学習通信040828
◎「現代の日本社会で、むき出しの暴力も含めて、力のあるものに対する期待や肯定が広がりつつあることを象徴するもの」……新選組

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新選組の魅力
洛魄の敗者に愛惜と共感
彼らも確かに歴史をつくった

 歴史は勝者によって書かれるという。「古事記」や「日本書紀」が大和朝廷を全面的に肯定する史観で貫かれているのは周知の事実だ。勝者は賞揚され、敗れ去ったものは敵対者として名をとどめるばかりである。幕末・維新史でも、勝ち残った者たちを正義とし、改革者とし、敗者は頑迷な守旧派として退けられた。

 維新政府の中核となった公卿や薩長を中心とする西国雄藩の志士たちは時代の先覚者であり、彼らの革命を阻もうとした徳川将軍家や佐幕派の武士たちには朝敵の汚名が着せられた。

 幕末の京を舞台に、跋扈(ばっこ)する動王派浪士たちの制圧に必殺剣を振るった新選組が、無頼な殺戮集団とみなされたのは歴史の必然である。結果として新選組は、薩長の、つまり維新政府の要人たちの敵として生き、死んでいったのだから。

 しかし、庶民の感情は必ずしも官製の史観に同調しない。薩長政権に対する反発や批判が強まるとともに、敗れた者たちへの愛惜の念が頭をもたげる。勝者の奢りは目にみえるけれど、落魂した敗者たちの姿は美しく追想されるだけだ。庶民は落日の栄光に彩られた集団として新選組を眺め、その隊士たちの物語をある種の共感をもって紡(つむ)ぎはじめる。

 勤王派の志士も、新選組に集った浪士も、ともに時代の子であり、その心情には共通する部分が少なくない。彼らの多くは、300年にわたる幕藩体制のなかで、鬱屈(うっくつ)した日々を強いられてきた下級武士であり郷士である。尊王攘夷の旗印を得て草莽(そうもう)の志士たらんとした若者も、京洛警護に勇躍して入洛した若者も、封建社会の強固な枠組みや桎梏(しっこく)から自己を解放する機会を切実に待ち望んでいた。世に出たい、武士として生きたい──と。混乱する世情はまさに千載一遇のチャンスだった。帰属集団を異にするという偶然が、彼らの立場を隔てたのに過ぎない。新選組隊士にも勤王の志を持つ者はいたし、勤王派志士のなかにも無頼の人斬りはいたのだから。

 日本の歴史のなかで新選組ほど激しい内部粛清を断行した組織はない。「局中法度」を厳しく適用し、隊員に対しても苛斂誄求(かれんちゅうきゅう)を徹底した非情な組織である。にもかかわらず新選組が今も多くの人々に愛されるのは、彼らに滅びの美を見るためだろう。

 体制を守る組織として結成され、新しく誕生した体制の敵として敗れ去った男たちに捧げる挽歌。後に権勢を得た尊攘派の人々に比べ、時代の思潮から取り残されて非業の死を迎えた者たちの方がいとおしいではないか。「誠忠」という古い徳目を掲げて、時代の波に抗してひたむきに生き、死んでいった者たちが庶民の心を打つのだ。
(京都新選組キャンペーン協議会作成パンフより)

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 ところが私の見るところ、近藤勇と彼の書簡は冷遇されたままである。前記『新選組史料集』には近藤勇書簡はごく僅かしか収録されず、その僅かな収録書簡にも省略があって、私がいちばん大切だと思う箇所がすっぽりと落されているのだ。そこをきちんと読まないために『新選組日誌』には重大な錯誤が生じている。

 拙著では近藤勇が郷党に対して負い続けている説明義務を重視する。近藤が郷里の知友に宛てて送った多数の書簡を徹底的に読込み、それを新選組の歴史を見ていく基本に据える。そのことを抜きにして他の伝聞的要素の強い記録をいくら並べても、新選組の真相は明らかにならない。新選組の歴史に筋が通らない。

 もちろん近藤の手紙を鵜呑みにするわけではない。近藤は郷党に対し見栄を張り隠し事をする。それも新選組の重要な一面である。武州多摩出身の近藤が、その多摩の有力者たちに宛てた手紙だという独特の偏りを持つことも、常に意識し警戒しなければならない。そういう手紙を書く近藤勇と、彼を首領として推戴(すいたい)する新選組の全体、それを幕末史の大きな流れの中に正確に位置付けなければならないのである。

 近藤勇や土方歳三が浪士組の一員として上京した文久三年(一八六三)春は、日本中に攘夷の熱が充満していた。近藤勇も熱烈な「尊王攘夷」論者で、多摩にはそれを受入れる基盤があった。明治の日本資本主義をリードした渋沢栄一は多摩より少し北で同じ武蔵国だった榛沢(はんざわ)郡血洗島村(埼玉県深谷市)の出身だが、文久三年には横浜を襲撃して異人を斬るという計画を親戚や友人数十名と共に本気で立てている。強烈な攘夷思想の度合いにおいて近藤勇と渋沢栄一には差が認められない。基盤も共通する。

