学習通信040623
古典的読み方に挑戦を……。

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 すでに見たように、資本主義的生産様式は、商品生産者──その社会的連関が自分の生産物の交換に仲だちされている、個人的生産者──の社会へ割り込んでいった。

しかし、商品生産をもとにしているどの社会も、〈そこでは生産者が自分自身の社会的関係にたいする支配権を失ってしまった〉ということを特徴としている。

だれでも、自分がたまたま持ちあわせている生産手段で、自分の個人的な交換欲求をみたすために、別々にひとりで生産する。

自分の品物と同じものがどれだけ市場に出てくるのか、そもそもそのうちどれだけのものが必要とされるのか、だれにもわからないし、また、自分の個人的生産物にたいして実際に需要があるのかどうか、自分のかけた費用を回収できるのかどうか、または、そもそもそれを売ることができるのかどうか、だれにもわからない。

ここには、社会的生産の無政府状態が支配しているのである。

しかし、商品生産にも、他のすべての生産形態にと同じく、それ独特の・それに内在している・それとは切りはなせない諸法則がある。

そして、この諸法則は、無政府状態が支配しているにもかかわらず、この無政府状態のなかで、この無政府状態をとおして、貫徹されるのである。

社会的連関のただ一つ存続している形態である交換のうちに現われて、個々の生産者には競争の強制的な諸法則というかたちでその効力をあらわす。

だから、それは、はじめはこうした生産者自身にもわかっていないわけで、彼らは、それを長いあいだの経験を通じてはじめて、しだいしだいに、発見していかなければならないのである。

この諸法則は、このように、生産者ぬきに、生産者に反対して、彼らの生産形態の盲目的に作用する自然法則として、貫徹される。

生産物が中世の社会では、ことにはじめの数世紀には、生産は本質的に自家用に向けられていた。

おもにただ生産者とその家族との必要=欲求をみたすだけであった。

農村でのように人身的な隷属関係があったところでは、生産はまた封建領主の必要=欲求をみたすことにも役だった。

この場合にはつまり交換は行なわれなかったし、だから、生産物が商品という性格をとることもなかったわけである。

農民の一家は、ただ食料だけでなく、家具でも衣服でも、自分に必要なものはほとんどすべて生産した。

自分自身の需要と封建領主に納めなければならない現物貢租とを超えて或る余剰を生産するようになったとき、はじめて商品をも生産するようになった。

この余剰が、社会的交換のなかへ投げ込まれ、売りに出されて、商品になったのである。

ただし、都市の手工業者は、もうそもそものはじめから交換めあてに生産しなければならなかった。

しかし、彼らも自家需要品の圧倒的大部分を自分の労働で手に入れていた。

菜園と小さな畑とをもっていたし、自分の家畜を共同体の林に放し、そのうえこの林から用材と燃料とを得ていたし、女の人たちは、麻・羊毛を紡いだ、などなど。

交換を目的にした生産すなわち商品生産は、ようやく発生しかけたばかりであった。

だから、交換は限られており、市場は限られており、生産様式は安定していた。

外に向かっては地方的閉鎖性があり、内に向かっては地方的団結があった。すなわち、農村にはマルク〔土地共同体〕があり、都市にはツンフトがあったのである。

 商品生産が拡がっていくにつれて、とりわけ資本主義的生産様式が現われるとともに、商品生産のそれまで眠っていた諸法則も、もっと公然と、もっと力づよく、作用するようになった。

古いきずなはゆるめられ、古い閉鎖的な垣根は突き破られ、生産者は、独立したばらばらの商品生産者にますます変わっていった。

社会的生産の無政府状態が明るみに出てきて、ますます極端になっていった。

資本主義的生産様式が社会的生産のこの無政府状態をつのらせるのに用いたおもな道具は、しかし、無政府状態とは正反対のもの、すなわち、〈個々のどの生産企業のなかでも、生産をますます社会的生産として組織していく〉ということ、であった。

この梃子を使って、資本主義的生産様式は、古い平和な安定した状態を終わらせた。

それは、或る産業部門に取り入れられると、古くからの経営方法が自分と並んで存在するのを許さなかった。

手工業をとらえると、古い手工業を滅ぼした。仕事の分野は戦場となった。地理上の大発見とそれに続いて行なわれた植民地化とのおかげで、販路は何倍にも拡がり、手工業のマニュファクチュアヘの転換が速められたのである。

ただ個々の地方的生産者のあいだに闘争が起こっただけではない。地方的闘争は、つぎには国民的闘争に、一七世紀・一八世紀の商業戦争に、発展した。

最後に、大工業と世界市場の形成とによって、この闘争は、普遍的なものとなり、同時にこれまでになく激しくなった。

個々の資本家のあいだでも、すべての産業のあいだでも、すべての国のあいだでも、自然的または人為的な生産諸条件が有利なものであるかないかで生死が決まる。

敗者は容赦なく消される。これは、ダーウィンの言う〈個体間の生存闘争〉が、幾層倍にも狂暴化されて自然から社会へ移されたものである。動物の自然のままの立場が、人類の発展の頂点として現われる。

社会的生産と資本主義的取得との矛盾は、個々の工場のなかでの生産の組織化と社会全体のなかでの生産の無政府状態との対立として再生産される。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p143-146)

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誰の「自然法則」か?

