学習通信040921
人間が育つということI

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子どもの変質

 これまでも幾度か書き、また本書の中でも書いていることであるが、私が子どもや若者たちの変質を意識し始めたのはもう二〇年も前のことである。それ以来、子どもの変質を自分なりにしっかり見定めてみようと子どもや若者たちの変化にまつわる雑多な情報をメモしたり、関連記事を貼りつけた「〈子ども〉再考ノート」を作り続けてきた。

二〇年前に考察の対象にしていた子どもや若者たちは、変質≠オたまま、いま、大人になり、子の親になり、四十代に入り、社会の中核を占めるまでになっている。「はじめに」でも指摘したように、このことが現代のわが国においてもつ意味は小さくないと思っている。そこで、本章では、まず、四十代前半までも含む「若い世代」がどのように変質しているかについて、一九七六年以降継続的に行ってきた調査の結果や、この間の新聞の関連記事を丹念に追うことで検討を加えることにする。

反抗をやめた子どもたち

 最近の青少年の問題行動は、その傾向からみると「反社会的」問題行動から「非社会的」問題行動に移っていると言える。具体的に言えば、非行や犯罪など、大人の価値観や大人の都合で決めたやり方や制度を押しつけられ、それに従うことを強要されることに対する反抗的な行為(反社会的な問題行動)が少なくなり、代わって、不登校や引きこもりや薬物依存や自殺など、他の人間とかかわるのを避け自分の世界や自分の殼にこもりっきりになるとか、自分の意識や自分の身体そのものを消滅させるというような行為(非社会的な問題行動)が増えているということである。

 警察や防犯団体など、青少年の犯罪防止や取り締まりを事としている機関によれば、このところ少年犯罪や少年非行が増えており、しかも低年齢化や凶悪化が進んでいるとされるが、戦後の青少年犯罪や非行の発生件数や発生率を長期的にみれば、一九八〇年代前半の水準にはるかに及ばず、むしろ近年は滅る傾向にあるのが実際である。それに対し、いじめや不登校や引きこもりなど、他者と親しく交わることを嫌い拒否するということで共通する行為のほうは、増加の一途を辿っている。

もっとも、文部科学省が発表する統計によれば、いじめは一九八五年をピークに滅少してきており、調査を開始した一九九一年以降増え続けていた不登校も二〇〇二年には減少に転じたとされている。しかし、ともにまだまだ高い水準にあり、児童生徒をいじめや不登校に駆り立てる根元の部分に変化はないとみていい。どういうことかと言えば、いじめも不登校も、子どもたちの社会化過程にみられる異変≠フ表れであるということである。子どもたちにみられる異変とは、端的にいえば、「他人嫌いの性向や心性」の強まりであり、私の言う「社会力」の衰弱である。
(門脇厚司著「親と子の社会力」朝日新聞社 p10-11)

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 こうして、私の肉感の世界がつくられるその最初の跡にさかのぼるとき、一見両立しないように見えることがありながら、やはり一致して、一様の単純な結果を力づよく生みだしていた諸要素があることに気づく。また外見は同一であっても、ある事情が加わったために、非常にちがった結合をして、相互になんらかの関係があったとは思われない、そんな他の要素も見いだされる。

たとえば、私の魂のもっとも力づよい活動の一つが、淫猥と柔弱とを私の血のなかにそそぎこんだ流れと同じ源にあったとは、信じられるだろうか? いま話したこの問題をはなれないで、ずいぶんちがった印象を与えるようなことが、そこからでてくるのを見ていただこう。

 ある日、私はひとり、台所にとなった部屋で、学課を勉強していた。女中がランベルシエ嬢の何枚かの櫛を、台所の暖炉棚と私のいる部屋の壁とのあいだの、くりぬき口に乾しておいたのだが、とりにきてみると、そのうちの一枚の櫛が片歯だけすっかり折れてしまっている。この被害の責任を誰に問うべきか? 私以外には誰も部屋にはいったものはない。私は問いただされる。その櫛にはさわらなかったといってきかない。

ランベルシエ兄姉は、いっしょになって、さとし、つめより、おどかす。私は執拗に言いはる。私がうそをいうのにこんなに大胆だと思われたのは、はじめてだったが、しかし確証はじゅうぶんなので、とうとう私のあらゆる抗弁はおさえられてしまった。事態は重大視された。そうされるだけのことはあったのだ。いたずら、うそ、強情、そのどれもが罰に相当すると思われた。

だがさしあたって、ランベルシエ嬢からは、べつに罰せられなかった。ベルナール叔父に手紙が書かれ、叔父がやってきた。かわいそうに私のいとこもまたべつのことで私におとらない不始末をやり、その責任を問われていた。二人は同じ罰にあった。それは峻烈だった。もしも苦痛のなかに矯正の手段を求めることで、私の感性の堕落を永久にくいとめようとしたのだったら、これ以上にいい手段はなかっただろう。そのために、そののち長く、私はそうした堕落の気持に心がみだされなくなった。

 白状せよといわれても私にはできなかった。なんどもこらしめられ、ずいぶんひどい目にあわされたけれども、頑としてきかなかった。死の責苦にさえもたえて見せる、そう決心していた。さすがの暴力も、子供の、悪魔のような強情には、かぶとをぬがなくてはならなかった。じっさい私のがんばりはそう形容されたのだが、むりもなかった。とうとう私はこの残酷な試煉から出た。さんざんであったが、しかし意気揚々として。

