学習通信040411
◎教師の威厳……。

■━━━━━

 まえにも非難したことだが、けちくさい精神からはけっして消えうせないもう一つの誤りは、たえず教師の威厳を見せつけて、完璧な人間らしい印象を弟子の心にあたえようとすることだ。こういうやりかたはまちがっている。

かれらは、権威を固めようとしてそれをぶちこわしていること、言うことに耳をかたむけさせるには相手の地位に自分をおかなければならないこと、そして、人間の心に語るすべを知るには人間にならなければならないこと、こういうことがどうしてわからないのか。

そういう完璧な人間はすべて、相手の心を動かしもしなければ、なっとくさせもしない。自分が感じていない情念を非難するのはまったくやさしいことさ、と相手はいつも心のなかでつぶやいている。

あなたがたの生徒の弱点をなおしたいと思ったら、あなたがたの弱点をかれに見せてやるがいい。かれが心のうちに感じている闘いと同じ闘いをあなたがたの心のうちに見させるのだ。あなたにみならって自分にうちかつことを学ばせるのだ。

そしてほかの者が言ってるようなことを言わせないことだ。「この御老人たちは、自分たちはもう若くないのがくやしくて、若い者を老人なみにあつかおうとしている。そして、自分たちの欲望はすっかり消えてしまったので、わたしたちの欲望を罪悪と考えさせようとしているのだ。」こんなことを言わせないことだ。
(ルソー著「エミール -中-」岩波文庫 p265-266)

■━━━━━

「学級崩壊」に直面した教師たちの声

 一九九九年の秋、私は、札幌で、「学級崩壊」、あるいはそれに近い状況に直面した経験のある数人の小学校の教師たちから聞き取りをする機会を得た。それぞれの学級の「崩壊」の様相やそれに至る経緯はさまざまであったが、それらの教師たちが共通に語っていたのは、次の二つのことであった。

 一っは、やはり、子どもたちのこと、とくにすぐに「キレ」たり「暴力」をふるったり教室を飛び出したりして、「学級崩壊」の直接のひきがねとなる子どもたちのことが理解できない、そうした子どもたちとの関係が結びにくい、それが教師として大変つらいということであつた。

もう一つは、「学級崩壊」現象など教育実践の困難が生じた時に、その事実を率直に出して相談しあう関係が教師同士の間でなかなか持てない、それどころか同僚の教師から「指導力の無さ」を責めるまなざしが向けられることが多く、そうした教師同士の関係がきついということであった。

なかには、病気になったり、休職・退職にまで追い込められてしまったケースもあり、その原因としては、もちろん子どもとの関係の問題が大きかったが、同僚教師の関係のきつさが直接のきっかけになったと語った教師もいた。

 これは、札幌での聞き取りであったが、ほぼ同様の声が、全国の教師たちから伝わってきている。私は、この間き取りを通じて、こうした教師たちの「つらさ」についての語りは、逆に、「学級崩壊」に象徴されるような日本の学校の危機的状態を建て直していくための、実践的な切り口を示してくれているようにも感じた。

 今日の教育実践の困難は、何よりも、子どもが理解しにくい、子どもとの関係が結びにくいというところからきている。したがって、困難の打開のためには、教師たち自身が、理解しにくい子どもたちについての理解を少しでも深めていく道を探る以外にない。

そして、教師たちのつらさの直接的な原因は、教師同士の関係のきつさにある場合が多いのだから、教師たち自身が、子ども理解の努力を軸にすえながら、教師同士の「責めあう関係」を「支えあう関係」に変えていく以外に無い。こういうことを、教師たちの話から教えられたように思ったのである。

 今日の教師と学校の困難に対しては、学校の外側からの援助や協力が必要であるが、それもこの点をはずすと効果をあげない。個々の学校現場で、教師同士が子ども理解を深めることを軸として支えあう関係を強めていく、そのことにプラスに働く援助や協力でなければ意味がない。このことは、他領域の専門家も行政関係者も、心すべきことであろう。

 新聞報道によれば、ある自治体の教育委員会が、元校長などを構成員とする「学級崩壊未然防止チーム」なるものを編成して、「学級崩壊」が起こりそうな気配がうかがわれる学校に派遣するという対策をたてたとのことである。

こういう措置は、例えば文部科学省から「『学級崩壊』問題に対してどのような対策を講じているか」と点検された場合には、「これこれをやっています」と説明する材料にはなっても、まず実効ある対策にはならないであろう。

もしこうしたチームが、この学校には「学級崩壊」が起こりそうだ、それはあなたの学級だと言って、外部から学校現場に入り込んできたとすれば、ただでさえ困っている教師たちをもっと困らせる事態を招くだけである。
(田中孝彦著「生き方を問うこどもたち」岩波書店 p110-112)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「教師たち自身が、子ども理解の努力を軸にすえながら、教師同士の「責めあう関係」を「支えあう関係」に……」と。