学習通信040402
◎「いろいろな学問は、人類の今までの経験をひとまとめにしたもの」……

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 ただ、君に考えてもらわなければならないのは、本当に人類の役に立ち、万人から尊敬されるだけの発見というものは、どんなものか、ということだ。それは、ただ君がはじめて知ったというだけでなく、君がそれを知ったということが、同時に、人類がはじめてそれを知ったという意味をもつものでなくてはならないんだ。

 人間は、どんな人だって、一人の人間として経験することに限りがある。しかし、人間は言葉というものをもっている。だから、自分の経験を人に伝えることも出来るし、人の経験を聞いて知ることも出来る。その上に、文字というものを発明したから、書物を通じて、お互いの経験を伝えあうことも出来る。

そこで、いろいろな人の、いろいろな場合の経験をくらべあわすようになり、それを各方面からまとめあげてゆくようになった。こうして、出来るだけ広い経験を、それぞれの方面から、矛盾のないようにまとめあげていったものが、学問というものなんだ。だから、いろいろな学問は、人類の今までの経験を一まとめにしたものといっていい。

そして、そういう経験を前の時代から受けついで、その上で、また新しい経験を積んで来たから、人類は、野獣同様の状態から今日の状態まで、進歩して来ることが出来たのだ。一人一人の人間が、みんな一々、猿同然のところから出直したんでは、人類はいつまでたっても猿同然で、決して今日の文明には達しなかったろう。

 だから僕たちは、出来るだけ学問を修めて、今までの人類の経験から教わらなければならないんだ。そうでないと、どんなに骨を折っても、そのかいがないことになる。

骨を折る以上は、人類が今日まで進歩して来て、まだ解くことが出来ないでいる問題のために、骨を折らなくてはうそだ。その上で何か発見してこそ、その発見は、人類の発見という意味をもつことが出来る。また、そういう発見だけが、偉大な発見といわれることも出来るんだ。

 これだけいえば、もう君には、勉強の必要は、お説教しないでもわかってもらえると思う。偉大な発見がしたかったら、いまの君は、何よりもまず、もりもり勉強して、今日の学問の頂上にのぼり切ってしまう必要がある。そして、その頂上で仕事をするんだ。

 しかし、そののぼり切ったところで仕事をするためには、いや、そこまでのぼり切るためにだって、──コペル君、よく覚えておきたまえ、──君が夜中に眼をさまし、自分の疑問をどこまでも追っていった、あの精神を失ってしまってはいけないのだよ。
(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」岩波文庫 p94-96)

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全般的なこと

 現代の社会主義は、その内容から言えば、まず第一に、現代社会の実地の観察の産物である。

つまり、一方では、現代社会に広く行きわたっている、有産者と無産者との・賃金労働者とブルジョアとの階級対立、他方では、生産のうちに広く行きわたっている無政府状態、この両者がともに具体的に実見された結果、生まれたものである。

しかし、その理論上の形式から言えば、はじめは、一八世紀フランスの偉大な啓蒙思想家たちが打ち立てた諸原則をいっそう推し進め、表向きはもっと首尾一貫したものにした、そういうものとして現われる。

どの新しい理論とも同じく、現代の社会主義も、どれほど経済的諸事実〔初版では「物質的な一経済的諸事実」〕のうちに根をもっていたにせよ、さしあたっては、目の前にある思想材料を受け継ぐほかなかったのである。
(エンゲルス著「反デューリング論」新日本出版社 p29)

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マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分

 マルクスの学説は、マルクス主義をなにか「有害な宗派」のようなものとみなしているブルジョア科学全体(官学的なものも自由主義的なものも)のきわめて大きな敵意と憎悪を全文明世界で呼びおこしている。

これ以外の態度など期待しようもない。なぜなら階級闘争のうえにきずかれている社会に「公平無私の」社会科学はありえないからである。

官学と自由主義的な科学は、いずれにせよ、すべて賃金奴隷制を擁護しているが、マルクス主義は、この奴隷制度にたいして容赦ない戦いを宣言したのである。

賃金奴隷制の社会で公平無私の科学を期待するのは、資本の利潤を減らして労働者の賃金をふやすべきではないかという問題で、工場主の公平無私な態度を期待するのと同じくらい、ばかげたおめでたいことである。

 だが、それだけではない。哲学の歴史と社会科学の歴史とがまったく明瞭に示しているように、マルクス主義には、世界文明の発展の大道のそとで発生した、なにか閉鎖的で、硬化した学説という意味での「セクト主義」らしいものはなにもない。

反対に、人類の先進的な思想がすでに提起していた問題に答えをあたえた点にこそ、まさにマルクスの天才がある。彼の学説は、哲学、経済学、社会主義の最も偉大な代表者たちの学説かまっすぐ直接に継続したものとして生まれたのである。

 マルクスの学説は、正しいからこそ全能である。それは、完全で、整然としていて、どんな迷信、どんな反動ともあいいれず、ブルジョア的圧制を擁護することとはおよそあいいれない全一的な世界観を人々にあたえる。それは、人類が一九世紀にドイツ哲学、イギリス経済学、フランス社会主義というかたちでつくりだした最良のものの正統の継承者である。

