学習通信040717
◎社会性の欠如……。
■━━━━━
灯
教育の貧困なのか
先日、名古屋で大学祭を中止させようと、自らが通う大学の体育館などに火をつけた大学生が放火の疑いで逮捕される事件があった。この大学生は何と大学祭実行委員会の責任者だった。「準備がうまくいかず、中止か延期になってほしかった」と供述したというが、開いた口がふさがらないというのはこういうことを言うのだろう。
また、東京の私立大学の水泳部員が川崎市内の私鉄線路上に五百個もの置き石をして現行犯逮捕される事件もあった。被爆地の広島で折り鶴に火を放った大学生もいたし、女性暴行事件を起こした大学生もいた。これら大学生の短絡性と、社会性の欠如は度を越したものであり、大学の大衆化が進んだとはいえ、なぜ、こんな大学生を出してしまうのか、その背景を真剣に考えねばならないと思う。
もうひとつは、同級生を剌殺した佐世保小六事件など、相次ぐ少年少女の残虐事件である。こうした事件で思うのは、命の軽さだ。この子どもたちは誰かに、人間の命なんて大したことがないと教えられてきたわけではないはずだ。だが、目を覆いたくなる事件は次々と起こっている。
先の大学生の社会性の欠如と、残虐事件を起こす子どもの人間性の喪失はどこかでつながっているのかもしれない。そこには教育の貧困とか、心の貧困というようなことではくくれない何かがある。いずれにせよ、こうした犯罪が現実社会のあリ方に強い警鐘を鳴らすものであることを自覚せねばならない。(田中敏夫)
(京都新聞 夕刊 040716)
■━━━━━
(23)日本社会の直面している危機には、政治的危機、経済的危機だけでなく、道義的危機というべき深刻な問題がある。この危機は、子どもたちにもっとも深刻な形で影響をおよぼしている。重大で衝撃的な少年犯罪があいつぎ、いじめ、児童虐待、少女買春などが起きていることにたいして、多くの国民が不安を持ち、心を痛めている。
わが党はこれまでも、人間をおとしめ、粗末にする風潮とたたかい、健全な市民道徳を形成するための対話と運動をすすめることを、くりかえし呼びかけてきた。党自身の責任としても、前党大会の規約改定において、「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」ことを、党員の最優先の義務と位置づけてきた。
今日あらためて、社会の道義的な危機を克服する課題−−わけても子どもたちに健全な成長を保障することを、二一世紀に民主的な日本社会を築いていくとりくみの重要な内容の一つに位置づけ、国民的な対話と運動でともに解決方向を探求し、現状打開のための努力を強めることを呼びかけるものである。
(24)今日の道義的危機の根本には、自民党政治のもとでの国民の生活、労働、教育などにおけるゆがみや矛盾、困難の蓄積があり、それらの民主的打開のために力をつくすことが重要である。
たとえば大企業のリストラ競争のもとでの雇用破壊や長時間過密労働は、家族のだんらんやコミュニケーションを破壊している。「勝ち組・負け組」といった弱肉強食の競争至上主義の風潮がつくられ、他人を思いやるゆとりが奪われ、国民の精神生活にも殺伐とした雰囲気が持ち込まれている。若者の深刻な雇用危機は、青年の社会参加の権利を奪い、就職・結婚・子育てなど、将来の希望を閉ざす重大な問題となっている。
国連子どもの権利委員会は、日本政府への勧告のなかで、「極度に競争的な教育制度によるストレスのため、子どもが発達のゆがみにさらされている」とするきびしい批判をよせた。自民党政府が長年つづけてきた世界でも異常な競争主義の教育、管理主義の教育は、子どもたちの心と成長を、深刻に傷つけている。
政府・自民党は、今日の教育の矛盾と困難の原因を教育基本法に求め、その改悪の策動を強めているが、これはまったく根拠も道理もないものである。反対に、政府・自民党が長年にわたって、教育基本法に明記された民主的教育の理念と原則−−「人格の完成」を教育の根本目的とし、国家権力による「不当な支配」を許さないなどの理念と原則を踏みにじってきたことこそが、今日の教育をめぐる矛盾と困難をつくりだしているのである。わが党は、教育基本法改悪の動きに、強く反対してたたかう。
