学習通信040618
◎あぁ……運命

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 努力が運を呼ぶ

 あなたは、〈−―運〉ということをどう考えるだろうか。運が悪かった、良かったの一言ですましている場合も多いようだが、運とはなんなのだろうか。

 私が、運ということを思い知ったのは、二十歳すぎのことだ。陸軍飛行兵として、岐阜の各務原(かがみはら)飛行第二連隊に現役召集されていた。生命拾いをした。豪雨をついての夜行軍。私は輸送トラックの助手席にいた。この助手席にさえ、雨が漏ってくるほどで、無蓋の荷台にスシ詰めにされた戦友はズブ濡れ。やがて小用休止。私も降りた。戻ってくると、助手台が占領されている。

まあええわ。荷台で雨に打たれることにした。だが、一キロも行かぬうちに、このトラックは泥沼に車輪をとられて、転倒した。荷台にいた戦友は、全員、投げ出されて無事。助手台の戦友は逃げきれず、トラックの下敷きとなって圧死してしまった。投げ出されたとき、入営前に母がくれた成田山のお守りが真っ二つに割れた。倒れた私の身体の下敷きになって、物理的に割れただけのことかもしれないが、なぜか感謝しなければいけない、私はそう思って天を仰いだ。

 もうひとつ、電気工手として中隊長に同乗した飛行機が、離陸後、桑畑をスレスレに飛んで、そのまま墜落した。操縦士などは両足骨折の重傷を負ったが、私は気を失っただけだった。(人間、死ぬときはどんな安全な場所にいても死ぬ。危険なところにいたから必ず死ぬというわけでもない)

 私は悟った。人間を支配する大きな力の存在というものにおそれを抱くようになった。

 のちに知ったことだが、私の入営中、母は毎日、生駒山に私の身の安全を祈願したという。二度も九死に一生を得る。一家あげての信心の賜物ではないか。自分一人をよくしてくれとお賓銭を投げるのではなく、身内のものが寄りそって信仰するところに、運というものが向いてくるのではあるまいか。誠意をもって自らのおかれた苦境打開に努めることがいいわけで、人事を尽くして天命を待つというが、結果から判断すると、常にそういう形で幸運はやってくるようだ。

 「あの人は運がいいからなあ」
──は、その人が努力を続けているというべきであり、
「オレは運が悪いなあ、チェ」
──は、まだオレは努力が足りないというべきなのである。
 私は、だから、「私は運が悪くてねェ」とヌケヌケとおっしやるような人物は、敬して遠ざけることにしている。
(後藤清一著「こけたら立ちなはれ」PHP文庫 p21-23)

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 運命に負けないとき

 そこで、けっきょく、運命というものは、あるのかないのか?
 運命に負けるとき、運命は運命となる。運命に負けないとき、運命は運命でなくなる。私はそう思う。

 「運命」というのは、自分に負けているとき出てくることばではなかろうか。

 「自分の意志ではどうにもならないことを運命というんだとすれば、そもそもからして人間は自分の意志で生まれてくるわけじゃないんだから、やっぱり運命というものはある」とA君はいった。しかし、考えてみるとこのA君のことばは、もっともなようでいて、ちょっとおかしい。

 だって、生まれてこなければ「自分の意志」というものも、そもそもありようがなかったはずなのだから。私たちは自分の意志によることなく生まれてきたが、こうして生まれ育つなかで、自分の意志というものも育ってきた。これからの自分の人生をどのようなものとするかは、その自分の意志をどのようにもつかによる。まさか、生まれたときの星座の配置で、私たちの一生のありかたがすでにきまってしまっているわけではあるまい。

 「運も実力のうち」

 「運命」とほぼ同義語で、もう少ししめり気が少ない感じのことばに「運」というのがある。そして、これについては将棋の第十四世名人木村義雄氏が「運も実力のうち」といっている。

 これは、至言だと思う。人間というものをよく知り、自分というものをよく知っている人の、これはことばだと思う。

 将棋や碁の世界は、実力の世界だという。「運がよかったから勝った」とか「運がわるかったから負けた」とかいうが、その「運」とはほかでもない、実力のあらわれだということだ。

 「運」を「チャンス」といいかえてみよう。そうすればすぐにあきらかなことは、どんないいチャンスがあったとしても、実力がなければそのチャンスをいかすことなどできないということだ。そんなチャンスがあることに気づきさえしないかもしれない。

