをなしとげたことについては、マルクスが『資本論』の第四篇でくわしく描いている。

しかし、そこで同じく指摘されているように、ブルジョアジーは、あの制限された生産手段を個人の生産手段から社会的な、ただ人間の集団によってのみ使用できる生産手段に変えることなしには、あの生産手段を強力な生産力に変えることはできなかった。

紡車や手織機や鍛冶屋の鎚にかわって紡績機械や力織機や蒸気ハンマーがあらわれ、個人の仕事場にかわって幾百人、幾千人の協働を必要とする工場があらわれた。

そして、生産手段と同様に、生産そのものが一連の個人的行動から一連の社会的行為に変わり、生産物は個人の生産物から社会的生産物に変わった。

いまでは工場から出てくる紡糸や織物や金属製品は、多数の労働者の共同の生産物であり、それらが完成するまでには、彼らの手をつぎつぎに通らなければならなかった。彼らのうちのだれ一人として、それは私がつくったのだ、それは私の生産物だ、ということはできなかったのである。

 しかし、無計画的にだんだんと生まれてきた自然成長的な社会内部の分業が生産の基本形態であるところでは、分業は生産物に商品という形態をあたえ、その商品の相互の交換、すなわち売買によって、個々の生産者はその多様な欲望をみたすことができるのである。

このことは中世にもおこなわれた。たとえば、農民は、農産物を手工業者に売り、そのかわりに手工業者から手工業製品を買った。

ところで、個人的生産者である商品生産者のこの社会に、新しい生産様式がはいりこんできた。

社会全体を支配していた、自然成長的な、無計画的な分業のただなかに、この生産様式は、個々の工場のなかに組織されていた、計画的な分業をもちこんだ。個人的生産とならんで社会的生産があらわれた。

両方の生産物は、同じ市場で、少なくともほとんど等しい価格で売られた。しかし、計画的な組織は自然改良的な分業よりも強力であった。社会的に労働している工場は、個々別々の小生産者よりも生産物を安く生産した。

個人的生産は、一つの分野から他の分野へと負けていき、社会的生産は古い生産様式全体を変革した。しかし社会的生産のこの革命的性格はあまり認識されていなかったので、それは反対に商品生産を高め、促進するための手段としてとりいれられた。

社会的生産は、商品生産と商品交換の一定の、既存の槓杆、すなわち商人資本や手工業や賃労働と直接に結びついて発生した。社会的生産そのものは、商品生産の新しい形態として発生したので、商品生産の取得形態は、ひきつづき社会的生産にとっても完全に効力をもっていた。

 中世に発達したような商品生産においては、労働の生産物がだれのものであるかという問題は、まったくおこりえなかった。個人の生産者は、通例は、自分のものである原料、しばしば自分でつくった原料で、自分の労働手段と自分の手労働または家族の手労働で生産物をつくったのである。彼によってあらためて生産物が取得される必要は少しもなく、それはまったくひとりでに彼のものであった。

したがって、生産物にたいする所有は自分の労働にもとづいていた。他人の助力を借りた場合でも、それは、通常、副次的なものであり、しばしば賃金のほかにさらに別の報酬をうけとった。

すなわち、同職組合の徒弟や職人は、食事と賃金のためよりも、親方になるための自分の修業のために働いた。そこへ、大きな作業場や工場における生産手段の集積がおこり、実際に社会的な生産手段への生産手段の転化がおこったのである。しかし、社会的な生産手段と生産物は、これまでどおリ個人の生産手段と生産物であるかのように扱われた。

これまで労働手段の所有者が生産物を取得したのは、生産物は通常は彼自身の生産物であって、他人の補助労働は例外だったからであるが、いまでも労働手段の所有者は、生産物がもはや彼の生産物でなくて、もっぱら他人の労働の生産物であるにもかかわらず、ひきつづきその生産物を取得したのである。

したがって、いまでは社会的に生産されている生産物が、生産手段を実際に動かし、生産物を現実に生産した人びとによって収得されないで、資本家によって取得されたのである。生産手段と生産は本質的に社会的になっている。

しかしこのような生産手段と生産は、各人が自分の生産物を所有し、それを市場にもちだすというような、個々人の私的生産を前提とする取得形態のもとにおかれる。生産様式はその前提を廃棄しているにもかかわらず、それはこのような取得形態のもとにおかれる。

この矛盾が新しい生産様式に資本主義的性格をあたえるのであるが、この矛盾のなかに、現代のすべての衝突がすでに萌芽としてふくまれているのである。新しい生産様式がすべての決定的な生産分野とすべての経済的に決定的な国々でますます支配的になり、それによって個人生産が駆逐されてとるにたらない残存物になるにつれて、社会的生産と資本主義的取得とが両立できないこともいっそうはっきりとあかるみに出てこないわけにはいかなかった。
(エンゲルス著「空想から科学へ」新日本出版社 p62-68)

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 君は、「人間分子の関係、網目の法則」という名前より、もっといい名があったら言ってくれ、と手紙に書いたね。僕はいい名前を一つ知っている。それは、僕が考え出したのではなくて、いま、経済学や社会学で使っている名前なんだ。実は、コペル君、君が気がついた「人間分子の関係」というのは、学者たちが「生産関係」と呼んでいるものなんだよ。

