学習通信040625
◎この階級とは、プロレタリアートである。

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労働者について

 法の骨格ないし法の原理は、法において人間がどのようなものとしてとらえられているかということ、すなわち、法における人間像の性格をとらえることによって明らかになる。

一 労働法における労働者の範囲

 労働法は単に個人ではなく、労働者という社会的人間をとらえている。だが、今日、社会的に労働者とよばれているもののすべてを、今までもとらえていたわけではない。歴史的にみると、だんだんとそのとらえる労働者の範囲をひろげてきたし、「労働法」という一般的な用語も、その中から生れてきたのである。

法学者が労働法という統一的な法体系を理論的に考えようとした先駆的な国はドイツだが、そのドイツでも、工場法・労働者保護法・労働者法・労働者及使用人法といったように、そのとらえる労働者の範囲をひろげていって、第一次大戦前後から「労働法」とよばれるようになり、ワイマール憲法が、「国は統一労働法を制定す」(一五七条)と宣言するにいたって確定したといってよい。

今日では、「労働法」はほぼ世界的な用語になっている。それだけ労働者階級が成長したということにほかならない。それは、支配階級が統一的、体系的な政策によって、労働者階級に対処せざるをえなくなったということでもある。

 このような労働法における労働者の範囲の拡大は、実は、社会において労働者とせられる社会集団の拡大とあるていどは照応するのである。法は一般に、社会的にとらえられているものをおくれて取りあげてゆく。各国とも当初は、労働者というと生産的筋肉労働者、つまり、職工=クラフツメンを社会は表象した。

わが国の戦前もそうである。労働組合でさえも戦前は、ホワイトカラー、知識労働者、俸給生活者、職員層といわれる人々を、中産階級的なものとみていたし、また極端にいうと、使用者側の手先であり、労働者の敵だというふうにすら考えていた時期もあったようである。戦前にも俸給者組合、つまり、ホワイトカラーの組織はあった。

だが、総同盟ははじめはそれとの協同を拒否していた。労働運動の発展につれて、俸給者組合の存在意義も逐次理解されるようになり、ことに、大正十二年に東京の日本電気株式会社の技手、工手紙の日給社員によって組織された蒐星会が、大正十三年七月待遇改善を要求して、総同盟関東鉄工組合三田支部と共同ストライキを行うにいたって、提携論が盛んになり、大正十四年の総同盟大会は、俸給生活者組合設置の件を可決するにいたったという歴史がある(協調会「最近の社会運動」・昭和四年・二四頁)。

 労働運動の中でもこの通りなのだから、労働者という観念が、戦前はまだ十分ホワイトカラーをふくんだものにまでは熟していなかった。だから、戦前の工場法にせよ、またついに制定をみなかったけれども、幾度か労働組合法案が議会に提出されたが、それをみても、やはり筋肉労働者が主要なる対象となっていたと考えられる。

それは、社会的にも労働者というと、だいたい、筋肉労働者を考えるのが戦前の一般的な傾向だったからである。第二次大戦後にできた旧労組法は、公務員や民間企業における職員層まですべてをふくんで労働者とした。その点は、末弘先生も旧労組法を制定するときの原案で、「仕事に従事し、これによって給料生活をしているもののすべてを労働者と定義するとともに、その労働者のすべての団結権を保障することとした」(労働組合法解説四頁)というふうに述べていられるのをみても、戦後の労働法は、非常に広い範囲において労働者をとらえている。しかもかかるとらえ方が自然になされた。

 戦前から戦後へと、このように急激にかわったのには、後に述べるように、戦後の日本≠フ社会における特殊な規範意識が原因となっているのではあるが、世界的にみても、今日は、「労働者」の概念は非常に広いものになっているのである。日本も、かかる世界的な思潮を一般的な基礎としているといわねばなるまい。

労働法は労働者からみると「闘いとった法」であり、支配階級の側からは労働者階級対策の手段たる法だということになるだろうが、だからこそ、闘争組織たる組合の世界的な発展が、労働法における労働者の範囲をひろげてきたともいえるわけである。

