学習通信040820
◎「青春の美しさは、せめてものしあわせということばをしりぞけて」……。

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青年よ、ゴキブリホイホイのエジキとなるな

 だからまた、肉体的には青春のまっさかりにいたって、明日にいどむ気もちを失ってしまい、完了形の現在だけを生きる、そんな生きかたにおちこんでしまえば、青春のかがやきは、そこから消える。それは、イヌの子の生に遠くおよばないものでさえあるだろう。

 ブタは現在を生きるだけだから、明日のことをクヨクヨ思いわずらうこともない。屠殺場ゆきのトラックに積みこまれるまで、ゆうゆうとして現在をたのしんでいる。−ウラヤマシイナア、と思う人があるだろうか。とんでもない、と君がいうとすれば、この「とんでもない」というのが、君の「人間の証明」であるはずだ。台所の片隅で肉のきれはしにたかっているうち、ゴキブリホイホイのエジキになってしまう、そんなゴキブリ人生に私たちの青春を転化させてはなるまい。

 青春の輝きを失ってしまった青春の感情、それをシラケという。
 シラケ鳥、飛んでいく、南の空へ。ミジメ。そういう歌があったが、シラケ鳥の色はなに色か。

 白ではない。白いのは白鳥だ。シラケとは、輝きを失った白、はげちょろけの白、黒におかされた白、つまり灰色だ。
 こころのなかにシラケ鳥をとばしつづけていると、やがて私たちの人生は、まるごと、まっ黒い鳥にわしづかみにされてしまうことになる……。

 青年は荒野をめざす……?
 「青年は荒野をめざす」という五木寛之の詩があった。もうだいぶ前になったが、加藤和彦の作曲で、ザ・フォーク・クルセダーズが歌っていた。

ひとりで行くんだ 幸せに背をむけて
さらば恋人よ なつかしい歌よ友よ
いま青春の河を越え 青年は青年は荒野をめざす
さらば春の日よ ちっぽけな夢よ明日よ
いま夕焼けの谷を越え
青年は青年は荒野をめざす

 青年は現在に甘んじることができない。その現在に、また過去に、ちょっぴりの愛らしきもの、幸せめいたものがあったとしても、そんなものを真の愛、真の幸せということはできない。だから青年はそれに背をむけて旅立っていかずにはおれない。たとえそれがあてどない旅であろうとも、行く手には荒野あるのみであろうとも──とそれはいうのだろう。

 私は、そこをつらぬく現在や過去への「さらば」の姿勢に共感を感じる。だが、はたして青年の行く手には、荒野しかよこたわっていないのだろうか?

 いってみなければそれはわからない、という人もあるだろう。それはそうかもしれない。でも、どちらにむかって旅立つのか? 東へか、それとも西へか? 明日の方向をどこにどう見定めるのか?

 あの歌が「明日」にたいしても「さらば」といっているようにとれるところが私には気にかかる。もっとも、「ちっぽけな」という形容詞は「夢」だけにかかるのではなく「明日」にもかかるのであって、「さらば」といっているのは「明日」にたいしてではなく「ちっぽけな明日」であるのかもしれないが。

 「ひとりで行くんだ」というのも、私には気にかかる。もっとも、省略した箇所には「みんなで行くんだ」ということばもあったが。

 省略した箇所には「もうすぐ夜明けだ 出発の時がきた」ということばもあった。が、さいごは先に紹介したように「いま夕焼けの谷を越え……」とあった。

 私には気にかかる。ますます深くなっていく夕闇、そして夜、旅立っていく青年の姿は、そのなかに呑みこまれていくのだろうか。

もっと高く、頭を!

