学習通信040612
◎仕事を通じて他人の「生きがい」を「見つめる」ことで得た、……「生きがい」
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解説 三十八人目の「若者」 重松 清
「将来、なにになりたい?」
小学生に質問をする。公務員、サラリーマン、特になし、べつになんでもいいです……そんな回答が返ってくると、おとなは皆、あからさまに失望してしまう。「もっと夢を持ちなさい」とハッパをかけて、「お父さんの頃は」「お母さんの頃は」「先生の頃は」と昔話を始めてしまう。
一方、同じ質問を高校生や大学生に投げかけたときは、どうだ。アーティスト、大金持ち、なんでもいいからでかいこと、ひとに使われるような人生はごめんだね……おとなは、またもや失望してしまうだろう。「夢ばかり見てないで、もっと現実を考えなさい」なんてことを言って、やっぱりそこでも昔話が出てくるはずだ。
矛盾である。しかし、その矛盾こそが現実だということは、ぼくたち誰もが実感として理解している。
子どもたちは十代の半ばあたりに「夢」と「現実」をめぐる転換点を迎える。文字通り、夢見る頃を過ぎてしまう。
まだニッポンが貧しかった頃、その転換点は、たとえば「上の学校へ進める経済的な余裕があるかどうか」という形であらわれていた。もう少し時代がくだると、偏差値に象徴される受験ヒエラルキーが確立したなか、「志望校に進めるかどうか」が大きな分かれ目になっていた。「夢」は常に、ある種の外圧によって「現実」に置き換えられていたわけだ。
その構図はいまも決して消え去ったわけではない。むしろ不況が長引くにつれて親の収入と子どもの進路の問題はいっそう深刻になりつつあるのだが、それでも、時代の大きな流れは確実に外圧を弱める方向へ進んでいる。進学率が上がり、子どもの数の減少に伴って受験によるふるい分けの力が薄れ、なにより社会全体の労働観が、「生活の糧を得るための手段」から「生きがい」へと変わっていった。
いいことじゃないか、とは思う。
だが、それは同時に、かなり怖いことなんじゃないか、という気もする。
生きがいとしての仕事──字面や響きはとてもきれいな言葉だけど、そもそも「生きがい」って、なんだ?
衣食足りた一九八〇年代以降、仕事はしばしば内向きに語られるようになった。自己実現、自己表現、自分らしさを発揮する、個性派の新人求む、自分探しのために転職……「自分」のオンパレードである。当然、「自分」はどんどん肥大する。目の前の仕事よりも「自分」のほうが大きくなってしまい、膨れあがった「自分」を収める「生きがい」を求めて、ひとは途方に暮れてしまう。怖いなあと思うのだ、ほんとうに。
働くというのは、家事労働や育児も含めて、社会の中で自分を位置づけていくことだと、ぼくは思っている。「ほんとうの自分はどこにある」ではなく、「このひと(この社会)にとっての自分はどんな存在なのか」を考えるためのもの──だからこそ、働くひとのことを「社会人」と呼ぶのではないか?
ところが、「自分」が肥大してしまうと、そういう相対的な視点を持てなくなる。絶対的な「自分」の「生きがい」への渇望を出世や経済的な成功を目指すことで満たそうとするひとは、まだいいだろう(友だちにはなりたくないけどね)。問題は、「自分」をもてあましたすえに、生きるリアリティから乖離した世界へといざなわれ、たとえば教祖の唱える「解脱」「人類の救済」という言葉に引き寄せられてしまった若者たち……。
江川紹子さんは、その悲劇を間近に見てきた。悲劇の内容については、もはやここでくだくだしく説明する必要はないだろう。ただひとつ、悲劇をセンセーショナルに報じるメディアのただなかにいた江川さんが、教団への批判をつづけながらも、信者の若者たち一人一人に対しては慈しみにも似たやりきれなさをにじませていたということは、あらためて強調しておきたい。
そして、その姿勢はオウム以後の少年犯罪に対しても、あるいは「フツーの」若者たちに対しても、いささかも変わってはいないんだと──それはすごいことなんですよ、と机を叩きながら確認しておきたいのだ。