戦後日本の労働者像が広い範囲の人民の集団を包含しているのは、そのような世界的思潮にもよることだが、それが労働法では後進的であったわが国において、かなり自然にうけ入れられたという理由は、やはり、日本の戦後社会の急変の相をみなければわからない。
(沼田稲次郎著「運動のなかの労働法」労働旬報社 p18-21)

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労働者

 これは、あらゆる経済用語のなかでももっとも大きく誤解されている言葉です。「ヘーエ、こんな簡単な言葉が! 労働する人って意味じゃん? はっきりしてるじゃないの」と、あなたが思うとしたら、それもまた誤解です。それが証拠に、こう聞かれたら、どう答えますか。「あなたは、学校を卒業したら労働者になるつもりですか?」「はい」と、なんのかげりも感じずに答えることはできないのではありませんか。

 労働者というのは、単に「労働する人」ではありません。いつの時代にも、労働する人は存在しなければなりません。そうでなければ経済は成りたたない。人間の生存はありえない。しかし、古代社会において奴隷として労働していた人、中世において農奴として労働していた人を、労働者とは呼ばないのです。なぜそう呼ばないのか。それは、近代・現代において労働者と呼ばれている人たちと、労働するしかたがちがうからです。その違いが重大だから、呼び方を区別しているのです。労働者とは、単に「労働する人」なのではなくて、その労働のしかたにひとつの根本的な特徴がある人のことなのです。

 その特徴とは何か。ズバリ言い切れば「他人に雇われて働く」ということです。他人とは、単に個人のことだけではなく、会社のような組織もふくめてのことです。

 雇われて働く、つまり雇用関係を結んで働く。そういう立場で働く。それが労働者です。奴隷は、所有主の所有物として働かされる。農奴は地主にたいする身分的隷属関係にある存在として働かされる。労働者はちがうのです。自分の所有する労働力を、自分の意思で相手に提供して、働かされる存在です。労働する人が労働する能力、肉体と精神の能力が、奴隷の場合も農奴の場合も、自分自身の所有するものとは認められていない。

労働者はそうではない。「近代における人権の確立」という言い方に示されるように、その能力は、労働する人自身の所有するものとして認められている。労働者は、自分のものである能力を、自分で相手を選んで(といっても、相手もまた誰を雇うかを選びますから、思い通りにいくとは限りません)提供するのです。

その提供の見返りに賃金という報酬を受けとるのですから、言いかえれば労働力を売るのです。売った労働力は、買われた労働力は相手のものになります。労働者は、労働するときは、自分の意思で労働するのではなく、労働力の買手の、つまり雇主の意思に従って労働することになります。

 労働者とはブルー・カラー(肉体労働をする人)のこと、ホワイト・カラー(事務あるいは精神労働をする人)は労働者ではないというのはウソ。雇われて働く人は労働者です。
(岸本重陳著「新版 経済のしくみ100話」岩波ジュニアー新書 p124-125)

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レーニンの「偉大な創意」

 七〜八年まえのことだと思う。学習会で、「労働者階級とはなにか」ということについて話していたとき、一人の労働者から、ひどくそっけない感想をもらされたことがある。

 そのとき私は、レーニンが「偉大な創意」という論文のなかでのべたことを説明していた。

 それはつぎのようなことであった。
 ロシアの一〇月社会主義革命(一九一七年)が成功した直後の、一九一九年のことである。ロシア全土にわたって、まだ反革命軍が活動しており、労働者はこれとの闘争に全力をあげていたが、成果は遅々として進まなかった。

 ところが、労働者たちは、こうした状況のもとで手をこまねいてはいなかった。まず最初に、モスクワ=カザン鉄道の一部の先進的労働者たちが、たちあがった。彼らは、闘争にかちぬいて革命政権をまもるために、土曜日ごとに、賃金なしで五時間の時間外労働をすることを決議して、ただちに実行にとりかかった。

 すると、この「土曜労働」が、一つの運動となって、たちまち広範な労働者のあいだにひろがっていった。労働者たちは、「インタナショナル」や「仕事の歌」や「同志よかたく結べ」を合唱しながら、喜びいさんで、このただの労働にとりくみ、すばらしい能率をあげた。

