学習通信040718
◎「ヒューマニストたちは、一貫して寛容の精神を」……。

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 一九四七年の──私は十二歳でした──、前年に公布されていた憲法の施行と、教育基本法の公布・施行は私ら子供にも重要なものだった、あれ以後、それを胸のうちに担って生きて来たように思う、といいました。それを具体的に、かつあの頃の自分の感じていたリアリティーを伝えうることをねがいながら、話したいと思います。それはまず、これもすでにいいましたが、私が老年にあって、これまで生きてきた道すじと、やってきた仕事の総体を見渡してみる状態にいるからです。

それも小説家の習慣として、生の道すじと仕事の総体を見渡そうとして、実際には、それらを幾つにも分けた本を何冊も書くように、ある局面を、それにふさわしい見方、手法で思い起すやり方をしているのに気がつきます。そしてそのどの本でも、憲法と教育基本法が若い自分にもたらしたものが、主題と重なって姿を現わすのを見るわけなのです。

 教育基本法を、十二歳の私がノートに書き写したことをいいました。それは信用するとして、しかし本当に面白かったのか、といわれれば、あの時も、それからいつもポケットに入れていたノートを読み直すたびに、──いまあらためて、印刷された基本法を読み返して、記憶と照合しもするのですが──まず短い前文の、書き出しの文体に印象を受けたのでした。

私はその書き方を、大人から子供への、真面目な語りかけの文章として受け取り、はじめて接するわれらという主語を新鮮に思ったのです。それは、終生文学に関わることになった私として回想することですが、童話や小説や詩からというのでなく、評論に属する文体に、自分が本当に引きつけられた最初ではなかったかと思います。全体についているルビも効果をあげました。

 《われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。》

 そして、とくに私が好きだったのは、次の一節で、覚えてしまったものです。

 《われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。》

 私に魅力的だったのは、個人の尊厳を重んじ、というところ、そして、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化を創る、というところだったに違いありません。もとより、子供の私が尊厳という言葉や、普遍的という言葉に、自分の生きている日々にもあてはめられる、リアルな意味をこめていたとは思わないのです。

しかし、自分が個人であり、将来なにか創り出すとすれば、個性ゆたかなものでなくてはつまらない、という気持は確かにありました。そしてこれらの言葉は、私が高校の二年生で地方都市に転校し、文学をよく知っている友達に会って、たちまちその方向に進んでゆくことになった時、私にとってあきらかな方針であったのでした。

 この一節から──もちろん、すぐ憲法九条に同じ言葉があることに気付いていました──こまかな語感のことでも影響を受けていることを、異世代の人から指摘されたことがあります。野上弥生子さんは漱石の直接の弟子ですらあった、五十歳も年長の大先達ですが、いかにもめずらしそうに、!──あなたは、希求するという古めかしい言葉をお使いになるのね、といわれたのです。

 ある言葉を私らが使い始める時、その言葉は自分ひとりのなかに発生したものじゃなくて、注意深くしていれば、本を読むか人がそれを使うのを聞く、その言葉との出会いをあとづけることさえできるものだ、という考えを私は持っています。そしてそれは子供の時に、母親から、大切な言葉、大切な文章はノートに書き写せといわれて──自分としては、面白い言葉、面白い文章、と置き換えたように思いますが──実行してきた経験に根ざしています。

そして、大学に入り、渡辺一夫先生の教室に出ることができるようになると──もともと先生の本を読んだことが大学に進むきっかけでした──じつに多くの日本語とフランス語を、その先生の声音と、先生らしい定義によって自分のものにしたのです。

 いまいった、高校生の私が渡辺一夫の本を読んで、ということですが、そこに寛容という言葉を見つけだし、その定義に惹きつけられたのにも、教育基本法とつながりがありました。その第九条(宗教教育)は、こう始まっています。

《宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。》

 ところが私には、村のお寺の僧侶、そして隣町の教会の牧師の人柄、話しぶりに、寛容とは別のもの──つまり不寛容ですが、それ──を想像することはできず、ここになぜ、という不思議さから、寛容という言葉が気にかかっていたのです。渡辺一夫は、フランス・ルネサンスの宗教における寛容、不寛容を、高校生の私にも、この国のいまの人間のことでありうると思い知らせる文章を書いていたのでした。

 さて村の新制中学に通う私は、まだ二年生で、農業協同組合をモデルにして作られた子供農業協同組合の組合長でした。そして社会科の先生の指導で、鶏の雛を育てるムロを作り、利益をあげました。大人の協同組合から融資してもらうのに始まり、ムロの建設から孵りたての雛の購入、それをある大きさに育てて農家の生徒に販売するまで、実務の大方は、社会科の先生と組合長の私ら二人でやったのです。大学に入ることを思いついた時、東京で四年間生活する費用を見つもってみて、あのムロをもう一度使わせてもらえばまるまる経費が出る、という思いにとりつかれたほどでした……

 私が農家の子供でなく──社会科の授業の半ばが農業の学習にあてられるので、よく聞くことのあった辺地教育という言葉にかけて「辺地の中の辺地」というタイトルの、授業への不満を訴える作文を書いたことを覚えています──、また実際にやってみると不得手なことのよくわかった子供農業協同組合長を二年続けたのにも、教育基本法に直接の理由がありました。

 それは、第一条(教育の目的)の、《自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成》こいう一節にある、自主的という言葉が、先生たちから私ら新制中学の生徒たちにもとめられる、新しい生き方の基本だったからです。

同じく、第二条(教育の方針)の、《実際生活に即し、自発的精神を養り》というところからの自発的という言葉も、やはりこれまでにない日常道徳の軌範でした。全校の集会で、誰もなりたがらない組合長へ立候補する生徒を選ばねばならなかった時、自主的と自発的という大切な言葉に押し出されるようにして、私は手を挙げてしまったのです。

 さて、このように教育基本法をあらためて読んでくると、この法律を作り変えようとする議員たちがこぞっていう、そこでは国家よりも個人が重んじられている、その結果、個人主義の弊害がこの国を覆うことになった、という論点が、確かにかれらにとって苛だたしい思いの自然な結実だろう、という気はします。かれらが私利私欲より公共を重んずる人々であるかどうかは別として……

 それは遂に私にとって、子供のための、人間の生き方、モラリティー、想像力の方向づけにおいて教育基本法がそれ以前の法律──教育勅語はいうに及ばず──はもとより、それ以後にこの国で作られた教育に関わるどの法律にくらべても、いかに新しいものであったか、あり続けているかを示すように思われます。それを簡単に見ることのできる手がかりもあります。

 私の手許にある六法全書ですと、一ページと三分の一程度のスペースで、教育基本法と、その後四年たって作られた児童憲章が一緒に載っています。まずいっておけば、法律的拘束力はない後者も優れたものだと私は思いますが──《われらは、日本国憲法の精神にしたがい、……》という書き出しも似ています──。

 イラクでの人質事件で、おおいに政府によって動機づけが導びかれてのバッシングが社会的に広く行なわれた時、とくに人質のひとり十八歳の少年のことで私が思ったのは、教育基本法と児童憲章の間の四年間が示している、「小さな違いが、大きい違い」の、ひとつのことでした。

 あの少年が、劣化ウラン弾の微細な破片が大気のうちに放射能をおびて飛散する状況を調べようと、危険を承知でイラクの現地に行ったこと、それを非難する根拠となる文言を、教育基本法に見つけることはできません。

《世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意》つまり憲法を作るにあたって日本人がした決意について、それが《根本において教育の力にまつべきものである》と基本法がいう。それを、少年が自主的に考えた上で、自発的に行なった行為がイラク行きだったはずです。

 ところが、児童憲章を見ると、そこには微妙な違いとして、十二ある項目の最後にこう書いてあるのです。《すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。》そこで、この少年について、かれは人類の平和と文化に貢献することをしようとした、と先生が評価した上で、クラスの子供にはこう注意をうながすこともありうるでしょう。しかし、それはよい国民としての行為だったろうか?

