学習通信040904
◎「深く深く掘り下げていると、最後には広い広い所へ押し出される」と。
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学問の世界においては、これまで経済学の領域にばかり閉じ籠もっており、それで差支ないと考えていた私が、これから奮発して更に哲学を研究せねばならぬ、ということを意味した。従来少しも哲学上の教養を有っていなかった私が、もはや五十歳近くにもなっているのに、これから新たに哲学を卒業せねばならぬということは、愚鈍な私にとり大変な仕事であったから、それは実際大奮発を必要としたのであり、自分にとっては実に容易ならぬ決意だったのである。
しかし私は、自分の専攻している経済学を仕上げることそれ自身のため、こうした決意を敢てせねばならなかったのである。マルクス主義の経済学を真に理解しようと思えば、その研究の指南車となっている唯物史観を理解せねばならず、また唯物史観を真に理解しようと思えば、どうしてもその哲学的基礎となっている唯物弁証法を理解せねばならず、それを避けているかぎり、私は『資本論』そのものの本当の理解を永久に断念せねばならぬ。
そうした事情が、学問の間口の狭い私をして、──精力の放散を固く警戒している私を駆って、──新たに哲学の研究に志すに至らしめたのである。それは私にとって、全く「新たなる旅」に立つことを意味した。
ここまで来て私は初めて会得したことだが、どこまでも深く深く掘り下げて行こうとすれば、いつかは穴を大きく拡げねばならぬようになるのであった。言い換えれば、深くなるということは、結局、広くなるということであった。吾々は深く深く掘り下げていると、最後には広い広い所へ押し出されるものなのであった。
(「河上肇 自叙伝@」岩波文庫 p195-196)
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マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分
マルクスの学説は、マルクス主義をなにか「有害な宗派」のようなものとみなしているブルジョア科学全体(官学的なものも自由主義的なものも)のきわめて大きな敵意と憎悪を全文明世界で呼びおこしている。これ以外の態度など期待しようもない。
なぜなら階級闘争のうえにきずかれている社会に「公平無私の」社会科学はありえないからである。官学と自由主義的な科学は、いずれにせよ、すべて賃金奴隷制を擁護しているが、マルクス主義は、この奴隷制度にたいして容赦ない戦いを宣言したのである。
賃金奴隷制の社会で公平無私の科学を期待するのは、資本の利潤を減らして労働者の賃金をふやすべきではないかという問題で、工場主の公平無私な態度を期待するのと同じくらい、ばかげたおめでたいことである。
だが、それだけではない。哲学の歴史と社会科学の歴史とがまったく明瞭に示しているように、マルクス主義には、世界文明の発展の大道のそとで発生した、なにか閉鎖的で、硬化した学説という意味での「セクト主義」らしいものはなにもない。
反対に、人類の先進的な思想がすでに提起していた問題に答えをあたえた点にこそ、まさにマルクスの天才がある。彼の学説は、哲学、経済学、社会主義の最も偉大な代表者たちの学説をまっすぐ直接に継続したものとして生まれたのである。
マルクスの学説は、正しいからこそ全能である。それは、完全で、整然としていて、どんな迷信、どんな反動ともあいいれず、ブルジョア的圧制を擁護することとはおよそあいいれない全一的な世界観を人々にあたえる。それは、人類が一九世紀にドイツ哲学、イギリス経済学、フランス社会主義というかたちでつくりだした最良のものの正統の継承者である。
マルクス主義のこの三つの源泉について、またそれとともにその三つの構成部分について、簡単に述べてみよう。
(一)
マルクス主義の哲学は唯物論である。
唯物論は、ヨーロッパの近代史全体をつうじて、とくに一八世紀の終りのフランス──そこではあらゆる中世的がらくたに反対し、制度上の農奴制と思想上の農奴主義とに反対する断固たる戦いがもえあがった──では、自然科学のあらゆる学説に忠実で、迷信やえせ信心などに敵対するただ一つ首尾一貫した哲学であった。
そこで、民主主義の敵は、全力をあげて唯物論を「論駁し」、くつがえし、中傷することに懸命になり、いずれにせよ、結局はつねに宗教を擁護するか支持することに帰着する、さまざまな形態の哲学的観念論を擁護した。
