学習通信040917
◎「婦人が家内奴隷の状態から抜けだす」……。

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 人間が自分自身に立脚するようになるうえでの最初の〈事物の成り行き〉は、生まれるということである。それから人間は、自然的未成熟の期間は、「子どもの自然的教育者」である母親の手に託しておかれる。「この時期は、古代ローマ法においてのように、思春期まで、つまり、ほぼ一四歳まで、及ぶ、と見てよい」。ただ躾の悪い年かさの男の子が母親の名望にそれにふさわしい敬意をはらわない場合にだけ、父親の助力が、とりわけしかし公教育の事前の措置が、この欠陥を無害化することになろう。思春期になると、子どもは、「父親の自然的後見」のもとにはいる。ただし、これは、「本当の父親だということが争う余地のない」父親がいる場合のことであって、そうでない場合には、共同体が一人の後見人を立てる。

 デューリング氏は、前に、〈資本主義的生産様式を社会的な生産様式で置き換えても、生産そのものは改造せずにすむ〉、と想像したように、ここでも、〈現代ブルジョア的家族をそれの経済的基礎全体からもぎとっても、この家族の形態全体は変えずにすむ〉、と空想している。

この形態は氏にとってはまったく万代不易のものなので、氏は、「古代ローマ法」を──いくらか「高尚にした」姿でではあるが──家族にとっての永遠の規範にさえしているのであって、また、家族を「相続」単位としか、つまり、所有単位としか、思い描くことができないのである。

この点では、ユートピア社会主義者たちのほうがはるかにデューリング氏にまさっている。

彼らにとっては、人間が自由に社会的に結合し私的な家事労働が一つの公的な産業に変われば、それとともに、ただちに、青少年教育の社会化も、そしてそれとともに家族成員の真に自由な相互関係も、生じるのであった。

さらに、早くもマルクスが、「大工業は、家事の領域のかなたにある社会的に組織された生産過程において、女性・年少者・子どもに決定的に重要な役割をふりあてることによって、家族と両性関係とのこれまでのよりも高い形態のための新しい経済的基礎をつくりだす」ということを証明している。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p206-207)

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家事労働の現代的特質   横田綏子

はじめに

 家事労働の内容が、私たちの母の時代、祖母の時代と比べて、大きく変化してきたことは誰しもみとめるところであろう。それは第一に、現代の「典型的」主婦像の形容詞として、しばしば使われる「三食・テレビ・昼寝つき」にみられるように、家庭電化製品の普及、加工食品や既製服の一般化などの家事労働の「商品化」や、保育所のように不充分ながら半公的・公的機関による家事労働の代替などの、いわゆる家事の「社会化」を通じておこなわれる主婦の家事労働からの一定の解放、余暇の増大としてとらえられる。

 ところで家事労働の性格については、次のようなレーニンの規定がよくしられている。すなわち、「未開さながらの不生産的な、こまごまとした、神経をいらだたせ、人を愚鈍にし、打ちひしぐような仕事」「たいていのばあい、婦人がおこなっているもっとも非生産的な、もっとも野蛮な、もっとも骨の折れる仕事である。この仕事は、ひどくこまごましたものであって、それには婦人の進歩をたすけるようなものはなにもふくまれていない」。そして、このような家事にしばりつけられた婦人の状態を、彼は「家内奴隷制」とよんでいる。

 「家庭にしばりつけられ」「こまごまとした、際限のない家事や育児で、すりつぶされてゆく毎日」、これもまた、レーニンの時代に劣らず、現代の多くの主婦たちの実感であろう。

私的資本による家事の「商品化」や、半公的・公的機関による家事の肩代わりを通じての、家事労働の一定の「合理化」や軽減と、「家内奴隷制」としての家事労働の性格との関連については、今日までの議論の中で、かならずしも充分に論じられてきたとはいえない。そこでは、家事労働の資本主義的「社会化」にもかかわらず変わらない私的・個別的性格と、そこからもたらされる家事労働のおくれた性格に重点がおかれていたようにおもわれる。

 たとえば、米田佐代子氏は、なぜ家事労働が負担になるのか、苦痛を感じさせるのはなぜか、という点について「労働そのものがどれほど軽減され、合理化されても、家事労働のもつ特別の意味、つまり個別的で私的であるという基本的な性格が女の仕事という位置づけとむすびついているからではないでしょうか」と、発言している。

さらに、伊藤セツ氏は、前述のレーニンの表現を、「家庭内労働の性格を客観的にえがき出して見せている」ものと理解したうえで、次のように述べている。社会主義社会にあってたとえ公事とみなされたとしても、「その個別性に手が加えられない限り、家庭内労働そのものの性質は変わらない。……家庭内労働の公的産業への転化のなかではじめて、その個別性という特殊性は大衆化をとげる」。

現代における家事労働の性格も、レーニンの規定を大きくは外れず、基本的には「私的労働、個別的労働、消費労働、単純軽労働」であり、「無秩序、無組織性」「内容の雑多さ」「おくれた性格」という特徴をもつととらえているようである。