 いや、そもそも「いいチャンス」にしろ「わるいチャンス」にしろ、ひとりでにふってわくものではない。自分の実力とのかかわりであらわれるものだ。

 そうしたことをわきまえている人の、あれはことばなのだと思う。そうして、つねに自分の実力を謙虚に見つめ、のばそうとしている人の。

 こうした態度でのぞんでいるかぎり、勝負の時間と同様、人生の時間は、つねにかぎりない可能性にみちたものとしてあらわれるはずだと思う。
(高田求著「新人生論ノート」新日本出版社 p16-17)

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運命を愛せますか

道徳家が誰かをつかまえて、「君はかくかくであるべきだ」と言ったとしても、それは物笑いの種になるだけだ。個人は前から見ても、後ろから見ても、一個の運命であり、ひとつの必然である。その必然は万物と結びついており、個人にたいして「変われ」と言うことは、万物にたいして変われと要求すること、過去に遡ってすてすら変われと要求することに等しい。
『偶像の黄昏』


 ニーチェは、運命を愛せ、必然を愛せ、と繰り返し言う。
「必然的なものを愛せよ──運命愛、これが私の道徳となるであろう」と。

 はたして、私たちは、どのような過酷な試練も、それは運命である、それは必然であるといって、受け容れることができるだろうか。また、現在の自分の生活を必然的なものとして容認していいものだろうか。「もうひとつの別の自分」はありえないのだろうか。完全に自分に満足している人などいるだろうか。自分への不満は、「運命愛」の障害とならないか……。

 運命を愛せというニーチェの言葉を前にして、私の脳裏には次つぎと質問が浮かんでくる。ニーチェの言うとおりだと思う一方で、本当にそうだろうかという漠然とした疑念も湧いてくる。運命とは何か、必然とは何か、さらには、偶然と必然はどうちがうのかなどと考えはじめると、話はしだいに込み入ってくる。まずは、ニーチェの言い分に耳を傾けてみよう。いろいろ調べてみると、彼はごく若い頃から、「運命愛」をモットーとしていたことがわかる。全寮制の名門中高等学校であるプフォルタ校で学んでいた十五歳の頃、こんなことを書いている。

 「この頃、僕はひとつのモットーに思いいたった。それは、与えられた生活を与えられるがままに享受し、けっしてこれから起こるかもしれない苦難を思い煩うなということである。とにかくこれが、僕がプフォルタで学んだ最大の人生訓だ。苦い思いに苦しめられたり、ひどいホームシックに心が苛まれたり、行く春に心を痛めたり、憂愁に思い沈んだりしたとき、このモットーがいわばひとつの花飾りのように過去の廃墟のあいだを縫って延びて来る」

 生真面目で優等生的な、老成した思考がうかがえる文章である。「けっしてこれから起こるかもしれない苦難を思い煩うな」という部分から連想されるのは、新約聖書の次の一節である。
 「明日のことを思い煩うな、明日は明日みずから思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり」(マタイ伝第六章三十四節)

 牧師の息子であるニーチェはこの一節を熟知していたであろう。苦しみ悩む人にとって最大の慰めとなるこの言葉は、実は、私の心にもっとも深く刻まれ、かくありたいと思いながらも、なかなかそれが叶わない聖書の一節でもある。たしかに、明日のことを思い煩わないことは、「運命愛」の大きな「賜物」のひとつである。このことひとつのためにも、私は、「運命愛」を受け容れてもいいような気もする。しかし、それには重要な条件がある。「与えられた生活を与えられるがままに」受容しなければならないという条件である。

 つまり、「運命愛」とは、未来についてばかりでなく、過去、現在のすべてにたいして「イエス」(ドイツ語では「ヤー」)と言うことなのである。「前から見ても、後ろから見ても」と言っているのはそういう意味である。何が起こるかわからない未来について「イエス」と言うことはたやすいし、明日のことを思い煩わなくてすめば、これに越したことはない。問題は、過去、とくに現在である。現在の自分自身および自分を取り巻くすべてのものに「イエス」と言うことができるかどうか、それだけの勇気というか覚悟があるかどうかが問題である。

 また、世のあらゆる悪や不正、事故や災難などを「運命」だとして是認し、甘受していいものだろうかという問題もある。自然災害はいかんともしがたいが、人災による事故を「必然的なこと」として済ますことができるだろうか。すべてが必然であるとしたら、どのようなことをしても、誰にも責任がないということになってしまう。

