学習通信040825
◎そのものと関係させることで……「一つの相対的な表現を手に入れる」と。

■━━━━━

 商品生産の経済学は、けっして、ただ相対的にしか知られていない諸要因を取り扱わなければならない唯一の科学ではない。

物理学でも、われわれは、気体の或る与えられた体積のうちに──圧カと温度ともやはり与えられているとして──どれだけの数の気体分子が存在しているのかを知らない。

しかし、〈ボイルの法則が正しい限り、なにか或る気体のそのような与えられた体積のうちに含まれている分子の数は、等しい圧力と等しい温度とのもとにある任意のもう一つの気体の等しい体積のうちに含まれている分子の数と等しい〉、ということを知っている。

だから、気体の種類がどれほど異なろうと、その体積がどれほど異なろうと、それを、ごくさまざまな圧力と温度との条件のもとで、その分子含有量にかんして比較することができるし、また、セ氏〇度・圧力七六〇ミリメートルのもとでの気体一リットルを単位にとれば、この単位で右の分子含有量を測ることができるわけである。

──化学でも、個々の元素の絶対的な原子量は、われわれにやはり知られていない。しかし、われわれは、その相互の比を知っていることによって、これを相対的には知っている。

だから、化学は、一商品生産とその経済学とが、個々の商品をその相対的な労働含有量にかんして比較することによって、こうした商品に含まれている・自分に知られていない労働量を表わす一つの相対的な表現を得るのと同じように──個々の元素をその原子量にかんして比較し、或る元素の原子量を他の元素(硫黄・酸素・水素)の倍数または分数で表現することによって、自分に知られていない原子量の大きさを表わす一つの相対的な表現を手に入れるのである。

そして、商品生産が貨幣を絶対的商品に、残りの商品の一般的等価物に、すべての価値の尺度に、高めるのと同じように、化学は──水素の原子量を一と置き、残りすべての元素の原子量を水素に換算して水素の原子量の倍数で表現する、ということによって──水素を化学上の貨幣商品に高めるのである。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p193-194)

■━━━━━

2 原子・分子の質量を相対質量で表す

原子・分子の質量を相対質量で表す理由

 原子・分子の質量は、非常に小さい。したがって、原子・分子1個の質量を天秤を用いて測定することは、実際問題として不可能である。逆に数gの物質の中には膨大な数の原子・分子が含まれている。この事実から帰結される原子・分子の質量の測定方法は、その質量を天秤を用いて測定することを前提にすれば、「一定の個数の粒子集団の質量を測定しその質量を比較するのがよい」ではなかろうか。

 現行の高校の化学の教科書では、原子・分子の質量は、非常に小さく“その数値を扱うのは不便である”ので、原子・分子1個の質量そのものではなく、基準に決めた原子の質量との比で表す、というように記載されている。この記述で高校生達は納得するのだろうか。単に原子・分子の絶対質量が非常に小さくその扱いが不便だルトいう理由から、原子・分子の質量は相対質量で表すといわれても、そこには相対質量で表さなければならない必然性はない。原子・分子の絶対質量が非常に小さいという事実と、原子・分子の質量を相対質量で表すことの論理的なつながりはない。原子・分子の質量を非常に小さい絶対質量で表すことは何の問題もなく可能なのである。ただし、原子・分子の質量をそれらの一定個数の粒子集団の質量で表して扱いやすい数値にして扱うことには、全く異存はない。

ドルトン,カニッツアロの原子量測定3)

 はじめて原子量の概念を導入したのがドルトンであることは、本誌の読者には周知の事実であろう。原子量の概念を導入することによって、個々の原子には固有の質量があり、その質量を比較することによって原子を識別でき、原子という粒子が実体をともなった粒子であることが示されたのである。原子量を求める際に、ドルトンは2種の元素からなる化合物においては、その“元素組成が1:1や1:2のように簡単な個数比であると仮定”し、その質量比を求めた。その上で化合物の元素組成から、同じ個数ずつの原子の質量比を求めることができたのである。原子1個の質量の絶対値を求めるには、物質の質量とその物質を構成する原子の個数を知る必要がある。ドルトンは、物質の質量の測定は行ったが、その物質を構成する原子の個数は知り得なかったので、もちろん原子1個の質量の絶対値を求めることはできなかった。しかし、化合物を構成する元素の原子数比は決まっているので、同数個ずつの原子の質量比、すなわち原子の相対質量ならば求めることができたのである。

──略──

3 モル質量

 現在では、原子・分子の1個の質量の絶対値を質量分析器を用いて測定することができる。質量分析器という道具を持っている現在の化学者にとって、原子・分子の質量を相対質量で表す必然性は、極めて希薄である。もちろん、分析化学や無機化学の専門家にとっては、やはり相対質量で表さなければならない必然性があるのかもしれないが、少なくとも高校生には原子・分子の質量を相対質量で表す必然性は失われた、といってよいのではなかろうか。
(インターネット検索で得た情報です)

■━━━━━

ドールトンと近代的な原子論

 17世紀以来,物質は不可分の微粒子からつくられているという原子論が広く受けいれられていたが,原子の実際の姿については全く知られていなかった.

