学習通信040420
◎問題は所有=c…。

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人類は何にいちばん汗を流したか

 人類が他の動物とちがう点のひとつとして,労働をし,物を生産することがあげられるが,人類の歴史のなかで,何にいちばん汗を流して労働をしてきただろうか。中尾佐助はつぎのようにいっている。

「人間はかつてサルであった時代から毎日食べつづけて,原子力を利用するようになった現代までやってきた。そのなかで人類は,戦争よりも,宗教儀礼のためよりも,芸術や学術のためよりも,食べる物を生み出す農業のために,いちばん多くの汗を流してきた」(『栽培植物と農耕の起源』)。

中尾の説によれば,農耕の起源は一元説ではなく,多元説である。その一つは,東南アジアの熱帯雨林性の気候のなかで栽培されていったバナナ・ヤムイモ・タロイモ・サトウキビなどの開発である。第二は,アフリカのサバンナ性気候のもとで栽培されて,そこでは,メロン・キュウリ・ナス・スイカなどのほかに前科作物についてすばらしい発達をとげたといわれる。第三は,トウモロコシやジャガイモなどを生み出したアメリカ大陸での栽培で,さらに地中海性気候のもとでのムギ類の栽培と,モンスーン地帯でのイネの栽培があげられている。

 階級がうまれる

 こうして人類は,はじめて生活に余裕をもちはじめた。こうした農耕と牧畜の生産がはやくからおこなわれたのは,西アジアの「肥沃な三日月地帯」をはじめ,インダス河西岸のバルチスクン丘陵地帯・黄河中流の黄土台地などであった。

また,これらに接する地帯の乾燥地帯では牧畜を主とした農業など,それぞれの自然環境を利用しつつ人々は生活の土台をひろげていった。また,ユーラシア大陸とは別にアメリカ大陸でも農耕・牧畜がおこなわれていった。そして,生活必需品の獲得のための初歩的交易もおこなわれたが,ときには他部族からの略奪などもおこなわれた。

そうした人々の接触のなかから,思想や文学や芸術とよばれる文化も生まれ,その社会全体の政治やしくみもふくめた「文明」とよばれる社会が誕生した。

 採集・狩猟の生活段階では,人類は群れをなして生活するのがやっとだったが,農耕・牧畜の生活に入ると,同一の祖先から出たという血縁集団としての氏族集団が生まれた。

 初期の段階では,氏族が土地を共有し,生産用具も共同で管理し,生産物も平等に分配するといった氏族共同体をなして生活していたが,食糧生産の余裕は,道具のくふうを生み出し,それがまた生産力向上をうながして,富として荷積されるようになった。

 生産用具の向上,なかでも農耕に鉄器の使用がはじまったことは,社会の富を飛躍的に増大させ,氏族内部での家族単位の生活を生み出すもとになった。また貧しいものが富裕なものに支配される関係も生まれた。それまでは部族の長として共同体の指導者だったものが,富を私有化し,氏族内のものを支配するようなこともおこなわれるようになり,戦争や略奪によって獲得した他氏族長を,奴隷として生産に従事させたりする関係も生じた。

 また,点在した氏族たちのなかから大きな力をもつ都市が形成され,氏族の長を中心とした王や祀祭者などを含んだ支配層が生み出され,階級社会が生まれるようになった。
(新講「世界史」三省堂 p17-18)

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 それにこの氏族制度なるものは、いかにも子どもじみていて単純であるにもかかわらず、じつに驚くべき制度なのだ! 兵士も憲兵も警察官もなく、貴族も王も総督も知事や裁判官もなく、刑務所もなければ、訴訟もなく、それでいて万事がきちんとはこぶ。

不和と争いはすべて関係者の全体、つまり氏族か部族、ないしは個々の氏族相互がこれを解決する。―極端な、まれに用いられる手段として、血の復讐の脅威があるだけである──今日の死刑も、この血の復讐の文明的形態、文明時代のあらゆる長所と短所とのまつわりついた形態でしかない。

共同事項は今日よりもはるかに多くある──世帯は一連の家族が共同でいとなむ共産主義的世帯であり、土地は部族所有であって、一時的に小さな園圃(えんぽ)が世帯にわりあてられているだけである──にもかかわらず、現代の複雑多岐な行政機構の片鱗さえ必要とはされない。決定は当事者たちが行ない、たいていの場合、何百年来の慣習がすでに万事を決めていた。

貧乏人と困窮者はありえない。──共産主義的世帯と氏族とは、老人、病人、戦争不具者にたいするみずからの義務をわきまえている。万人が平等で自由だ──女子もである。奴隷の存在する余地はまだないし、他部族の抑圧もまだ存在する余地がないのが通例である。

一六五一年ころにイロクォイ族がエリー族と「中立民」を征服したとき、彼らは後者に同権者として連合体に加盟するよう提議した。敗者がこの提議を拒絶したときにはじめて、彼らは自分たちの領域から追いだされた。そして、こういう社会がどのような男女を生みだすかは、堕落していないインディアンに接したすべての白人が、この未開人の人格的威厳、率直さ、性格の強さ、勇敢さに驚嘆していることが、これを証明している。

 勇敢さについては、われわれは、ごく最近、アフリカで実例にお目にかかった。数年前にズールー・カフィル族が、また数ヵ月まえにヌビア族が──氏族制度がまだ死滅していない両部族が──ヨーロッパのどんな軍隊もやれないことをやってのけた。

