学習通信040913
◎「国家の本質的な一特徴は、人民大衆から区別された公的権力である」……と。

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国家論の基礎

 「国家について」といっても、たいへん複雑で、多面的な問題です。「最も複雑でむずかしい、おそらくブルジョア学者や文筆家や哲学者によって最も混乱させられている問題である」というふうにレーニンは規定しています。

ここでは、したがって焦点を定めて述べたいと思います。たとえば、「国家の成立の問題」とか、「古代・中世の国家の問題」とか、これも学界ではいろいろと議論があります。

「奴隷所有者国家」という表現をレーニンは使っていますが、あれは正しくないという意見もあります。古代の国家というのは、むしろ平民内部の階級対立を基礎に発展しているんだ、奴隷というものは共同体外の存在であって、奴隷を支配するための国家ではないんだ、という意見があるのです。

中世の国家につきましても、中世には国家がないんだという意見がありますが、この問題もここでは扱いません。それから近代における国有化の問題や国家独占資本主義における国家の問題もありますが、これもとくに扱いません。──ここで問題にするのは、三つの点です。第一に、レーニンが問題にしている「国家の本質について」、第二は「国家の形態について」、第三は「国家と階級闘争」、以上三つの問題に限定したいと思います。

一 国家の本質規定
   −国家とは何か−

 まず、国家の本質規定についてですが、「国家とは何か」ということです。非常に抽象的な話になりますが、エンゲルスは『家族・私有財産および国家の起源』のなかで、次のような規定をしています。「国家の本質的な一特徴は、人民大衆から区別された公的権力ということにある」と。しかし、権力というものが人民大衆から区別されたということの意味はどういうことにあるのか、ということが問題です。

レーニンの規定をめぐって

 レーニンの「国家について」のなかでは、国家の規定について三つほどあげられています。レーニンのあげている国家規定は、一つは「組織的暴力を行使し、暴力によって人びとを隷属させるための特殊な機構」、第二の規定として、「他人を統治するために別に分離し、また統治のために、統治の目的で、ある種の強制機構、暴力機構を組織的、恒常的に保持しているような人間の特殊な部類」あるいは「人間社会から分離された……統治機構」「統治だけを仕事とし、統治のための特殊な強制機構」と。

この「他人を統治するために別に分離し、また統治のために、統治の目的で、ある種の強制機構、暴力機構を組織的、恒常的に保持しているような人間の特殊な部類」というのが、すでに述べた「人民大衆から区別された」ということの意味になるわけです。レーニンはさらに第三の規定として、次のような国家の定義を与えています。「国家、それは、一階級の他の階級に対する支配を維持するための機構である」。

 問題は、それぞれの定義がどのように相互に連関しているか、ということです。ここで不思議なことに、レーニンのこのテキストのなかにも原始社会の話が出ていますが、原始社会にも権力があるというように書かれています。「原始社会では現代の文明人から数千年の年月が隔てられている国家が存在していたというしるしは、まだ何も見られない。慣習の支配が、氏族の長老が持っていた権威・尊敬・権力が見られ、時にはこの権力が婦人に与えられていたことが見られる」と。原始社会には国家はないけれども、権力はあると言っているわけです。

いったい国家と権力はどういう関係にあるのか? レーニンも、他の文献で、強制的権力それ自体は「どのような人間の共同社会のなかにも、すなわち、国家が存在していなかった氏族のなかにも、家族のなかにも存在する」(「ナロードニキ主義の経済学的内容」)と言っているのです。だから権力というのは、それ自体国家ではない。たんなる公的権力も、国家ではない。まさに公的権力が人民大衆から区別された場合に。国家≠ノなる、ということなのです。

 エンゲルスには「権威の原理について」という論文があります。彼は、権威を規定して、「権威とは他の人の意思をわれわれの意思に無理に押しつけることである」と言っています。だから権威は従属を前提としている。この従属とは個人の自立に対するものである。多くの人間が集まって複合的行動をしている、つまり一定の組織がある場合、いったい権威を伴わない組織があるだろうか、という疑問を提起して、それはないという結論を出しています。

たとえば、飛行機に乗る場合、コントロール・タワーがなくて、何時何分にどの方向に向かって飛び立てという指令がなければ、飛行場の機能はマヒしてしまうわけです。また、生産力が高まれば高まるほど、人間の行動は社会的になってきます。たとえば、工場に大勢の人びとが集まって仕事をするときに、決定機関の権威に従わねばならないということがあります。

 エンゲルスの結論は、権威を絶対悪と見る見方は正しくないわけで、権威と自立とは相対的概念であって、その有効範囲は社会発展の局面によって変化する、と。つまり、オーケストラには指揮者が必要であるのと同じように共同行動のあるところにはそこに一定の調整機能が必要である。そういう意昧での権威は必要であると言っている。だから多くの人間が集まる集団では、権威ないし権力は何らかの形で存在する、ということをエンゲルスは述べています。