マルクスとエングルスは、断固として哲学的唯物論を主張し、この基礎から逸脱することはすべてはなはだしい誤りであることを、たびたび説明した。
彼らの見解は、エンゲルスの著作『ルードヴィヒ・フォイエルバッハ』と『反デューリング論』のなかに最も明瞭に、また詳しく述べられているが、これらの著作は『共産党宣言』と同じく──自覚した労働者のだれもがかならず座右におくべき書物である。
しかし、マルクスは一八世紀の唯物論にたちどまってはいないで、哲学をさらに前進させた。彼は哲学を、ドイツ古典哲学、とくにヘーゲルの体系の諸成果によって豊かにした。
このへーゲルの体系は、それとして、フォイエルバッハの唯物論に導いたものである。この成果のうちの主要なものは、弁証法である。すなわち、最も完全で、深遠で、一両性を脱却した発展にかんする学説、永遠に発展する物質の反映をわれわれにあたえる人間の知識の相対性にかんする学説である。
自然科学の最近の諸発見──ラジウム、電子、元素の変換──は、古い、腐敗した観念論へ「新たに」復帰しているブルジョア哲学者の諸学説に反して、マルクスの弁証法的唯物論の正しさをみごとに確証した。
マルクスは、哲学的唯物論をふかめ、発展させ、さらに徹底させ、その自然認識を人間社会の認識へとおしおよぼした。科学思想の最大の成果は、マルクスの史的唯物論であった。
それまで歴史観と政治観を支配していた混沌と気ままは、驚くほど全一的な、整然とした科学的な理論にとってかわられた。
この理論は、生産力の発展の結果として、社会生活の一つの制度から、他の、より高度の制度が発展してくること──たとえば、農奴制から資本主義が成長してくること、を示している。
人間の認識が、人間とは独立に存在する自然、すなわち発展しつつある物質を反映するのとまったく同じように、人間の社会的認識(すなわち哲学的、宗教的、政治的、その他のさまざまな見解や学説)は社会の経済的構造を反映する。
政治的諸制度は、経済的基礎の上に立つ上部構造である。たとえば、近代のヨーロッパ諸国家のさまざまな政治形態が、プロレタリアートにたいするプルジョアジーの支配の強化に役立っているのを、われわれは見ているのである。
マルクスの哲学は完成された哲学的唯物論であって、それは人類に、とくに労働者階級に、偉大な認識の道具をあたえた。
(二)
経済的構造はその上に政治的上部構造が立つ基礎であることを認めたマルクスは、この経済的構造の研究に最も大きな注意をはらった。マルクスの主著『資本論』は、近代社会すなわち資本主義社会の経済的構造の研究にあてられたものである。
マルクス以前の古典経済学は、最も発展した資本主義国であったイギリスでかたちづくられた。アダム・スミスとデーヴィド・リカードは、経済構造を研究して、労働価値説の基礎をきずいた。マルクスは彼らの事業を継続した。彼はこの理論を厳密に基礎づけ、それを首尾一貫して発展させた。彼は、すべて商品の価値はその商品の生産に支出される社会的必要労働時間の量によって決定されることを示した。
ブルジョア経済学者が物と物の関係(商品と商品の交換)を見たところに、マルクスは人間と人間の関係を示した。商品交換は、市場を媒介とする個々の生産者の結びつきを表現する。
貨幣は、この結びつきがますます緊密になって、個々の生産者たちの全経済生活を切り離せないように結合して一つの全体にしていることを意味する。資本は、この結びつきのいっそうの発展を意味する。つまり、人間の労働力が商品となるのである。
賃金労働者は自分の労働力を、土地、工場、労働用具の所有者に売る。労働者は労働日の一部を自分と家族との生産費を償うために使い(賃金)、労働日の他の部分をただで働いて、資本家のために剰余価値をつくりだす。この剰余価値が、利潤の源泉であり、資本家階級の富の源泉なのである。
剰余価値説は、マルクスの経済理論の礎石である。
労働者の労働によってつくりだされた資本は、小経営主を零落させ、失業者軍をつくりだすことによって、労働者を圧迫する。工業では、大規模生産の勝利は一目瞭然であるが、農業でも同じ現象が見られる。
すなわち、大規模な資本主義的農業の優位が増大し、機械の使用が増し、農民経営は貨幣資本のわなにかかり、おくれた技術の重圧のもとに衰え、零落する。農業では小規模生産の衰退の形態は遮っているが、小規模生産の衰退そのものは争えない事実である。