 マルクス主義のこの三つの源泉について、またそれとともにその三つの構成部分について、簡単に述べてみよう。
(レーニン著「レーニン選書D マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」大月書店 p202)

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小説との再会

「文学再入門」というタイトルでお話しよう、と心にきめたのには具体的な理由があります。それも直接ふたりの人の思い出とつながっているのです。このようにいつも具体的な事がらがからんでくるのも、やはり小説家の話し方だろうと思います。私はこの講義を、自分としては生涯定職としてつくことはないはずの大学教師の語り方によってではなく、小説家の声で話したいと思っているのです。

 ふたりのうちのひとりは私よりいくらか年長の、外交官をしていた友達でした。昨年、癌で亡くなった、わが国のためにも個人的な友人としても、本当に惜しい人でしたが、この友達が、──自分はそのうち暇になれば、「文学入門」じゃなく、「文学再入門」ということをしたい、と私にいったことがあるのです。

友達は英仏語がよくできて、外交文書や専門書のみならず小説をもよく読む人でした。大使の高校の頃からの友人たちは、かれが文学の方向に進む、と信じていたそうです。したがってかれには、それこそ「文学入門」どころでなく、文学についての教養は確実なものがあったのです。

 しかも友達は、──外交官としての現実の経験と知識がいくらかはかさなっている以上、そこに照しあわせながら、あらためて文学の基本的な大切なところを押さえた眺めを、新しい心と感覚でたどってみたい、といったのでした。そうすることで自分の隠退後の人生に必要なものをかちとりうるような気がする、とも……

 そこで私は、パリでだったか、ブリュッセルでだったか、大使にこう答えたことを覚えています。──それならばこれまで現実の世界と政治、外交について様ざまなことをあなたから教わってきたお礼に、今度は僕が「文学再入門」という講義をしますよ、定期的に手紙を書くなりして、あまり目新しいこと、耳を驚かすことはないかも知れないけれども、とにかくあなたが最良の生徒であることにまちがいはないから。

(この外交官だった友達のことは『「涙を流す人」の楡』という短編に書いています。『僕が本当に若かった頃』講談社)

 もうひとりの人は、こちらも二、三年前に急死された、私より十歳は年下の女性でした。私たちはお互いに子供が障害を持っていて、鳥山にある福祉作業所にその子供たちが通っているために、送り迎えの際、とくに迎えに行って作業終了を待つ間、顔を合わせてはいろんな話をしたのです。

 その際、この穏やかなお母さんが、

──このところ日々の忙しさにまぎれて本も読めない年月が過ぎたけれど、女学生の頃に読んだこの国や世界の名作をもう一度読んでから、この生を終りたい、といわれたのでした。障害を待っている子供の世話にかまけてなにも深いことは考えず、追いたてられるようにして生きてくるうちに、それでも不思議なことですけど、いまならトルストイのことがよくわかるのじゃないか、それだけの心と身体の経験はかさねているのじゃないか、という気がしますから……

 ──生を終る、という考え方はまだあなたの年齢では早すぎると思うけれど、というような応答に始まって、私は、──たとえばこの作業所への送り迎えに文庫本を持ってこられてはどうですか、時どき週刊誌を続んでいられるけれど、活字を読む時間は同じだし、私の経験では、長いものを少しずつ続けて読む方が、短い記事を読むより疲れないということもありますよ、といったことを覚えています。

 しかし脳出血で亡くなられたあのお母さんは、早くから高血圧症で悩んでいられた様子でもあり、生を終る前にという思いは切実だったのじゃないかと、侮いの思いとともにしばしば考えます。自分たちが死ぬ、あるいは健康をそこなうまで老いるということを、障害を持つ子供にあわせて思うのは、私たちの人生の習慣のようなものですから。

 私がこれからやろうとしているのは、外交官だった友達や、作業所で働く子供の仲間のお母さんに向けてのように、もう一度、一緒にあれこれの小説を続みなおしてみる仕方で、自分が大切に考える要所、要所にそくしてその意味を話してゆくことです。その自分で大切に考える要所ということは、私がこれまで永く手説を書いてくる経験によって学んだところから判断したいと思います。

しかもそれらのいくつかは、あの作業所の門のところで時をおいては話した障害児を持つ仲間のお母さんに経験のもたらしていた知恵ともかよいあうはずです。

 また人生の経験はこれからにしても、いま現に文学を集中的に読みはじめている若い人たちにも、原則的に役に立つことを話したいと考えています。自分で小説を書き、本を読むことをつうじて、実際に必要だし面白いとも思う文学の理論、また隣接分野の文化理論についても話してゆくことになると思いますから。

(その側面をもっと詳しく知りたい向きには、このテキストを作る上で直接参考にしてゆく、こちらは、……である調で書かれた、『新しい文学のために』〔岩波新書〕が役に立つはず。やはり、……である調の書き方が、……ます、……です、の文体よりも情報量において多くを盛りこむことができることはあきらかですから。)

