学習通信040621
◎私的所有・分業・商品……。

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「分業」があるから街で料理が食べられる

 なぜ、わずかのお金で私たちはすぐさまポテトチップスが食べられるのか。それは、いろいろな人々が、さまざまな職業について、数えきれないほどの手順をふんでポテトチップスという商品をきわめて効率的に安いコストでつくり、私たちの手の届くところに運んできて、売ってくれるからです。ひとかけらのチップが私たちのロに入るまで、想像もつかないぐらいの多くの人々、多くの国々、多くの工場、多くの職業がかかわっていることにもう気づいてもらえたでしょう。

 遠く、アメリカの大農場にまかれる種イモ。それを育てるための肥料、それもまたドイツでつくられ、大きな船でアメリカに輸送されてきたものかもしれません。育てば、刈りとる人とそれに用いるトラクター。加工する工場に運ぶ大型トラック。こんどはチップにする仕事が待っていて……こんなふうに考えていくだけでも仕事の種類とそれに従事する人の数は、そうそう簡単にはすべて数えあげられないほどです。

 経済学ではそのことを「分業」とよんでいます。そして、分業こそ人間が長い歴史のなかで考え出した、すばらしく便利な生産の方法だったのです。

 ポテトをつくる農家、船会社やトラック輸送の会社、食品会社、税関の役人など、いろいろな専門的な仕事に従事している人々がいるからこそ、ポテトチップスは簡単に買えます。分業が世界的な広がりのなかで行なわれているからこそ、街のお店やデパートでなんでも売っている現代社会ができたのです。今や、社会全体、世界中の仕事が細かに分けられた結果、なんでもお金で買えることになりました。

 専門的な仕事に従事している人々がなぜ重要かといいますと、彼らは専門家ですから、ほかの誰よりもその分野では仕事がうまく能率的にできるからです。ロビンソン・クルーソーがどんなにがんばっても、ポテトチップスひとつつくれなかったのに、それぞれの専門家が手分けして分業すると、簡単に大量のポテトチップスができてしまいます。

いや、ポテトチップスのような簡単なものでなくても、高級乗用車やコンピュータ、ウォークマンやジャンボジェット機など、分業がなければとてもできそうにない商品が山ほどつくられているではありませんか。すごいことだと思いませんか?

 ここまで読まれた読者にはもうおわかりでしょう。どうして、街を歩くと、銀行やレストランや、床屋さん、本屋さん、ペンキ屋さんなどが軒を連ねているのかが……。つまり、こういったお店はすべて分業しているのです。床屋さんは人の髪をきれいに刈るという専門的な仕事に「特化」(専門化)してお金を稼いでいます。銀行は預金を会社などに貸し出す仕事をしています。

 お父さんやお母さんが会社から給料をもらってくるのも同じ理屈ですね。お父さんやお母さんの会社もまた、何かの仕事に特化している会社のはずです。その会社の中でさえ、分業が広範に行なわれているはずです。みんながそれぞれ、専門的な仕事に特化して、社会的分業をしている。みんなが、自分の得意分野の仕事に特化して、お互いに支え合い、助け合っている。だからこそ、豊かな暮らしができるわけです。すばらしいことではありませんか。

私たちは決して孤独な存在ではない!

 私たちは決して孤独な存在ではなく、みんなが手を差し伸べ合って協力して生きているのです。しかも、世界中の言葉が通じない人たちの間でも、分業が行なわれていて、お互いの生活を支え合っているのです。その結果、ロビンソン・クルーソーのような惨めな生活をしなくてもすんでいるわけです。このことが分業社会のいちばん大きな意義だと思います。

 さて、もし読者がまだ学生であったとしたら、将来、どんな仕事に特化して社会のために役立ちたいと考えているでしょうか?
 どんな形で、世界中に広がっている分業の輪の中に参加するつもりですか?

