学習通信040723
◎『空想より科学へ』……次の日まで二日かけて一気に読みきった。

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あとがき

 私は、あと三週間もすれば昭和も三十年代に突入というころ、大阪に生まれた人間である。当時の大阪は、今のような東京のコピーにすぎない、しょぼくれた所と違い、正真正銘の都会だったと思う。その下町の真んなかで育った。一九六〇年代前半と言っても、すでに自然など、どこにも残っていないような環境だった。小学校四年生になって、兵庫県宝塚市の清荒神という神社ヘハイキングに出かけるまで、カラスを見たことがなかったほどである。

 正岡子規によると、彼が教えるまで漱石は田んぼの稲が米になることを知らなかったというが、なんとなくわかる気がする。だから私もいまだに人混みの雑踏が好きだ。職業上、東京へ出かける機会が多く、ヒマがあると新宿とか新大久保とか池袋とかをぶらつく。細い路地みたいな所を、ぶらぶらするのは子ども時分より身にしみついた習性みたいなものだと思う。

 だが、そんな私でも必要がない限り行くことを極力避けていた所があった。渋谷である。理由は、あまりに一〇代の男女ばかりであふれかえっているからだった。しかもそろいもそろって、ある時は「ガン黒」だったり、ある時は厚底の靴をはいていたりして……。本当にうんざりする。

 ところが、その私が二〇〇〇年も終わろうというころから、仕事の都合でここにほぼ毎月、少なくとも一泊することを迫られる破目になった。時には、三泊もする。しかも泊まるホテルは、JRの駅からセンター街をずっと歩いていって、店も果てたあたりにある。むろん食事を摂らないわけにはいかないから、そこらをどうしても歩かざるを得ない。否応なく、一〇代の男女の群れのなかに身を置くこととなったわけである。

 はじめは、本当に不快な感じだった。しかし、不快感に慣れてしまうと、今度はその世界の奇妙さに不思議と魅かれだした。例えば日曜の午前七時、マクドナルドヘ「朝マック」しに行く。こんな時、誰が客でいるのかと思うけれど、けっこう混んでいる。みんな若く、しかもひとりである。そしてそろいもそろってケータイを九〇度に折り曲げてテーブルに置き、メールを送って返事が来るのを待って、画面をじっと見つめていたりする。以前のUFOというカップ焼きそばのコマーシャル映像にも似て、現実と遊離した感覚に襲われてしまう。

 サルの研究者として私も海外へ出かけ、はじめて見る種の全然わけのわからない行動を目撃し、あっけにとられた経験を何度か味わっている。そうした「何なんだ、あれは」という思いと、そのあとの問題を追求していく過程で「あっそうなんだ」とひらめく瞬間こそ、行動研究者の醍醐味であると私は信じている。その機会が、別に遠い所へ行かずとも、目と鼻の先に転がっていると知ったのちの成果が、本書の内容と言えるのかもしれない。

 ただし、こんな調査をするにいたった背景には、もうひとつ、もっと以前からの伏線があると振り返って感ずる。

 一九六九年一月のおそらく一八日だったと思う。多分、土曜日だった。当時、中学二年生だった私は、学校から昼ごろ帰宅してひとりでこたつに入り、テレビを見ていた。放送されていたのは東大の安田講堂に立てこもっている学生を包囲し、放水・突入を企てる機動隊の中継だった。NHKは予定されていた番組をすべてキャンセルし、それを延々と流していたように記憶している。

 テレビのシーンはさながら、戦争のように印象的だった。あまりに強烈なイメージで、中学生の私は、どうしてそこまで闘うのかと、立てこもる側の論理を知りたいと痛切に感じた。それで、三時ごろになってテレビのスイッチを切り、近所の小さな本屋へ出かけて行って購入したのがエンゲルスの『空想より科学へ』の岩波文庫版(大内兵衛訳)だった。今から思えば信じられないような話であるが、そのころは街のどんなちっぽけな書店にも、岩波文庫のしかも思想関係の本がかなり並んでいたものだった。

 それまで社会主義やマルクス主義の著作など読んだことなどなかったものの、『空想より科学へ』が非常に一般的な、その分野の入門書であることぐらいは、中学二年になっていれば知識として仕入れていたのだろうと、今ふり返って想像する。それから次の日まで二日かけて一気に読みきった覚えがある。

