学習通信040430
◎誤りの訂正について
■━━━━━
コペル君は、床の中で相変わらず、あの雪の日の出来事を思いかえしていました。あのことを思えば思うほど、学校にいって、北見君たちと顔をあわせるのが、つらくてなりません。さいわい、あの日から病気になって学校を休んでしまいましたから、今までは北見君たちと顔をあわせないですみました。しかし、いつまでもこのままでいられるわけのものではありません。いつかは学校に出なければなりませんし、どうしたって、あの三人と会わなければなりません。コペル君は、さきのことを考えると、やっぱり不安でした。
それならば、このまま永遠にあの三人と会わずにしまうことを望んでいるのかというと、それもコペル君には堪えられないことでした。あんなにも仲のよかった水谷君、あんなに自分を信頼していてくれた浦川君、あんなに気持のよい友だちだった北見君、──あの三人から相手にされなくなったまま、永遠に別れてしまうなんて、考えただけでもたまりません。
「どうしたらいいんだろう。」
夜着の襟に顎を埋めて、ぼんやりと天井を見つめたまま、コペル君は何時間も考えこんでしまうのでした。
正直のところ、あの三人と顔をあわせるのは実につらいのですが、三人と元どおり友だちになってもらいたいのは山々なのです。いや、そうなってもらいたくってたまらないのです。だから、あやまって、三人に機嫌を直してもらうほかはない、──それは、コペル君にもわかっていました。だが、なんといってあやまったらいいのでしょう。
コペル君の頭には、いろいろな言訳が浮かんで来ました。第一に、北見君たちが上級生につかまって殴られたとき、コペル君が最初から見ていたということは、北見君や水谷君は知らなかったにちがいありません。ですから、コペル君がおかしいなと思って引き返して来て見たら、もう北見君たちが殴られたあとだった、といっても、北見君たちは気がつかないかも知れません。
「そうだ、そういえば、自分があの場に飛び出さなかったことも、北見君は悪く取らないだろう。だって、飛び出さなかったんじゃなくて、飛び出そうとしても間にあわなかったことになるもの──」
と、コペル君は思いました。しかし、浦川君のことを考えると、コペル君はハタと行詰まりました。浦川君は見物人の中にいたのです。だから、コペル君が初めから見ていたことを知っているかも知れません。そうとすれば、こんなウソは、すぐわかってしまいます。
では、病気を理由にしたらどうでしょう。
「あの騒ぎのとき、僕はなんだか寒気がしてならなかったんだ。きっと、もうあのとき、病気になっていたんだろう。気分が悪くて、気分が悪くて、立っているのがやっとだった。僕が飛び出していかなかったのは、ほんとに悪かったけれど、病気のせいだったんだから、ゆるしてくれないか。」
そういって、あやまったら、みんなは快くゆるしてくれはしないかしら。しかし、あんなに笑いふざけていたすぐあとで、そんなに急に気分が悪くなるなんて、誰も本当にしてくれそうもありません。考えて見ると、この言訳もダメです。
じゃあ、こういったらどうかしら──
「僕は、約束どおり黒川たちの前に飛び出そうとしたんだけれど、そのとき、ふとこう考えたんだ。ここは飛び出すのを思いとまって、よく事件を見とどけ、あとでちゃんと証人に立つ方がいいのではないかと。そうすれば、先生は僕の言葉を信用するし、黒川たちは罰をくうにきまっている。だから、北見君たちのかたきを討つためにも、僕だけは、飛び出したいのを我慢して、じっと事実を見とどけた方がいい。実は、そう考えたもんだから、僕は、あのときわざと出なかったんだ。」
なるほど、こういえば、自分がいかにも考えのある人間のようになりますし、あの時約束を守らなかったことに対しても、一応の弁解はつきます。しかし、そういっても、北見君たちが、それを信用するでしょうか。また、万一信用して、北見君が、
「そうか、済まなかった。そうとは知らなかったもんで、僕たち、君のことを悪く思っていて、ごめんね。」