 大事なことは、自分の好きな分野で、好きな仕事を精一杯やるということです。「好きこそものの上手なれ」ということわざがあります。好きなことに打ち込んでやっているうちに、専門家としての技術が磨かれ、世の中に貢献できるようになるという意味です。好きなことを探し出して、思う存分力を発揮できれば、私たち自身もハッピーな生活を送れるようになるでしょう。このようにして私たちは、豊かな生活を支えている分業体制の重要な一員となれるわけです。

 こういった考え方からすれば、学歴よりも、世間体よりも、自分の好きな分野、得意な分野で社会的分業に参加することこそ、私たちが社会に貢献できるベストの方法だということがわかります。だから、重要なのは、どこの大学に進学して、一流企業に就職して……といった発想に陥らないで、まず、自分が好きな分野、自分に向いていそうな分野、やっていて楽しい分野の仕事とはどういう仕事であるのか、ということを若いうちに真剣に考えることです。

 偏差値を見て、どこの大学なら、どこの学部なら入れるといった考え方は寂しいと思います。自分の好きな仕事を探し当てることこそ、自分自身が社会に大きく貢献できる近道だからです。そして、好きな職業につけることこそ、自分自身の人生を最も豊かにしてくれるだろうからです。

 こんなことをろくに考えないで、なんとなく大学に入って、なんとなく学生生活を送っている学生が多すぎます。目的がはっきりしていないから当然勉強にも身が入らない。だらだらと生活しているうちに、あっという間に4年生になり、就職シーズンがやってきます。

 そのときになって初めて、自分はいったい何をすればよいのだろうかと悩む人がほとんどです。しかし、これでは遅すぎます。結局、なんとなくどこかの企業に就職し、なんとなく人生を過ごしてしまうということになります。これではあまりに悲しい人生ではありませんか?
(中谷巌著「痛快経済学」集英社文庫 p25-28)

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 都市経済と同時におこったギルド制度のなかでは、資本はほんのわずかな役割しか演じなかった。国民経済と同時におこった問屋制下請制度のなかでは、資本が重要な役割を演じた。多数の家内労働者に供給する原料を買入れるためには、多額の貨幣が必要だった。またこれらの原料の配給を組織し、あとで完成品になった揚合にその販売を組織するためにも、多額の貨幣が必要だった。だから問屋制下請制度を指導したのは貨幣をもつ人、すなわち資本家だったのだ。

 需要が増加したので、高価な工場施設の必要な重工業は、資本主義的な土台の上に再組織されねばならなかった。このいい例は、十六世紀におけるイギリスの石炭業だった。当時は石炭の上層部はすでにほりつくされ、深層部を採掘することが必要だったが、このためには巨額の貨幣が投資されねばならなかった。そしてこれは資本家が舞台に登場することを意味したのだ。

 同様に、金属採掘業の内部でも、工業の内部や、戦闘に従事している軍隊に供給するために必要な鉄や錫や銅などの需要に応ずるために、多数の資本が投資された。金属工業のなかでは、必要な資本の投下額は莫大なものだったので、資本家は、必要な金額をあつめるために、連合して株式会社をつくった。株式会社は、以前には冒険的な貿易業のなかだけでつくられていたのだが、いまでは製造業のなかでもつくられはじめた。

 これまで未知だった国々が発見されるとともに、全くあたらしい工業──たとえば砂糖精製業や煙草製造業など──があらわれてくるのは当然だった。政府は、危険をおかしてこれらの新しい事業に資金を投ずる人々に独占をあたえた。新しい工業は、最初から、資本主義的な土台の上に組織された。

 十六世紀から十八世紀までの間に、中世の独立した手工業者は姿をけし始め、そのあとに資本家=商人=中間商人=企業家にますますつよく依存してくる賃銀労働者があらわれた。

 ここで工業組織の発展段階の要領を簡単にのべておくことが、読者の理解に役立つだろう。

一、家内工業制度あるいは家族工業制度──家族員が、販売するためではなく、自分自身で使用するために財貨を生産した。この場合の仕事は外部の市揚に製品を供給するためではない。中世の初期。

二、ギルド制度──生産は小規模の安定した外部の市場のために、ニ、三人の助手を使用する独立した親方によって行われる。勤労者(親方)たちは、彼らが加工する原料と彼らが使う道具を所有していた。彼らは、労働を売らず労働の生産物を売った。中世全体。