殺人者は、人を殺したのは一個の運命、一個の必然であって、自分の意志とは無関係で、自分には何の責任もないと言うかもしれない。「運命愛」を完全に信奉する人は、これに反論することはできないであろう。人間の意志までが運命によって決められているとしたら、それは、人間には意志がないということに等しく、人間には「自由」がないということにもなる。

 こんなことを考えると、私は「運命愛」を自分の道徳にすることに躊躇せざるをえないが、ニーチェの言い分にもそれなりの説得力があることは認めざるをえない。というのは、ひとりの人間をはじめとして、すべてのものは相互に関連しあっていて、ある一部分だけを変えることはできないという主張である。

現在こうあるのは、過去にそうあったからであり、未来もかくあるであろうという論法には、なんら矛盾はない。個人にたいして変われと言うのは、万物にたいして変われと言うのに等しいことはよくわかる。しかし、人間の意志はどのようにはたらくのだろうか。人間の意志しだいで現在も未来も変わりうるのではなかろうか。

 十五歳のとき、「運命愛」をモットーとしたニーチェは、最後の著作『この人を見よ』でも、「運命愛」を強調する。
 「自分自身を一個の運命として受け取ること、自分が〈別のありかた〉であれと望まぬこと、これこそが、偉大な理性というものなのである」

 「人間の偉大さを言い表す、私の言葉は〈運命愛〉である。何ごとについても、それが今あるあり方と違ったあり方であれとけっして思わぬこと、未来にたいしても、過去にたいしても。必然を耐え忍ぶだけではなく、そうではなく、必然を愛すること……」

 これは「運命」や「必然」を耐えがたく感じている自分にたいする励ましの言葉ではなかろうか。「運命愛」をことさら語る人は、「運命」に蹂躙された人であり、「運命」を信じられない人である。平穏無事な人はそのようなものについて語る必要がなく、「運命」なるものについては無関心である。「運命」がしかるべく導いてくれることを信頼しているからである。

 「運命愛」をめぐるニーチェの言葉で私の脳裏に深く刻み込まれたのは、個人は一個の運命であり、必然である、という言葉である。私という存在が偶然であるなどと信じることはできないからである。
 結局はニーチェと同じ見方になるのだろうか。
(木原武一著「人生を考えるヒント」新潮選書 p100-103)

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歴史の法則性と個人の主体性

 これまで、社会とその歴史について弁証法的な発展法則があることを学びました。いま、私たちは、二一世紀を目前にして、歴史的激動期をむかえています。無党派層を含む広大な国民が、アメリカや財界のいいなりになって悪政をつづける自民党政治にはっきりとノーの意思表示をしめしはじめたのです。多くの国民の意思が政治の転換を要求しているのです。

 そのいっぽうで、こうした大きな変化に確信がもてず、「社会とその歴史が法則的に発展するならば、そこに生きている私たち個人の存在意義はどこにあるのか」「歴史の発展が法則的なものならば、個人がジタバタしてもはじまらない。個人は歴史法則のあやつり人形にすぎないのか」「歴史が法則的に発展してよい社会になるのが必然ならば、個人は努力しないでも待っていればよいことになる」……といった意見があいかわらず根強くあります。

▼発展の法則性と繰り返しの法則性

 これらの意見は、「歴史の法則性という考え方は、個人の意思や意欲を無視し、人間の主体性を否定するものである」という意見にもつながります。しかし、それはまったくの誤解です。社会発展の法則性を認めることは、なんら人間の主体性を否定するものではありません。このような誤解は、「発展の法則性」ということを「繰り返しの法則性」と混同しているところに、まず第一の根拠があります。

 前にも触れたように、発展の法則性は社会現象・歴史現象に多くみられ、繰り返しの法則性は自然現象に多くみられますが、自然現象でも宇宙の進化や地層の形成、生物の進化などのように発展の法則性を含んでいます。しかし、古典力学的な自然現象には、主として繰り返しの法則性が貫いています。

 古典力学的な自然現象は、天体の運行に典型的にみられるように、文字どおり繰り返される運動なので、そのなかに法則性があることはだれにでもわかることです。この法則性にしたがって、たとえば日食や月食が何月何日の何時何分に起こるとか、ハレー彗星がつぎは何年後に地球に接近するとか、予測することができます。ところが歴史現象においては、そのようにまったく同じことが繰り返されることはなく、歴史上の出来事は一回限りであり、したがって未来の事件を何月何日と予言することはできません。

