学習通信040531
◎資本論を読もう……。

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 知らない人はどこまでも知らない
 たとえば、私の「セーターの本」には、「毛糸なるものをどこで買うのか」ということを教える一項がある。毛糸というものは、毛糸屋で買う。毛糸屋がなかったら、それは手芸用品店というところで買う。そういうコーナーのあるデパートで買う。そんなものは、編み物をする人間にとっては常識である。

「編み物のやり方」を知らなくても、それくらいのことは知っている──だからこそ「常識」なのである。それを「知らない」と言ったら、「そんなことも知らないのか?」と、びっくりされてしまう。そこでびっくりするのが専門家なのだが、しかし、知らない人間はどこまでも知らない。だからこそ、「知らない人間」なのである。

 「知らない人間」というものは、いたって厄介である。「知らない人間」を相手にする時は、「相手がどこまで知らないでいるか」を把握しなければならない。でなければ、ただのスレ違いである。ところがしかし、「知っている人間」は、時としてそこまで頭が回らないのだ。

 自分は「もう知っている」のだから、それは「常識」なのである。自分も含めて、それを知っている人間達はみんな知っている──だからこそ「常識」なのだと思う。しかし、「知らない人間」は、それをこれから知っていくのである。つまり、まだ知らない。それは、そういうものだから仕方がないのである。

 ところがしかし、教える人間には見栄がある。「自分は人にものを教える立場だ」と思ってしまえば、おのずと見栄が生まれる。「自分は知らない人間≠ナはなく、知っている人間≠セ」と思えば、「知らない人間」を見くだす風が生まれる。「いくら知らないといっても、そこまで知らないのか?」と思うと、そんな最底辺のところまで降りて行くのが恥ずかしくなる。

 生徒の前で、「そこまで知らないでいる自分」を実演してみせるのは、恥ずかしいことであり、それをすることは、今まで自分が築いてきたキャリアを否定するような、とんでもない屈辱になってしまうのである。「教える側」と「教えられる側」のギャップは、そんな微妙なところから開いて行く。

 先生は優等生しか好きじゃない?
 結局、先生というものは、優等生が好きなのである。生徒という無知蒙昧の徒輩(やから)に囲まれて、これを教える教師だって、孤独なのである。相手の反応がなかったら、「自分の教えることには意味がないのだろうか?」と不安になる。生徒というものに向かい合わされた教師は孤立無援で、呑み込みのいい優等生は、そんな教師にとって最大の味方なのである。

 自分が教えることをさっさと呑み込んでくれる生徒がいれば、教師の持つノウハウも、教師としての立場も揺るがない。「生徒の出来がよければ先生も嬉しい」というのは、べつに生徒のためを思ってのことばかりではなく、「出来のいい生徒ばかりだったら教える先生も楽だ」という事実があるからである。ただ、「私について来なさい」と言えばすむ。言われて、ついて行くことができるのが「優秀な生徒」、ついて行けないのが「だめな生徒」である。

 ところでしかし、ここには微妙な誤差がある。人によって、あるいは教える場所によって、この区別が違ってしまうからである。「ついて行くことができるのは普通の生徒=Aついて行けないのはだめな生徒≠ニいう区分だって、あるところにはあるのである。

 教える側が、「レベルの高いことを教えている」と思えば、そこについて行ける生徒は「優秀な生徒」である。教える側が、「たいしてレベルの高いことを教えていない」と思えば、そこについて行ける生徒は「普通の生徒」である。むずかしいか、むずかしくないかは、「教える側」が決める。「教えられる側」は、その教える相手の基準によって、「優秀」か「出来が悪い」かを決められてしまう。

 ところがしかし、これはよく考えればへんである。「むずかしいか、むずかしくないか」の基準は、「教える側」が決めるものではなく、「教えられる側」が決めるはずのものだからである。決めるまでもない。教えられる生徒が「むずかしい」と思ってしまったら、その教えられる内容は、教師がどう思おうと、「むずかしい」のだ。

 教えられる側の論理
 しかし教師は言う−「私について来なさい」と。教師の言う「私について来なさい」は「私のいるところまで上がって来なさい」である。「教師が生徒のいるところまで降りて行く」ではない。「私のいるところはたいした高みではないのだから、さっさと上がって来なさい」である。

しかし、それを「たいした高みではない」と思えるのは、とうの昔にそこへ上がってそこに慣れ、「たいした高みではないな」と思っていられる教師だけなのである。なんにも知らず、その高みを下から見上げているだけの生徒にとって、その高さが「たいした高みではない」のかどうかは、またべつなのである。