三、問屋制下請け制度──生産は、ギルド制度の場合と同じように、助手をつかって働く親方手工業者によって、発達する外部の市場のために、家庭の内部で行われた。だがギルド制度との間には、つぎのような重要な違いがある。すなわち、親方はここではもはや独立してはいない。彼らはまだ道具は所有しているが、原料については、親方と消費者との間に入ってくる企業家にたよっていた。彼らはいまや、ただ出来高仕事だけに従事する賃銀労働者になった。十六世紀から十八世紀まで。

四、工場制度──ますます拡大し、ますます動揺する市場をめざして、労働者の家庭のそと、雇い主の建物のなかで、雇い主のきびしい監督のもとに行われる生産。労働者は完全に独立性を失った。彼らはギルド制度のもとでのように原料を所有せず、また下請制家内工業制度のもとでのように道具を所有しなかった。機械の使用が増加してきたため、熟練は以前のように重要ではない。そのかわり資本が以前より一そう重要になる。十九世紀から現在まで。

 警告──「立ち止まれ、左右を見よ、そして耳をすませ」
 右の要領は、ただ手引として示されたもので、決して教理ではない。これを全体的な真理としてうけとることは危険だ。それは決して全体的な真理ではない。だから、いくらかの条件を保留してうけとるなら役に立つだろうが、そのままうけとるなら、諸君を多くの誤りに導くだろう。

 たとえば、右の要領が暗示するように、すべての工業がことごとく四つのひきつづく段階を通ってきたと信ずるのは誤りだ。それは、ある種の工業については正しかったが、すべての工業にあてはまるものではない。第三段階に始まった新しい工業もあったし、数段階をとびこえた工業もあった。

 右の要領に示された時代も、ひどく大ざっぱな近似的なものだ。一つの段階が広く支配するときには、つねに、すでにそれの崩壊する徴候があらわれており、つぎの段階の萌芽が生れているものだ。こうして、ギルドが全盛をきわめた十三世紀に、すでに問屋制下請制度の例が北イタリアにあらわれていた。同様に、工場制度のいくつかの例は、ぼくたちが今日知っているように、すでに右の要領が問屋制下請制度とよんでいる時期にはっきりとみられた。十六世紀のニューベリーのジャックを思いだしていただきたい。

 ところが逆もまた真なのだ。工業の発展段階のどれかが広く支配しているということは、前の段階がすっかり消え去てしまったことを意味するものではない。ギルド制度は、右の要領が問屋制下請制度の時代がはじまったことを示してから後も、永い間維持されていた。一つの段階がつぎの段階に入っても永くつづいていることの一番いい証拠は、家内仕事すなわち問屋制下請についてのつぎの引用があたえてくれる。
(レオ・ヒューパーマン著「資本主義の歩み」岩波新書 p170-174)

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 ところで、社会の内部での自然生的な〈労働の分割〉が生産の基本形態であるところでは、〈労働の分割〉は生産物に商品という形態を押しつける。

