学習通信040622
◎「生産手段が社会的生産手段に変えられて資本家の手に集積されると……」
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農民の賃金労働者化
本来ブルジョア革命の中心課題ともいうべき封建的土地所有の廃棄が不十分にしかなされなかったことは、賃金労働者への転化のしかたをさまざまなかたちで規定し、かつ、創出された賃金労働者に特殊日本的な性格を刻印する原因となった。そこでつぎに、日本の労働者階級がどのようなコースをたどって形成されたかを、順を追ってみてゆくことにしよう。
大きく分ければ、@農民の賃金労働者化、A封建家臣団の解体とその賃金労働者化、B伝統的職人層の没落とその賃金労働者化、C浮浪人・囚人の賃金労働者化の四コースが考えられる。
このうち@が基本的なコースであり、他は補完的な位置をしめていた。まず最初に@については、隅谷三喜男の『日本賃労働史論』が、つぎの三つの形態に分けている。
第一は農村マニュ(マニュファクチュア)の展開を基盤として、農村地帯に生じた賃労働需要に対し、周辺農村の中貧農の中から析出された賃労働であり、第二は中貧農の過剰な労働力が自己の周辺において雇用の機会を見出しえないため、単身遠隔地の工場・鉱山その他へ出稼ぎする場合であり、第三は第一、第二の形態が何れも農家の家計補充として現われるのに対し、農村における生活の破綻から、一家をあげて、あるいは一家離散して都市下層に流出し、そこで賃労働者となる場合である。
右のうちで基軸的位置をしめているのは、第一の形態であった。製糸・紡績・織物などの繊維工場やマニュフアクチュアをもつ農村地帯では、貧農の子女が女工として雇われ、家計補充的な低賃金を得て一家の生計をささえていた。
(中村政則著「労働者と農民」小学館ライブラリー p49-50)
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資本とは生産関係である
この本では資本主義という社会のしくみができあがってくる時期に、労働者階級がどのようにして生まれ、成長してきたかというテーマがあつかわれています。読みやすいように物語風に書いてありますから、一つひとつの話は独立していて、どこから読みはじめてもかまいませんが、全体としてはひとつの筋をとおしているつもりです。そこで最後に「あとがき」として、この本をつらぬいている「筋」をまとめておきましょう。
資本主義という経済のしくみは、資本家が工場や機械や原料などの生産手段をもち、労働者をやとって商品を生産することからなりたっています。こういうしくみができあがるためには、なにがもっとも必要だったのでしょうか。ちょっと考えると、もっとも必要なものは資本であったようにみえます。しかし、資本とはいったいなんでしょうか。
それはお金でしょうか。たしかにお金がなければ工場を建てることも人をやとうこともできませんが、しかしお金をもっているだけでは、それは資本とはいえません。お金は、もうけをあげるように使われたときに、はじめて資本になるのです。
もうけをあげるのには、いろいろな方法があります。人に金を貸して利子をとるという方法もあり、安い値段で品物を買って高く売るという方法もあります。お金がこういうふうに使われるとき、それは利子生み資本(あるいは高利貸資本)とか、商業資本とかいわれます。しかし、資本主義の基本になっている資本は、こういう資本ではありません。さきにのべたように、資本主義の基本となっている資本は、労働者をやとって商品を生産する資本で、これを産業資本といいます。
ですから、資本主義という経済のしくみができあがるときにもっとも必要だったことは、労働者をやとって商品を生産し、それによって金もうけをするように、お金が使われるということだったのです。そしてそのためには、人にやとわれる労働者がいなければなりませんでした。
資本というのはお金ではなく、生産手段を買いいれ、労働者をやとうようにお金が使われること、つまりお金の使い方のことであり、とくに資本主義のもとでは、資本と賃労働という生産関係がつくりだされたときに、お金は資本となる、ということができます。マルクスが「資本とは生産関係である」といっているのは、こういう意味です。
資本の本源的蓄積
いったん資本主義ができあがってしまうと、労働者はありあまるぐらいいます。お金さえあれば人をやとうのに不自由はしません。しかし資本主義がはじまるころは、どこの国でも国民の大部分は農民であり、あるいは職人でした。賃金をもらって人にやとわれようという人は、ほとんどいませんでした。こういう社会では、いくらお金があっても、そのお金を産業資本として使うことはできません。
そこで、こういう農民や職人から土地などの生産手段をとりあげ、これを労働者に変えてゆくことが必要でした。この過程を、マルクスは資本の本源的蓄積と名づけました。「本源的」というのは「いちばん最初の」ということです。資本の最初の蓄積というのは、資本家になった人が倹約してお金をためたということなのではなく、お金によってやとわれて働く労働者がつくりだされることなのだ、というのが、マルクスのいいたかったことです。
