学習通信040523
◎資本主義のはじまり……

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資本主義体制の確立

 産業革命以前は,資本主義とはいっても,手工業にもとづく生産であり,規模も小さく,農家の家内工業やギルド制手工業が残存していた。ところが産業革命によって大規模な機械制工場が出現し,大量生産によって安い商品を供給するようになると,従来の家内工業や手工業は急速に没落していった。その結果,大工場を経営する資本家(産業資本家)が経済の大勢を左右するようになり,資本主義体制がここに確立した。

 資本主義工業による大量生産は,人間の生活感情や価値観を変化させ,また経済構造の変化による人口の都市集中をもたらし,たとえば,マンチェスター・バーミンガムのような大工業都心や,リヴァプールのような大商業都市が発展した。

 また工場に集中した労働者は団結の機会をえて,労働者階級としての意識にめざめてきた。しかも分業の発展によって,女性や子供も工場や鉱山で働けるようになったが,当時の資本家は利潤の追求のみを考えて労働者の生活をかえりみず,不衛生な生活環境のもとで,低賃金と長時間労働を強制した。そこで労働者と資本家の関係は悪化し,労働問題・社会問題が発生して論議をよぶようになった。
(「詳細 世界史」山川出版社 p220)

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 このころには、しかし、資本主義的生産様式は、またそれとともに、ブルジョアジーとプロレタリアートとの対立は、まだ非常に未発展であった。

大工業は、イギリスではやっと生まれたばかりであり、フランスではまだ知られていなかった。

しかし、この大工業こそはじめて、一方では、生産様式の変革をぜひとも必要なこととさせるもろもろの衝突──大工業の手で生み出された諸階級の衝突だけでなく、また大工業の手でつくりだされた生産カと交換形態そのものとの衝突──を発展させ、他方では、まさにこの巨大な生産カというかたちで、こうした衝突を解決する手段をも発展させるのである。

こうして、一八〇〇年ごろには、新しい社会制度に起因する諸衝突はようやく生まれたばかりであったが、それを解決する手段ときてはなおさらそうであった。

パリの無産大衆は、恐怖政治時代のあいだにひとときは支配権を獲得できたとはいえ、そのことによってただ、この支配が当時の事情のもとではどうにも不可能であることを証明したにすぎない。

この無産大衆から一つの新しい階級の根幹としてようやく分離しかけていたばかりのプロレタリアートは、自立した政治行動を行なう能カをまだまったくもっていなくて、抑圧され苦しんでいる身分──自助の能カがないのだから、せいぜい外から上から援助の手をさしのべてやることしかできない、そういう身分──であることが明らかになった。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p123)

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◎資本主義の初期には労働者は「自立した政治行動を行なう能カをまだまったくもっていなくて、抑圧され苦しんでいる身分」と。