 もっとも、これは結局ムダな出会いとならぬよういっておくことですが、一冊も小説を読んだことはないという若者や、小説は読まなくてもそれについて書いた批評か概論さえ読めば、内容も書いた人間のこともわかると思い込んでいられるような、それぞれの人生の経験に自信のある年輩の方には、私の講義は面白くもなんともないはずですし、ものの役には立たないでしょう。

 文学はあくまでも具体的なところに意味があり、魅力もあります。私はこの講義であつかう小説を、そのたびごとあらためて実際に読みかえしてゆくつもりですし、皆さんにもそうしていただくことを望んでいます。若い頃、一応は感動したり昂奮したりして読んだ、確かによくわからないところもあるようだったが、心に残っている。そのような小説を、もう一度最初から読みはじめようという気になってくださるなら、その時、皆さんのなかで本当に「文学再入門」が行なわれているのです。

 さきの外交官の友達が、まだ病院で致命的な病気を発見される前でしたが、やはりある予感にかられるようであったのでしょうか、ドストエフスキーの『罪と罰』と志賀直哉の『暗夜行路』のラストの、ともに主人公が大病におちいること、そしてそこからの恢復がかれにもたらしたものについて、私の説明に耳をかたかけてくれたことがあります。

健康な時には乗り越えられなかった自尊心の抵抗が、病気とそこから恢復してくる過程で融け去ってゆき、周囲の人たちやこの世界全体との和解が成立している。その不思議が表現されている両作品の結びについての話です。

『罪と罰』においては、それはソーニャとともにシベリアに流刑となったラスコーリニコフの心のうちに起ったことです。流刑地の暮らしで、ソーニャはしだいに囚人たちの心をとらえ、みんなから愛されて、簡単な病気ならなおしもするとさえいわれるようになりました。ところがラスコーリニコフは囚人仲間から嫌われて、しだいに孤立してゆくのです。

 ラスコーリニコフには自分がやった殺人について罪の意識がない。犯罪の動機は正しかった、ただ自分が途中で弱気になり警察に告白してしまい、流刑地に送られる結末をみちびいたことにがまんできない。その上うに弱気になった自分自身が許しがたいと思っているだけです。そうしたラスコーリニコフをソーニャも恐れはじめています。

 ところがそのラスコーリニコフが重い病気にかかる。人類の不幸な未来に関わる苦しい夢を見たりもします。そのうち恢復期に入って、やっと戸外に出ることができるようになった。そして懲役囚としての仕事のために野原に出ると、遠くからソーニャが近づいて来る。彼女はラスコーリニコフに拒まれることを惧れながらおずおずと手をさしのべます。ところがそこで不思議なことが起きるのです。新潮文庫版(工藤精一郎訳)から引用します。

 《どうしてそうなったか、彼は自分でもわからなかったが、不意に何ものかにつかまれて、彼女の足もとへ突きとばされたような気がした。彼は泣きながら、彼女の膝を抱きしめていた。最初の瞬間、彼女はびっくりしてしまって、顔が真っ蒼になった。彼女はぱっと立ち上がって、ぶるぶるふるえながら、彼を見つめた。

だがすぐに、一瞬にして、彼女はすべてをさとった。彼女の両眼にははかり知れぬ幸福が輝きはじめた。彼が愛していることを、無限に彼女を愛していることを、そして、ついに、そのときが来たことを、彼女はさとった、もう疑う余地はなかった……

 二人は何か言おうと思ったが、何も言えなかった。涙が目にいっぱいたまっていた。二人とも蒼ざめて、痩せていた。だがそのやつれた蒼白い顔にはもう新生活への更生、訪れようとする完全な復活の曙光が輝いていた。愛が二人をよみがえらせた。二人の心の中には互いに相手をよみがえらせる生命の限りない泉が秘められていたのだった》

 このようにしてラスコーリニコフにとっての魂の新生が始まります。それを筋みちだった論理でドストエフスキーが説明しているのではない。大きい病気にかかり、そこから恢復するうちに、ある準備とでもいうものがなしとげられていた。それがあらためてソーニャという心の美しい受け手の前に立つことによってはっきりかたちにあらわれる。このあざやかな情景には、いわゆる概念による説明を越えた説得力があると思います。

──略──

 私たちが生きているこの時代は、人間も世界も自然までもが、大きい病いを病んでいるように感じられます。それが総ぐるみで恢復に向うこと、人間の間に和解が行なわれ、未来への希望が生じることを誰もが望んでいるでしょう。そういう時、これら大病の恢復と和解を説得力をこめて語ったふたつの小説は、私たちの再生を思い描かせてくれる未来のモデルであるように感じられるのです。
(大江健三郎著「小説の経験」朝日新聞社 p15-22)

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◎労働学校運営委員に大江健三郎を評価する青年がいます。学習通信≠フ感想を書いてくれています。どうもの事をつながりの中で深く、発展的に、実際の事と結びつけようと奮闘しています。

大江と吉野の目線が重なります。