 その近藤も元治元年(一八六四)八月の英仏米蘭四ケ国艦隊下関攻撃で長州が大敗したあとは、攘夷に固執しない。幕府も陰に陽に続けていた条約履行サボタージュを、ここできっぱりとやめている。やめさせられた。四ケ国の外交代表に対して条約を厳守すると約束し、下関攻撃の費用(長州に課せられた賠償金)も幕府が支払うことになった。長州と幕府が共に敗れて、日本全国を覆っていた攘夷熱は急速に醒めた。

 孝明天皇が依然として強硬な攘夷思想を保持しているため紛らわしい局面が何度か生れるけれども「尊王攘夷」はもう日本全体を揺り動かすスローガンではなくなった。新選組も攘夷を追求する集団であることを取止めた。「尊王」は放棄しないけれども「攘夷」は放棄したのである。

 逆だと思っている人が多い。近藤は「佐幕攘夷」、伊東甲子太郎は「尊王攘夷」だから「攘夷」で一致したというような俗説が通用して話が混乱する。伊東甲子太郎を加入させたときの新選組は、もう攘夷を目標とする集団ではなかった。浪士組から受継いで大切に扱ってきた「尽忠報国」を維持することが難しくなる。

 「尽忠報国」のことは本文で詳しく述べる。いまは、より分りやすい「尊王攘夷」を使って、元治元年までの新選組は攘夷を目標とする集団、それ以降は違うということを予告的に強調した。代りの目標は何か。長州征伐に出陣することを切望しているのだが、これは実現しない。この見込み違いも手伝って、幕臣になるのは慶応三年の六月、大政奉還の四ヶ月前だった。
(松浦玲著「新選組」岩波新書)

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「新選組」ブームについて考える

 弁護士 中島 晃

@NHKの大河ドラマ「新選組」の影響もあって、いま京都の街なかを歩くと、やたらと新選組の文字を染め抜いた旗ざおや新選組をテーマにした催し物などが目につく。いま、京都はちょっとした新選組ブームに沸いているといえよう。どうせ、観光客目当ての一過性のものにすぎないとはいえ、この機会に新選組について考えてみたい。

 新選組は一口で言えば、幕府の屋台骨が大きく揺らぎ始めた幕末に勤王の志士が横行して一大反幕府勢力の拠点になっていた京都の治安維持のために、市中取り締まりを名目に、倒幕派の浪士たちを片っ端から斬り殺していったテロリスト集団である。

 そうした新選組の活動のピークをなすのが、池田屋事件であり、このとき倒幕運動のリーダーであった肥後の宮部鼎蔵、長州の吉川稔麿、土佐の望月亀弥太などの多くの浪士が命を落とした。このために、明治維新の到来がおくれたといわれる。またこれがきっかけになって、長州藩の暴発を招き、蛤御門の変を引き起こすことになる。新選組は京都守護職であった会津中将様お預かりとされ、会津藩をバックにして人斬りを働き、乱暴狼籍をほしいままにし、「壬生浪(みぶろう)」とよばれた。会津藩が戊辰戦争で白虎隊の悲劇を生むことになる背景には、こうした新選組の存在がある。

Aまた、新選組は、内部抗争や隊内粛正もすさまじく、初期の芹沢鴨の暗殺に始まり、後期には伊東甲子太郎を暗殺して、新選組から離脱した伊東一派の皆殺しを計画し、伊東の死体を路上に放置して、伊東一派をおびきよせ、総がかりで斬りかかるという油小路の乱闘を引き起こした。この油小路での伊東一派に対する襲撃の顛末をみると、胸くその悪くなるような思いがする。

 こうした過剰なまでの殺人と暴力を平然と行った新選組が、NHKの大河ドラマの主人公になり、近藤勇がそのヒーローになるなどということは、本来であれば考えられないことである。

 このため、この脚本を書いている三谷幸喜は、近藤勇が坂本龍馬と相撲を取るという、およそありもしない話をドラマの中に入れて、倒幕派の浪士たちと新選組の隊士たちを同じ青春群像としてみるという手品じみたことをやっている。

Bもっとも、新選組がテレビドラマのヒーローにおよそなりえないわけではない。新選組は、基本的には敗者であり、亡びいく幕府に殉じて、一緒に亡んでいったところに、悲哀とロマンが生まれる余地がある。
 近藤は流山で官軍に捕らえられて殺され、土方は函館で激闘の末に銃弾に倒れる。敗者と亡びゆく者に対して、哀惜の情を寄せるという日本人の心情からいえば、新選組がヒーローになってもおかしくないともいえよう。

 しかし、冒頭でも述べたように、新選組が、幕府という旧い政治勢力を維持するために、反対派の浪士を片っ端から斬り殺していったテロリスト集団という事実そのものを否定して、いたずらに美化することは危険である。新選組は、当時の京都の町の人々から、「壬生浪」として恐れられ、会津藩を後ろ盾にして暴力をほしいままにしてきた人斬り集団であるという厳然たる事実を忘れてはならない。

 過剰なまでの人殺しと暴力を貫いてきた新選組を、公共放送であるNHKが大河ドラマのような「折り目正しい」番組の主人公にすえたところ、現代の日本社会で、むき出しの暴力も含めて、力のあるものに対する期待や肯定が広がりつつあることを象徴するものと見るのは私だけであろうか。
(「市民共同」市民共同法律事務所 NO.28 2004.8.20)

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◎なにが目論まれているのだろうか……。