学習通信040830
◎所有と国家……。

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第九章 土地支配権について

 共同体の構成員の各々は、共同体が形成された瞬間に、自己を共同体にあたえる──つまり彼自身と、彼がもっている財産がその一部をなす彼のすべての力とを、そのとき現にあるがままの状態であたえる。この行為によって、占有は、持主がかわることによって性質をかえることもなく、主権者の手中において所有となるのでもない。しかし、都市国家の力は、個人の力とはくらべものにならないほど大きいのだから、公けによる占有もまた、事実上、はるかにつよく、より動かしがたいものである。

だが、〔個人の占有より〕一そう正当であるわけではない、少なくとも外国人にたいしては。なぜなら、国家は、その構成員にたいして、国家内においてはすべての権利の基礎となる社会契約によって、彼らの全財産を支配できる。ところが、他の国にたいしては、国家が個人からひきついだ先占権によってのみ、これを支配しうるにすぎないからである。

 先占権は、最も強い者の権利よりもーそう真実なものではあるが、まことの権利となるためには、所有権の確立をまたなければならない。人はすべて生まれつき自分に必要なすべてのものにたいして権利をもっている。しかし、彼をある財産の所有者にする積極的行為が、彼を残りのすべてからしめだす。彼の分け前がきまった以上、彼はそれで辛抱しなければならない。

共同体の財産にたいしては、もう何も権利はないのである。自然状態にかいてきわめて弱いものであった先占権が、すべての市民にとって尊重すべきものとなるのは、以上の理由による。この権利にかいてわれわれが尊重するのは、他人に属するものというより、むしろ自分に属さないところのものなのである。

 一般に、何らかの土地にたいする先占権を正当なものとするためには、次のような諸条件が必要である。第一に、その土地にすでに住んでいるものが誰もいないこと。第二に、生存するために必要な広さの土地しか占拠しないこと。

第三に、空虚な儀式ではなく、労働と耕作によって、これを占有すること。なぜなら、この〔第三の〕ものこそ、所有の唯一のしるしであって、法律上の権原のない場合にも、他人から尊重せらるべきものである。

 実際、必要と労働にもとづいて先占権を認めるということは、この権利をそれが及びうるかぎりのばすことではないだろうか? この権利に眼界をあたえないで、すませるだろうか? 共有地に足をふみいれるだけで、そこの主人だとただちに主張することができようか? 他の人々をこの土地からー瞬間おっぱらう力があるというだけで、彼らがいつかそこにもどってくる権利をうばってしまうことができようか? 一人の人または一国民が、広大な領土を独占して、全人類からこれをうばうなどということが、どうしてできるのだろうか? それは、許すべからざる横領によるの他はない。

それは、自然が人間に共同のものとしてあたえた住居と食物とを、残りの全人類からうばうからである。ニュニェス・バルバオが海岸に上陸しただけで、カステイラ王の名において、南の海〔太平洋〕と南アメリカ全部を占有した〔と称した〕とき、そうすることによって、全住民からこの土地をうばい、世界のすべての君主をここからしめだすのに、十分だったのだろうか? こういうやり方で、こうした儀式が、相ついでおこなわれたが、それは大して有効なものではなかった。

そして、カトリックの王〔スペイン王〕は、その部屋にいながらにして全世界を一挙に占有したととなえ、ただその後で他の君主たちがそれ以前に占領していた領土を、彼の帝国からきりはなしさえすればよかったことになるだろう。

 個々人の土地が合一され、接続した土地が、どうして公共の領土となるか、また、主権の権利がどうして、臣民から彼らの占める土地へと範囲をひろげて、人にたいする権利であると同時にまた物にたいする権利となるか、ということはこれで明らかだ。このことが、占有者をーそう強く〔主権に〕依存させ、また彼らの力そのものを、かえってその〔主権への〕忠実の保障たらしめるものなのである。この利益、それを古代の君主たちは、十分に感じていたとは思われない。