 物体は下へはおちるが、上へは上らない。窓からとびだしたらどうなるかは、諸君がよくご存知だ。物理学者は、ぼくたちにこのことを納得のゆくように説明してくれた。ニュートンは、物理的宇宙を記述するといわれる一連の自然法則の一つである重力の法則を定立した。こうした自然法則を知っていれば、諸君は行動を計画し、希望する目標に到達することができるが、自然法則を知らなかったり、これを無視したりして行動すると、ひどいめにあう。

 これと同じように、産業革命の頃の経済学者たちは一連の法則を発展させた。彼らのいうところによると、これらの法則は、自然科学者の法則が物理的世界にとって真理だったと同様に、社会的・経済的世界にとって真理だった。彼らは経済の「自然法則」である一連の学説を定立した。だが、彼らは発見した法則にたいしては超然としていたのだ。つまり、彼らはこの法則がいいか悪いかについては論じなかったのだ。

こうした議論は全然必要ではなかた。彼らの法則は永久不変だった。ひとは、ただ彼らが発見した原理に従って賢明に行動しさえすればいい。だが、もし彼らが馬鹿でその自然法則の通りに行動しなかったら、ひどいめにあうだろう。

 さて、これらの経済学者たちが、真理を探究する場合に、研究の実際の結果に全く無関心だったということは本当かどうかは分らない。だが、彼らは一定の時、一定の場所に生活している血の通った人間だった。このことはつまり、彼らが取扱った問題が、彼らが生活していた時と場所におこった問題だったということを意味する。

そして、彼らの学説は社会の有力な人々のグループにつよい影響をあたえ、これらの人々は自分自身の利益に結びつけてこの学説を取捨し、この学説の光のなかに「真理」を見たのだ。

 ちょうど、商業革命後の商人階級の勃興が重商主義の理論をもたらしたように、また富の源泉としての土地を重視する重農主義者の学説が農業国フランスに発達したように、イギリスの産業革命の進行中における産業家の勃興が、当時の諸条件にもとづく経済理論をもたらしたのだ。ぼくたちは、こうした産業革命の理論化を「古典経済学」となづける。

 諸君は古典学派の創始者とよばれるアダム・スミスの学説の一部はすでにご存知だ。他のすぐれた古典経済学者は、リカードー、マルサス、ジェイムス・ミル、マカロック、シーニア、ジョン・ステュアート・ミルである。彼らはすべて必ずしもスミスとも一致せず、お互いにも一致しなかったが、若干の一般原則についてはすべて一致していた。

 そしてこれらの原則に心から賛成したのは、当時の企業家だった。これには立派な理由がある。古典学派の理論は、彼らの特別な要求におどろくほどうまく適合していた。彼らはそこから、彼らの行動を完全に正当化する自然法則を、きわめて容易に選びとることができたのだ。

 企業家たちは、大事な機会を大きく眼をあけてにらんでいた。彼らは熱心に利潤を求めた。そこに古典経済学者たちがあらわれて、企業家が関心を払うべきものはまさにそれだといったのだ。いや、それだけではない。企業家にとって、もっと大きい慰めがあった。古典経済学者たちは、君たちは利潤を追求する一刻一刻に同時に国家をも援助しているのだと企業家に教えたのだ。実際アダム・スミスはそういったのだ。

ここに、たとえてみれば、うるさい良心に悩まされて夜もおちおち眠れない、一獲千金をねらう利得家のために特別につくられたすばらしい処方箋があった。「すべての個人は、自分の支配することのできるどんな資本のためにも、一番有利な投資口を見出すためにたえず努力している。彼の眼中にあるものは彼自身の利益で、社会の利益ではない。ところが、彼自身の利益の研究は、おのずから、あるいはむしろ必然的に、社会にとって一番有利な投資口をえらばせるのだ。」

 お分かりですか?
 社会の幸福は個人の幸福と結びついている。すべての人に絶対の自由をあたえるがいい。彼に、できるだけ多くの利潤を手に入れよというがいい。彼の私利に訴えるがいい。そうすれば、見よ、社会はすべて一だんと改善されている! 諸君自身のために働きたまえ。そうすれば、諸君は社会の福祉に奉仕することになるのだ。利潤獲得レースヘの出場を待ち望んで革紐につながれて張り切っている企業家にとってなんと素晴らしいはなむけだろう! 特別レース「自由放任」のトラックを掃ききよめよ!

 政府は労働時間や労働賃銀を統制すべきだろうか? これは自然法則にたいする干渉だから無効だ、と古典経済学者はいうのだ。

 それでは、政府の役目は何だろうか? 平和を維持すること、財産を保護すること、干渉をさけることだ。

 競争は時代の要請でなくてはならぬ。競争は商品の価格をひきさげ、強い者や能率のいい者の成功を保証し、一方弱い者や能率の悪い者をとりのぞく。だから、価格をひきあげるための資本家の独占であれ、賃銀をひきあげるための労働組合の独占であれ、独占は自然法則にたいする侵害だ。

 だいたいこうした考えは、諸君が記憶しておられるように、重商主義の統制と制限と抑制に答えて、アダム・スミスによって輪郭づけられていた。彼は一七七六年、つまりちょうど産業革命がはじまった時期にその偉大な著書をかいた。

この学説をとりあげ、それを拡張し、さらに一だんと普及させた古典経済学者たちは、産業革命がずっと進行して商品生産が増大し、資本家階級が権力を握った時期にその著書をかいた。彼らは当時の諸条件に適合した自分たち自身の「自然法則」をつけ加えた。
(レオ・ヒューバーマン著「資本主義経済のあゆみ」岩波新書 p63-66)

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◎「政府の役目は何だろうか? 平和を維持すること、財産を保護すること、干渉をさけることだ。」……どこかで聞いたようなことだ。

「この諸法則は、無政府状態が支配しているにもかかわらず、この無政府状態のなかで、この無政府状態をとおして、貫徹される」と。