学習通信040722
◎「じっとうつむいて我慢したりしない。「いやだ!」と叫んで次へ行く。」

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 今、仕事が思うようにいかない。いい仕事についても厳しいノルマにさらされ、こなさなければリストラが待っている。ならば自力で生きよう、と思ってもなかなかヒットは生まれない。女性なら結婚で乗り切ろうと思うかもしれないが、専業主婦の危うさは、まわりを見回せばすぐにわかる。

 景気回復、という。しかし自分(自国)だけ豊かになろうとすれば、他の誰かを貧しくする。なによりも、これ以上むさぼるなら、すでに傷ついた地球がさらに壊れ、足下には洪水が押し寄せてくる。

 思わず「ああいやだ」と言いたくなる。それならいっそ大声で「いやだ!」と言ってしまおう。むさぼるのはもういやだ! 別の生き方をしたい。

 戦争は終わらず、たいてい泥沼になる。ひとつ終われば、アメリカは次の戦争を始める。国際競争は間違いなく激化するが、「反戦」という言葉は「反テロ」とぶつかって、両方とも沈没している。「反〜」は次の「反〜」を生み出すだけなのだ。こんな時代は、「いやだ!」と叫んだほうがいいような気がする。テロはいやだ。戦争もいやだ。

 働き口がない、家族を養わなければならない、なぜかいつも結婚のチャンスを逃す、借金がかさんでいる──つまり、今の言葉でいう「負け組」。これが樋ロ一葉だった。

 維新期、約四十万人(家族を入れて約二百万人)の武士がリストラされ、不慣れな職については事業に失敗したり人にだまされたりした──これは一葉の父親のことである。

 ヨーロッパ諸国は次々とアジアを占領し、日本は日清戦争に突入して朝鮮半島を占頷下に置く。──これは、一葉がもっともいい作品を書きはじめた、明治二十七年(一八九四)のことである。一葉が愛した唯一の男性半井桃水は、子供のころから朝鮮に暮らし、たびたび朝鮮との間を往復した経験をもつ新聞記者であった。

 明治の話だ。しかし時代が変わっても、人間が生きるたいへんさは変わらない。とりわけ、時代の変転期には価値観がひっくりかえり、仕事の性質も経済構造も変化するが、人はなかなかそこに追いついてゆけない。樋口一葉の作品の登場人物たちは、突然、いやになる。そして「いやだ!」と叫ぶ。

 五つの代表作『大つごもり』『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』の一部をのぞいてみよう。『たけくらべ』──「私は厭やでしょうがない」「厭や厭や、大人になるは厭やな事」。『にごりえ』──「ああ嫌だ嫌だ嫌だ。どうしたなら人の声も聞えない、物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうっとして、物思ひのない処へ行かれるであらう。つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時まで私は止められてゐるのかしら。

これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ」。『十三夜』──「どうでも厭やになった」「考へれば何も彼も悉皆(しつかい)厭やで、お客様を乗せやうが、空車の時だらうが、嫌やとなると用捨なく嫌やになりまする」。『わかれ道』──「己れは厭やだ」「ああ詰らない、面白くない、……一日一日嫌やな事ばかり降って来やがる」

 一葉作品の登場人物たちは、じっとうつむいて我慢したりしない。「いやだ!」と叫んで次へ行く。彼らは、一葉自身である。
(田中優子著「樋口一葉「いやだ! 」と云ふ」集英社新書 p6-8)


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平和を愛するということ

 ヒューマニズムの積荷目録としてあげるべきものは、以上のほか、まだまだ数おおくあります。しかし、それらについては章をあらためて検討することにして、この章では最後にもう一つだけ、「平和を愛する」ということに短くふれておきたいと思います。