 そして読後感は衝撃的なものだった。過去にないショックを味わったと思う。何よりもエンゲルスの論旨の展開の明晰さと判明さにうたれた。歴史という人間の所業の蓄積を、こんなに論理的に見事に法則化できるのかと驚嘆した記憶は、今も生々しい。

 マルクス主義は科学に裏うちされた思想なのだと、いかにも中学生らしいひきつけられかたをして、そののちつぎつぎと他の著作を読むようになっていった。自分ひとりで興奮するのは惜しい気持ちになり、同学年の友人にもすすめたりもしたと思う。

 しかしながら、書物に書かれてある主張には激しく魅了されつつも、一九六九年一月にエンゲルスを知って以来、どうしても俯に落ちない点は一つだけ心に残り、それからのちいつも胃のなかの石のように体内で消化されずにいたのもまた事実だった。

 それは、生産力が増大して経済的に豊かになり、食うための労働から解放されれば、それに応じて人間は真に人間的な自己実現達成の機会を持ち得る、という考え方についてであった。単純に表現すれば、裕福になればなるほどみんな幸せになれるという発想だろう。なるほど、食うや食わずの状態でいることは、幸福とはほど遠いかもしれない。

けれども、だからと言って逆もまた真なりと言えるのだろうか。科学技術が発達したりして、以前のように汗水たらして働かなくとも暮らせることがより人間的な生活をすることに結びつくとは、あまりに楽観的な発想なのではと、ずっと疑念を抱いてきたと、かえりみて感ずる。

 もっとも、そういうことを自分で意識して考えてきたわけではない。ただエンゲルスの著作に出会って、急速にのめり込んだわりに目移りするのも早かった理由をあとづけすると、彼の論旨の展開の、やはり形式的側面に感服していたと思う次第なのだ。それまでは文学書が読書の中心であったのが、他領域へ移っていった。

 中央公論社から出ていた『日本の文学』や『世界の文学』を読んでいたのが、ちょうど刊行中だった『世界の名著』に変わった。ちなみに今、この原稿を書いていてふと気づいたのだが、私が中央公論新社から自著を出すことが多いのは、一〇代の読書習慣から派生する同社への無意識の愛着によるところが大きいのかもしれない。

 以来、三〇年たち、私はどちらかと言えば自然科学系の色彩の濃い実証的立場の職業研究者となった。そして渋谷で二十一世紀の一〇代をウォッチングする面白さを悟ったあげく、心の奥のどこかに沈潜していた件の疑念がゆり起こされて、こういう本ができ上がったのではないかと自己分析している。

 本書を書き終えて私は、今世紀中ごろには日本人の思考やコミュニケーションは、もっともっとサル的になっているのではないかと予想している。それは既成の人間観では想像できないものではないだろうか。

 例えば「はじめにロゴスありき」というフレーズにあるように、私たちがものを考える際には、心のなかでことばを操るのがふつうとされている。しかし生物としての人間に返るならば、内言語などさほど必要でないのかもしれない。多様な視覚的なイメージが脳裏にフラッシュして、それにもとづいて行為決定がなされることだって可能だろう。

 「どうしてそんなことをするのか」とか「何を考えていたのだ」とか尋ねても、相手が答えたくとも答えられないようなイベントで日常が占められる日が来るのも、そう遠くないような気がするのは、私の妄想だろうか。

 昨今は、本を朗読させたり、数の計算や九九をもっと奨励すると子どもの学力低下が防げるという声をよく耳にするが、全くのお笑い草である。現状認識の甘い日本の教育関係者のなんと能天気なことだろう。

 ただ、私個人は基本的にサルとなじんだ行動の研究者である。だから、もっともっとサルに近づいた人間が社会にあふれるのを見てみたいと願っている。せいぜい体に気をつけて、長生きを心がけよう。
(正高信男著「ケータイを持ったサル」中公新書 p179-184)

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 社会がすべての生産手段を掌握するということは、資本主義的生産様式が歴史に登場して以来、もろもろの個人も多数のセクトも、おりおりに将来の理想として多かれ少なかれぼんやり思い浮かべたことであった。