個々の生産者は、商品を互いに交換することによって、つまり売り買いによって、自分のさまざまな必要=欲求を満たすことができるのである。

中世にはこうであった。たとえば農民は、農産物を手工業者に売り、その代わりに手工業者から手工業製品を買ったのである。

ところが、個人的生産者の、商品生産者の、この世界に、新しい生産様式が割り込んできた。

それは、社会全体で行なわれている・労働の自然生的な無計画的な分割のまっただなかへ、個々の工場の範囲で組織された・労働の計画された分割を置いた。

個人的生産と並んで、社会的生産が現われてきた。

どちらの生産物も、同じ市場で、したがって少なくともほぼ等しい価格で、売られた。

しかし、計画的組織のほうが自然生的分業よりも威力があった。社会的労働を行なう工場は、ばらばらの小生産者よりも安くその生産物を製造した。

個人的生産は、一分野また一分野と敗退していき、社会的生産は古い生産様式全体を変革した。

しかし、社会的生産のこの革命的性格はほとんど認識されなかったので、社会的生産は、逆に、商品生産を向上させ促進する手段として取り入れられた。

商品生産および商品交換の特定の既存の梃子と、すなわち、商品資本・手工業・賃労働と、まっすぐに結びついて成立したのである。

それ自体、商品生産の一つの新しい形態として登場したのであるから、商品生産の取得形態は、社会的生産にとってもあいかわらず完全に有効であった。

 中世に発展していたような商品生産では、労働の生産物をだれのものとするかという問題は、まったく起こりようがなかった。

個々の生産者は、通例、自分のものである──自分で生産したこともよくある──原料から、自分の労働手段を使い、自分や家族の手労働で、生産物をつくりだしていた。これをあらためてわがものにするまでもなかった。

それはまったくひとりでに彼のものであった。生産物の所有は、こうして、自身の労働にもとづいていたのである。

他人の助力を必要とした場合でさえ、その助力は、通例、副次的なものにとどまり、また、賃金のほかになお別の謝礼を受け取ることが始終あった。

すなわち、ツンフトの徒弟と職人とは、賄いと賃金とのためにというよりは、むしろ、親方をめざす自分の修業のために、働いたのである。

そこへ、大きな仕事場とマニュフアクチュアの工場とにおける生産手段の集積が、生産手段の事実上の社会的生産手段への転化が、やってきた。

しかし、この社会的な生産手段と生産物とは、それまでどおリ個々人の生産手段であり生産物であるかのように取り扱われた。

これまで労働手段の所有者が生産物を取得したのは、その生産物が通例彼自身の生産物であり、他人の補助労働は例外であったからであるが、いまでは、労働手段の所有者は、生産物がもう彼の生産物ではなくもっぱら他人の労働の生産物であったにもかかわらず、それを取得し続けた。

こうして、いまや社会的につくりだされるようになった生産物は、生産手段を実際に動かして生産物を実際につくりだした人びとが取得するのではなくて、資本家が取得するようになったわけである。

生産手段と生産とは、本質上、社会的なものになった。

しかし、個々人の私的生産を前提とする取得形態に、つまり、各人が自分自身の生産物を所有し市場に持ち込む場合の取得形態に、従わせられる。

生産様式は、このような取得形態が前提されることを廃止するにもかかわらず、この取得形態に従わせられるのである。

この矛盾のうちに、新しい生産様式にその資本主義的性格を与えるこの矛盾のうちに、現代の衝突の全体がすでに萌芽として含まれている。

新しい生産様式が、すべての決定的に重要な生産分野とすべての経済的に決定的に重要な国ぐにとでますます支配的になり、それにつれて、個々人の生産を駆逐して取るに足りない残り物にしていけばいくほど、社会的生産と資本主義的取得とがあい容れないことも、それだけますますどぎつく明るみに出ないわけにはいかなかった。

〔原注〕〈取得の形態がもとのままであっても、取得の性格は、右に述べた経過によって生産に劣らず変革される〉、ということは、ここで説明するまでもない。

私が自分自身の生産物を取得するか、それとも他人の生産物を取得するかは、もちろん、二つの非常に異なった種類の取得なのである。

ついでにいえば、資本主義的生産様式全体がすでに萌芽としてそこにひそんでいる賃労働というものは、非常に古くからあった。

それは、幾世紀ものあいだ、奴隷制と拒んで、ばらばらに散在的に行なわれてきた。

しかし、この萌芽は、歴史的な前提条件がつくりだされたときに、はじめて発達をとげて資本主義的生産様式になることができたのである。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p139-141)

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◎「自分自身の生産物を取得するか、それとも他人の生産物を取得するかは、もちろん、二つの非常に異なった種類の取得……」と。

◎私的所有……「生産様式は、このような取得形態が前提されることを廃止するにもかかわらず、この取得形態に従わせられるのである。この矛盾のうちに、新しい生産様式にその資本主義的性格を与えるこの矛盾のうちに、現代の衝突の全体がすでに萌芽として含まれている。」