政治や経済にかかわるあいつぐ腐敗・不正事件は、子どもにとってはかりしれない有害な影響をおよぼしている。この分野での道義的腐敗の一掃は、健全な社会道徳を築いていくうえでも、きわめて重要である。
さらに、他国への戦争をけしかけ、テロを容認し、あおりたてる政治家の発言が問題となったが、こうした発言の生まれる根本にはアジア諸民族を侮蔑(ぶべつ)する独善的な排外主義の潮流が一部に台頭しつつあるという危険な状況がある。
市民道徳に有害な影響をおよぼしている、自民党政治のもとでのさまざまなゆがみや矛盾をただすたたかいが必要である。わが党は、日本社会を「民主的なルールある社会」にするたたかいを、日本社会に健全なモラルを確立していく課題と一体のものとしても位置づけ、力をつくすものである。
(25)これらの努力をはかりつつ、それには解消できない、社会が独自にとりくむべき問題として、わが党は、つぎの四つの角度からのとりくみを呼びかける。
−−民主的社会にふさわしい市民道徳の規準の確立……民主的社会の形成者にふさわしい市民道徳の規準を、国民的な討論と合意で確立していくことは、今日とくに重要である。
戦前、わが国の「道徳」は、「教育勅語」を中心として、天皇絶対の専制政治への忠誠に国民をかりたてることを第一に、国家権力から押しつけられた強制的規範としてつくられた。それは真の意味での市民道徳とは無縁のものであり、この「道徳」のもとで、他民族への侵略戦争という人間の道義を蹂躙した蛮行がおこなわれた。
この歴史的誤りの反省のうえにつくられた日本国憲法と教育基本法は、戦後の民主的な市民道徳を形成していくうえでの土台となりうるものだった。すなわちそれは、主権在民の原則、人権と人格の尊重、平和的な国家および社会の形成者、真理と正義の探求、勤労と責任の尊重、男女の平等・同権など、人類の進歩に立脚した普遍的価値観をふくんでいる。これらを土台にして、民主的社会の形成者にふさわしい市民道徳の規準を確立するための、さまざまな自主的なとりくみもおこなわれてきた。
わが党も、一九七〇年代、八〇年代に、教育の場で、学力、体育、情操とともに、市民道徳を身につける教育の重要性を呼びかけ、九七年の第二十一回党大会決議では、市民道徳にふくめるべき内容として、十項目の諸点を提起してきた。
こうした努力にもかかわらず、“何を市民道徳の規準とするか”という問題について、必ずしも国民的合意が存在しているとはいえないという現状がある。これは、政府によって上からの押しつけで決めるべき問題でなく、もとより一つの政党が決める問題ではない。社会的に認知された市民道徳の規準を、国民的な討論と合意によって形成することが重要になっていると考える。
−−子どもを守るための社会の自己規律を築く……「子どもに対して特別の保護を与える」(子どもの権利条約)という、社会が持つべき当然の自己規律の面で、日本が国際的に見ても重大な弱点をかかえていることは、深刻な問題である。
少女買春など性の商品化が子ども社会をむしばんでいるが、この分野での社会の自己規律は、国連子どもの権利委員会から、「児童のポルノグラフィー、売春および売買を防止し、これとたたかうための包括的な行動計画が欠けている」と勧告されるなど、国際的に見てもきわめて不名誉な地位にある。
メディアやゲームの映像などにおける暴力や性のむきだしの表現が、子どもにたいして野放しにされていることにも、多くの国民が心を痛めているが、この分野の自己規律も、わが国は国際的にきわめておくれている。さらに、子どもをもうけの対象とみて、その欲望をかりたてつつ、子どもに大量の商品を消費させている社会のあり方も、世界から見ればきわめて異常な状態である。