彼らは、自らペルシャ人の王、スキタイ人の王、マケドニア人の王などと称するだけで、自分をその国土の主人というよりは、むしろ、人々のかしらと考えていたようだ。今日の君主は、もっと利口に、フランス、スペイン、イギリス、等々の王と自称している。彼らはこのように土地を握っておれば、十分確実に、その住民を握っていられるのである。

 この譲渡において特異なことは、個々人から財産を受けとる場合、共同体は、彼らからそれをはぎ取るのではなく、むしろかえって、彼らにその合法的な占有を保証し、そのうえ横領を真の権利に、享有を所有権に変えるだけだということである。

こうなれば、占有者は公共財産の保管者と見なされ、彼らの権利は国家の全構成員から尊重され、外国にたいしては国家の総力によって支えられるのであるから、公共の利益ともなり、また彼ら自身にはなおーそうの利益となる譲渡によって、彼らは、いわば、彼らの与えただけのものを、すっかり手に入れたことになるのである。この逆説は、同じ地所にたいして主権者のもつ権利と、所有者のもつそれとを、あとで述べるように、区別することによって、容易に説明されるものである。

 また人々が何ものかを占有する前に、まず結合し、それから、全員にとって十分なだけの土地を占領して、これを共同で享有するか、あるいはお互いの間で、平等に、それとも主権者によって決められた割合に従って、分有するか、そういう場合も起りうる。それがどんな仕方で手に入れられるにせよ、各個人が自分自身の地所にたいしてもつ権利は、つねに、共同体が土地全体にたいしてもっている権利に従属する。もしこのことがなければ、社会の結びつきには安定がなく、主権の行使には真実の力がなくなるであろう。

 わたしは、すべての社会組織の基礎として役立つにちがいないことを一言して、本章および本編をおわろう。それは、この基本契約は、自然的平等を破談するのではなくて、遂に、自然的に人間の間にありうる肉体的不平等のようなもののかわりに、道徳上および法律上の平等をおきかえるものだということ、また、人間は体力や、精神については不平等でありうるが、約束によって、また権利によってすべて平等になるということである。

 悪い政府のもとでは、この平等は外見だけの幻のようなものにすぎない。それは、貧乏人を悲惨な状態に、金持を不当な地位におくことにしか役立だない。実際上は、法律は、つねに持てるものに有利で、持たざるものに有害である。以上から次のことが出てくる。社会状態が人々に有利であるのは、すべての人がいくらかのものをもち、しかも誰もがもちすぎない限りにおいてなのだ。
(ルソー著「社会契約論」岩波文庫 p36-41)

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 氏族制度が被搾取人民になんの助けももたらしえなかったとすれば、残っているのは成立しつつある国家だけだった。そして国家は、ソロンの制度のなかでそうした助けをもたらしたが、それと同時に国家は古い制度を犠牲にして新たに自己を強化した。

ソロン──紀元前五九四年にあたる彼の改革が遂行されたやり方は、ここではわれわれとは関係がないが──は、一連のいわゆる政治革命を、しかも所有への干渉をもって開始した。これまでの一切の革命は、一方の種類の所有を他方の種類の所有から守るための革命であった。それらの革命は、他方を侵害しないでは一方を守ることはできない。

フランス大革命では、ブルジョア的所有を救うために、封建的所有が犠牲にされた。ソロンの革命では、債務者の所有のために債権者の所有が損害を甘受しなければならなかった。債務はあっさり無効だと宣告された。その細かい点は正確にはわかっていないが、ソロンはその詩のなかで、入質地所から抵当標をとりはらい、債務のために外国へ売られた者と逃亡した者とをつれもどしたことを、誇っている。

こうしたことは、公然たる所有権侵害をもってしてのみ可能なことであった。そして事実、いわゆる政治革命は、その最初のものから最後のものにいたるまで、すべて、一方の種類の−所有を守るために行なわれ、他方の種類の−所有の没収によって、所有の盗みとも呼ばれるものによって、遂行された。だから、二五〇〇年このかた、私的所有は所有権侵害によってのみ維持されることができたというのが本当なのである。