 そして、教育基本法の作りかえを大声で議論している議員たちの構想には、戦争に使えるよい国民を作り出すための目論見こそあからさまです。そしてそのよい国民という問題設定は、世界、人類へとせっかく開かれていた視野をたちまち閉ざしてしまう露骨さのものです。いうまでもなく児童憲章が作られた際には、よい国民の定義が、いま行なわれている新しい国家主義に根ざすものだったのではありません。しかし、よい国民という言葉自体に、恣意的な意味づけを許すあいまいさがあるのを知っている知恵者が、あの当時いなかったとは思いません。

 少なくともその四年前の教育基本法には、よい国民という言葉はなかったのです。
(大江健三郎「あらためての「窮境」より」世界 04年8月号 p51-54)

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許せないもの、許さないもの

 真理にたいして謙虚であるということは何事にたいしてもひかえめな態度をとるということ、何事にたいしても断固として対決することをしないということとはちがいます。ルネサンス期以来、ヒューマニストたちは、一貫して寛容の精神を強調してきましたが、それは非寛容の精神にたいしてのたたかいでもあったのです。既存の権威を絶対的なものとして、それを批判するものを火あぶりにする、そういう力にたいしての。

 ヒューマニズムは、非人間的なものにたいする断固としたたたかいということを、本質的なものとしてふくんでいるのです。ヒューマニズムの寛容の精神は、ただやたらにすべてを許すということではありません。許せないものがあり、許さないものがあるのです。これはじつは、ヒューマニズムの「積荷目録」としてこれまでにあげてきたこと、これからあげていくことと別のことではないのですけれども、あえて積荷目録の第三として、特別に書きだしておきたいと思います。

 ヒューマニズムとは「人間くささ・人間らしさを大切にすること」だとくりかえしてきましたが、これは「人間くささ・人間らしさを愛すること」といいかえてもいいと思います。国語の辞書をひいてみればわかるように、「愛」とは「何かを大切に思い、それにひきつけられる感情」のことをいうのですから。

 安土・桃山時代のキリシタンたちは、「愛」に相当する言葉を「大切」と訳しました。これは、その当時「愛」という日本語は、あまりいい意味につかわれていなかったからです。仏教では、人あるいは物にたいする一面的な執着、という意味にもっぱらこの言葉をつかっていましたし、儒教では、目上のもの、優位に立つものが、弱いもの、目下のものをいとおしみもてあそぶ、という意味にもっぱらこの言葉をつかっていました。そのため「愛」といわずに 「大切」という言葉をつかったのです。

 まあ、言葉のせんさくはともかくとして、皆さん、「愛」の反対語は何だと思いますか?

 きまってら、それは「憎しみ」だ、と答える人があるでしょうが、もちろん、国語の試験問題への答としては、それで満点です。念のため『反対語辞典』というのをひいてみたら、ちゃんと「愛」の反対語は「憎しみ」、「憎しみ」の反対語は「愛」と出ていました。

 でもそれは、国語の試験問題への答としては正解でも、人生の真実の問題としては正解とはいえない、と思うのです。人生の真実の問題としては、愛の反対は憎しみではなく、無関心であると思います。そして真実の愛は、しばしば憎しみと一体のものでさえあると思います。

 だって、そうではないでしょうか──わが子を深く愛する母親は、わが子をかどわかし、汚し、そこなうものを憎むことをしないでしょうか? わが子をかどわかし、汚し、そこなうものを憎むことを知らず、それに無関心でありうるような母親──そんな母親が、どうしてわが子を深く愛する母親でありうるでしょうか?

 人間の名において、許せないものがあるのです。その許せないものを許しては、人間であることをたもてないのです。
(高田求著「君のヒューマニズム宣言」学習の友社 p32-34)

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◎現代のヒューマニスト「君」が問われています。

◎教育基本法、児童憲章、憲法──を読む小さな♂^動はじめようではないか。