と、あべこべにあやまりでもしたら、コペル君は平気でいられるでしょうか。いいえ、もしそんなことになったら、コペル君は、とてもいたたまれないに違いありません。それこそ、友だちを本当に欺くことになるではありませんか。
誰ひとりほかに知っている人はなくとも、コペル君の心には、はっきりと、あの厭な記憶が残っています。「北見の仲間は、みんな出て来いッ。」とどなった黒川の声、その声を聞くと同時に、思わず、雪の玉をもった手を背中にまわした自分! そして、そっと人に知られないように、雪の玉を捨てた自分!―ああ、この記憶が頭にこびりついているのに、どうして、自分を考えの深い、偉い人間であるかのように見せかけることが出来ましょう。どうして、この自分をゴマ化すことが出来ましょう。
ほんとうに、あのときの自分を思い出すと、コペル君は、自分ながら自分が厭になって来ます。いざとなると、自分があんなに臆病な、あんなに卑屈な人間になろうとは、今度のことがあるまで、夢にも思わなかったことでした。―同時にコペル君は、人間の行いというものが、一度してしまったら二度と取り消せないものだということを、つくづくと知って、ほんとうに恐ろしいことだと思いました。自分のしたことは、誰が知らなくとも、自分が知っていますし、たとえ自分が忘れてしまったとしても、してしまった以上、もう決して動かすことは出来ないのです。自分がそういう人間だったことを、あとになってから打消す方法は、絶対にないのです。
「どうしたら、いいんだろう。どうしたら、いいんだろう。」
コペル君は、天井をみつめたまま、思わず唇を噛みます。日暮れどきなど、まだ電灯をともさない部屋の中で、ひとりそんな事を考えていると、コペル君は、なんともいえない寂しい思いがして来ました。
コペル君は、たいへん無口になって来ました。黙って考えこんでいる時が多くなりました。いつもは、病気をしても、少しよくなると、現金に元気になるコペル君でした。コペル君が病気になると、お母さんは、病気にさしつかえない限り、たいていのことは、コペル君のいうとおりにして下さいます。コペル君は、その病人の特権を大いに振りまわして、いろいろな註文をいい出すのがおきまりでした。
それだのに、今度ばかりは、お母さんの方から、おひるはオムレツにしてあげようかと言っても、ロシヤ菓子を取って来てあげようかと言っても、何か読みたい本はないのときいても、コペル君は、ただもの憂そうな返事をするばかりです。そして、お母さんが、コペル君の気を引き立てようとして、あんまりいろいろ話しかけると、しまいには、
「少し黙っていて……」
と、不機嫌な顔をして寝がえりを打ち、お母さんの方に背中を向けてしまいます。で、お母さんは、心配そうに眉をひそめ、なぜかとたずねたいのを我慢して、そっと立ってゆくのでした。そんなとき、お母さんが軽くホッと溜息をつくのが聞えると、コペル君は、お母さんに背中を向けたまま、ポロポロと涙をこぼしました。
今度のことは、コペル君にとっては、本当に大きな出来事でした。こんなにまで心をゆすぶられたことは、今までにありませんでした。お父さんがなくなったときにも、コペル君は寂しくって、悲しくって、よく泣きましたが、でもあのときには、自分についての悔恨に責められることはありませんでした。悲しみに身をまかせていれば、まだ救われました。しかし、今度は、後悔しても取りかえしがつかない思いに、くりかえし苦しめられるのです。夜中にふと眼がさめて、そのまま眠られないことも、一度や二度ではありません。
──コペル君は、自分の行いや考えをしみじみと思いかえし、しっかりと見つめることを、はじめて知ったのでした。
こういう日が何日かつづきました。
コペル君の心持は、いつの間にか、しんみりとして来ました。