 ラヴォアジェの新元素説によって多数の化学現象が統一的・合理的に説明されると,元素には固有の原子が存在し,化合物はいくつかの原子の結合(分子)からなるということが容易に推察された.たしかに,新元素説の提唱後ただちに,アイルランド出身の化学者ヒギンズが新しい元素に対応した原子を考えた.しかし,問題は,各原子の区別を実際の観察結果からどのようにして導くかということにあった.この解決は,新元素説と同じく気体研究から生まれた.その研究は今度は医学的・化学的研究からではなく,物理的関心から行われた.

 産業革命以前の重商主義経済の時代には,航海のために気象予測が必要であった.気圧計や温度計などの測定器具が発明され,ヨーロッパ中にアマチュアによる気象観測網がつくられ,気象観測とその研究とが活発になっていった.さらに,産業革命期には,蒸気機関の動力源である蒸気(という気体)の挙動,特に熱との関係に,深い関心が寄せられた.

 イギリス産業革命の中心都市マンチェスターのアカデミー教師で,のちに私塾教師かつマンチェスター文芸哲学協会会長となったドールトンは,こうした時代環境のなかで科学者として成長した.21歳から終生続けた気象観測から,彼の一貫した研究主題である大気および気体現象の探求が生まれた.彼は熱による気体膨張法則(シャルルの法則)さえ独自に見出した.

 気体の水溶性を調べた際,重い気体(おそらく重い原子からなる)は溶解度が大きいという関係があるように思われた.この関係をはっきりさせるために,原子の重さを知る必要が生じた.《物質の究極粒子の相対重量の探求は,私の知る限り,全く新しい企てである.》とドールトンは述べている.

 この課題を解くことは,ドールトンにとってそれほど難しいことではなかった.反応によって生成する物質の粒子は反応物粒子の各1個ずつからまずつくられるという仮定(最単純性の原理)をおくと,生成物質の化学分折値から原子の相対重量が計算できた.たとえば,水100 gは水素15gと酸素85gからできているので,水分子は水素原子1個と酸素原子1個からなるとすると,それぞれの粒子の重量比は,6.66,1,5.66となる.こうして彼は,水素や酸素,窒素などの原子量とそれらからつくられる物質の分子量を算出し,原子量・分子量表を作成した.それは,1803年9月のことであった.

 溶解度と原子量との関係を導くことには結局失敗したが,彼は,元素とは原子の種類であり,原子は重量によって区別されることを,思弁ではなく,実験をとおして明らかにしたのである.ここに,古代ギリシア以来の古い原子論が科学的な化学と結びつき,新たな段階へ,すなわち哲学から科学へと高められたのである.ドールトンは『化学の新体系』(1808〜10)を著わし,この近代的な原子論を説いた.そこでは,円形の原子記号が用いられている.

化学の諸法則と原子論の発展

 化学的操作中に物質が保存されるという考えはすでに17世紀に生まれていたが,これを初めて明確に,質量保存則として述べたのはラヴォアジェであった.彼はこういう.《どんな操作においても,その操作の前後には等しい量の物質が存在するということは公理とみなすことができる》.

 ドールトンによる科学的原子論形成と同じ頃,同種の化学物質はどの標本も同一の組成をもつという定比例の法則がマドリード在住のフランス人の化学者プルーストによって確定された.また,同じ2つの元素からなる数種の化合物では,ひとつの元素に対する他の元素の重量は互いに整数比にあるという倍数比例の法則がドールトン自身によって発見された.これらの法則は,物質が原子からできていると考えなければ理解できず,ドールトンの原子論から補強されると同時に,それに強い根拠を与えるものであった.

 1808年にはフランスのゲイ・リュサックが,反応する気体の容積は簡単な整数比をなすという気体反応の法則を提示した.この根拠は,アヴォガードロの法則が認められるまでは不明であったが,それでも自然がその根底に不連続量をもっていることを示すものであった.

 スウェーデンのベルセーリウスはいちはやくドールトンの原子論の意義を認め,彼の円形原子記号にかえて,現在も踏襲されているラテン名の頭文字の使用を提案し,また精密な原子量測定に努力した.1820年代後半に得られた値はきわめて正確なものであった.

 原子量決定において難問があった.それはドールトンが最単純性の原理を適用して処理した,分子中の成分原子の数の決定であった.ベルセーリウスは原子量と比熱の積が一定であるというデュロン・プティの法則や類似した結晶形をもつ化学物質は類似した分子式をもつという同形律,またゲイ・リュサックの気体反応の法則など,利用しうる手段をいろいろ用いた.

 科学は直接観察される事実だけに基づくべきだとして,物質の基本的理論である原子論に対して一部に反対があったが,この世紀後半の有機化学の発展は原子論に基づくものであり,逆に原子論の真実性の証明でもあった.

 実験によって観測事実と結びつけられていなかった古代の原子論やボイルの原子論は,19世紀初めに科学へと高められ,近代化学の基礎理論となったのであった.ドールトンはラヴォアジェとともに近代化学の父といえよう.
(藤村・肱岡・江上・兵藤著「科学のあゆみ」東京数学社 p152-156)

■━━━━━

 このように、粒子論では化学現象をつかみきれませんでした。ほんとうの解決は、およそ百年後ラヴォアジエが「質」をもった窮極物質(化学元素という概念)を提出してからのことになります。しかし、ボイルの粒子論は、ばらばらな化学実験例に一貫したつながりをあたえ、目的論を追放して化学現象を科学的に扱えるようにし、近代化学への一歩をすすめたという功績を残したのでした。
(大沼正則著「科学の歴史」青木書店 p120)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎ボイルもドールトンも近代化学の基礎を築いた人たち……。