 そしてまた、仮にそれが「たいした高み」ではないにしろ、初心者に対してそれを言ってしまうのは、あまりいいことではない。そこへ上がらせるためには、「自力でよじ登る」ということを、相手にマスターさせなければならない。まだなんにも知らない人間が「たいしたもんじゃねーや」と思ってなめてかかるのを、たしなめるくらいのつもりがなかったら、教育は教育にならないのである。

一つのことができるようになって、その次に来るステップが「既に経験したことの展開」であるような場合にだけ、「たいした高みじゃないから上がって来なさい」は言えるのである。

 人間の理解というものは順を追って起こるもので、「教えられる側」には「教えられる側なりの筋道」がある。教える側は、それを把握しなければならない。でなければ、教えられる側に、「わかった」という理解は訪れない。「わかるでしょ? わかるでしょ?」といくら念を押されても、わからない者にはわからない。「なにをどうわかればいいのか」がわからない以上、「わかるでしょ? わかるでしょ?」の念押しは、なんの意味も持たないからである。

ただ、「ここでわからない≠ニ言ったらバカ≠フレッテルを貼られるだけだな」と理解した生徒が、教師の歓心を買うために無意味な「はい」を言う。言うだけで、その実はなんにもわかっていない。それが、「なんにも知らない人間」の真実なのである。

 だから仕方がない、私の「セーターの本」は、そのバカバカしいくらいの「なんにも知らない」を、スタート地点として設定する。それ以外のスタート地点はありえない。業界外の私にとって、それはべつに「恥ずかしいこと」でもなんでもないことだが、「かくあるべきものはかくあるべきもの」という原則が既に確立されている業界内の専門家にとって、それは考えるだに恐ろしい「不可解」なのである。

 人は「わかりやすさ」をバカにする
 私の書くものは、時としてくどい。もしかしたら、「いつもくどい」かもしれない。どうしてそうなるのかと言えば、書き手である私が、いつもいつも「なんにも知らない、なんにもわかっていない」というところからスタートするからである。

 書き手である自分がなんにもわかっていない。私にとって、「本を書く」ということは、自分が率先して「一番のバカ」になることであり、その「バカな自分」を納得させることなのである。私はそういう人間だからそれでいいのだが、しかし、世の中の人間すべてが私と同じような人間ではない。「自分はそんなにバカではない、ある程度以上のことはもう知っている」と思う人だって多い。

もしかしたら、そういう人間の数の方が多いかもしれない。「知っている」と「知らない」とを比べたら、「知っている」の方が体裁はいい。「知らない」がバレない限り、その体裁のよさは崩れない。である以上、世の中には、「自分はもうある程度以上のことを知っている」と思う人間の方が多いのである。

 「知っている」で通っている人間は、いまさら「知らない」を認めたくなんかない。だから、「自分はそんなにバカではない、ある程度以上のことはもう知っている」と思う人間にとって、私の書くものは「くどく」、時には不愉快なのである。なぜか?

 「ここまで説明しなければわかる≠ヘ訪れない」と私が思う「ここ」とは、「あまりにもなんにも知らないバカ」の立つ地平なのである。「自分はもうちょっとマシなものだ」と思っている人にとって、それは腹立たしいほどの屈辱になるだろう。なぜならば私は、自分の本の読者に対して、「お前はバカだ」と言っているからである。

 だから私は、読者からちょくちょく「くどい」と怒られていた。しかもそのほとんどは、どういうわけか女性である。きっと、女の方が勉強好きで見栄っ張りなのだろう。それに対して男は、「くどい」と思ったらその瞬間にさっさと放り投げてしまう──だから、怒る必要もないということだろう。

 そしてしかし、「くどい」と怒られて、私はキョトンとする。「私は頭の悪い人≠読者として想定しているのに、なんでそんなに頭のいい人がわざわざ俺の本なんか読むのだろう?」と思うからである。べつに皮肉でもなんでもない。小学生には「小学生のための本」が必要で、大人がそれを読んで「自分向きじゃない」と言うのは、単なる理不尽だということである。

 なんでもさっさとわかりたがる人は、「わかっていない自分」に直面したくない人なのである。「あまりここに長居をしているとわかっていない自分≠ノ直面することになるから、そうなる前に、さっさとわかってここからおさらばしよう」と思う人にとって、私の本は不向きなのだ。

 「わからない」とは、たとえば、「人に小学生になる必要≠教える事態」である。それを「いやだ」と言う人はいくらでもある。「自分の積み上げて来たものをわざわざ解体する必要なんかない」と思う人達はいくらでもいる。そんな人達にとって、「過度のわかりやすさ」などというものは、不必要で不愉快で拒絶したいだけのものなのである。
(橋本治著「「わからない」という方法」集英社新書 p88-95)