どんなに人前を取りつくろって見ても、自分が友だちを裏切ったという事実は、もう、少しだって変わりません。それは、どこまでもコペル君につきまとって、コペル君の良心をじっと見つめています。コペル君は、もう言訳を考えなくなりました。ただ、自分のしたことが、しみじみと悲しまれて、北見君や水谷君や浦川君に対し、本当に済まなかったという気がして来ました。そして、あの三人に向かって、「僕が悪かった。」と素直にあやまりたい心持が動いて来ました。
でも、ただあやまっただけで、はたして三人は、コペル君を許してくれるでしょうか。コペル君自身が自分の卑怯を認めれば、三人はなおさらコペル君に、愛想をつかしてしまいはしないでしょうか。──それを思うと、コペル君の心はやっぱり迷わずにいられないのでした。
(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」岩波文庫 p222-228)
■━━━━━
3
大人の自殺には、その人のことを自分がよく知っている場合とくに、あのような人がもう生きていることはできない、と考えてのことであれば、仕方がない、と思うことがあります。深い悲しみと、重い残念さは消えないのですが……
そして、まだ生きているうちに、かれが私にこれから自殺するが、理解してくれ、といったとしたら、全力をつくしてそれをとめようとしたはず、とも思うのですが……
大人の自殺と子供の自殺のちがうところは、子供の自殺は、生き残る者たちに決して理解できない、ということです。なぜかといえば、子供にとって、
──取り返しがつかない! ということは絶対にないからです。
私はこう信じています。そういいながら、ムリに信じようとしている、あなたたちに向けて信じたふりをしているのではありません。自然に、私はそのように信じています。それは、私がこれまで永く生きてきて、勉強できることは勉強し、仕事を続けることでも学び、経験と優れた友人たちとに教えられて自分のものにした知恵によるのです。
信じられないほど苦しく辛い状態で生きている子供の前に──世界にそういう子供たちは数多くいます。たとえばアフリカでエイズにかかっている貧しい子供たちのことを思ってください──私が連れてゆかれたとして、その子供が、
──もう取り返しがつかない! といったとします。
私はすっかり取りみだしてしまうかもしれませんが、小さくカスレた声であれ、
──そういうことはない! といいたいと思うのです。
4
しかし実際には、子供にとっても大人と同じように、もう取り返しがつかない、と思うことはあるはずです。私自身、自分の子供の時の、あれこれの出来事を思い出すのです。しかし、私はそのすべての機会に、子供ながら、その取り返しがつかない、という思いを自分で引っくり返して、生き延びてきたのです。そして生き延びてきたことは正しかった、と心から考えています。
子供にとって、もう取り返しがつかない、ということはない。いつも、なんとか取り返すことができる、というのは、人間の世界の「原則」なのです。この原則を、子供自身が尊重しなければなりません。それは子供の誇りの問題です。
私はこれまで幾度か、子供の持っている誇り、ということを書きました。そしてそのたびに、そういうアマイことをいっていていいのか、という反論がとどきました。そうしてみると、それへの私の再反論の根拠は、私が子供だったころの思い出と、障害を持った子供ひとり、健常な子供ふたりを育てた経験があることに過ぎません。
確かに、私の意見は弱いのです。そのことを認めたうえで、私はやはり子供にはしっかりした誇りの感情がある、といい続けるつもりです。若い時には持っていたはずの誇りをなくして、しかもそれでいいんだ、という大人ならいくらも見てきました。しかし、同じように開きなおっている子供には会ったことがありません。
それでは、子供が取り返しのつかないことをすることはないかといえば、現実にあるのです。人間にとって、それが自分の目で見るなにより苦しく辛いことだ、と私は思います。子供が取り返しのつかないことをする、とはどういうことか?