 ところでいまや、自由なアテナイ人のこういう奴隷化の再来を防ぐことが肝心であった。これは、まずもって一般的な方策によって、たとえば債務者の人身を質入れする債務契約の禁止によって行なわれた。さらにまた、農民の土地をむさぼろうとする貴族の貪欲に少なくとも幾らか制限をくわえるために、一個人が所有することのできる土地所有の最大限度が確定された。だがさらに、いろいろな制度変更が行なわれた。われわれにとって最も重要なものは、つぎのものである。

 評議会〔首長会議〕は、各部族からー〇〇人ずつで、四〇〇人の評議員になるとされた。したがってここではまだ依然として部族が基礎であった。だがまた、これは、古い氏族制度が新しい国家身体のなかに取りいれられた唯一の面であった。

というのは、それ以外の面では、ソロンは、市民をその所有地とそれによる収穫に応じて四階級に分けたのだからである。五〇〇メディムノス、三〇〇メディムノス、一五〇メディムノスの穀物(一メディムノス=約四一リットル)が、はじめの三階級にはいるべき者の最低収穫量であった。所有地がそれ以下ないしは全然ない者は、第四階級に属した。すべての公職は、上位の三階級の出身者だけが、最高の公職は、第一階級の出身者だけが、就任することができた。

第四階級は、民会で演説し投票する権利をもつだけであったが、すべての公識者はこの民会で選挙されたし、彼らはここで報告をしなければならなかったし、すべての法律はここでつくられたし、それに第四階級はここで多数をしめていた。

貴族階級の特権は、富の特権という形態で部分的に更新されたが、民衆が決定的な力をもっていた。さらにまた、四つの階級は、新しい軍制の基礎となった。はじめの二つの階級が騎兵をだした。第三階級は重装歩兵として勤務しなければならなかった。第四階級は無甲冑の軽装歩兵としてか、または海軍かに勤務しなければならず、この場合にはたぶん給与も支払われたようである。

 こうしてここでは、まったく新しい一要素が、すなわち私有が、制度のなかに取りいれられている。国家の市民の権利義務は、その土地所有の大きさに応じて定められ、財産にもとづいた階級が勢力を得るだけ、それだけ古い血族体が押しのけられた。氏族制度は新たな敗北をこうむってしまった。
(エンゲルス著「家族・私有財産・国家の起源」新日本出版社 p153-155)

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 労働時間の法律的制限をめぐるこの闘争は、貪欲をおびえさせた以外に、じつに、中間階級の経済学である需要供給の法則の盲目的な支配と、労働者階級の経済学である社会的先見によって管理される社会的生産とのあいだの偉大な抗争に影響を及ぼすものであったから、なおさら激しくたたかわれた。こういうわけで、十時間法案は、大きな実践的成功であるだけにとどまらなかった。それは、原理の勝利でもあった。中間階級の経済学があからさまに労働者階級の経済学に屈服したのは、これが最初であった。

 しかし、所有の経済学にたいする労働の経済学のいっそう大きな勝利が、まだそのあとに待ちかまえていた。われわれが言うのは、協同組合運動のこと、とくに少数の大胆な「働き手」が外部の援助をうけずに自力で創立した協同組合工場のことである。これらの偉大な社会的実験の価値は、いくら大きく評価しても評価しすぎることはない。それは、議論ではなくて行為によって、次のことを示した。
(マルクス著「国際労働者協会創立宣言」全集16巻 p9)

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◎所有ということに対する理解を深めることは、未来社会をとらえるうえでもキワードになります。国家の役割……。

最後の抜粋は、活性化プロジェクト≠ナ土曜日におこなっている科学的社会主義の労働組合論を読む会で前回読んだ文献からです。所有の経済学にたいする労働の経済学=c…。

古典は丁寧に読めば必ずわかります。その文節の主語、述語……というように、その切れ目に / / を入れて区別し、あとで総合すれば全体像が文章としてはわかります。わかればあとはこれまでの蓄積がものを言います。その意味がわかってきます。

学習通信≠ヘ、抜粋ですから全体≠ヘこれだけではわかりません。テーマをつかむことに限られています。その全体を理解するためには、古典それ自身を読まなければなりません。

あきらめないで……。