 「ただ働きの時間外労働を自発的にやった」というと、それは、あるいは一部の人びとには信じられないかもしれない。それは、歴史上のどの時代にもみることのできなかった、働く人たちの自覚にもとづく自由な労働であった。

 たとえば、封建時代の農民は、けっして自分たちの意思で領主の土地を耕したのではなかった。彼らは領主や地主の力が恐ろしくて、その「鞭の規律」のもとで働いた。また、資本主義のもとでも、労働者は、利潤だけを追い求める雇主たちのもとで、進んで働いたわけではなかった。彼らに雇われ、その横暴に耐えしのばなければ、食べてゆくことができないから、そうしたのであり、労働者たちは、いわば「飢えの規律」に従って働いたまでのことだった。

だが、いま社会主義の下で、労働者は、歴史の上でまったく新しいことであったが、その労働のもつ意味を自覚して、誰にも強制されないで、無報酬の時間外労働に進んでとりくんでいた……。レーニンはこの事実のなかにふくまれている重大な意味を認めて、一つの論文をまとめた。それが「偉大な創意」であった。

労働者階級とは

 すこし説明が長くなったが、かんじんなのは、ここからあとである。
 いまのべたように、このロシアの労働者たちは、誰にも強制されないで、「自由な自覚した規律」にしたがって生産や建設にとりくみはじめたのであるが、それではいったいぜんたい、この「新しい規律」は、社会主義革命が勝利したのちに、いいかえれば社会が資本主義から社会主義に移ったのちに、とつぜん「天から降ってくる」ように労働者たちのあいだに生まれてきたものなのだろうか。

 たしかに、資本主義から社会主義へと社会が変わり、生産や労働が資本家のもうけのためにではなく、働く人びとの利益のために行なわれるようになったならば、そうした自由な自覚した規律が、広範な労働者のあいだにひろがってゆく条件ができるにはちがいない。だが、規律とか道徳とかいったものは、人間のあいだの長いあいだの習慣と結びついたものであって、そう簡単に、とつぜん生まれ、ひろがってゆくものでないことも確かである。

 そうだとすると、社会主義社会になってモスクワ=カザン鉄道の労働者たちのあいだにあらわれ、ついで広範な働く人びとのあいだにひろがっていった、新しい、自由な、自覚した規律は、すでに、それ以前になんらかの形で芽ばえていたのでなければならないことになる。

 事実は、そのとおりである。そうした規律は、実は資本主義の諸条件のもとで、労働者階級のあいだに、それも、団結してたたかう労働者階級のうちに、必然的にそだってくるものであったし、革命をやりとげたロシアの労働者階級のうち少なくとも先進的部分のなかには、実際にそうしたものがそだっていたのである。

 そして、資本主義の諸条件のもとで抑圧され、搾取される労働者階級のうちにこそ、こうした来たるべき新しい社会の軸になる自由な自覚した規律が芽ばえ、そだってくるという事実のうちに、労働者階級とはどういうものかという問いにたいする答えも、実はふくまれているのであるが、話をいそがないで、まず、レーニンに聞こう。レーニンは、この問題について、「偉大な創意」のなかでこうのべている。

 「この新しい規律は天から降ってくるのでもなく、善意の願望から生まれるものでもない。それは大規模な資本主義的生産の物質的諸条件のなかから、もっぱらそのなかから成長してくるのである」。

しかも「これらの物質的諸条件の担い手、あるいは先導者は、大規模な資本主義によってつくりだされ、組織され、結集され、教育され、啓蒙され、きたえられた特定の歴史的階級」である労働者階級なのだ、と。

 このレーニンの言葉を、私なりに解釈してみると、それはつぎのようなことであろう。

 こんにちの工場制度のような、資本主義的な大規模生産がこの世にあらわれてくるまでは、人びとはどこの国でも、農民や手工業者として個々ばらばらに、分散して働いていた。

 ところが、資本主義の発展は、こうした人びとを没落させ、賃金労働者に変えた。そしてとりわけ産業革命で工場制度が発達すると、賃金労働者の数がいちじるしくふえ、労働者は一つの階級を形成するようになった。まさしく、労働者階級は「大規模な資本主義によってつくりだされ」たのであった。

