学習通信040920
◎「「資本論」の全体像を動員する思考が求められる」……。

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ベートーヴェンの思想的断片

音楽について

 私のいつもの作曲の仕方によると、たとえ器楽のための作曲のときでも、常に全体を限前に据えつけて作曲する。(詩人トライチュケに)
(ロマン・ローラン著「ベートーヴェンの生涯」岩波クラシックス p136-137)

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第三回 『資本論』を芸術作品≠ニして読む

 ──前回までは、『資本論』は何を論じている本かという問題でしたね。今回は、読み方そのものについてのアドバイスをいただけますか。

 不破 では、二つの角度についてお話ししましょう。一つは、『資本論』を芸術″品として読むこと、二つ目は、『資本論』と経済学の革命の問題です。

「僕の著書は芸術的な全体をなしている」

 芸術″品として読めといっても、そのなかに小説のような筋立てを探せということではありません。『資本論』には、バルザックやシェークスピアをはじめ、たくさんの文学作品が出てきますが、そこに特別に注意せよ、ということでもありません。実は、マルクス自身が、『資本論』を芸術″品のようなものだと呼んでいるのです。

 マルクスは、一八六〇年代の前半には『資本論』全三部を、理論的な内容としてはほぼ仕上げていました。ところが、なかなか出版にまで進まないので、エンゲルスにたえず催促されるのです。それでいろいろと言い訳に苦労する。うまい言い訳が見つかったときには楽しくなるというぐらい(笑い)。

その言い訳の一つに出てくるのですが、自分には「全体が目の前にでき上がっていない」うちに、できあがった最初の方から印刷にまわすという「決心」がつきかねる、なぜかというと、「僕の著書の長所」は、それが「一つの芸術的な全体をなしている」というところにあるからだ、というのです。

展開の順序や構成に心血を注ぐ

 −なかなか面白いことを言ったものですね。
 不破 私は、この「芸術的な全体」という言葉は、言い訳にとどまらないで、マルクスの仕事ぶりをみごとに表現したものだと思うんです。
 大月書店が『経済学批判草稿集』というのを出していましたね。これはいわば『資本論』の草稿の集大成で日本語訳は九巻で終わりになりましたが、マルクスの草稿はもっともっと長いもので、全部出版されたとしたら、これぐらいに(腕をひろげて)なるでしょうね。

 −草稿、つまり下書きだけでですか?
 不破 全体を何回も何回も書き直したのですね。その度に、個々の命題を仕上げることもさることながら、この本の組み立てもやりかえる。こうして、全体が、抜き差しならない順序で分析され、資本主義社会の全体にせまってゆく、こういうところまで仕上げたわけです。全体のプランも何度も練り直して、最後に、いまの、第一部 資本の生産過程、第二部 流通過程、第三部 総過程、第四部 学説史という流れになりました。この構成も、マルクスが心血を注いで練り抜いたものです。それが「芸術的な全体」なんですね。

木を見て森を見ない%ヌみ方ではマルクスが悲しむ

 だから、読む方でも、そこを汲み取ることが大事です。個々の部分を追うだけで、分析を進めてゆく全体の流れをつかまない、いわば木を見て森を見ない≠ニいう読み方は、警戒しないといけません。読む人が、木=Aつまり、個々の命題や論証は一本一本見ていても、森≠フ全体を見ていない、ということだと、僕の芸術が分かっていない≠ニ言って、マルクスが悲しがるんじゃないでしょうか(笑い)。

 マルクスの同世代の人たちは、第一部が出てから三十年近くも第三部を読めなかったのですが、いま私たちは、第一部から第三部までの組み立てがはっきりしているなかで読むわけです。だから、『資本論』全体の組み立て、資本主義社会を分析してゆく流れの全体を頭にいれて読むことができます。これはたいへん重要なことですね。それぞれの篇や章についても、マルクスは抜き差しならない組み立てで議論を展開しているんですから、そこでの議論の順序をつかむことも大事ですよ。ここでは何がテーマになっているのか、なぜこのことがこういう順序で論じられているのか、こんなことを考えながら読んでゆく。

