学習通信040428
◎偉人とか英雄=c…どう生きるべきか。

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 コペル君、なにもナポレオンについてだけではない、こういう風に質問して見ることは、どんな偉人や英雄についても必要なことなのだよ。偉人とか英雄とかいわれる人々は、みんな非凡な人たちだ。普通の人以上の能力をもち、普通の人には出来ないことを仕遂げた人々だ。普通の人以上だという点で、その人たちは、みんな、僕たちに頭を下げさせるだけのものをちゃんともっているんだ。

しかし、僕たちは、一応はその人々に頭を下げた上で、彼らがその非凡の能力を使って、いったい何をなしとげたのか、また、彼らのやった非凡なこととは、いったい何の役に立っているのかと、大胆に質問して見なければいけない。非凡な能力で非凡な悪事をなしとげるということも、あり得ないことではないんだ。

 ところで、コペル君、こう質問するとき、僕たちはしっかりと、何万年にわたる人類の、長い長い進歩の歴史を思い浮かべていることが肝心なのだよ。なぜかというと、ナポレオンだろうが、ゲーテだろうが、──いや、太閤秀吉だろうが、乃木大将だろうが、すべて、長い長い人類の歴史の中から生まれて来て、またその中に死んでいった人々なのだから。

 君もよく知っているとおり、人間は最初から人間同志手をつないでこの世の中を作り、その協働の力によって、野獣同然の状態から抜け出して来た。はじめはごく簡単な道具を使い、やがていろいろな技術や機械を発明し、自然界をだんだんと人間に住みよいものに変えて来た。そして、それと共に学問や芸術というものをも生み出して、人間の生活を次第に明るい美しいものに変えて来た。

それは、遠い大昔から悠々と流れて来て、まだこれからも遠く遠く流れてゆく、大きな河のようなものだ。日本の歴史は神武天皇以来三千六百年といわれ、エジプトの文明は六千年前にはじまったといわれ、たいへん古いものに思われているけれど、実はそれ以前に、書物にもなんにも書かれていない数万年の歴史があるんだ。

そして、これからも、何万年つづくか、何十万年つづくか、人類はまだまだ進歩の歴史をつづけてゆくだろう。この悠々と流れてゆく、大きな、大きな流れを考えて見たまえ。二千年、三千年の歳月さえ、短いものに思われて来るではないか。まして、一人一人の人間の一生などは、ほとんど一瞬間にもひとしいものに思われて来るではないか。

 コペル君! 君の精神の眼を一度この広大な眺めの上に投げ、そのはるかな流れの中に、偉人とか英雄とか呼ばれている人々を眺め直して見たなら、君はどんなことに気がつくだろうか。

 第一に君は、今まで君の眼に大きく映っていた偉人や英雄も、結局、この大きな流れの中に漂っている一つの水玉に過ぎないことに気がつくだろう。次いで、この流れにしっかりと結びついていない限り、どんな非凡な人のした事でも、非常にはかないものだということを知るに相違ない。

──彼らのうちのある者は、この流れに眼をつけて、その流れを正しく押し進めてゆくために、短い一生をいっぱいに使って、非凡な能力をそそぎつくした。また、ある者は、自分では個人的な望みを遂げようと努力しながら、知らず識らずのうちに、この進歩のために役立った。また、中には、いかにもはなばなしく世間の眼を驚かしながら、この大きな流れから見れば、一向役に立たないでしまった者もある。

いや、偉人とか英雄とかいわれながら、この流れを押し進めるどころか、むしろ逆行させるような働きをした者も少なくはない。そして、一人の英雄のしたことでも、そのうちのある事はこの流れに沿い、ある事は流れにさからっているという場合もある。さまざまな人間が歴史の上にあらわれて来て、さまざまなことをやっているんだが、結局、万人の人間のなしとげたことは、この流れと共に生きのびてゆかない限り、みんなはかなく亡んでいってしまうのだ。

 そして、コペル君、ナポレオンほどの人でも、この一例であることを免れるわけにはいかないんだ。僕たちは、ここで、もう一度ナポレオンにかえって見ることにしよう。

 ナポレオンが出世の一歩を踏み出した頃、フランスの人民は、腐り切った封建制度を打ち倒して、新しい世の中を生み出すために、血みどろになって努力していた。ところが、その頃ヨーロッパの諸国は、まだ封建制度を守っていたから、フランスに新しい国家の出来ることを恐れて、それぞれ軍隊を出し、協力してフランスの新政府を倒そうとした。フランスは、内乱と外患と一時に起こって、たいへんな苦しみだった。

しかし、その苦しい中で、フランス人は、実に勇敢に戦い、決してその困難に屈しなかった。男はみんな兵役の義務を負い、大急ぎで軍隊を組織して、八方から寄せて来る外敵にあたったんだ。その当時、ヨーロッパ諸国の軍隊は、一般に傭兵制度といって、雇い兵で軍隊を組織していた。兵士たちは給金を貰って、その給金のために戦うのだった。