この本源的蓄積の中心となったのは、農民から土地をとりあげることでした。それがもっとも徹底しておこなわれたのは、イギリスでした。そこでは一六世紀から一八世紀にかけて、エンクロージャーとよばれる土地の囲いこみがあり、農民は家族ぐるみ、村から追いだされました。村そのものがなくなってしまったこともあります。この話は、第三話「農民に土地を」のなかに書いてあります。
日本ではイギリスほど徹底した土地とりあげはありませんでしたが、それでも出稼ぎとか、娘を工場へだすとかという形で、農民は労働者に変えられてゆきました。その話は第二話「労働者のふるさと」というところに書いてあります。日本での土地とりあげは最近までつづき、一九六〇年代の経済の「高度成長」のなかで農業が破壊され、過疎の村がつくりだされていることは、一六、七世紀イギリスの廃村とよく似ているということもできるでしょう。
農村を追いだされて工場などで働くようになった労働者が、はじめのうち、どんなにひどい労働条件のもとにおかれていたかということは、いろいろな本に書かれていますので、読者のみなさんもよく知っていることとは思いますが、第四話、第五話ではそのことを具体的に書いてみました。
こういう話を読んで、昔はずいぶんひどいことがあったんだなと思うだけでなく、そういうひどい状態からどうやってぬけだし、労働者の権利がみとめられるようになってきたのか、いまでもなお無権利の労働者があり、あるいは労働者の権利がふみにじられていることがあるのを、どうやって改めてゆかなければならないのか、そういうことを考えながら、第四話、第五話を読んでほしいと思います。
第六話から第八話までは、イギリスの労働者のたたかいの歴史です。世界でもっとも早く資本主義が生まれ、労働者がつくりだされたイギリスでは、労働者のたたかいの経験もなく、たたかいをみちびく理論もありませんでした。ですから、いろいろと失敗や誤りをくりかえしながら、イギリスの労働者のたたかいはすすんできたのです。
そしてそのなかから、たくさんの教訓もつくりだされました。世界中の労働者はイギリスの労働者のたたかいの教訓から学び、それぞれの国でのたたかいをつくりあげてきました。
もちろん、日本にも労働者階級の長いたたかいの歴史があります。日本でも明治のはじめから高島炭鉱の暴動などがあり、一八八五(明治一八)年には山梨県甲府の製糸工場で、日本ではじめてのストライキがたたかわれました。労働組合も明治三〇年代からつくられはじめ、鉄工組合(一八九七年)、日本鉄道矯正会(一八九八年)などという労働組合が生まれました。
こういう日本の労働者階級のたたかいの歴史については、ほかにたくさんの本がありますから、この本ではとりあげませんでした。ただひとつ、『女工哀史』の著者細井和喜蔵の妻高井としをさんの話は、ひとりの労働者のすばらしいたたかいと成長の記録だと思いましたので、いちばんはじめに第一話として紹介しました。高井としをさんが、私たち後輩によせている期待を、読者のみなさんとともに、しっかりとうけとめたいと思います。
(浜林正夫著「物語 労働者階級の誕生」学習の友社 p228-233)
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最初の資本家たちが現われたときには、右に述べたように、賃労働という形態はもう存在していた。
しかし、その賃労働は、例外であり、副業であり、一時しのぎの援助であり、通過点であった。
ときおり日雇いに出る農業労働者も、自分の土地を二、三モルゲン〔地方によって異なるが、一モルゲンはおおよそ二五-二六アール〕もっていて、それだけでなんとか暮らしていくことができた。
ツンフトの規則は、きょうの職人があすの親方になれるように配慮していた。
しかし、生産手段が社会的生産手段に変えられて資本家の手に集積されると、こういう事情はたちまち一変した。
個々の小さな生産者の生産手段も生産物も、ますます無価値になった。
彼には、資本家のところへいってそこで賃金で雇ってもらうほかに道がなくなった。
以前には例外であり一時しのぎの援助であった賃労働が、生産全体の常則となり基本形態となった。
以前は副業であったが、いまでは、労働者の唯一の活動となった。
臨時の賃金労働者が、終身の賃金労働者に変わった。そのうえ、終身の賃金労働者の数は、同時に起こった封建制度の崩壊・封建領主の従士団の解体・屋敷地からの農民の追放などなどのせいで、ものすごくふえた。
こちらには、資本家の手に集積された生産手段、あちらには、自分の労働力のほかにはなにももっていない身になった生産者、この両者の区分けが完了していた。
社会的生産と資本主義的取得とのあいだの矛盾は、プロレタリアートとブルジョアジーとの対立となって明るみに出る。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p142)
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◎「事情はたちまち一変」する……。