 この出来事から、もうかれこれ五十年になる。そしてふたたびそのことで罰せられる心配はない。そうだ、私ははっきりいおう、天にむかって、私が無罪だったことを、その櫛を折りもしなければさわりもしなかったことを、台所の煖炉棚へのくりぬきロには近よりもしなかったことを、そんなことは考えも及ばなかったことを。どうしてそんな被害があったかは自分にきかないでほしい。知りもしなければ、合点も行かない。非常に明瞭に知っていることは、自分にその罪がないということだ。

 平生は臆病で、柔順なくせに、感情が激すると、熱し、高ぶり、手がつけられなくなる性格を想像していただきたい。

つねに理性の声にみちびかれ、つねにやさしい、公平な、親切な心をもってとりあつかわれ、不公平の観念さえもたなかったのに、はじめてあのようなおそろしい不公平を、自分がもっとも愛し尊敬するまさにその人たちから経験させられる、そんな子供を想像していただきたい。

どんなに思想が逆転することか! どんなに感情が混乱することか! 心のなかが、頭のなかが、知識や道徳の宿るその小さい人格の全体が、顛倒することか! できるならばいっさいを想像していただきたいというのだ。

なぜなら私には、その当時私のなかにどんな現象が起こったかを見わけたり、その痕跡を逐一たどったりすることは、とうてい不可能に思われる。

 そのころはまだじゅうぶん理性が発達していなかったので、外観からの事情が自分を罪におとしいれる理由をさとったり、自分を他人の立場に置いて考えたりすることができなかった。自分だけの立場にいたのだ。そして自分の感じたことといえば、犯しもしない罪に対するおそろしい罰のその苛酷さであった。肉体の苦痛は、はげしいといっても、さほど身には感じなかった。感じたりは、忿憑(ふんひょう)と激怒と絶望だけであった。

いとこも、ほとんど場合を同じくして、知らずに犯した過失を、考えてやった行為のように罰せられ、私に劣らず憤激し、いわば私と声をあわせて、たけりたった。二人とも一つ寝床で、無我夢中でぎゅっとだきあい、むせんで声もでなかった。そして二人の幼い心がいくらかおさまって、そのいきどおりを発することができるようになると、ねどこのうえに膝立ちになって、力のかぎりなんどもなんども叫びはじめた、「カルニフェックス〔ラテン語、悪人〕、カルニフェックス、カルニフェックス。」

 これを書きながら、私はまだ脈博の高まるのを感じる。十万年生きながらえようとも、あの時間というものはいつも如実にせまるだろう。暴力と不公平とに対するそうした最初の感情は、非常に深く私の魂にきざまれてのこったので、それに関連する考えは、その一つ一つがすべてその当時の私の最初の感動をよびもどすのである。

そして、元来は私一個に関したこの感情が、それだけで非常に鞏固(きょうこ)なものとなり、個人的などのような利害関係からも全く独立した存在となったために、ちょっとした不正な行為を見たりきいたりしただけでも、それがなんの目的であろうとどこでおこなわれようと、あたかもその結果が自分のうえにふりかかってくるかのように、私の心はいきどおりにもえあがる。

残忍な暴君の悪逆や、狡滑な司祭の巧妙な陰謀を読むとき、わざわざ出かけていって、これらの非道な人間を刺し殺してやりたい、そのためには百度いのちをおとしてもいいと思う。雄鶏とか、乳牛とか、雄犬とか、その他何かの動物が、おのれにかなうつよいものはないという態度を露骨にみせて、ただそれだけで他の仲間を苦しめているのを見たりすると、しばしば汗びっしょりになって追っかけたり、石を投げつけたりした。そんな衝動は生まれつきかもしれない。たしかにそうだと思う。

だが、自分の苦しんだ最初の不公平に対する深刻な追想が、あまりに長くまたつよくそれにむすびついたので、そうした感情を非常につよめてしまったのだ。

 それまでで私の幼年期のしずかな生活はおわりをつげた。このときから、純粋の幸福をたのしむことはなくなった。こんにちでもやはり幼時のたのしさの追想はそれまででとまっているように感じる。私たちはなお数か月ボセーに滞在した。地上の楽園にいながらも、その享楽を失った人類の始祖といった姿でとどまっていたのであった。外見はまえと変わらない境遇であったが、事実は全くべつの生きかたであった。

愛着も、尊敬も、親密も、信頼も、もはや生徒をその指導者にむすびつけず、私たちは自分の心を読みとってくれる神々としての彼らをみとめなくなった。

いたずらをすることがそうはずかしくなくなり、とがめられてもそうこわくはなかった。かげでかくれてやるようになりはじめ、意地をはり、うそをつくようになりだした。その年ごろのあらゆる悪徳があらわれて、無邪気さをそこない、あそびごとを卑しくした。

田舎そのものまでが、私たちの目に、その心までしみとおるなごやかさと純朴さの魅力を失い、さびしく陰気に見えだした。何かヴェールのようなものでおおわれ、その美なかくしているようだった。私たちの小さい畑をたがやすことも、草花をつくることもやめた。かるく土をほじくって、まいた種の芽を見つけてはよろこびの声をあげに行くこともなくなった。

こんな生活にいや気がさした。はたからも愛想をつかされた。叔父は私たちをひきとった。そうして私たちはランベルシエ兄弟からはなれたのだが、おたがいに飽きがきていたので、わかれることもさしてなごりおしくはなかった。
(ルソー著「告白」河出書房 p18-21)

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◎「おのれにかなうつよいものはないという態度を露骨にみせて、ただそれだけで他の仲間を苦しめている」……と。

ルソーの告白≠カっくりと時間をかけて読み取ってください。

人間にとっての社会性