 こうして資本主義によってつくりだされた労働者階級は、また資本主義によって「組織され、結集され」ることになった。というのは、工場制工業以前には、個々ばらばらに、分散して働いていた貧民や手工業者が、いまや賃金労働者として工場制工業に代表される大規模生産のなかにひきいれられ、一つの屋根の下、一つの工場構内に幾百人、幾干人、幾万人と集められて、協同作業に従事させられたからであり、まだ、そこで、分散して働く農民や手工業者にはみられない、規律ある組織的な生産労働に従わせられたからである。

そしてその結果、この新しい賃金労働者は、多数団結して資本にたいする組織的な抵抗闘争にたちあがるための条件を身につけてゆき、また実際にそのような組織的行動にたちあがっていったからである。

 この労働者階級は、また資本主義によって「教育され、啓蒙され」ることになった。というのは、工場制工業のもとで働く近代的労働者階級は、まず第一に、近代科学と技術の最新の成果が応用された大規模機械制生産にたずさわることから、古くさい手工的方法で働く公民や手工業界には考えられないような高い水準の科学的知識を、いやおうなしに身につけさせられたからである。そして第二に、労働者が都市に集中して住まわせられることから、経済、社会、政治の問題に目を向けさせられ、これらの問題について、科学的に考えさせられ、目を開かされていったからである。

 そして最後に、資本主義によって「きたえられる」というのは、もう説明するまでもないことであろう。労働組合に、また労働者階級政党に、団結するようになった労働者階級が、経済、社会、政治の問題について目を開き、自らの解放と、すべての抑圧され押収されている人びとの解放のためにたたかいはじめたときに、労働者階級は、雇主と官憲や軍隊による妨害、弾圧、迫害にさらされ、そのことによって、たえず階級的に「きたえられ」た。

こうして労働者階級は、解放のための思想と、階級的戦術を身につけ、勝利を保障する不屈の運動をきずきあげていったのである。

 以上にみたとおり、労働者階級とは、ほかならぬ資本主義のもとで、自分自身と人民全体の解放をめざす団結──自由な自覚ある規律にもとづくたたかいを発展させてゆかずにはいない階級なのであるから、レーニンが、これにさらにつけ加えて、つぎのようにのべたとしても、不思議ではないだろう。

 「ただ特定の階級、すなわち都市の労働界、一般に工場労働者、工業労働者だけが、資本のくびきを打倒する闘争のなかで、その打倒の過程において、勝利を確保し強化するための闘争のなかで、新しい社会主義的な社会組織を創設する事業のなかで、階級を完全に廃絶するための闘争全体のなかで、勤労被搾取者の全大衆を指導することができる」。
(中林賢二郎著「労働組合入門」労旬新書 p11-17)

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 農奴制的な社会的労働組織は、鞭の規律にささえられていたが、そのもとでは労働者はひとにぎりの地主に略奪され、愚弄されて、極度の蒙昧と打ちひしがれた状態にあった。

資本主義的な社会的労働組織は、飢えの規律にささえられていた。

そして膨大な勤労大衆は、ブルジョア文化とブルジョア民主主義の、いっさいの進歩にもかかわらず、もっとも先進的な、文明化された民主主義共和国においてさえ、賃金奴隷または抑圧された農民の蒙昧で打ちひしがれた大衆のままであり、それをひとにぎりの資本家が搾取し、愚弄していたのである。

共産主義的な社会的労働組織──社会主義はその第一歩である──は、地主のくびきをも資本家のくびきをも投げすてた勤労者自身の、自由で自覚した規律にささえられており、さきにすすめばすすむほど、ますますそうなるであろう。

 この新しい規律は、天から降ってくるものでなく、善意の願望から生まれるものでもない。それは、大規模な、資本主義的生産の物質的な諸条件のなかから、またそのなかからだけ成長してくるのである。

この物質的諸条件なしには、新しい規律は不可能である。

だが、これらの物質的諸条件をになうもの、あるいはそれを先導するものは、大規模な資本主義によってつくりだされ、組織され、結集され、教育され、啓蒙され、きたえられた、特定の歴史的階級である。

この階級とは、プロレタリアートである。
(レーニン全集 第29巻「偉大な創意」大月書店 p423-424)

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◎学習通信040624 と重ねて深めよう。