学習通信040508
◎仕事について……。

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 正しい仕事に就て語る前に正しくない仕事に就て語りたい。
 しかし今の時代では善良な人、同情すべき人が多く正しくない仕事をすることを強いられている。だから正しくない仕事をしているからといってその人を軽蔑するのはよくない、殊に非難するのはよくない。それは偽善者であり、パリサイ人であり、樗(ちょ=やくにたたないたとえ)牛によって非難された道学者であり、それ以上、無反省な、思いやりのない、自分の欠点を知らずに他人の欠点に目のつく人間である。あまり感心出来ない。

 姦婦を最もののしる当人が姦婦だったり、道楽者だったりすることは世間にいくらでもある。虚栄心の強いものが他人の虚栄心を悪口し、怠け者が他人の怠けるのを非難することは日常のことである。

 しかし其処(そこ)も面白いところだとも言える。お互に許しあいすぎたら、社会の制裁というものは行われない。自分のことを顧みず、他人の欠点に気がつくので、お互に制裁しあうということも、存外役に立つ場合があるが、しかし自分のことは棚に上げて、他人のことを非難するのはみっともないことはたしかで、その人の無恥と、無良心を示すものである。ほめたことではない。

 どんな場合でも思いやりのないことは、よくないことである。だから正しくない職業をしている人にも同情すべき点をよく知り、軽蔑はしない方が賢い。しかし正しくない仕事が公然と行われていることは、その社会がまだ健全でないことを意味しているのだから、その点を恥じるべきである。つまり、自分も一員である社会が健全でなく、自分の根性が健全でないことを顧みて反省すべきである。

しかしそれもあまりくよくよはしないがいい。どうせ人間は何処かに欠点や、醜点を持っているのだから、それはそれで謹(つつし)むことを知り、恥を知って、厚顔にならない程度にそっとしておき、そして大事な方に力を尽せば、それでいいので、自分の欠点や、醜点を誇張するのは反(かえ)って病的良心であって、健全な良心とは言えない。しかし自分の欠点や、醜いところを知らないのはいけない。反省がなくなるのはよくないが、それも程度である。

 自分の仕事を少しずつ不正から遠ざけることを絶えず心がけるのは大事なことでもあり、いいことでもある。しかしどんな人だって、正しいことばかりはしていないのだから、生活の為、愛する者の為に、より悪い生活に入らない為に、よくない仕事でもやむを得ずやるのなら、小さくなってやる必要はない。どんな仕事でも、人情の美しさは生きる。しかし用心しないと、正しくない仕事は、人間の心を段々正しくない方に感化する力を持つものだ。

 それなら正しくない仕事とはどういう仕事か。

 それは第一に、自分と他人の健康を害する仕事だ。
 第二に、自分の性質を下等にする仕事だ。つまり、元気がなくなったり、自尊心を傷つけたり、嘘をついたり、媚びたりしなければならない仕事だ。自分を卑屈にする仕事や、自暴自棄にする仕事だ。

 第三は、他人の性質を下等にする仕事だ。他人を怠けものにしたり、真面目な仕事をするのを馬鹿気(ばかげ)た気持にさせたり、他人の心を卑屈にさせたりする仕事だ。又無意味に他人の時間を占領するのもいいことではない。つまり他人をいじけた人間にしたり、下等な人間にしたりする仕事だ。

 一々どういう仕事がわるいとは言わない。正しい仕事は人々に生きる喜びと勇気を与えるはずだ。人間はそうつくられている。しかし正しくない仕事は人間を段々堕落させ、病的にさせ、生きる勇気をしなびさす。

 他人に快楽を一時的に与えても、それはその人の健康に害があったり、真面目に働く気を消耗させる仕事では面白くない。
 自分の人格をさげる仕事、他人の人格をさげる仕事がよくないのだ。


 正しい仕事はつまり、自分の健康をそこねない。そして他人に迷惑を与えない。出来たら他人に喜びを与える。又他人の生活に役立つ仕事でなければならない。

 人間はこの世に一人で生きていられるものではない。だから人間は協力するようにつくられている。受けつ与えつ、与えつ受けつが、人間相互の関係だ。与えるばかりが人間の能力ではない。個人の力は弱すぎるのだ。与える力は少ない。しかしその少ない力を他人の為に働かすので、又他人の力を受け入れることが出来るのだ。又他人の力を受け入れるので、自分の力を与え得るのだ。

 だから他人を害して自分だけよければいいではすまされない。他人に利を与えることで自分も利を得なければならない。他人を損させなければ自分は得しないという時代は去るべきである。他人が得すれば自分も得し、自分が得すれば他人も得する時代が来るべきである。共に社会の為に働き、国家の為に働き、又人類の為に働く、それで始めて世界の平和が来るのだ。

 損させられて喜ぶものはない。不正な犠牲を払わされて喜ぶものはない。
 他人の生命に役立つことで、その人に喜ばれるのだ。お互に喜ぶにはお互に喜ぶようにしなければならない。

 正しい仕事であれば、皆が喜ぶべきである。皆の食物をつくる、それを又人々にくばる。皆の住宅をつくる。皆の喜びになる本をつくる。皆の病気をなおす為に働く、皆の便利の為に働く、皆の健康の為を計る。少なくもそういう仕事を手つだう。

