学習通信040918
◎「全面的に発達した人間をつくるための唯一の方法として……生産的労働を知育および体育と結びつける」と。

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 未来の国民学校は、ご覧のとおり、プロイセンのいくらか「高尚にされた」中等学校にほかならない。そこでは、ギリシア語とラテン語とがなくなるかわりに、純粋数学と応用数学とがいくらかふえ、とりわけ現実哲学の初歩が教えられ、また、ドイツ語の授業は、故ベッカーまで、つまり、ほぼテルツィア〔一三・一四歳の第四・第五学年〕まで、引き下げられるのである。

まったくの話、デューリング氏の「知識」が、と言うよりもむしろ、まえもって根本的に「洗いきよめ」られたあとにともかくもそのうちで残るものが、氏の触れたすべての領域でまったく学童めいたものだ、ということは、いまではわれわれが証明したところであるから、氏のそういう「知識」やその残片が、一つ残らず、「ついには予備知識の列になぜ加えられてはならないのか」、その理由は──そうした「知識」がこの列を離れたことは実際上ー度もないがゆえに──「まったく見きわめられない」。

もちろん、デューリング氏は、〈社会主義社会では、労働と教育とが結合され、これによって、多面的な技術教育とさらに科学教育の実地の基礎とが確保されることになる〉、ということも、いくらか小耳にはさんでいた。そこで、この点も、いつものやりかたで、公正社会のために役だてられる。

しかし、すでに見たように、旧来の分業がデューリング式の未来の生産のなかでだいたいのところなにごともなかったかのように存続するので、学校でのこの技術教育からは、のちのちの実地の応用が、生産そのものにとっての意義が、まったく切り取られている。この技術教育には、まさしく一つの学校教育上の意味しかないのである。

すなわち、それに体育の代わりをさせたらよい。と言うのも、わが根底的な変革者が体育などには見むきもしようとしないからである。だからまた、氏には、たとえば「老いも若きも、語のまじめな意味での労働をする」というような、ニ、三の空文句しかわれわれに提供できないわけである。

しかし、この無定見で無内容な居酒屋談義が本当にみじめに見えるのは、これをマルクスが『資本論』でつぎの命題を展開している箇所と比べたときにである、

──「ロバート・オウエンで詳しくたどることができるように、工場制度から将来の教育の萌芽がめばえてきた。この教育は、社会的生産を増大させるための一方法としてだけでなく、全開的に発達した人間を生産するための唯一の方法として、或る年齢以上のすべての子どもにたいして、生産的労働を知育および体育と結びつけるであろう」。
(エンゲルス著「反デューリング論 -下-」新日本出版社 p211-212)

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 工場法の教育条項は、全体として貧弱に見えるとはいえ、初等教育を労働の強制的条件として宣言している。その成果はまず、教育および体育を筋肉労働と結合することの可能性、したがってまた、筋肉労働を教育および体育と結合することの可能性を証明した。

工場監督官たちは、やがて、学校教師の証人尋問から、工場の児童が正規の昼間の生徒に比べて半分しか授業を受けていなくても、それと同じか、あるいはしばしばもっと多く学んでいるということを発見した。
 
「ことは簡単である。ただ半日しか学校にいない生徒たちは、つねに新鮮であり、ほとんどいつでも授業を受け入れる力があるし、またその気もある。半労半学の制度は、二つの仕事のそれぞれ一方を他方の休養と気晴らしにするものであり、したがって児童にとっては、二つのうちの一つを絶え間なく続けるよりもはるかに適切である。朝早くから学校に出ている少年は、とくに暑い天候のときには、自分の仕事を終えて元気溌剌として来る少年とは、とうてい競争できない」。
 
 さらに詳しい例証は、一八六三年のエディンバラにおける社会科学大会で、シーニアがおこなった講演のなかに見いだされる。ここで彼はとりわけ、上流階級および中流階級の児童の一面的な不生産的で長い授業時間が、教師の労働をいたずらに増加させるということ、「他方、このような授業時間が、児童の時間や健康やエネルギーを、ただむだにするだけでなく、まったく有害に浪費させる」ということを示している。
 