 現代ははたして、前途に不毛の荒野しか見えない時代なのか、とあらためて私は考える。そこで思いだす──三十数年まえ、中学校の国語の教科書で読んだ、チェンバレンだったか誰だったかの文章を。

 夜明けがた、汽船で駿河湾のあたりにさしかかる。こっちに富士山が見えるはずだと、船客一同、デッキに立ってしきりに目をこらす。しかし、なにも見えない。見えるのは、ただ灰色のもやだけ。

 すると、船員が叫ぶ──「もっと高く目をあげて!」と。そこで、目をあげる。しかし、依然としてなにも見えない。見えるのは、やはり灰色のもやだけ。

 すると、また船員が叫ぶ──「ああ、そんなところじゃない! もっと高く、もっと高く目をあげて!」

 そこで思いきり高く、首っ骨がガキ。というほど頭をもたげてみると、思いもかけぬ高さのところに、富士の頂が、もうそこだけは夜明けの光を満身にあびて、雲の上にそびえたっているのが見える──。

 なにせ古い記憶だから、だいぶあやしいところがあるかもしれない。無意識のうちに自己流に脚色してしまっているかもしれないと思う。だが、この「もっと高く、もっと高く目をあげて!」というところ、そこがじつに印象的で、そこだけは鮮明に記憶にやきついている。

 たしかに私たちの感覚の目には、現代ははてしない不毛な灰色の荒野のような時代、と感じられるかもしれない。だが、もしかしたらそれは、私たちの目が、あまりにも低く地べたにはいすぎているからではないのか。首うなだれていすぎるせいではないのか。

 思いきり高く頭をもたげてみれば、思いもかけぬ高さのところに、私たちの目がまだ黒いうち、青年の胸から青春の鼓動がまだ消えぬうちに、私たちの確かな足をそこに刻むことのできる高い富士の頂が、雲の上にそびえたっているのが見える。そして前途によこたわっているのはただ灰色の荒野だけ、と見えたのは、じつはその富士の裾野にほかならなかったということがわかってくる。それが私たちのいま生きている時代の特徴ではないのか……。

 高く、もっと高く頭をもたげよ!
(高田求著「新 人生論ノート」新日本出版社 p27-31)

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自分達に力がない
と云うことを恥じよう

 自分達に力がないと云うことを恥じよう。
 そんな云いわけをすることを恥じよう。
 そんな云いわけをするのは臆病ものだ。
 自分達には力はあるのだ。ただ出さないのだ。出すのが怖いのだ。出してまだ見ないのだ。

 よし自分達の力がよわかったにしろ、
 真心の力はよわくはないはずだ。
 よわいと云うのは精神が足りないからだ。
 力はあるのだ、唯出さないのだ、臆病で出さないのだ。本当に出せば力があるのだ。

 ありながら出さないでいて、力がないと云うのは恥じようじゃないか。
 自分達はもっと、もっと力があるのだ。唯出さないのだ。十分には出して見ないのだ。

 死ぬ覚悟が出来ていないのだ。生きる覚悟も出来ていないのだ。まだ本当に目が覚めてはいないのだ。

 力はあるのだが、まだ出し切らないのだ。
 臆病から。そしてつまらぬ遠慮から、そして何より怠惰で、事勿れ主義が不可(いけな)いのだ。

 本気になれば、力は出るのだ。恐ろしい力も出るのだ。世界も動くのだ。皆が一致するのだ。そして力がもえ上るのだ。

 少なくもそれだけの力が真心にあると云うことは信じよう。本気さが足りないくせに力がないなぞと云うのを恥じよう。
 力はあるのだ、自分達に力はあるのだ。

 全国にわたる友達にも力があるのだ。ありすぎるのだ。ただそれが、一緒に燃え上るには自分達の誠意や、本気や、勇気や、精進が足りないのだ。
 力はあるのだ。力はあるのだ。それが一緒に燃え上れば、人類も動かせるのだ。その力はあるのだ。埋れてはいるが、力はあるのだ。
 この埋れている力を、信用しようではないか。そして一歩々々、自分で進んで行こうではないか。

 自分達が本気になれば、本気になり切れれば、恐ろしい力、それには誰も手向えない、恐ろしい力が生まれることを我等は信じようではないか。

 埋れてはいるが、力はあるのだ。それを生かし切れれば、大したことが出来るのだ。

 それを信じよう。そして力がない、力がないと云うのはよそうではないか、それは人間と人類と自然を侮辱しすぎている。
(武者小路実篤著「人生論・愛について」新潮文庫 p252-254)