火器もなくて、槍と投槍で武装しただけで、彼らは、イギリス歩兵──密集戦闘にかけては世界第一と認められている──の後装銃の弾雨のなかを銃剣まぎわまで突進し、武器がとうてい比べものにならないにもかかわらず、また兵役期間が全然なく、教練なるものを知らないにもかかわらず、一度ならずイギリス歩兵を混乱におとしいれ、敗走させさえした。

彼らの耐久力と実行力のほどは、カフィル人は一昼夜に馬より早く馬よりも遠くまですすむというイギリス人の嘆息がこれを証明している。──最も小さい筋肉までが、鞭ひものように固く鍛えられてもりあがる、とあるイギリス人両家はいう。

 異なる階級への分裂がすすむ以前には、人間と人間社会はこのような様相を呈していた。そして彼らの状態を今日の文明化した人間の圧倒的多数の者の状態と比較してみれば、今日のプロレタリアならびに農民と、古代の自由な氏族員との隔たりは、途方もなく大きい。

 以上が一面である。だがわれわれは、この組織が没落する連合にあったことを忘れてはならない。この組織は部族以上には進まなかった。のちに見るように、またイロクォイ族による〔他部族〕抑圧の企てにすでに見られたように、部族の連合体はすでにその没落の始まりを示している。部族の外にあるものは、法の外なるものであった。

明確な平和条約がない場合には、戦争がつぎつぎに部族におこり、そしてこの戦争は、他の動物には見られない人間独特の残酷さで行なわれ、この残酷さは、のちに利害関係によってはじめて緩和されたのである。われわれがアメリカで見たような最盛期の氏族制度は、きわめて未発達な生産、したがって広大な領域におけるきわめて希薄な人目を前提とするものであった。

したがってそれは、人間に外的なものとして対立する、不可解な外部の自然に、人間がほとんどまったく支配されている状態──これが幼稚な宗教観念に反映しているのだが──を前提していた。部族は人間にとって、族外者にたいしても自分自身にたいしても、限界であった。

部族と氏族とその諸制度とは、神聖にして侵すべからざるものであり、自然のあたえたより高い力だったのであって、個々人は感情、思考、行為のうえでこの力に無条件に従属しつづけた。この時期の人々がどんなに堂々と見えようとも、彼らは互いに無差別な人たちであり、マルクスが言うように、彼らは自然発生的な共同社会のへその緒にまだくっついているのである。

この自然発生的な共同社会のカはうちくだかれなければならなかった──それはうちくだかれた。だがそれをうちくだいたものは、われわれにははじめから一つの堕落、古い氏族社会の単純な道徳的高所からの堕罪と見える諸影響であった。

新しい、文明的な社会、階級社会をひらくものは、下劣きわまる利害──いやしい所有欲、獣的な享楽欲、さもしい貪欲、共有財産の利己的な略奪──である。

古い無階級の氏族社会を掘りくずし滅ぼすものは、破廉恥きわまる手段──窃盗、暴行、奸計(かんけい)、裏切りである。そしてこの新しい社会そのものは、二五〇〇年にわたるその存続の全期間を通じて、搾取され抑圧される大多数者を犠性にしての、わずかな少数者の発展以外のものでは決してなかったのであり、そして今日ではこの社会は、これまでのどのときにもましてそうなのである。
(エンゲルス著「家族・私有財産・国家の起源」新日本出版社 p130-132)

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 人々がお互いに評価しあうことをはじめ、尊敬という観念が彼らの精神のなかに形成されるやいなや、だれもが尊敬をうける権利を主張した。そして、もはやだれにとっても、それを欠いては不都合が起らずにはすまなくなった。そこから、礼儀作法の最初の義務が、未開人の間においてすら生れた。

そしてまた、故意の不正はすべて侮辱となった。というのは、侮辱された者は、その不正から生じた損害とともに、時として、その損害そのものよりも堪えがたい、自分自身に対する軽蔑を見てとったからである。こういうふうに、各人は自分に示された軽蔑を、自分自身を重んずる程度に応じて罰したから、復讐は猛烈になり、人々は血を流すことを好むようになり、残酷になった。

これがまさにわれわれに知られている大部分の未開民族が到達していた段階なのである。そして、若干の人々が、人間は本来残忍であって、それを和らげるためには取締りを必要とすると性急に結論したのは、さまざまな観念を十分に区別することをせず、またこれらの民族がすでに最初の自然状態からいかに遠く離れているかに注意することを怠ったためである。

ところが、実際は原始状態における人間ほど優しいものはないのであって、当時にあっては人間は、自然によって、けだものの愚昧さと社会人の忌まわしい知識とから同じくらい離れた地点におかれ、また本能と理性とによって、自分を脅かす害悪から身を守るだけにとどまって、自然的な憐れみのためにだれに対してもみずから害を加えるのを抑えられ、人から害を加えられた後でもそういうことをする気にはどうしてもならない。

なぜなら、賢者ロックの格言によれば、「私有のないところに不正〔不法行為〕はありえない」からである。
(ルソー著「人間不平等起源論」岩波文庫 p94-95)

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◎「私有のないところに不正〔不法行為〕はありえない」と。