本書は、題名どおり「人を助ける仕事」に就いている二十代から三十代のひとびと(あえてここでは「若者」と呼ぼう)のルポルタージュである。救急救命士、被災地援助NGOスタッフ、精神科看護師、山岳警備隊員……江川さんが会ってきた三十七人の若者は、いずれも世間的に脚光を浴びているわけではない。嫌な言葉をつかうなら、3K(キツい、汚い、危険)の職場で働くプロである。
そんな彼らの姿を、江川さんはことさら美談に仕立てようとはしない。共感を抱きながらも決して過剰には褒めたたえない。〈「人類救済」などと思い上がったキャッチコピーを掲げることはなく、派手な言動でメディアにもてはやされるわけでもなく、地道に自分の役割を果たしながら、地に足をつけて生きて〉きた三十七人の、ふと覗かせる弱音や迷い、意外と軽いノリ、そして仕事の現場での喜びを、江川さんご自身が〈地道に自分の役割を果たしながら、地に足をつけて〉、等身大に描いている。
そこがすごくいいんだなあ、江川さんってほんとにフェアな書き手なんだなあ、と「週刊文春」連載中からずっと思っていた。こうして一冊にまとまったものを読み返しても、その感想はいささかも揺るがないし、それどころか、バラエティに満ちた個々の若者の姿を群像としてとらえると、現場からの報告を超えた一つの大きなモティーフまで行間からたちのぼってくるではないか。
本書には「『生きがい』を見つめた37人の記録」という副題が掲げられている。この「生きがい」の主体はいったい誰なのだろう。おっちょこちょいのシゲマツ、最初は「見つめた」を「見つけた」と読み間違えてしまい、ちょっと安直な副題じゃないかなと首を傾げていたのだが、正しくは「見つめた」なんだと知ったとき、思わず快哉を叫んだのだった。
おそらく、ここでの「生きがい」は二つの主体を持つ言葉だろう。一つは、彼らの仕事によって助けられたひとたちの「生きがい」、そしてもう一つは、仕事を通じて他人の「生きがい」を「見つめる」ことで得た、三十七人それぞれの「生きがい」──いわば、自他のかかわりのなかで生まれた「生きがい」なのだ。そう考えると、「助ける」という言葉だって意味合いがひときわ深くなる。
「人を助ける」彼らだって、また誰かに助けられている。必ずしも大義名分や高邁な理想を胸に就いたわけではない仕事に、少しずつ手ごたえを感じ、自分の果たすべき役割を確認していくこと、それは現場でのひととのかかわりがなければ生まれ得ないはずなのだ。
カンボジアで義肢を作ってきた若者は、彼の地で最初に覚えた言葉は「オークン(ありがとう)」だったという。
〈仕事のやりがいは、やっぱり患者さんに「ありがとう」と言ってもらえること。言葉に出さなくても、喜んでくれること〉
ボランティアだとか自己犠牲だとか福祉の精神だとか、そんな頭でっかちなことは考えなくてもいい。どんなものでも仕事は誰かを「助ける」もので、ぼくたちは皆、誰かに助けられながら、また別の誰かを助けているはずなのだ。「ありがとう」は感謝の言葉だけでなく、相手の仕事を認める言葉でもある。「ありがとう」と言って、「ありがとう」と言われて……ねえ、肥大した「自分」をもてあましている君、最近誰かに「ありがとう」と言ったことはあるかな? 言われたことは、どう?
それにしても、三十七人の若者を描くときの江川紹子さんの姿勢の、いかに凛として、また温かいことか。彼らがそこまで魅力的だったから、だけではないと思う。本書を著す江川さんの姿勢は、オウム事件や少年犯罪を見つめるときと変わっていない。江川さんはずっと、等身大の「自分」を見失い、社会とのかかわりに背を向けてしまった若者たちと向き合ってきた。だからこそ、いま、本書を通じて、江川さんは静かに訴えかけているのではないか。等身大の「自分」が誰かとかかわっていくことの尊さを、きっと、若者以外の世代に向けても。
でも、それ、江川さんご自身の仕事ともきれいに重なり合わないか? 評論家とは決して名乗らず、呼ばせず、「論」の高みに自分を置くことなく、いつも現場にいて、誰かとかかわって、そこから言葉を紡ぐ仕事−−。
本書に登場する「人を助ける」若者は三十七人。しかし、読了後、三十八人目の存在を確かに感じるのは、ぼくだけではないだろう。そのひとの名前は、表紙に書いてある。彼女を「若者」と呼べるかどうかは、ちょっとアヤういけどね。
(江川紹子著「人をたすける仕事」小学館 p310-316)
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自己犠牲?