 だが、柴田悦子氏も指摘しているように、資本の主導による商品やサービスの提供を通じての家事労働の肩代わりは、家庭にもちこまれる情報や知識の増大、および生活とこれをとりまく諸条件の悪化ともあいまって、家事労働を他方では、複雑化、多様化し、量的にも増大させる側面をもつ。

 一方における「合理化、軽減化」と、他方における、新たな家事労働の発生をもともなう「複雑化、多様化」とが、相互にどんな関連をもちつつ進行してきたのか、またそれが、家事労働の性格にどのような影響を与えたのか、を探ることが、この章での第一の課題である。

 また、このような家事労働の「社会化」については、これまでの婦人論のなかでは、主として婦人の社会的労働参加のための必須条件としての側面が論じられてきた。したがって、家事労働の「社会化」にたいする主婦のかかわりは、婦人労働者の切実さに比べて、二次的であり、どちらかといえば影響を与えられる存在として論じられることになる。

だが、後にみるように、現実の家事労働の「社会化」は、あるいは資本の価値増殖過程の一貫とその活動部面の増大としての「商品化」、あるいは資本主義のもとでの生活とそれをとりまく生活条件の変化に対する資本および政府の側の対応としての「公共化」として進行するのであり、婦人が働いていると否とにかかわらず、すべての家庭がその影響から無縁ではありえない。

そして家庭を唯一の持ち場とさせられている多くの主婦は、問題によってはその不充分性や矛盾に最も敏感に反応し、行動に立ち上がる必然性と可能性をもっている。現に、主婦は、有害食品の規制、交通事故対策のための信号や横断参道の設置、公害反対など、多様な分野で、重要な役割を果たしてきた。

 それゆえ、資本主義のもとですすむ家事労働の「社会化」がどのような問題点をもちながらすすむのか、われわれに何をもたらし、何を準備するのかという問題は、家事労働の専任担当者としての主婦の行動と意識にどんな作用を及ぼしたかという視点からもとらえられる必要があると思われる。そのことを通じて、婦人解放の道すじに、今日の家事労働の「社会化」をいかに位置づけるかという問題を考える手がかりをより豊富にすること、これが、この章での第二の課題である。
(柴田悦子編「現代生活と婦人」大月書店(1981年) p48-51)

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 もちろん、法律だけでは十分でないし、われわれはけっして法令だけに満足するものではない。だが、立法の分野では、われわれは、女の地位と男の地位とを平等にするうえで、われわれに要求されていたことはすべておこなったし、われわれはこのことを当然ほこってさしつかえない。いまではソヴェト・ロシアにおける婦人の地位は、もっともすすんだ国々の見地からみても理想的なものである。だが、われわれは自分に言いきかせる。もちろん、これはまだ手はじめにすぎない、と。

 婦人が家事に従っているかぎり、婦人の地位はあいかわらず圧迫されている。婦人を完全に解放し、男女の真の平等を実現するためには、社会的経済を実現し、婦人を一般的な生産的労働に参加させなければならない。そうなれば、女は男と同じ地位を占めるようになろう。

 もちろん、ここで言っているのは、労働の生産性や、労働量や、労働の長さや、労働条件などの点で、男女を平等にするということではない。女が、男と経済的地位がちがうために抑圧されることがあってはならないということである。あなたがたがみな知っているとおり、家事の全部が婦人に負わされているので、たとえ完全な同権がおこなわれているにしても、婦人のこの事実上の圧迫は、やはりそのままである。

この家事は、たいていのばあい、婦人がおこなっているもっとも非生産的な、もっとも野蛮な、もっとも骨の折れる仕事である。この仕事は、ひどくこまごましたものであって、それには婦人の進歩をたすけるようなものはなにもふくまれていない。

 われわれは、社会主義の理想をもとめ、社会主義の完全な実現をめざしてたたかおうとしているが、ここでは婦人のためにきわめて広い活動舞台がひらかれている。現在、われわれは真剣に社会主義建設の地ならしの準備をやっているが、社会主義社会の建設そのものは、われわれが婦人の完全な平等をかちとって、こまごました、人を愚鈍にする、非生産的な労働から解放された婦人といっしょに新しい仕事にとりかかるときにはじめて、はじまるであろう。この仕事には何年も、何年もかかるだろう。

 この仕事は、すぐさま成果があがるようなものではなく、かがやかしい効果を生むというわけにはいかないだろ。われわれは、婦人を家事から解放するような模範施設を、食堂や託児所をつくっている。ここでも、これらすべての施設を組織するこの仕事は、だれよりも婦人にこそかかっている。

現在ロシアには、婦人が家内奴隷の状態から抜けだすのをたすけるような施設は、ごくわずかしかないことをみとめなければならない。その数は言うにたりないほどである。しかも、ソヴェト共和国が現在おかれている状態──他の同志たちがこの席上でくわしく述べた軍事事情や、食糧事情──のために、われわれはこの仕事を妨げられている。だが、それにしても言っておかなければならないのは、どこでもそうする可能性がすこしでもあるところには、婦人を家内奴隷の地位から解放するこれらの施設が生まれているということである。