ところが、フランスの軍隊を作りあげている兵士たちは、新政府によって新たに自由を与えられたフランスの民衆だった。彼らは自分たちの愛する祖国のために、喜んで命をささげる人々だった。自由、平等、友愛、の旗印のもとに、新しい時代を生み出したばかりのフランスの人民には、雇い兵なんかが夢にも知らない、勇気と精力とがあふれていた。

だから、彼らは、武器や弾薬が乏しく、正規の訓練も届いていなかったのに、すばらしい元気で外敵に立ち向かい、とうとう、追いしりぞけて、その祖国を守りとおしたのであった。そして、この新しい軍隊を率い、新しい軍隊にふさわしい戦術を考え出し、ヨーロッパ諸国の旧式な軍隊を、片ッぱしからなぎ倒していったのが、ほかでもない、ナポレオンだったのだ。

 だから、ナポレオンは、少なくとも彼が皇帝になるまでは、封建制度を打ち倒して新しい自由な世の中を作ろうと努力していたフランスを守るために、たしかに役に立っていたのだね。いや、そればかりではない。彼は学芸の奨励のためにも、ずいぶん力をつくした。

君は、『世界の謎』の中にある『謎の文字』を読んで知っているだろうが、エジプトに遠征したときにも、大勢の学者や芸術家を軍隊に同行させて、エジプトの研究に従事させた。それが、どんなにその後のエジプト学の発達に役立ったかは、このとき発見されたロゼッタ石という石碑が、後にエジプト文字を読み解く大切な鍵となったことからもわかるだろう。

 その後、フランスの人民がうち続く内乱に疲れて、国内の秩序と平和とを求め出したとき、彼はそれに乗じて権力を一身に集めていったけれど、彼の力によって新しい世の中の秩序と落ち着きとが生まれて来た限り、この野心的な行動さえ世の中のために役立っていた。封建制度を除いたあとの、新しい世の中の秩序がどういうものであるかということは、このお蔭ではっきりとわかったんだ。

彼は学者を集めて、その新しい秩序を、はっきり法律に定めさせた。これが有名な『ナポレオン法典』で、その後、方々の国の法律の模範になったが、恐らく、ナポレオンの事業のうちで、これが最大のものといえるだろう。君はびっくりするかも知れないが、僕たち日本人までが、この法典のお蔭をこうむっているんだよ。

 日本も、明治維新と共に封建制度を廃して、四民平等の世の中となった。ところで、その新しい世の中の秩序、殊に人民同志の関係をどう定めたらいいかということが、すぐに問題になって来た。それで、わが国で最初の民法が定められたんだが、そのとき模範となったのが、『ナポレオン法典』だった。

この民法は、その後いろいろ改正が行われたけれど、その根本は変りがない。そして、新しい日本は、このレールの上をなめらかに進んでいって、とうとう日本はじまって以来の、目覚ましい商工業の発達をなしとげたんだ。
(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」岩波文庫 p184-190)

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  歴史における個人の役割

 帝政ロシアにあってマルクス主義をロシアに導入したすぐれた思想家の一人であったプレハーノフという人がいますが、彼の著作に『歴史における個人の役割』というのがあります。今日読んでもなかなかすぐれた著作です。

 彼はこのなかで歴史は個人の意識から独立した客観的法則によって発展することを明らかにすると同時に、しかしこの歴史の必然性を認めることはけっして宿命論や運命論を意味するものではないことを解明しました。当時マルクス主義を宿命論と同一視して反対する小ブルジョア的急進主義者らがいたからです。

 プレハーノフがいうのは、この歴史過程はたしかに必然的法則性のあらわれには違いないが、この必然的法則性は人間個々人とけっして別個にあるわけではなく、歴史における個々人の役割やすぐれた個人の創意性や奮闘努力を通して現われ実現するものであり、つまり歴史はそれぞれの時期の客観的諸条件にしたがって、提起された問題を解決しようと努力する人間によってつくられるものだということを述べました。

 彼は偉大な人間が偉大だとされるのは何かと問題をたてて、それはたんに個人の才能や特性によってではなく、「彼がその時代の大きな社会的要求に……自分をもっともよく役立たしめることができる特質をもっているからである。……偉大な人間が創始者であるのは、他の人びとよりもよく先をみとおし、また他の人びとよりも強くものごとをのぞむからにほかならない」と書いています。

 ここには、歴史のなかではたす個人の役割が実によく表現されていると思います。

どんな職場でどんな職業についていても、その勤め先や職種などによって人間の値うちがきまるのではないこと、どんな場所にいても、仲間たちとともに働き、ともに生活しながら、この私たちの時代の仲間たちの社会的要求について、「他の人びとよりもよく先をみとおし」、「他の人びとよりも強くものごとをのぞむ」ようにして、大きな社会的要求の実現のために自分をもっともよく役立たせるように、いつも努力しようではありませんか。

そのことによって私たちの個性は輝くのだといえるのではないでしょうか。
(鰺坂真著「哲学入門」『学習の友』社 p175-177)

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