資本は小規模生産を破壊することによって、労働生産性を増大させ、巨大資本家たちの連合の独占的地位をつくりだす。生産そのものはますます社会的となる──数十万、数百万の労働者が計画的な経済的有機体に結びつけられていく。──しかし、共同労働の生産物は、ひとにぎりの資本家によって取得される。生産の無政府性、恐慌、気違いじみた市場追求、住民大衆の生活不安が増大する。
資本主義体制は労働者の資本への隷属を増大させると同時に、結合された労働という偉大な力をつくりだす。
マルクスは、商品経済の最初の萌芽である単純な交換から、資本主義の最高の諸形態、大規模生産にいたるまで、資本主義の発展をあとづけた。
そして、古い国も新しい国も、すべての資本主義国の経験は、マルクスのこの学説の正しさを、年ごとにますます多数の労働者にまざまざと示している。
資本主義は全世界で勝利した。しかし、この勝利は、資本にたいする労働の勝利の前段階にすぎない。
(三)
農奴制がくつがえされて、「自由な」資本主義社会がこの世に現われると、この自由が勤労者の抑圧と搾取との新しい制度を意味することが、たちまち明らかになった。この抑圧の反映として、またそれにたいする抗議として、ただちにさまざまな社会主義学説が発生しはじめた。だが、最初の社会主義は空想的社会主義であった。
それは資本主義社会を批判し、非難し、のろい、それの廃止を夢想し、よりよい制度を空想し、富者にたいして搾取の不道徳なことを説いた。
しかし、空想的社会主義は真の活路を示すことができなかった。それは、資本主義のもとでの賃金奴隷制の本質を説明することも、資本主義の発展法則を発見することもできず、また新しい社会の創造者となる能力をそなえた社会勢力を見いだすこともできなかった。
そのあいだに、ヨーロッパのいたるところで、とくにフランスで、封建制度、農奴制の没落にともなうあらしのような革命は、階級闘争が全発展の基礎であり推進力であることを、ますます明瞭に示した。
農奴主階級にたいする政治的自由のどの勝利も、必死の抵抗にあわずに獲得されたものは一つもなかった。どの資本主義国も、資本主義社会のさまざまな階級のあいだの生死をかけた闘争によらずに、多少とも自由な民主主義的基礎の上に形成されたものは一つもなかった。
マルクスの天才は、彼がだれよりもさきにこのことから、世界史の教える結論を引きだし、それを首尾一貫しておしすすめることを理解した点にある。この結論が階級闘争の学説である。
人々が、あらゆる道徳的、宗教的、政治的、社会的な空文句や声明や約束のかげにあれこれの階級の利害を見つけだすことを学ばないうちは、彼らはいつでも政治上の欺瞞と自己欺瞞との愚かしい犠牲者であったし、今後もまたつねにそうであるだろう。
すべて古い制度というものは、どんなに野蛮で腐朽しているように見えても、あれこれの支配階級の力によって維持されているのだということを、改良や改善の賛成者が理解しないうちは、彼らはつねに古いものの擁護者によって愚弄されるであろう。そして、これらの階級の抵抗を粉砕するには、ただ一つの手段しかない。
それは、古いものを一掃して新しいものをつくりだす能力をもつ力となることができるし、またその社会的地位からして、そうならざるをえない勢力を、われわれのまわりの社会そのもののなかに見いだし、この勢力を啓蒙して、闘争へ組織することである。
マルクスの哲学的唯物論だけが、今日まですべての被抑圧階級にいじけた生活をおくらせてきた精神的奴隷状態から抜けでる道を、プロレタリアートに示した。マルクスの経済理論だけが、資本主義制度全体のなかでのプロレタリアートの真の地位を明らかに示した。
アメリカから日本まで、スウェーデンから南アフリカまでの全世界で、プロレタリアートの自主的な組織の数がふえている。プロレタリアートは、その階級闘争をおこないながら自分を啓蒙し教育し、ブルジョア社会の偏見からまぬがれ、ますます緊密に結束し、自分の成功の度合いをはかることを学び、自分の勢力をきたえ、おさえがたい力で成長している。
(「レーニン10巻選集-第5巻」大月書店 p202-206)
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◎労働学校で学んだだけで科学的社会主義を理解できたというのは、早とちりにすぎない。それはもっとも浅い始まりにしかすぎない。
ただ、京都中央労働学校は入門書を参考にしてのカリキュラムを克服し科学的社会主義の古典を土台とした講師団の研究の成果としてのカリキュラムを追求している。ここにも学びごたえ主義≠フ根拠が存在する。だからこそ、本格的な科学的社会主義を学ぶもっとも浅い始まりにしかすぎない≠フだ。