しかし、この掌握は、それを実行するための物質的諸条件が存在したときに、はじめて可能となり、はじめて歴史的必然となることができた。

それが実行可能となるのは、ほかのどの社会的進歩の場合とも同様に──〈階級の存在は、正義・平等などなどと矛盾する〉という認識が得られたためではなく、〈こうした階級を廃止しよう〉という意志のおかげでもなくて──或る種の新しい経済的諸条件がととのったことによるのである。

社会が、搾取する階級と搾取される階級とに、支配する階級と抑圧される階級とに、分裂していたのは、以前には生産の発展がわずかであったことの必然的な結果であった。

社会の総労働が、全員が必要最低限の生活を営むのに必要なものをほんのわずか上回るだけの収穫しかもたらさないあいだは、したがって、労働に大多数の社会成員のすべてのあるいはほとんどすべての時間がとられているあいだは、そのあいだは、この社会はどうしてももろもろの階級に分かれずにはすまない。

もっぱら労役に服するこの大多数の人びとと並んで、直接の生産的労働から解放された一階級がかたちづくられ、これが社会の共同の業務──労働の指揮・国務・司法・科学・芸術などなど──を処理するのである。分業の法則が、だから、階級区分の基礎にあるわけである。

しかし、だからと言って、〈諸階級へのこの区分は、強力と強奪とによって、奸計と欺瞞とによって、なしとげられたものではない〉、ということにはならないし、また、〈支配階級は、ひとたびその座にすわったら、必ず、労働する階級を犠牲にして自分の支配を固め、社会の指揮を大衆の搾取に変えてきた〉、ということが変わるものではない。

 しかし、こういうわけで階級区分が或る歴史的な正当性をもっているにしても、それはただ、一定の期間、一定の社会的諸条件のもとで、だけである。

この区分は、生産の不十分さにもとづいていた。現代の生産諸力が十分に発展したら、一掃されるであろう。

そして、社会諸階級が廃止されるためには、まったくの話、ただあれこれの特定の支配階級の存在でなく、総じて支配階級というものの存在が、したがって、階級の区別そのものが、時代錯誤になってしまい古くさくなっている、そのような高い水準に歴史的発展が到達していることが前提されるのである。

つまり、或る特殊な社会階級が、生産手段と生産物とを取得し、それとともに政治的支配権・教養の独占権・精神的指揮権をわがものにしている、ということが、余計であるばかりか、経済的にも政治的にも知的にも発展の妨げになってしまった、そのような高い水準に生産の発展が到達していることが前提されるのである。

いま、この点に生産の発展が到達した。ブルジョアジーの政治的また知的な破産は、ブルジョアジー自身にとってももうほとんど秘密ではなく、他方、その経済的な破産は、規則的に一〇年ごとにくりかえされている。

恐慌のたびに、社会は、自分自身のものでありながら自分で使用できない生産力と生産物との重圧のもとに窒息してしまい、〈消費者がいないために、生産者にはなにも消費するものがない〉という、ばかげた矛盾を前にして途方に暮れる。

生産手段の膨張力は、資本主義的生産様式が自分に付けた束縛を爆破する。生産手段をこの束縛から解放することが、生産力がとぎれることなく絶えず速度をはやめながら発展をとげていくための、それとともに生産そのものが実際上無制限に上昇していくための、唯一の前提条件なのである。

それだけではない。社会が生産手段を取得すれば、生産にたいするいまある人為的障碍が取り除かれるばかりでなく、現在では生産に避けようもなくついて回っていて恐慌のさいに頂点に達する、生産力と生産物とのあの確実な浪費も破壊もなくなる。

さらに、そうなれば、いま支配している諸階級とその政治的代表者たちとの愚かなぜいたくな浪費をやめさせて、大量の生産手段と生産物とを全社会のために利用することができるようになる。

社会の全成員に、物質的に完全にみちたりて日ましに豊かになっていく生活だけでなく、さらに彼らの肉体的および精神的素質が完全に自由に伸ばされ発揮されることを保証する生活をも、社会的生産によって確保する可能性、こういう可能性がいまはじめて存在している。そうだとも、存在しているのである。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p157-159)

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◎ゆっくり≠ニ読んで欲しいものです。
情報読み≠ナ誤解と思いこみを押しつけ(ばらまかない)ないで欲しいものです。