学習通信040607
◎「自分を守る法律をどうして知らないのか……」と。

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 働くのはしんどいし、めんどくさい。でも、時々は楽しいし、面白いこともある。働くことにはいろいろな顔があり、さまざまな意味がある。働いて収入を得ることで、毎日食べていける。働くことを通じて、自分がこの社会に生きていて誰かの役に立っていたり、誰かと確かにつながっていることを実感する。難しい仕事をやり遂げたときには、他では得がたい生の充実感が感じられる。がんばって働いた後のビールは、いつもより少しおいしい。

もちろん、どんな仕事にも意義を感じられるわけではないし、お金のためと割り切って働いている人や、不本意な仕事にうんざりしている人もいるだろう。それでも、多くの人はなんらかのやりがいを仕事に見つけようとするし、これが生きがいだと思えるような仕事に巡り合えたなら、とても幸せなことだろう。

 私は大学卒業後メーカーに就職し、約八年間サラリーーマンをやっていた。担当していた主な仕事は社内報の編集である。毎月、いろいろな人が語る「仕事の話」を原稿に書きおこした。延べにすれば数百人になるだろう。新製品開発の裏話、生産システム変更の経緯、店頭セールの成功談等々、どの人のどの話にもその人なりの仕事に対する思い入れがあり、仕事観があった。

繁忙時に複数の客に手がまわりきらず、一人の客を満足させてあげられなかったと、涙ながらに語る店頭販売員がいた。中国の生産工場で働く駐在員は、不安定な材料供給のもとでの日々の生産がいかに大変かを聞かせてくれた。「いつ、どの素材が入ってくるかわからないから、入ってきた素材を見て生産を考えている。まるでスシ屋の心境ですよ。今日はいいヒラメが入ったから、これでいこうって」。やれやれ、という感じで苦労話を語りながらも、その表情に浮かぶのは、困難な状況の中で悪戦苦闘する自分へのささやかな誇りのようなものである。

社内報というメディアの特性は割り引いて考える必要があるだろう。そうだとしても、働く者たちの多くは、自分の仕事についてなにかしら語るものを持っているし、それについて語りたいという気持ちを持っている。そして語られたその仕事には、なんらかの輝きが与えられている。

 このようなサラリーマン経験を通じて考えるようになったのが、私たちを一所懸命働かせる原動力は何だろうかということだった。会社で働いていると、ついついがんばってしまう。上司から命じられてもいないのに、気がつくと家で持ち帰りの仕事をしているし、休みの日でも仕事の企画を考えるともなく考えている。

なぜ私は、そして周りの上司や先輩、同僚たちはこんなにがんばって働く(働ける)のか、考えてみようという気持ちになった。ちょうど一九八〇年代の後半、過労死問題が広く報じられ、日本人の長時間労働が諸外国からの非難を浴びていた頃である。確かに、ひどく困難でつらい仕事は時に人の身体や心を蝕んでいく。

しかし、自分にとってある程度チャレンジングで手応えのある仕事でなければ、がんばってやってみようという意欲も起こらない。やりがいのある仕事だからこそがんばってしまう、働くことにはそんな側面があるのではないだろうか。
(桜井純理著「何がサラリーマンを駆りたてるのか」学文社 p3-4)

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法律に無知な若者たち

 フランスには「もし若者が知っていたら! もし老人が行なえたら! 」という諺があるそうだ。行動力あふれる若者に知恵があれば素晴らしいのに……という意味らしいが、メール相談から窺われるのは、労働法についての基礎的な知識を欠いた、惨憺たる状況である。

 「ニヵ月ほど前にバイトを始めました。契約は結んでいません。でも、そのときに聞いた説明と実際が違っていて……」と始まる相談もある。それに対しては、「働くことについて合意したのだから、君の場合も労働契約を結んだことになる」といった初歩から説明を始めなければならない。

 「解雇予告手当て」のことは聞きかじっていても、「合理的な理由がなければ解雇されない」という肝心なことはほとんどの若者が知らない。したがって、予告手当てについての相談に対しては、その前にまず解雇された事情を訊ね、そこで勤め続ける気はないのか、撤回を求める気はないのか、ということを訊ね、その気はないことを確かめた上で、予告手当ての説明に移る。

 「客が来ないので店の片隅で待機している手待ち時間は労働時間に含まれる」といった程度のことは知っているようだが、時間外労働に対する手当ての割増率が二五%であることを知っている若者は案外少ない。学生を対象に行なったアンケート調査によると、それを知っている学生はわずか一九%に過ぎない(元生亜矢「アルバイト学生の実態と法律知識」龍谷学生論集三一巻)。

 居酒屋のバイトなどは閉店時間になっても飲み続ける客がいたり、後片付けがあって、「終業時刻」と聞かされた時間で終わることはまずないらしい。若者たちも「それに何も見返りがないのは何かおかしい」とは感じるようだ。