──人間は生きてゆくのに、いろいろなものが必要だ。そのために、自然界にあるいろいろな材料を使って、いろいろなものを作り出さなければならない。自然界にあるものを取って来て、そのまま着たり食べたりするにしても、やっぱり、狩をしたり、漁をしたり、山を掘ったり、何かしら働かなければならない。

ごくごく未開の時代から、人間はお互いに協同して働いたり、分業で手分けをして働いたり、絶えずこの働きをつづけて来た。こればかりは、よすわけにいかないからね。ところで、人間同志のこういう関係を、学者は生産関係と呼んでいるんだ。

 最初、人間は地球の上の方々に、ごく少数のかたまりを作って生きていたから、こういう協同や分業も、その狭い範囲の中だけで行われていた。その時代には、自分たちの食べたり着たりする物が出来あがるのに、どういう人が骨を折ってくれたか、すっかり見透しだ。

恐らく、みんなが顔見知りの間柄だったろうし、作る品物だって簡単なものばかりだったろうし、第一、狩をしたり漁をしたりするときには、みんな総がかりでやったに違いないから、自分の食べる物や着る物が、どういう人のおかげて出来たのかなどということは、考えて見ないでもわかっていただろうと思う。

 ところが、そのうちに、そういう小さな集り同志の間に、品物の交換が行われたり、縁組がはじまったりして、だんだん人間の共同生活が広くなって来た。人間の集りも大きなものになって来て、とうとう国というものを作るようになった。もうこの頃になると、協同や分業もだいぶ大規模となり、その関係が複雑になって、自分たちの食べる物や着る物を見たって、いったい誰と誰とがこのために働いたんだか、一々知るわけにはいかない。

作る方だって、自分の作ったものを、誰が食べたり着たりするんだか、見当はつかない。ただ、働いていろいろなものを作り出し、その代り、自分や自分の家族に必要なものをもらうとか、さもなければ、そういう必要品を買うための金をもらうとか、それが目あてで作り出すんだから、誰が着るか食べるかは、その人たちには問題じゃあない。

 それから、もっと時代が進んで、商業が盛んに行われるようになり、国と国との間にさえ取引が行われるようになると、人間同志の関係は、ますますこみ入って来る。例えば、支那の農民が、お金を儲けようと思って蚕をかい、生糸をとって売ると、それが廻り廻ってローマの貴族の着物になるという風だ。

こうなると、品物を作り出すためばかりじゃあない、それを運ぶためにも、大勢の人間が協同して働き、その間にさまざまな分業が行われて来る。そうして、世界の各地がだんだんに結ばれていって、とうとう今では、世界中が一つの網になってしまった。

 もう今日では、日本の製糸会社が生糸をとるのでも、紡績会社が木綿を作るのでも、日本人が絹や木綿にこまらないようにと考えてしているのではない。また、まず日本人の必要を満たし、あまったら外国へ売ろうなどと考えてやっているのでもない。はじめから、外国の市場に売りこむことを目あてに、大規模に生産しているんだ。

つまり、人間同志の世界的なつながりを土台にして、その上で仕事をしているわけだね。インドや支那の何億という人々には、日本の木綿物や雑貨が必要だし、また、日本人にとっては、オーストラリアの羊毛やアメリカの石油が、なくてはこまるものとなっている。

 こういうわけで、生活に必要なものを得てゆくために、人間は絶えず働いて来て、その長い間に、いつの間にか、びっしりと網の目のようにつながってしまったのだ。そして、君が気がついたとおり、見ず知らずの他人同志の間に、考えて見ると切っても切れないような関係が出来てしまっている。

誰一人、この関係から抜け出られる者もない。むろん、世の中には、自分で何も作り出さない人がたくさんあるけれど、そういう人たちだって、ちゃんとこの網目の中にはいっているんだ。生きてゆく上には、一日だって、着たりたべたりしないではいられないから、やっぱり、なんとかこの網目とつながっていなければならないわけだろう。

働かないでも食べてゆけるという人々は、それはそれで、この網目と、ある特別な関係がちゃんと出来ているんだ。

──今日、世界の遠い国と国の住民同志が、どんなに深い関係になっているかということは、また折を見て話すとして、とにかく、ここに言ったような関係が人間の間にあって、それを学者たちは、「生産関係」と呼んでいる。つまり君は、粉ミルクから考えていって、この関係に気がついたのだ。

 君が大きくなると、一通りは必ず勉強しなければならない学問に、経済学と社会学がある。こういう学問は、人間がこんな関係をつくって生きているということから出発して、いろいろ研究してゆく学問だ。例えば、時代と共に、この関係がどんなに変わって来たかとか、この関係の上にどんな風俗や習慣が生まれて来たかとか、また、現在それがどんな法則で動いているか、などということを研究している。

だから、君の発見したことというのは、こういう学問の上では、出発点になっていることで、実は、もうとっくにわかっていることなんだ。
(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」岩波文庫 p89-93)

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◎学習通信040329・040330 と重ねてふかめてください。

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