サッカーくじは、子どもたちが買えないことが建前とされたが、実態は子どもたちを巻き込むギャンブルとなっている。政府・文部科学省が、子どもを引き入れる賭博の胴元になっている現状は、とうてい容認できない。
幼児虐待の増加などにもかかわらず、子どものための専門機関の整備が遅れていることも放置できない問題である。
この分野での日本社会の異常な立ち遅れを克服し、子どもの健全な成長を保障する社会の自己規律を確立することは、急務である。
−−子どもの声が尊重され、社会参加する権利を保障する……子どもの意見表明権や社会参加の権利を、学校や地域など社会の各分野で保障することは、子どもの世界を明るく積極的なものにするうえで大切なことである。
少年事件や少年問題の原因はさまざまだが、その背景の一つに、子どもの自己肯定感情(自分を大切な存在と思う感情)が深く傷つけられているという問題があることは、多くの関係者・専門家が共通して指摘していることである。自己肯定感情が乏しければ、他人を人間として大切にする感情も乏しいものとならざるをえない。国際比較調査でも、「自分自身への満足」「私は価値ある人間である」と感じている子どもの比率が、日本ではきわめて小さいことは憂慮すべきことである。
子どもたちが、自分が人間として大切にされていると実感でき、みずからの存在を肯定的なものと安心して受け止められるような条件を、家庭でも、地域でも、学校でも、つくることが切実に求められる。
そのためにも、子どもの声に真剣に耳をかたむけ、子どもの思いや意見を尊重し、子どもを一人の人間として大切にする人間関係を、社会の各分野でつくることは、きわめて重要である。子どもが自由に意見をのべる権利を保障し、その意見を尊重し、子どもの社会参加を保障するとりくみが求められる。社会の一員として尊重されてこそ、自分を大切にし、他人を大切にし、社会のルールを尊重する主権者として成長することができる。
子どもの権利条約は、「子どもに影響を与えるすべての事柄について自由に自己の見解を表明する権利を子どもに保障し、その意見は子どもの年齢および成熟度に応じて正当に重視される」と定めている。世界では、生徒が学校運営に参加するなど、子どもの社会参加が大きな流れになっている。この間、日本でも、学校や地域など、さまざまな場で、子どもの意見表明や参加を重視する新しい流れが起こっている。こうした積極的な流れを、大きく前進させることが大切である。
−−子どもの成長を支えあう草の根からのとりくみを……家庭、地域、学校が共同して、子どもたちの成長を見守り、悩みにこたえ、支える、草の根からの運動をすすめる。市民道徳は、言葉だけでなく、現実の人間関係、社会関係をつうじてこそ、身についていくものである。
いま全国各地で、読書運動、舞台・映画鑑賞、スポーツ、リズム体操、自然・社会体験、自主的子ども組織づくりなど、豊かな人間関係を育てていくための多面的なとりくみが広がっている。いじめ、非行、不登校、ひきこもりなど、子育てに悩む親たちの自主的な組織も無数に生まれている。党がこれらの草の根からのとりくみを応援し、ともに解決の方途を見いだしていくことが、重要になっている。
社会的道義の問題は、モラルの問題という性格からいって、上からの管理、規制、統制、押しつけを強めるという立場では、解決できないどころか、有害な作用をおよぼすだけである。少年犯罪の加害者の親に制裁と報復をくわえるのが当然とする閣僚の発言は、その最悪のあらわれの一つである。
この問題は、国民の自発的な力に依拠してこそ解決の道が開かれる。わが党は、社会の道義的危機を克服し、未来をになう子どもたちに健やかな成長を保障する社会をつくるための、国民的な対話と運動を呼びかけるものである。
(「 日本共産党第23回大会決議 第七章 社会の道義的な危機を克服する国民的対話と運動を」しんぶん赤旗 04.1.18)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎みんなが心を痛めている問題であり、私たちが問われているともいえるでしょう。