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『資本論』は必ずわかるということ

 このへんで『資本論』はとにかくむつかしい本だとうけとられ、いわれつづけ、敬遠されることすらあるということになっているという問題を、とりあげておくことにします。

 『資本論」の序文でのべられているように、資本の世界をつかむためには、一貫して抽象力を求められるということですので、それに馴れていないということと結びついて、場合によってはどこまでいっても、あるいは何遍よんでもむつかしく思えるところがあるということになるようです。すべての人がそうなるのではありませんが。

しかもこの大作は、人々を吸引してやまないような表題と内容をもっていながら、意気ごんでこれにとりかかるものに、そのとりかかりのところ、入口のところ、さいしょのところで、そこから先へすすむ折角の意欲を「たたきつぶす」かのような、マルクス自身が「難解」といったようなむつかしさをもっています。

念のために、序言(初版への)の最初のところ、テキストの七〜八ページをよんでみて下さい。著者自身が、第一章の商品の分析のところを理解するのは、もっとも困難だといっています。三一ページにある「フランス語版への序言」のところでも、「経済的諸問題にはまだ適用されたことのない分析の方法は、はじめの諸章を読むことをかなり困難にしています」とものべています。

よく考えてみると『資本論』のむつかしさということも、ところによってちがった意味をもっているようなのですが。

 わたしたちは、すでにのべたことですが、ここでむつかしいとか困難だとかということは、むつかしいとか困難だとかということであって、わからないということではない、それとはちがうということを強調したいのです。わからないわけがありません。なぜでしょうか。

 わたしたちの日常である商品と貨幣の世界、そして資本の世界が、とりあつかわれているからです。その世界のどの部分をどれだけのくわしさで知っているかどうかということになると、人によってさまざまですが──これは『資本論』を集団で学習したり討論したりすると、すぐにわかることですが、──なに一つ知らないという人はいるわけがありません。

 わたしのお師匠さんの一人は、民間の労働者の子弟に生まれてくるか、それとも公務員の子弟として生まれてくるか、あるいは手工業者や商人の家庭に生まれてくるかによつて、『資本論』の学習が有利であったり、不利であったりするものだと言ったことがあります。これもやってみるとすぐわかることです。

 『資本論』では当時のこととして紡績や織布の部門が典型部門としてとりあげられていますが、わたしの属している一つのサークルには、この部門で生育してきた人がいて、とても助かっているということがあります。

 そういうことはあるわけです。しかしとにかくマルクスがもっともむつかしいといった商品のところをよんでいくとしても、すべての人々のまえにある商品と貨幣があつかわれているわけですから、わからないということにはなりません。

 むしろ、毎日のことだからわかりきったことのように思われていたことが(マルクスは商品は一見すれば自明で平凡なものだと、第一章第四節の冒頭でいっています)、本質的なことはなに一つわかっていなかったということが、はっきりしてきて、それが基礎になって、そこから先の世界が、つまり商品を生産している現場での資本の姿がすけたようにみえはじめてくるということになってきます。

 まして『資本論』は、商品と貨幣のところをくぐると、そこから先は正味、資本の世界です。

依然として第一章をよむときにおぼえるむつかしさとはことなる、また一つ別の独特のむつかしさを、感じさせるということは、さいごまでつきまとうということが、場合によってはあるようですが、そういうことはまたのちにのりこえていくことにして、すでにのべたように、わかるところだけをさがすというぐらいにして、どんどんすすんでいけば、あるいは「めくって」いけば、それこそここはすばらしいと思えるところにラインをひきながらということですすむとなると、ところによってはラインだらけということになるところがいくつもでてくるということになります。

 マルクスが「価値形態にかんする部分を別とすれば、本書を難解だといって非難することはできないであろう」(八ページ)といっているのは、ある意味ではそのとおりだなと、くりかえしよんでいくうちには、思えてくるでしょう。

講座だとかゼミナールとかに通ってくる人たちは「なんと目の前のことが書かれてあることよ」とまで言っています。

『資本論』を手のうちにしていると人々に思わせていたわたしのお師匠さんの一人が、六〇才に達したときに、これからいよいよ『資本論』のジャングルに入っていくのだと、たのしそうに言って、わたしたちをさそったのをおぼえていますが、そういうことはまた、もっと別のことなのでしょうか。

くりかえせば理解は深まるということ
 それではとりあえず一回は、とにかく集中的なとりくみでさいごまで、あともどりをしない。ということを基本にして、よみきってしまうということからすすんで、『資本論』の中味の理解、把握という問題に入っていくことにしましょう。

 ここでもっとも大事なことは、くりかえしということです。もともと人間の認識というものは、一つのことを一回ながめるだけでは本当のことはつかめないということを、本質的なこととしてもっています。ものごとの本質を一度にすべてつかみきってしまうというようなことは土台無理なこと、不可能なことです。