全体の地図≠つかめば行先不明の迷子にはならない

 たとえば、商品論のところでも、「価値形態または交換価値」の節で単純な商品交換から貨幣まで進むんですが、そのあと、第二章「交換過程」でまた貨幣への同じ発展が問題になるでしょう。ところが、これはけっして同じことの繰り返しではないのです。マルクスにとっては、商品論、貨幣論を展開するうえで、こういう二重の考察がどうしても必要だったのだし、商品交換から貨幣への発展という問題が、それぞれのところで独自の角度から解明され、新しい側面が明らかにされてゆく。こういうことを考えながら読んでゆくと、結構楽しいものですよ(笑い)。

 −そうは言っても、意味の分からない部分が出てきてつっかえると、楽しくなんかなれませんよ。

 不破 分からないところは飛ばして前へ進めばよい。だいたい『資本論』の内容を一回ですらすら全部分かって前へ進むなんて、よほど例外的な人物の読み方だと達観することですよ(笑い)。最初分からなかったことでも、もっと先へ進んでから、また読みかえすと、ああ、こんなことだったか、と分かる。こういうことは、よくありますからね。その場合でも、全体の流れをつかんでいると、どこでつっかえたかの地図≠ェはっきりしますから、つっかえたからといって、行き先不明の迷子にはならないですむ(笑い)。
(不破哲三著「科学的社会主義のすすめ」新日本新書 p26-31)

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 さて僕の仕事のことだが、これについてはほんとうのことを打ち明けよう。理論的な部分(はじめの三巻)を完成するためには、まだ三つの章を書かなければならない。それからさらに第四巻、歴史的─文献的な巻を書かなければならないのだが、これは僕にとっては相対的に最も容易な部分だ。というのは、問題はすべてはじめの三巻のなかで解決されていて、この最後の巻はむしろ歴史的な形での繰り返しだからだ。

しかし、僕は、全体が目の前にでき上がっていないうちに、どれかを送り出してしまう決心がつきかねるのだ。たとえどんな欠陥があろうとも、僕の著書の長所は、それが一つの芸術的な全体をなしているということなのだ。そして、それは、ただ、全体が目の前にでき上がっていないうちはけっして印刷させないという僕のやり方によってのみ、達成できるのだ。

ヤーコプ・グリム的方法をもってしてはこれは不可能で、彼の方法は一般に、弁証法的に編成されていない著作により良く適しているのだ。
(マルクス・エンゲルス全集第31巻 マルクスからエンゲルスへ p111)

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 入門書の特徴は「資本論」や「帝国主義論」、それ以後の資本主義分析の成果からの基本的な規定の選択と体系立てられた叙述です。講義では、その時々の情勢と結合して解説します。経済学のエキスをつかむことができて、搾取の仕組みを理解し、そこからの解放の法則性を自覚できるのが特徴です。活動家養成の最短距離の一つです。

搾取の最新の状況から選択された具体例の紹介が、説得力を左右します。これは決定的です。労働者を惑わせる思想攻撃への反撃も、学習内容に含まれます。質問への回答のレベルも問われます。受講生自身が学生募集の担い手になる意欲をもつかどうかが、講義の適切さの最高の証人です。マルクスが精魂を傾けたようなエネルギーと分析力に学ぶ、労働者状態の絶えざる吸収、その講師団での系統的な交流・検討なしには、十分には成立たない活動です。

「資本論」の全体像を動員する思考が求められると痛感することしきりです。長い期間での繰り返しからくるマンネリズムの危険にさらされる活動です。
(吉井清文著「一生に一度は「資本論」を読んでみたい」学習の友社 p107-108)

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◎科学的社会主義を学びながら労働者にひろげようととするものの宿命です。応えなければ……と。