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 人生のなかの若い日々が、いつも、青春の輝きにみたされているとはかぎらない。だれよりも君たち自身が身にしみて感じているように、いま、職場でも、学園でも、たえず君たちの青春は傷つけられ、裏切られ、はずかしめられている。それにしても、灰色の青春でも、不安な青春でも、また、屈辱にみちた青春でさえあっても、君たちがまだ自分になにができるかを問い、生きる未来をさがし求めているかぎり、それは、やはり青春にはちがいない。ただ、自分の人生がもうなにもかもきまってしまっているかのように思いこまされるとき、若者たちは青春をうばわれる。

 青春というのは、ただ年齢の少ない日々というだけのことではあるまい。青春とは自分自身の生きかたの可能性を限りなくたいせつにすることができる時期のことであるはずだ。未知の未来にむかって自分になにができるかをためしつづける情熱と勇気をもつことが、青春の青春らしさだといってもよい。若者が青春を失うことほどいたましいことがあるだろうか。

 若い日の私には、生まれてきたから仕方なしに生きているという思いにとざされて、その日その日をむなしくすごした日々があった。君たちの表情のなかにも、その記憶を思いださせるものを感じるときがある。だが、それでも、若者たちにとっては、自分の人生にみきりをつけて、あとはただ死ぬまで暮らしているだけだということは、なによりもたえられない苦痛なのだ。それが青春だと私は思う。

 君たちが自分の生きかたを自分で考えぬく自由はせばめられてはいるが、それだからこそ、君たちの胸の底には、ことしこそなんとかしてほんとうに自分にふさわしい生きかたをにぎりしめたいという痛切な要求がうずいているはずだ。ことしこそ、君たち一人ひとりが、その要求にくっきりとした姿をあたえ、大きく結びあわせる道をさぐりあてる年にできるように、君たちのかけがえのない人生をどう生きるのか、じっくり考えてみてほしい。

──略──

 三島由紀夫が、徴兵制や海外派兵に道をひらく憲法改悪を強行させるために、「治安出勤」をそそのかして、陸上自衛隊の市ケ谷駐屯地で腹を切り、首をはねてもらって死んだのは、四次防が発表されて間もないことだった。その死にざまは、美しくカッコいいものであったろうか。人間の死にかたのなかみがどんなものかは、ただその人間の生きかたによってきまる。私は、人間の命がこれほど粗末にされている日米共同声明下の日本で、三島が生命尊重をののしって死んだことを許しがたく思う。ナンセンスではなくて、言語道断である。三島は、死を準備する政治、軍国主義の政治を美化する死を演出してみせたのだった。

 しかし、みずから労働して生きる人間のことばには、あの人の生きたようにという決意がこめられることはあっても、あの人の死んだようにということばはない。それは歴史が私に教えた忘れようのない教訓である。あの人の死んだように──それは、ただ、支配者のための死を呼びかける者だけがつかうことばなのだ。

 私は、あの一五年戦争(一九三一年の中国侵略から一九四五年の敗戦まで)が開始される少しまえに、サラリーマンだった父とタイピストだった母との職場結婚の最初の子どもとして生まれた。旧「士族」の長男であった。幼い日、祖父は「武士の子」である私に切腹の作法を教えた。中学時代には川端康成の小説を愛する少年だった。一五歳の秋、戦闘機乗りになるつもりで陸士へいった。人生二十年といわれていた時代である。私はただ死にかたしか考えていなかった。

一〇ヵ月たって私には早すぎた敗戦を迎えた。占領と平和とが同時におとずれた空腹な青春ではあったけれども、私にとって青春とよべる時代がやっとはじまった。私は、遠くを見つめて生きつづけることを学んだ。それ以後の戦後の私の人生は青春のたえまない回復と持続の意志にささえられてきたし、これからもそうでありたい。

 年の暮れに、演歌やフォーク・ソングにまじって、おびただしい軍歌が流れた。同期の桜≠竍加藤隼戦闘隊≠フ歌は、私にとっても少年の日の情念のこもった歌である。日本軍国主義の侵略戦争のもとで死の決意をしいられ、その死を「散華」とよぶことにならされた世代の人びとのなかには、戦後を余生だという人もある。

余生とは青春と別れて生きながらえる人生のことである。人生のなかに青春を持続するには、過去の歴史から学びながら、たえず未来をたぐりよせて生きなければならない。それは、日本国民の死を準備する政治にうちかって、生を充実する政治を求める道につうじているにちがいない。

