学習通信040826
◎価値≠ニは……。

■──

 人々が、財貨を貨幣と交換するか、または財貨を相互に交換するにあたって自然にまもるルールとはどんなものであるかを、これから私はすすんで検討することにしよう。こうしたルールは、財貨の相対価値または交換価値とよぶべきものを決定するのである。

 注意しなければならないのは、価値という言葉に、二通りの異なる意味があって、あるときはある特定の対象物の効用をあらわし、あるときはその所有から生じる他の財貨にたいする購買力をあらわす、ということである。前者は「使用価値」、後者は「交換価値」とよぶことができよう。

最大の使用価値をもつ物が、しばしば交換価値をほとんどまったくもたないことがあり、これとは反対に、最大の交換価値をもつ物が、しばしば使用価値をほとんどまったくもたないことがある。水ほど有用なものはないが、水ではほとんどなにも購買できないし、それと交換にほとんどなにも入手できない。

反対にダイヤモンドは、ほとんどなんの使用価値ももっていないが、それと交換に非常に大量の他の財貨をしばしば入手することができる。

 諸商品の交換価値を規制する原理を究明するために、私はつとめて次の諸点を明らかにしようと思う。

 第一に、この交換価値の真の尺度はなんであるか、すなわち、すべての商品の真の価格はいったいなにに存するか。

 第二に、この真の価格を構成し、あるいはつくりあげているさまざまな部分とはどんなものであるか。

 そして最後に、価格のこうしたさまざまな部分のいくつか、またはすべてを、ときにはその自然率ないし通常率以上に引き上げ、またときにはそれ以下に引き下げるさまざまな事情とはどんなものであるか。あるいは、諸商品の市場価格すなわち現実の価格がそれらの自然価格とよべるものと正確に一致するのをときとして妨げる諸原因は、いったいどんなものであるか。

 私は以上三つの主題を、次の三つの章で、できるだけ詳細、明瞭に説明しようと思う。それにたいして読者の忍耐と注意とを心からお願いしておかなければならない。すなわち、いくつかの箇所ではたぶん不必要に冗漫と思われるかもしれない細目を検討するための忍耐であり、また私が可能なかぎり行なった説明のあともなおいくらかはあいまいにみえる部分を理解するための注意である。

私は、明確を期するためにはある程度冗漫に流れることも覚悟するつもりである。だが、明確を期そうとしてできるだけ苦心をしても、その性質上極度に抽象的な主題については、やはり多少のあいまいさが残るように思われる。

<訳者注>──スミスの経済学体系の基礎に「価値が据えられていることの意義を考えるとき、マーシャルの次の言葉は一つの指針となるように思われる。

──「スミスの主要な仕事は、価値にかんするフランスおよびイギリスの同時代人や先行者たちの思索を総合し発展させることにあった。かれが思想史上にーつのエポックを画したと主張できる最大の根拠は、価値が、人間の動機を測定する仕方について、すなわち、一方では富を得ようとする購買者の欲求、他方ではその生産者の払った努力と犠牲(あるいは「真の生産費」)を測定する仕方について、注意ぶかく科学的な研究を企てた最初の人であったという点である」(マーシャル『経済学原理』)。

 たしかにスミス以降のすべての経済学は、「価値」のうちに経済理論に統一をもたらす共通の核心を見出そうとした。これはいいかえると、経済学という学問がスミス以降、市場と交換と価格のメカニズムとを通して経済秩序を発見し、経済秩序の変化と方向を確定する学問として発展したことを意味する。

それゆえ、すべての経済学は価値、交換価値または価格を体系の中心概念としで設定しているが、ここでスミスの述べているように、この価値概念にふくまれる「使用価値」と「交換価値」のうち、主として後者をとりあげて「真の生産費」または「真の価値」の性質および尺度を探究していったのはスミス以降のイギリス古典経済学であり、マルクスの経済学もこの伝統を継承している。これにたいし前者すなわち対象の効用に注意をはらって、効用概念、さらに限界概念から価値の説明を進めたのはマーシャル以後の新古典派の経済学である。

 なお、ここで「交換価値」の大きさが「使用価値」の大きさと一致しないことを例証するために、水とダイヤモンドとの対比があげられていて、スミス以降のほとんどすべての経済学者はこのスミスの例証を説明に用いている。だが水とダイヤモンドの例は、スミスの先人であるローやハリスによってとりあげられたものであり、また水が安価であるという指摘はプラトンによって最初になされている。なお、この語は原著で大文字表記されている。
(大河内一男監訳 アダム・スミス著「国富論 1」中公文庫 p49-51)


■━━━━━

 価値概念は、商品生産の経済的諸条件の最も一般的な・したがって最も包括的な表現である。

価値概念には、だから、貨幣の萌芽ばかりでなく、商品生産と商品交換とのいっそう発展した諸形態すべての萌芽も、含まれているわけである。

〈価値は、私的生産物に含まれている社会的労働の表現である〉、ということのうちには、すでに、この社会的労働とその同じ生産物に含まれている私的労働とのあいだに差異が生じる可能性が含まれている。

こうして、或る私的生産者が、社会的生産様式が進歩していくのにこれまでどおりの仕方で生産を続けていけば、彼には、この差異が身にこたえて感じられるようになるのである。

或る特定の種類の商品の私的製造者の総体が、社会的需要を超過する数量でその商品を生産すると、すぐさまこれと同じことが起こる。

〈或る商品の価値は、もう一つ別の商品でしか表現できず、また、ただこれとの交換においてしか実現できない〉、ということのうちには、交換がそもそも成立しなかったり、そうでないまでも、正しい価値を実現しなかったりする可能性が、含まれている。

最後に、労働力という特殊な商品が市場に現れてくると、その価値も、他のすべての商品の価値のように、それの生産のために社会的に必要な労働時間に照らして規定される。

生産物の価値形態のうちには、だから、資本主義的生産形態全体が、資本家と賃金労働者との対立が、産業予備軍が、恐慌が、すでに萌芽のうちに含まれているわけである。

「真の価値」をつくりだすことによって資本主義的生産形態を廃止しようと思うのは、だから、「真の」教皇をつくりだすことによってカトリシズムを廃止しよう、と思うことであり、すなわち、生産者たちが自分たち自身の生産物に隷属させられていることの最も包括的な表現である一つの経済的カテゴリーを首尾一貫して貫徹することによって、生産者たちがついに自分たちの生産物を支配するようになる一つの社会をつくりだそう、と思うことである。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p196-197)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎エンゲルスのいう価値概念=A学んで資本論の第1章を読むと面白いよ。重要な概念なんです。

スミスの説明は、これから始める──の前段部分です。訳者注には、価値≠ニ経済学との関係が書かれています。

■カトリシズム(英Catholicism) 1 ローマ教皇を最高首長とするカトリック教会の宗教的思想的立場。カトリック主義。2 政治、社会、文化などのカトリック的活動の総称。 (C)小学館