 だが、客への対応という店の都合で仕事を終わる時間が伸びたのは、一々、店長が指示してはいなくても「残業」にあたるとか、制服への着替えなど、本来の業務に必要不可欠な準備とか後始末に必要な時間も「労働」と見なされ、それに対する手当てを請求できることまでは知らない。

 そこで後始末の作業の内容を確かめてから、時間外手当てを請求できる範囲・割増率について解説する。時には、「これまでもらい損ねていた分を請求したら、『とりあえず……』といって二万円くれました」といった報告とお礼のメールが入り、相談にのった甲斐があったな、と思うこともある。

 自分を守る法律をどうして知らないのか。それは、法律を学ぶ機会がないということだろう。

 高卒後すぐに働き始める若者も、労働基準法をはじめ男女雇用機会均等法とか労災保険法などはぜひ学んでおいてほしいのだが、高校の社会科(政治・経済)の教科書を見ても、せいぜい、「労働三法がありまして、それは労働組合法、労働関係調整法、労働基準法です……」といった程度のことしか書かれていない。

 社会に出てからも、学ぶ機会は多くはない。手近で思いつくのは新聞などから知識を得ることだが、時々載る労働問題に関連する記事が、労働法に関して正確だとは限らない。

 経営者が悪質で逮捕されたケースで、警察の発表を鵜呑みにして書いたようなものもある。警察官自体が不勉強で、しかもそれを書いている記者も労働法に精通していないためのようだ。

 周りで働いている先輩労働者もまた、法律に詳しいわけではない。労働組合の活動を実際に見たり聞いたりすれば、それは何かを学ぶきっかけになるはずなのだが、近年、労働組合の活動が不活発なようで、そういった機会も少ない。

 といったわけで、ハ方ふさがりの状況だ。やはり、本人が学ぶ努力をする以外にないということだろう。その気になれば、書店に行けば入門書のたぐいなら沢山あるし、自治体や学習団体が催している労働学校や大学の市民講座のようなものもあるのだから、やる気次第なのだ。

──略──

フリーターも「事業者」?

 企業はそれでもまだ不便なのか、労働法の制約から逃れるために、「企業と労働者」という関係ではない法的関係を創り出す工夫を凝らしている。究極の労務政策、いわゆる非・労働者化政策≠ナある。

 ある旅行業社Lで働いていたK君らは、営業部長から、「独立契約による事業者とならないか。会社と対等な立場で契約して仕事をしてもらうのだ」と説明を受けて、OKした。

 彼らは、それまでのように会社の言うがままに働かされるのではなく、自分でこれまでになかったような若者向けの旅行の企画を立て参加者を募って、あとはL社に持ち込むという形で仕事ができる、と希望の光を見出したように思ったのだそうだ。そして、その契約で仕事の内容と代金を決めて「営業」を始め、参加者を募り始めて一ヵ月も経たないうちに、L社から「契約解除」の通知を受けた。

 その通知に書かれている契約の条項を読み直して初めて、K君らは「甲、乙は、理由を告知することなく、一週間前に予告し、本契約を解除することができる」と書かれていることに気がついた。

 契約書を取り交わす時、仕事の進め方や代金の計算方法の条項はよく読んだのだが、解約条項などあることにも気がつかなかったのである。

 そして、通常の市民間の取引についての契約だということで、労働契約の解除(解雇)についてのような保護はなかった、という。

 そのような成り行きは容易に予測できるはずであるし、携帯電話やパソコンでそういった情報を瞬時に集められるはずなのだが、世間ずれしていない若者だけに無理だったのだろうか。

競争を煽るだけでよいのか

 今、若者は収入の上でも権利の問題でも「貧困」である。仕事を続けて、年を重ねるとともに改善されていく見通しがあればまだしも、それもない。

 「規制改革」のかけ声の下で、年功序列賃金制などの日本的労働慣行を見直して、成果主義賃金・年俸制、裁量労働制、「トライアル雇用」や「紹介予定派遣」などがそれに代置されようとしている。多くはアメリカ・モデルの、競争を煽りたてるシステムである。

 しかし、アメリカ・モデルの破綻ないし光の対極にある影≠ノついての生々しいレポートはいくつもある。競争についていけない多数の労働者の苦悩や貧困である。ただ、競争は厳しいから、勝ち組の労働者もまた疲れ果てていることを忘れてはならない。

 ILO(国際労働機関)のフィラデルフィア宣言は、「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」と述べた。「一部」どころか、多数の若者が「貧困」である現状は、日本の将来に警鐘を鳴らしている。それを聴きとり、人が人として尊重される社会を創り出す方策を模索することは、今の大人の責任であろう。
(月刊:「世界」04年2月号 萬井隆令「使い捨てられる若者たち」p157-161)
 
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◎「その気になれば、……学習団体が催している労働学校……もある」と。

「『権利の上に眠るものは権利を失う』という法律上の諺がありますが、労働者が手を拱いていれば、それらの権利はどこかに消えて行ってしまいます。」……萬井先生の労働学校権利コース紹介文です。

消えてからあわてても遅すぎます。