したがって権力=国家ではなく、国家の国家たる所以は「公的権力が人民大衆から区別されて存在するところにある」というわけです。歴史的にもそうでありまして、エンゲルスは、アテナイ国家の成立にあたって、「武装した人間の総体とは、もはやそのまま一致しない公的権力が成立した時に国家が成立した」というふうに捉えています。

政治的権力としての国家

 共産主義社会においてマルクスは、国家についてどう考えていたかというと、『共産党宣言』のなかで、「共同団体に結合した諸個人の手に全生産が集中されたとき、公的権力は政治的性格を失う」と述べているのです。国家の消滅という命題は、「公的権力が政治的性格を失う」ということであり、権力そのものの消滅ではないのです。この点が重要であり、誤解されている点でもあります。公的権力の消滅ではなくて、公的権力が政治的性格を失うこと、これが国家の消滅ということの意味です。

 それでは、国家成立以前の公的権力とはどのようなものであったか、ということが問題です。レーニンは、「ナロードニキ主義の経済学的内容」という論文のなかで、「すべての成員が順番に『秩序の組織体』を管理しているような共同体は、誰も国家と呼ぶことはできない」と言っていますし、エンゲルスの「マルク」という論文のなかでは「太古の権力」について次のように言われています。

「太古には、平時の全公的権力はもっぱら司法的な権力であった。そしてこの権力は百人組(当時の行政組織)あるいはガウ(百人組の上にあるより広い行政組織)あるいは全部族の民会の手にあった」。「また人民裁判所は純然たるマルク(百人組の下にあるいくつかの村が集まった共同体)の事務を超える公的権力の分野に属する諸事件に適用された人民マルク裁判所にほかならなかった」。要するに、「司法権は人民の手に残される」、権力はあってもそれは人民の権力だ、ということです。

 共同体には或る種の共同の利益があって、それを保護しなければならない。この保護は全体の監視の下に、個々人に委託されなければならない。訴訟の判決、個々人の越権行為というのがあります。それから水利の監視、とくに暑い国において。それから最後に、太古の原始状態にあっては、宗教的機能といったような職務は国家成立以前の公的権力に委ねられる。これらはエンゲルスによって、公的権力の社会的職務活動と規定されている。

若干の個々人によってそういった機能が担われる場合にも、社会全体の統制に服している限り、これはまだ国家ではない。このような個人が或る種の全権を付与されるとき、「国家権力の端緒」となる。しかし、それはまだ「本来の意味での国家ではない」というふうにエンゲルスは『反デューリング論』のなかで言っています。

 だから国家とは、あくまでも公的権力それ自体ではなくて、政治的性格を帯びた公的権力のことであって、したがって、公的権力が政治的性格を帯びると政治的権力になるわけです。そこで国家とは政治的権力である。
(古賀英三郎著「国家・階級論の史的考察」新日本出版社 p59-63)

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 その間にも党派闘争が進行した。貴族は以前の特権を奪還しようと試み、一時はふたたび優位にたったが、ついにクレイステネスの革命(紀元前五〇九年)が貴族を最終的に打倒した。しかし貴族とともに氏族制度の最後の残滓をも打倒した。

 クレイステネスは、その新制度において、氏族と胞族とに基礎をおく四つの部族を無視した。それらに代わって、すでにナウクラリアで試みられたところの、単なる定住地による市民の区分をもとにした、まったく新しい一組織が現われた。もはや血縁団体への所属ではなくて、居住地だけが決定的であった。民衆が区分されるのでなく、領域が区分された。政治的には住民は領域の単なる付属物になった。

 アッティカ全土は一〇〇の市区すなわちデモスに分けられ、各市区が自治行政を行なった。各デモスに定住する市民(デモテス)は、彼らの首長(デマルコス)と出納官、ならびに比較的小さな訴訟事項について裁判権をもつ三〇人の裁判官を選出した。

彼らは同じくまた一つの自分たちの神殿および守護神つまり英雄をあたえられ、それに仕える神官を選出した。デモスの最高権力は、デモテスの集会〔市民会〕にあった。モーガンが正しく指摘しているように、これはアメリカの自治権をもつ町の原型である。生まれつつあるアテナイの国家は、近代国家が最高の完成をとげて到達するのと同じ単位から出発したのである。

 この単位つまりデモスが一〇集まって一部族を形成したが、これは古い血縁部族と区別するために、いまや地方部族と呼ばれる。地方部族は、単に自治権をもつ政治的団体であったばかりでなく、それは軍事的な団体でもあった。

それは、騎士を指揮するフュラルコスつまり部族長、歩兵を指揮するタクシアルコス部族の領域内で徴募される兵卒全員を指揮する将軍〔ストラテゴス〕を選出した。さらにそれは、五隻の軍船と、乗組員および指揮官をだし、アッティカの英雄の一人を守護聖者としてあたえられ、その名をとって自分の部族名とした。最後にそれは、アテナイ評議会に五〇人の評議員を選出した。