 なにもわたしはむつかしいことをいっているわけではないと思います。この冊子をよんでおられる人たち自身、「先刻御承知」のことです。

 たとえばわたしたちがかつてよんできた古典の一つをとりだしてみて下さい。『賃労働と資本』でも『賃金、価格、利潤』でも、なんでもいいでしょう。そういうのをよんだことがないのだがということでしたら、昔によんだ本をなんでもいいですから、だしてみて下さい。そしてなつかしさをおぼえながらになるでしょうが、もう一度ゆっくりとよみかえしてみて下さい。そこで一体どんなことを感じるでしょうか。

 なによりもまず、以前によんだときに学んでいたこととは比べものにならないほどに、数多くのことを学ぶことができるのに、おどろくことでしょう。この本にはこんなすばらしいことが書いてあったのか、知らなかった、理解できていなかった、よみとれなかったことが一杯ある、自分は浅はかだった、この本はこんなにもすごい本だったのか、いやーおどろいた──きっとこういうことになる筈です。

 すじを引いてあるところとはちがうところに、大切なことが書いてあるではないか、なにをよんでいたのだろう、中心点をはずしてよんでいたではないかということになることが少なくないでしょう。

 場合によってはここにはこう書いてあると理解していたのとは逆のことが書いてあって、自分がさかさまに理解していた、認識していたことに気づいて、青くなることさえあるのではないでしょうか。

 しかし、こういうことはだれにでもあることであって、恥ずかしく思うとか、自分がいやになるというようなふうに考えることは、全く妥当ではありません。むしろ逆です。そういうふうに思える度合が大きければ大きいほど、その人はその間に大きく成長してきたことになるわけです。

理解力をつよめてきていることになります。見識をたかめてきたことになるわけです。むしろ自分の成長、発達に自信をもっていいのではないでしょうか。
 人間の認識とは、もともとそういうものではないでしょうか。
(吉井清文著「どうやって『資本論』をよんでいくか」清風堂書店 p62-68)

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大切なことは〈持続〉だ

 人生には転機というものがある。サラリーマンの世界では、その典型的なものが転職であろう。

 私は、松下の成長とともに成長し、のちに三洋電機の創設にくわわり、今日にいたっている。この転職は、実は、松下幸之助氏と井植歳男氏(故人・三洋電機創業者)それぞれから懇請されたものであったが、いま思い返しても冷やっとする、もう一つの隠れた転機が私にはある。それは発展に発展をかさねた松下電器製作所に、松下電熱、松下無線など九分社が設置された昭和十年十二月のことだ。松下史上に光る輝かしき日である。

 そして、私の人生においてもっとも苦しんだ日でもある。
 そのとき、松下の社員総数は、五〇〇〇人弱、従業員五〇余名の町工場から、私はその発展とともに歩んできた。そして、その日、新生松下の重役が発表されるのであった。

 私は青年時代は、松下を軸として回転してきた。一職工から正社員への破格の抜擢、他の社員より桁違いに多い賞与をもらった思い出、若くして工場長に抜擢された感激、二度も部下に総スカンを食って配置換えになり、松下幸之助氏から大目玉をもらったことなど……苦しくとも満ち足りた生活。自他ともに許す仕事好きの私。

 私は、当然、重役になれるものと信じこんで、幹部会の席にいた。しかし、私の名前はついに呼ばれなかったのである。参会した全幹部のなかで、私と営業担当の幹部の二人は、ついに重役になれなかったのだ。興奮と拍手の渦巻く会場で、二人だけが取り残された。重役昇進者のほとんどが、私の同輩か後輩であった。完全に追いぬかれたのだ。

口惜しさ、屈辱……私は我を忘れた。どこをどう通って家に帰ったのか、それすら記憶にない。(これは、オマエなんかやめてしまえということではないか。あんまりやないか。身を挺して懸命に働いてきたのに、オレはもう終わりやろうか)

 その夜、てん転として一睡もできなかった。翌日は会社に出るのが辛かった。行こうか休もうか。いや、出るだけは出なあかん。私は勇気を出した。いつも通りに出社した。

 席につくと、井植歳男氏から電話。いっしょにメシでも食おうやないか。井植さんから、かしわの水たきをご馳走になった。

人生、重役になるだけが能やないわい。人間、自分の土の上で咲くことが大事や。やめたらあかんでエ。人生は持続や。

 ──この一言で一時の腹立ちが消えた。あのとき、ズルズルと退社していたら、私は不平不満のカタマリ人間になっていたろう。そして、今日の私もなかったはずだ。
(後藤清一著「こけたら立ちなはれ」PHP文庫 p30-32)

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◎これだと思ったら、続けることが力にかわる……。

あぁでもない〜 こうでもない〜 の時こそ力試しの瞬間……とわ云え歴史はまってくれない。