 三島がのこした辞世の歌は、戦争の日々に「軍神」たちが書きとめた歌の記憶をよびおこす。天皇のために死ぬ「魂」を三島はよみがえらせたかったかのようである。それは時代錯誤にはちがいないが、軍歌を歌っている現代の若者たちに出会うとき、軍歌のなかにひめられている死の連帯でむすばれた生きがいへの幻想が、若者たちをもひきつけていることを私は感じる。

パチンコ屋でなりひびいている同期の桜≠ヘ、「みごと散り」はてる覚悟で「同じ航空隊の庭に咲く」若者たちの友情の歌だ。加藤隼戦闘隊≠ヘ「死なばともにの団結の心」で死者のあとにつづくのである。戦中派とよばれる男たちが、時として、あのころはよかったとふりかえるのも、死の連帯または死の共同体への郷愁といえるだろう。

 それほどまでに、現代日本の高度成長のアスファルト・ジャングルや職場砂漠は、人びとを孤独にひき裂いているのかもしれない。死の連帯でも、そこには連帯があったと思いたいのである。しかし、死の連帯は連帯の幻想にすぎない。なぜなら、現実には、ただ強いられた死にむかってだけ「平等」な人間たちの、情念のつながりでしかありえなかったのだから。

 必要なのは、死の連帯の幻想ではなくて、日々の生きる営みに根ざした生の連帯なのではないか。それだけが、たえず死を準備する政治、日本軍国主義復活の政治にうちかつことができるし、生の連帯は死の政治とのたたかいによってこそきたえられる。

 君たちにあらためて考えてほしい。君たちの青春の要求を豊かにするように。それは、いま、死の政治が君たちのまえにつきつけられているからこそ、いっそうさしせまった問題なのである。君たちのまだたっぷりある人生の遠い歩みをつうじて、ほんとうに情熱をこめてやりたいと思う仕事はどんな仕事なのか。

その仕事が日本国民の生きぬくための連帯にとってかけがえのない意味をもつ仕事であるようにする能力を高めること──それは、日本の若者たちが人間らしく生きることのかなめにすわっている課題だといえる。

 その課題をつきつめてゆくとき、働く若ものたちは自分の人生と日本の未来とを一つにむすびつけて創造する道をきりひらくだろう。一人ひとりの若者の人生が、日本国民の生の連帯のなかみを豊かにする。その巨大な人間のきずなこそが、たえず卑小であることの危機にさらされている一人の男と一人の女の愛のありかたをも人間の愛にふさわしいものに高めるにちがいない。

 学園で学ぶ若ものたちにとっても、苦役のような勉強ではなくて、自分で誇りのもてる学びがいのある学問とはどんな学問なのか。その学問は、日本国民の生きる要求に根ざした連帯とどこでつながってゆくのか。この問いをつきつめてゆくとき、働く若者と学ぶ若者は、たがいに遠くはなれてはいないことに気づくはずだ。

日本の若者たちは、働くことと学ぶこととが、よりよく生きたいという人間の要求の実現にとって一つに結びあわされなければならないことをたしかめるだろう。

 私は、国鉄の青年労働者たちが、いま、「合理化」のすさまじいなかで、おれたちの手で国鉄をどうするかということを、組合で真剣に討論していると話してくれたことを思いだす。お客さんにサービスをよくするには、おれたちの選出する駅長がどんどん出てくるようにする必要がある、それはあたりまえじゃないか、そうなんだという話だった。そのためにこそ、青年労働者たちは、いい仕事のできる力を身につけ、国民本位の国鉄をつくりだす力をたくわえようとしている。それは日本の未来を予告してはいないだろうか。

 青春の美しさは、せめてものしあわせということばをしりぞけて、自分の人生を創造する要求をゆたかにし、それを実現する能力をきたえようとするひたむきな情熱をもつことにあるのではないか。
                 (一九七一・一・一)
(島田豊著「現代の知識人」青木書店 p114-120)

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◎「台所の片隅で肉のきれはしにたかっているうち、ゴキブリホイホイのエジキになってしまう、そんなゴキブリ人生に私たちの青春を転化させてはなるまい。」と。