 ルネサンス期以来、ヒューマニストと呼ばれる人たちは、例外なしに平和を愛する人びとでした。戦争好きのヒューマニストなど、ただの一人もいはしませんでした。

 よりゆたかな文化、より人間的な文化を、というヒューマニストたちの叫びは、それによって人間はよりゆたかに、より人間的になりうるという、人間の可能性への信頼と一体のものです。そして戦争は、文化を破壊する暴力そのものであり、個々人のもっている可能性を無残におしつぶしてしまう暴力そのものなのです。

ですから、ヒューマニストたちは必然的に平和を愛し、平和を求め、戦争をいみきらい、憎んだのでした。「戦争好きのヒューマニスト」など、四角な丸というにひとしい、ということができます。
 平和は、人間が人間らしくあるための不可欠の条件なのです。
(高田求著「君のヒューマニズム宣言」学習の友社 p44)

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人間の価値

 立命館大学の国際平和ミュージアムで、ベルリン医師会・ドイツ連邦医師会および京都ドイツ文化センターとの共催で、特別展「人間の価値──一九一八年から一九四五年までのドイツの医学」を開いた。第一次世界大戦が終結した年から第二次世界大戦が終結する年までの苦難の時代に、ドイツの医学が、ナチスの台頭と支配という時代背景のもとで、どのような非人道を行ったかを扱ったものである。

 ヒトラーは、「生を受けた人間は等しく生きる権利をもつ」とは考えなかった。人間には、「生きる価値のある人間」と「生きる価値のない人間」がいると考えた。ヒトラーはその著『我が闘争』の差別的人間学を、一九二〇年代初頭の優生学・人類学・民族衛生学・遺伝学を下敷きにして書いた。

 「生きる価値のない人間」とは、何か?
 ユダヤ人・黒人・「ホッテントット」(コイ族の俗称)・「ジプシー」(これは蔑称で、彼ら自身は出身地別に「シンチ」とか「ロマーニ」とか称していた)・ソ連人捕虜・精神病者・身体障害者・遺伝病患者・アルコール中毒症などは、いずれも「生きる価値のない人間」とされた。毒ガスによる虐殺、生体実験、断種および不妊手術、強制的堕胎。何百万という人々が殺戮された。

 ワイマール共和国以来のドイツ医学の差別的人間観・生命観は、ナチス党が一九三二年の選挙で第一党となり、ヒトラーが一九三三年首相、翌三四年総統となって独裁権を確立するや、非アーリア人種と「役立たず」を抹殺する理論的陣地となった。ドイツの医師たちにとって深刻なことは、こうした史上類例のない非人道のすべてをヒトラーの責任に帰することができないからである。ドイツ医学が、ヒトラー登場以前に理論的露払い役を務めたという痛恨の思いが、彼らには厳然とある。

 「人間の価値」展の第一番目の写真パネルには、次のような趣旨がしたためられていた。すなわち、「時には人間の命を犠牲にしてまでも真理を追求したいという当時のドイツの医師たちの姿勢が、ヒトラー総統に率いられるナチ党の独裁政権と結びついた時、医師たちは、『公認の殺人者』となった。この『医師の倫理の崩壊』をドイツの医師たちが反省するのに四四年かかったが、このような悲劇を繰り返さないためには、こうした事実を痛みをもって想起することが重要である」

 日本にも「七三一部隊」や「生体解剖事件」など、科学者の倫理が問われるべき戦時下の経験があった。あれから半世紀、この国では「南京大虐殺はデッチあげ」だの、「ホロコーストはなかった」だの、歴史の虚実を混ぜ返す試みが依然として展開されているが、過去の事実を事実として直視することからしか、未来の共同への連帯は生じないことを今一度確認する必要があると痛感する。ワイゼッカーの言を待つまでもなく、過去に目を閉ざす者は、結局、現在に対しても盲目になることを肝に銘ずべきだろう。
(安斎育郎著「人はなぜ騙されるのか」朝日文庫 p176-177)

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◎「そして戦争は、文化を破壊する暴力そのものであり、個々人のもっている可能性を無残におしつぶしてしまう暴力そのもの」です。