「でもね」とまたA君がいった。
「みんなが──がんばるんならいいよ。ところがじっさいはというと、少数の活動家だけが必死でがんばっているわけ。みんなのためと思ってがんばるんだけど、そのみんなは手ぶらで勝手なことばかりしてて……。自己犠牲的な活動も、あんまりつづくと、犠牲にする自己がもうすりきれてなくなっちゃうって感じ」
「どこまでつづくぬかるみぞ」──古い軍歌の一節だが、妙に忘れられないでいる。その歌詞も、メロディーも。忘れられないのは、身につまされてわかるものがあるからだろう。それがまた、うかんできた。
でも、と私は考える。「自己犠牲」ってなんだろう?
文宇どおりにいえば、それは、自分以外のもののために自分を殺すこと。つまり、そこでは自分は死ぬわけだ。とすれば、そういう「自己犠牲」的な活動がながくつづけば、いきいきしてこなくなるのはあたりまえ。反対に死に死にしてきちゃう。
これじゃあ、なんのための活動か、ということになる。そもそも民主的な活動というのは、自分を人間としてよりよく生かしたいというところからスタートしたものであるはず。そこのところが逆になってくるというのは、これはどこかなにかがおかしいのだ。
ただし、自分をよりよく生かすために、その足をひっぱる古いケチくさい自分を「犠牲」にするということならば、それはどしどしやらねばならない。そうしてこそ、真にいきいきとなる。
そもそも「生きる」ということは、たえまない新陳代謝の過程だ。皮膚にしたって、古い細胞は日々に死に、垢となってすてさられる。そして、新しい細胞がこれにとってかわる。そうしてこそ、みずみずしくいきいきとした皮膚がつねにたもたれる。それを、この垢はかけがえのない自分の一部、「犠牲」になんぞできるものかと、ためこむ人がいるだろうか。それこそ、死に死にとしてくるだろう。
人間的な組織のなかで、組織の要求にぶつかって個人が痛みを感じるという場合、それは乗りこえられるべき古いケチくさい自分が痛みを感じている、ということではなかろうか、ちょうど便秘していた人が便秘を解決しようとするとき、痛みを感じるように。その「痛み」にかまけて、そのあとのすがすがしさを味わいえず、憂うつな日々をおくりくらすということがあってはなるまい。
「性格の人」と大志
「でも」とA君がいった。「必ずしもケチくさい要求ばかりじゃなしに、自分の人間的な要求だって犠牲にすることを求められることもあると思うけどな」
それはあるだろう。早い話が、山にいくときには、同時に海にいくことはできない。海にいきたいという要求を「犠牲」にしなけりゃならない。
だが、それはそれだけのことだ。思いだした。ヘーゲルがつぎのようにいっている。
「行為には本質的に性格が必要だ。ある一定の目的に着目し、これをしっかりと追求する人、これを性格の人という。大事を志すものは、ゲーテがいったように、自分を限定することを知らねばならない。反対に、すべてを志すものは事実上、なに事をもなさないにひとしく、すべてをむだにする」(『小論理学』)
平凡なようだが、深い知恵のことばだと思う。いま自分にとっていちばんたいせつなこと、必要なことに、たとえそれがどんなに限られたこと、小さなことと見えようとも、思いきって全力を集中する、そこに自分の主体性を発揮してこそ、ほかのおおくのこと、大きなことをもこなせる主体的な力がいちばんよく育つのだと思う。真の人間的な組織は、こういう「性格の人」を育てる場でもあるはずだ。
ヘーゲルが引いたゲーテのことばを私は知らない。関係のありそうなものとして思いうかぶのは、つぎの二つだ。
「なにか大きなものによって自分を力づけたいと願うものは、もっとも小さなもののなかにその大きなものを認めうるようにならなければならない」(「鏡言と省察」)
「願わくは多方面にわたりたいものだ。テルトー産のカブラはおいしい。栗といっしょにたべると、美味この上もない。しかも、この貴重な二つのものは、たがいに遠くはなれた土地の産物なのだ」(同)
よくわからないが、それでいて、じつによくわかるような気がする……。
(高田求著「新人生論ノート」新日本出版社 p101-104)
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なにものかになるためには、自分自身になるためには、そしてつねに一個の人間であるためには、語ることと行なうことを一致させなければならない。いつも取るべき態度をはっきり決め、敢然とそれを守り、押し通さなければならない。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p28)
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◎「なにものかに……、自分自身に……、そしてつねに一個の人間であるために」
「いま自分にとっていちばんたいせつなこと、必要なことに、たとえそれがどんなに限られたこと、小さなことと見えようとも、思いきって全力を集中する、そこに自分の主体性を発揮してこそ、ほかのおおくのこと、大きなことをもこなせる主体的な力がいちばんよく育つのだと思う。」と