 その帰結をなすものがアテナイ国家であった。それは、一〇部族から選出された五〇〇人で構成される評議会によって、また究極的には、すべてのアテナイ市民が出席権と投票権をもっている民会によって、統治された。それと並んで、アルコンやその他の官吏がさまざまな行政部門と裁判権とをつかさどった。執行権をもつ最高官吏は、アテナイには存在しなかった。

 こうした新しい制度により、また一部は移住民、一部は解放奴隷からなるおびただしい数の居留民の受け入れ承認により、血縁制度の諸機関は公的事項からおしのけられた。それらは私的団体と宗教団体になりさがった。だが、古い氏族時代の道徳的影響、伝来の見方と考え方はなお長くうけつがれ、徐々にしか死滅しなかった。このことは、もう一つの国家制度に示されていた。

 既述のように、国家の本質的な一特徴は、人民大衆から区別された公的権力であることにある。アテナイは当時、ようやく人民軍と人民が直接提供した艦隊とをもつだけであった。これらは、外敵をふせぎ、当時すでに住民の大多数をしめていた奴隷をおさえつけた。

市民にたいしては、公的権力は、さしあたり警察として存在するだけであった。この警察は、国家と同時に生まれており、それだから一八世紀の素朴なフランス人は、文明諸国民と言わずに警察諸国民(ナシオン・ポリセー)と言いもしたのである。

こうしてアテナイ人は、その国家を設けるのと同時に警察をも設けた。この警察は、徒歩弓手と騎乗弓手とからなる正真正銘の憲兵──南ドイツとスイスでそう呼ばれているラントイェーガーであった。

だがこの憲兵は──奴隷によって構成されていた。自由なアテナイ人にとっては、この権力の犬の仕事はじつに恥ずべきものに思えたので、こんな不名誉な仕事に身をおとすよりは、武装奴隷に逮捕されるほうがましだとした。これは、まだ古い氏族気質を示すものであった。

国家は警察がなくては存立できなかったが、しかしそれはまだ若く、まだ十分に道徳的尊敬を集めていなかったので、古い氏族員にはどうしても破廉恥と思える商売を尊敬すべきものたらしめることはできなかったのである。

 いまやその主要な輪郭のできあがった国家が、アテナイ人の新しい社会状態にどんなにぴったりしたものであったかは、富と商工業の急速な開花のなかに示されている。社会的政治的諸制度の基礎にある階級対立は、もはや貴族と平民との対立ではなくて、奴隷と自由民、居留民と市民との対立であった。

最盛期には、アテナイの全自由市民は、女、子どもをふくめて約九万人であり、それと並んで、三六万五〇〇〇人の男女奴隷と、四万五〇〇〇人の居留民──他国人と解放奴隷──がいた。したがって、大人の男子市民一人当たり少なくとも一八人の奴隷と二人以上の居留民がいた。奴隷の数がこんなに多かったのは、その多数のものが、工房で、広い室内で、監督者のもとで集まって働いていたことによる。

だが、商工業の発展に伴って、少数者の手中への富の蓄積と集中、自由市民大衆の貧困化が生じてきた。そして自由市民に残された選択としては、自分の手工労働によって奴隷労働と競争するか──これは不名誉な卑しいこととみなされており、成功する見込みもほとんどなかった──、それともルンペンとなるしかなかった。

彼らは、こういう事情のもとでは必然的に後者の道をとった。そして彼らは大衆を形成していたのであるから、そうすることによって彼らはアテナイ国家全体を破滅させた。アテナイを破滅させたものは、王侯にこびへつらうヨーロッパの教師先生がたが主張するように、民主制ではなくて、自由市民の労働を追放した奴隷制なのである。

 アテナイ人のもとにおける国家の成立は、国家形成一般のとくに典型的な見本である。なぜなら、この成立は、一方では、まったく純粋に、外部の、ないしは内部の暴力の介入なしに、行なわれている──ペイシストラトスの権力簒奪(さんだつ)はその短い存続期間の痕跡を全然残さなかった──からであり、他方では、それは、民主共和国というきわめて高度な形態の発展をとげた一国家を、氏族社会から直接に生じさせているからであり、そして最後に、それの本質的な詳細のすべてがわれわれに十分にわかっているからである。
(エンゲルス著「家族・私有財産・国家の起源」新日本出版社 p156-160)

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◎「彼らは、こういう事情のもとでは必然的に後者の道をとった。そして彼らは大衆を形成していたのであるから、そうすることによって彼らはアテナイ国家全体を破滅させた。」「……ヨーロッパの教師先生がたが主張するように、民主制ではなくて、自由市民の労働を追放した奴隷制なのである。」と。