 直接、間接でもいい何か人間の為に役に立つ仕事を、自分で考え出せれば考え出し、自分で考え出さないでもいい仕事なら手つだう。それは美しいことだ。

 正しい仕事は何等かの意味で、人間の生命に奉仕する仕事だ。金もうけでなくとも、いい子供をつくる仕事も勿論立派な仕事だ。

 立派な仕事は人生に役立つ仕事をすることだ。
 どういう仕事が人生に害があり、どういう仕事が人生に役にたつか、そのことに就ては段々かきたいと思っている。

 ここではただ正しき仕事は自他の生命を傷つけず、自他の人格を傷つけない、共存、共栄の本道をゆく仕事を言うのだとしておく。
(武者小路実篤著「人生論・愛について」新潮文庫 p44-48)

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まえがき

 「自分が何をやりたいのか分らない」──ある私立大学では、履修(りしゅう)科目を選択する新学期と就職を考える時期に、そんな悩みを持つ学生が次々に相談室のドアを叩く。

 四年制の大学を出ても、進路を決めかねている人も増えている。一九八五年まではハ割前後だった大学生の就職率が、平成の時代になって急降下。二〇〇三年の文部科学省・学校基本調査速報によれば、五五%まで落ち込んだ。就職しない人の中には、資格試験を目指したり、大学院などへの進学をする者もいる。だがそれも、学問を探究するより、社会に出るまでもう二年間の猶予期間が欲しくて大学院に進学したり、やりたいこと探しのために海外に語学留学するケースが増えている、と聞く。

 厚生労働省の調査でも、一九八二(昭和五十七)年には五十万人だったフリーターが、二〇〇〇(平成十二)年には百九十三万人にまで増加した。長い不況による就職難も一因だが、自分の人生の方向性を決めあぐねて、正規の就職に踏み切れない人も多いようだ。

 ただ、よく思い出してみれば、私自身が高校・大学生の頃も、「自分のやりたいこと」がはっきりしていたわけではなかった。周囲の友達も、ほとんどが同じような状態だった。それでも、学校を離れれば仕事に就くのが当たり前という空気に押されるように、大半が卒業までに行き先を決めていた。

 当時に比べて今は、そういう空気が緩やかだ。それに、不況とはいえ、世界の国々を見ればまだまだ日本は裕福だ。将来の不安に目をつぶれば、アルバイトやパートで当面は不自由しない。治安の悪化は気になるが、それでも今日ある命が、明日もあさっても続くことが当たり前に思える、それなりに平和な社会ではある。

この今を生きる若者にとって、単に「生きる」ことは目標でも何でもない。「よりよく生きる」にはどうしたらいいかが、大事なテーマになっているのではないか。

 しかも、絶対安泰と思われていた企業が次々に傾き、倒産や合併のニュースが頻繁に伝えられた。寄りかかりたくても、どれが「大樹」なのか分りにくい。そんな混迷の社会にあって、「よりよく生きる」ことを目指すなら、一人ひとりが自分で自分の人生を切りひらいていくしかない。

 だが、それが難しい。特別な才能と意欲に恵まれた幸運な人はともかく、なかなか「これだ!」という道は見つからない。そうこうするうちに時間だけが流れ、ずるずるとフリーター暮らしをすることになったり、「やりたいこと」や「人生の意味」を模索しているうちに袋小路に迷い込み、自分の心や人生を教祖や組織に預けてしまう不運な人もいる。

かのオウム真理数の場合、「人類救済」などと大それた活動目標を掲げ、若者の使命感を刺激した。「生きがい探し」をする若者にとっては、教団が提供した「人を救う」という目標は魅力的に映っただろうし、この団体の中に自分の生きる意味を見つけたように錯覚した人も少なくなかったようだ。

 そういう面ばかりを見ていると、日本の社会そのものが出口のない迷路にはまり込んでいるような気がしてくる。

 しかしその一方で、あれこれ紆余曲折はあったにせよ、自分なりの道を見つけている若者たちもたくさんいるはずだ。福祉の仕事を目指す人も増えていると聞くし、何らかの形で「人助け」をしたいと思う人々に応える生き方はいろいろあるに違いない。

 何も仕事だけが人生ではないし、単に生活の糧を得るためと割り切る考え方もある。それでも、どういう仕事に就くかによって、人の生き方は大きく変わる。「人を助ける仕事」に就いている若い世代に会って、それまでの人生や生きがいについて聞いてみたい、と思った。

 『週刊文春』の木俣正則編集長が、私の思いを実現する場を提供して下さり、二〇〇一年夏に連載が始まった。当初は、半年で終わるつもりでいた。ところが、私が予想していたよりはるかに様々な「人を助ける仕事」があった。そこで働く二十代三十代の彼らは、「人類救済」などと思い上がったキャッチコピーを掲げることはなく、派手な言動でメディアにもてはやされるわけでもなく、地道に自分の役割を果たしながら、地に足をつけて生きていた。

その姿はすごく魅力的で、存在感に満ちていた。そのうえ、ごく普通の市井の人でもある彼らの一人ひとりが、それぞれのドラマを持っていた。話を聞いていると、彼らのエネルギーを分けてもらったようで、私自身が元気になった。読者の声にも励まされたこともあって、連載は二〇〇三年暮れまで、一年半続いた。

 この本を手にとって下さった一人ひとりが、彼らの生き方の中から、何らかの刺激や励ましや慰めや、この世の中を「よりよく生きる」ための知恵と力を受け取ってくれたらいいなと願いながら、この一冊を送り出したい。
(江川紹子著「人を助ける仕事」小学館文庫 p3-6)

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◎「正しい仕事は何等かの意味で、人間の生命に奉仕する仕事だ」……あなたはどう思いますか。