 労働者の解放は労働者自身の仕事でなければならない、とわれわれは言っているが、それと同様に、婦人労働者の解放も婦人労働者自身の仕事でなければならない。婦人労働者自身がこうした施設の発展に心をくばらなければならない。そして、婦人のこういう活動は、資本主義社会で彼女たちが占めてきたこれまでの地位をすっかり変えることになろう。

 これまでの資本主義社会では、政治にたずさわるためには特殊な修業が必要であった。だから、もっともすすんだ、自由な資本主義諸国でさえ、婦人の政治参加はいうにたりないほどであった。われわれの任務は、政治を、勤労婦人のだれにも、手のとどくものにすることである。土地や工場の私的所有がなくなり、地主と資本家の権力がたおされたその時から、政治の任務は、勤労大衆と勤労婦人にとって、簡単で明瞭な、だれの手にも完全にとどくものになっている。

資本主義社会では、婦人はきわめて無権利な状態におかれているので、婦人の政治参加の割合は、男にくらべるというにたりないほどである。この状態を変えるためには、勤労者の権力が存在することが必要であり、そのばあいには、勤労者自身の運命に直接に関係のあるあらゆる事がらが政治の主要な任務となるであろ。

 そしてここでは、党員である自覚した婦人労働者だけでなく、非党員の、もっとも無自覚な婦人労働者の参加が必要である。ここでは、ソヴェト権力によって、広庭な活動分野が婦人労働者にひらかれている。

 われわれは、ソヴェト・ロシアにたいして戦役をおこなっている敵の兵力との闘争で、きわめて困難な状態にあった。われわれにとって、軍事的な分野での、勤労者の権力に戦争をしかけている軍勢との闘争も、食糧の分野での役職者との闘争も、きわめて困難であった。なぜなら、その骨折りによって全幅的にわれわれを助けにくる人々の数、勤労者の数はまだ十分多くないからである。ここでも、ソヴェト権力が、非党員の婦人労働者の広範な大衆の援助ほど尊重するものはありえない。

これまでのブルジョア社会で政治活動にたずさわるためには、おそらく、こみいった修業が必要であったし、この修業は婦人には手のとどかないものであったことを、彼らは知っているにちがいない。だが、ソヴェト共和国における政治活動は、地主と資本家との闘争、搾取をなくすための闘争を、その主要な任務としている。だからこそ、ソヴェト共和国では、政治活動が婦人労働者にひらけているのであって、この政治活動は、自分の組織能力によって男をたすけるということにあるであろう。

 われわれに必要なのは、幾百万人の規模での組織活動だけではない。われわれには、婦人でもやれるような極小規模の組織活動も必要である。軍隊をたすけ、軍隊のなかで煽動をおこなうという意味での軍事的条件のもとでも、婦人は働くことができる。自分たちのために心をくばり、心配してくれるものがいるということを赤軍が知るように、婦人は、こうしたことに積極的に参加しなければならない。婦人は、食糧の分野でも──食糧の配給や、集団給養の改善や、現在ペトログラードでひろく設置されている公共食堂の発展のために──働くことができる。

 こうした分野では、婦人労働者の活動が、真に組織者的な意義をもつものとなっている。大規模な実験経営を組織し監督する点でも、この仕事をわが国で個々ばらばらのものとならせないためには、婦人が参加する必要がある。この仕事に多数の勤労婦人が参加しなければ、これは実行できない。しかも、婦人労働者は、食糧の配給を監督する点でも、食糧の入手をいっそう容易にするために監督する点でも、この仕事にとりかかることが十分にできる。この任務は非党員の婦人労働者でも十分にこなしうるが、他方では、この任務の実現は、なによりも社会主義社会を強固にする助けとなるであろう。

 土地の私的所有を廃止し、工場の私的所有をもほとんどまったく廃止して、ソヴェト権力は、党員も非党員もふくめて、男も女もふくめて、すべての勤労者をこの経済建設に参加させるよう努力してきた。ソヴェト権力によってはじめられたこの仕事は、何百人ではなく、何百万人、何千万人の婦人がロシアの全土でこれに参加するときにはじめて、これを前進させることができる。

そのときには、社会主義建設の事業は堅固になることを、われわれは確信する。そのときには、勤労者は、地主や資本家がいなくとも生活し、経済を営んでいくことができるということを、証明するであろう。そのときには、ロシアにおける社会主義建設は堅固なものとなり、他の国々のどんな外敵も、またロシア国内のどんな敵も、ソヴェト共和国にとって恐ろしいものではなくなるであろう。
(レーニン全集第30巻「ソヴェト共和国における婦人労働運動」大月書店 p30-33)

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「労働者の解放は労働者自身の仕事でなければならない、とわれわれは言っているが、それと同様に、婦人労働者の解放も婦人労働者自身の仕事でなければならない。」と。