殺人と、自殺です。ほかの人間を殺すまで暴力をふるい、自分を殺すまで暴力をふるうことです。
そして、この二つの恐ろしいことは、ひとつなのです。「暴力」と「人間のいのち」ということを結んでよく考えれば、あなたたちも、殺人と自殺の二つが、ひとつのことだ、と思いあたられるのじゃないでしょうか? このような暴力を子供たちにふるわせない、子供自身もそれをふるわない、と決意することが人間の「原則」だ、と私は信じます。
しかし、いまこの世界では戦争があるじゃないか、戦争をしていない国でも、武器を作り、大量に所有し、輸出までしているじゃないか、と思われる方があるかも知れません。
確かに、原爆、水爆をはじめとする核兵器は、いま生きている人間たちが、これまでの歴史のなかでも最大の「暴力の機械」として、作ってしまったものです。それを減らし、ゆくゆくはなくしてゆこう、という運動は世界じゅうにありますが、まだ成功していません。
国連という組織は、二十一世紀に世界から戦争をなくすための、いちばん確かな希望だ、といわれます。私もそう思います。しかし、そのために国連でもっとも大きい力を持つ国は、総会についで役割をもつ安全保障理事会の、さらに常任理事国の中、仏、露、英、米の五ヶ国ですが、そのどの国も、武器を輸出している国なのです。
それより自分たちの国のことはどうだ、といわれる方もあるでしょう。私たちの国の憲法には、軍隊を持たないと約束してあるのに、新聞やテレヴィで見る自衛隊は、スゴイ軍備をそなえているじゃないか、とも。そのようにいう声は、この国のなかでより、むしろ国の外側から、強く聞こえてきます。日本のすぐそばにあって、かつてこの国の軍隊に攻め込まれた経験のある人たちからは、とくにその声が発せられてきました。
私たち日本の大人は、たいていの人が、憲法と現実の自衛隊のありかたを気にかけています。そして、憲法の約束しているとおりに、やがては軍隊のない国を実現しよう、そのために自衛隊の規模をいまから小さくしてゆこう、とねがっている人たちがいます。逆に、実際にこの国には大きい戦力を持った軍隊があるのだから、それにあわせて憲法を変えよう、という人たちもいます。これは現在のこの国の大人である私たちが、なにより子供のあなたたちの近い未来を考えながら、よく議論して決定してゆかなければならないことです。
あなたたちも考えなければなりません。私は皆さんが、この場合にも、「原則」ということから考えていってくださるよう希望します。それも、まず自分の、そして身近な人たちの問題として、子供がほかの人間を殺す暴力をふるい、自分を殺す暴力をふるうことは、あってはならない、それが「原則」だ、ということから考えていただきたいのです。大人が、なしとげようとしていて、まだなしとげられていないことはあります。それに対して、子供たちが人間らしい誇りを持って、自分は「原則」を守り、そこから考えを進めてゆくかどうかに、世界の明日が明るいかどうかはかかっています。
(大江健三郎著「「自分の木」の下で」朝日新聞社 p172-181)
■━━━━━
──いうまでもなくわれわれは、こういう訓練の不足を当時の活動家の罪に帰しようとは全然おもわない。しかし、運動の経験を利用し、この経験から実践的教訓を引きだすためには、あれこれの欠陥の原因や意義を完全に理解することが必要である。
そこで、一八九五―一八九八年に活動していた社会民主主義者の一部が(おそらくはその大多数さえもが)、「自然発生的」運動が始まったばかりのその当時でも、最も広範な綱領と戦闘的戦術とを提出することが可能であると、まったく正しくも考えていたということを、確認することがきわめて重要になるのである。
大多数の革命家が訓練を欠いていたことはまったくあたりまえな現象であったから、なにも特別の懸念を起こさせるものではありえなかった。
任務が正しく提起されさえすれば、またこの任務の実現を繰りかえし試みるだけの精力がありさえすれば、一時の失敗はなかばの不幸でしかなかった。革命的練達と組織者としての手腕は、おいおいに獲得できるものである。ただ、必要な資質を自分に養いたいという意欲がありさえすればよいのだ! 欠陥を意識されていさえすればよいのだ! 革命の事業では、欠陥を意識することはそれをなかば以上訂正したにひとしいのである。
しかし、この意識がくもりはじめて(ところで、前記のいろいろのグループの活勤家たちの場合には、この意識はまことに生きいきしたものであった)、欠陥を美徳にまつりあげることを辞せず、自分たちの自然発生性への屈従と拝跪を理論的に基礎づけようとさえ試みる人びとが──いや、社会民主主義的機関紙さえが──現われてきたとき、このなかばの不幸はほんとうの不幸になった。
この傾向の内容は、「経済主義」という概念ではそれを表現するのに狭すぎて、きわめて不正確にしか特徴づけられないのだがいまやこの傾向に決算をあたえるべきときがきでいるのである。
(「レーニン 労働組合 -理論と運動- 上」大月書店 p76-77)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎間違いを乗り越えていく姿勢……否定の否定。