 この性格の違いを混同して、「自然現象は繰り返すから法則性があるが、歴史は一回限りだから法則性はない」という人がいます。学者でも、観念論の立場に立つ人はそのように考えています。

 しかし、繰り返しの法則性と発展の法則性は異なる性質をもっています。繰り返しの法則性は、原因と結果が一致する規則性をいうにすぎません。たとえば、物体は一の力で押されれば一の力で動きます。引力でも磁力でも、その力の大きさに応じて物体は動きます。したがって、原因がわかれば結果は予測できるというわけです。

 ところが、発展の法則性というのは、原因と結果のたんなる一致ではなく、非常に複雑な事柄であり、原因と結果は複雑にからみあい、相互に作用しあい、あるいは原因は小さいようでも大きな結果が発展として出てくるという関係です。たとえば、社会人口も少なく生産力も文化水準も低い段階から、時代とともに人口も生産力も増大し、文化水準も高まるというように発展します。

 歴史的に発展する事柄は、社会現象であれ自然現象であれ、このように複雑ですから、予測もつきにくいわけです。「歴史には法則性はない」という人が出てくるわけです。しかし、発展する事柄は、何月何日にどうなるという予測も計算もできないけれども、「遅かれ早かれ」かならず起こるという法則性があります。

歴史の発展は、各民族によって早い遅いの違いはありますが、たとえば原始社会は「遅かれ早かれ」階級社会へと発展し、あるいは旧い封建社会は「遅かれ早かれ」近代市民社会にならざるをえません。そして現代の資本主義社会はまた「遅かれ早かれ」ゆきづまり、搾取も階級もない社会に発展せざるをえません。これが発展の法則性です。

 なぜそうなるのか、これを明らかにしたのがマルクスとエンゲルスでした。彼らは『ドイツ・イデオロギー』から『資本論』にいたる著作のなかで、歴史発展の法則性を明らかにしました。マルクスたちは、人間の生産労働のあり方が社会の発展段階に照応しており、生産力と生産関係の矛盾が階級闘争を引き起こし、この階級闘争が社会発展の原動力であることをみつけ出しました。この点は第六話で学んだとおりです。

 このように、社会とその歴史の発展は、何年何月何日になにが起こると正確な予測はできないほど複雑な性格のものですが、しかし、現実の矛盾が原動力となって「遅かれ早かれ」、しかも、必然的に変化・発展するという内的法則性が貫いていることは確実です。

▼歴史の法則性と個人の意思・意欲

 つぎに、歴史発展の法則性と個人の主体性との関係を考えてみましょう。
 「歴史発展の法則性は繰り返しの法則性とは異なるものだとしても、法則であるからには個人の主体性をしばることになるのではないか」との疑問をもつ人たちがいます。しかし、歴史発展の法則性は、けっして個人個人の主体性と相容れないものではなく、自分の意思で主体的に行動する多くの個人の行動をとおして、その法則性は働いているのです。古典力学的な自然法則は、個人の意思や意欲とは関係なく、すべての自然物に貫徹し作用します。

 ところが歴史法則(社会法則)は、幾百万、幾千万の人びとの意思や意欲の総和として発現しますから、つまり、一人ひとりの人びとの偶然的で個人的な多様な意思や意欲を包みこみ許容しながら、しかし、社会全体としてはちゃんと法則は貫徹しているというかたちではたらいています。逆にいうと、歴史や社会は個々人の意思や意欲や情熱なしには動かないのであり、ここに各個人が主体性を発揮する余地があります。

 いいかえれば、歴史や社会の法則性は個々人の意思や意欲と無関係にはたらくわけではなく、歴史のなかでの個々人の主体性や役割の発揮をとおして、あるいはすぐれた個人の創意性や奮闘努力をとおして現われ、実現するものだという点が重要だと思います。

 もちろん人間は、勝手気ままに社会とその歴史をつくりかえることはできません。あたえられた条件のなかで、それぞれの時期の客観的諸条件にしたがって提起された問題を解決しようとする個々人の努力によって、歴史はつくられていきます。このような意味で、個人の主体性と歴史の法則性は矛盾し衝突するのでなく、両立するものだといえましょう。
(鰺坂真著「哲学のすすめ」学習の友社 p77-81)

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◎展望を見出すのがなかなか大変な時代にあって、ニーチェの運命≠ノ生きるか、それとも鰺坂先生のいう法則≠ノ重ねて生きるか、が突き出ています。

「九条の会」が大手マスメディアから無視され、他方で「戦争する国」体へとなし崩し的にすすんでいるのです。

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