ロバート・オウエンを詳しく研究すればわかるように、工場制度から未来の教育の萌芽が芽ばえたのであり、この未来の教育は、社会的生産を増大させるための一方法としてだけでなく、全面的に発達した人間をつくるための唯一の方法として、一定の年齢以上のすべての児童にたいして、生産的労働を知育および体育と結びつけるであろう。
(マルクス著「資本論B」新日本新書 p831-832)

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「資本論」のなかの教育論
        浜林正夫

 教育と生産労働の結合

 『資本論』のなかでマルクスは主として工場法との関係で教育のことに触れているけれども、彼自身の考え方を示したのは第一巻第一三章「機械設備と大工業」のなかの次の文章である。少し長いけれども引用しておきたい。

 「大工業は……一つの社会的な細部機能の単なる担い手にすぎない部分個人の代わりに、さまざまな社会的機能をかわるがわる行なうような活動様式をもった、全体的に発達した個人をもってくることを、死活の問題とする。大工業を基礎として自然発生的に発展した一契機は、総合技術および農学の学校であり、もう一つの契機は、労働者の子供たちが技術学とさまざまな生産用具の実際的な取り扱いとについてある程度の授業を受ける『職業学校=xである。

 工場立法は、資本からやっともぎ取った最初の譲歩として、初等教育を工場労働と結びつけるにすぎないとすれば、労働者階級による政治権力の不可避的な獲得が、理論的および実践的な技術学的教育のためにも、労働者学校においてその占めるべき位置を獲得するであろうことは、疑う余地がない」(新日本新書版 第三分冊八三八n)。

──略──

 工場法について述べたところでも「工場制度から未来の教育が芽生えたのであり、この未来の教育は、社会的生産を増大させるための一方法としてだけでなく、全面的に発達した人間をつくるための唯一の方法として、一定の年齢以上のすべての児童にたいして、生産的労働を知育および体育と結びつけるであろう」(同八三二n)と言われている。

ここでマルクスは「ロバート・オウエンを詳しく研究すればわかるように」といっているが、生産的労働と教育との結合という思想はロバート・オウエンよりももっとさかのぼることが出来る。じつはオウエンのこの考え方のヒントは一七世紀末にジョン・ベラーズが書いた『産業カレッジを設立する提案』という本にあったのである。

この本のことをオウエンは友人のフランシス・プレースから教えられたのであった。プレースは結社禁止法の撤廃などに活躍した当時の改革運動の中心人物であるが、ある日その蔵書のなかにこの本があることに気づき、オウエンに「私はあなたの社会観を一世紀半も前に主張していた本があるという大発見をしました」といってこれをしめしたという。オウエンは一八一七年七月二五日「タイムズ」紙に書簡を送り、つぎのように述べた。

 「私は〔協同組合村という〕原理のどれひとつにも独創性を主張できるものはないと信じます。それらは歴史の初期から優れた頭脳によって繰り返し主張され勧められてきたものです。これらの原理を理論にまとめるという点でも私はプライオリティさえ、主張しません。プライオリティは、私の知る限り、ジョン・ベラーズに属します。彼は一六九六年にこれらの原理を出版し、実際にそれが用いられるよう、きわめてたくみに勧めたのです」。

 マルクスはオウエンをとおしてベラーズのことを知り、『資本論』のなかでも何箇所かで引用または言及している。そのなかでおそらくもっともよく知られているのは第一巻第二三章「資本主義的蓄積の一般的法則」の中の引用「貧者の労働は富者の宝の山である」(第四分冊一〇五六n)であろう。

しかしマルクスはベラーズのこれに類する発言と、貨幣が富なのではなく「食物や衣類こそ国民の富」(第一分冊二三四n)という発言のほかに、第一三章「機械設備と大工業」の注(三〇九)で「経済学史における真に傑出した人物」としてベラーズを取り上げ、かれは「対立した方向にではあるが社会の両極に肥大症と萎縮症とを生み出すこんにちの教育と分業との必然的廃止を……明確に把握していた」と言い、「肉体労働は、もともと神のおきてである。……労働は生命のランプに油を注ぎ、思考はランプに点火する」(第三分冊八四〇〜八四一n)というベラーズの言葉を引用している。
(月刊:経済 2004.6 新日本出版社 p156-159)

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◎「生産的労働と教育との結合という思想」……働きながら学ぶとはどういうことなのか。人間本来のすがたにも接近して……。