学習通信040922
◎「諸君は諸君のウオノメでひとを判断してはならない──」。

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ウオノメについて

行く春や烏啼き魚の目は泪

 奥の細道の旅に足をふみだそうと、千住で舟をおりた芭蕉が、見送りの人とわかれるにあたってよんだという有名な句がある。

行く春や鳥啼き魚の目は泪

 この「魚の目」を、足にできるウオノメととることはできないだろうか、と考えてみたことがあった。
 この句は、ふつうには、心ない鳥や魚さえ涙をもって逝く春を惜しんでいるという感じに別離の情をかけたもの、と解されているようだが、この解だと「魚の目」のだしかたがいかにも不自然に感じられる。わざとらしくて、とても名句とは思えない。

 その不自然さを救うためか、千佳で船をあがったところに魚屋の店かなんかがあったのでは、という説(小宮豊隆)もでているらしいが、これだとこんどは、くさりかけた魚の目に汁がたまっているような、そんな感じが私にはしてくる。

 安東次男氏は、中唐の詩人李賀の「燈火、魚目を照らす」という句、これを芭蕉はふまえているのではないか、という(『芭蕉』筑摩書房)。この場合「魚目」とは「魚のように閉じることのできない目。つまり不眠の(それに充血した)目」のこと。とすれば、芭蕉が「魚の目は泪」とよんだ、その「魚の目」とは、昨夜来まんじりともせず船中で語りあかしてきた、送るもの、送られるもの一同の目、ということになるだろう。

 なるほど、これならばよくわかる。そして、これが正解なのかもしれない、と思う。しかし、そうだとしても、この句に接したものの何人が、その意味をそのようにとりえたろうか。

 数ある当時の俳諧師のなかには、「魚の目」を足のウオノメとうけとったものもあったのではないか、そしてそういうふくみをもはじめからこの句に芭蕉はもたせていたのではないか──と、そんな気が私にはしてくる。

 それではまるでトンチ・クイズじゃないか、という人もあろうが、それでいっこうかまうまい。「俳諧」とはもともと「こっけい」「たわむれ」という意味のことばだったのだ。

 「鳥啼き」との関係はどうなるのか、と問う人もあるだろうが、ウオノメのことを中国では、昔も今も「鶏眼」つまりトリノメというのだ。いわゆるトリメ(夜盲症)のほうは「鶏朦眼」といって、ちゃんと区別がある。

 春もおわり。トリノメが、つまりウオノメが、痛む。痛さに悲鳴をあげながら、その足をひきずって長旅に出る。──そんな意味をこの句の理解に重ねあわせることは、無理だろうか。

シェークスピアおよびスウィフトの場合

 こんなヤブニラミの解釈を頭のなかに回転させてみたのは、そのころ私がウオノメになやんでいたためだが、そんなこともあって私は、ウオノメと文学・思想との交渉に興味をもちはじめた。

 じつは、英語でもドイツ語でも、「(だれかの)ウオノメをふむ」といえば「(だれかの)痛いところにさわる」という意味になる。シェークスピアの『ロミオとジュリエット』にでてくるつぎのセリフも、このふくみをもっているだろう。「足指にウオノメをもってない御婦人なら、みんな一度は紳士各位の踊りのお相手をつとめるはず。……乙にすまして踊らぬ御婦人は、ウオノメもちに相違あるまい」というのがそのセリフだが。

 私の知るかぎり、シェークスピアではもう一箇所、『リア王』にウオノメがでてくる。すなわち、有名なリア王狂乱の場で道化が口にする歌のなかに、「心にかけるべきものを足にかけた奴は、ウオノメの痛みに眠ることもならぬ」という趣旨の文句がでてくる。意味深長な一節だ。

 スウィフトの『ガリバー旅行記』のなかでも、ウオノメにぶつかった。バルニバービと呼ばれる土地の首都ラガードーの学士院をたずねたガリバーが、そこで研究している学者の話をきく、その話のなかにでてくるのだ。

 大臣たちは物忘れがひどくて困る、とその学者はいう。そこで、大臣に接するものは、できるだけ平明なことばで、できるだけ簡潔に用件を伝えた上で、帰りぎわに大臣の鼻をつまむとか、腹を蹴るとか、ウオノメをふみつけるとか、両耳を三度ひっぱるとか、尻に針をつきさすとか、腕をアザのでるほどつねりあげるとかして、なんとか忘れないようにさせ、会うごとにそれをくりかえすようにしてはどうか、というのがその「研究」の内容なのだが、じつに痛烈なものだ。

 それはそうと、しらべてみたら、やはりスウィフトの著『桶物語』のなかにも「痛む足指」のことがでてくるし、一七一〇年にかれが書いたある文章のなかにも、「ウオノメが痛みだすのは、夕立がくる前兆だ」という文句がある。スウィフトはウオノメになやんでいたのかもしれない。

マルクスの場合、袴田里見の場合

 だが、なんといってもウオノメをめぐる考察の圧巻は、青年マルクスのものだ。すなわちかれが『ライン新聞』のために書いた「木材窃盗取締法にかんする討論」のなかに、つぎのようにでている。

 「小心で、冷淡で、精神を失った利己的な利害の魂は、自分が侵害されるというただこの一点だけしか見ない。これはちょうど、だれかある通りがかりの人が自分のウオノメをふんだからといって、こいつはおよそこの世のなかでもっともいまいましい無頼のやからだ、と思いこむ粗野な人間のようなものである。このような粗野な人間は、自分のウオノメを、それでもって物を見たり判断したりする目にかえてしまう。……諸君は諸君のウオノメでひとを判断してはならない」

 このマルクスの文章を、ある学習会で紹介した。そしたら、きいていた一人が「アッ」といった。

「その粗野な人間≠ニいうのは袴田里見だ!」

 こんどは私が「アッ」という番だった。
 「小心」と訳された語は、本来ただ「小さい」というだけの意味で、「ちっぽけ」とか「いやしい」とか「小人物」とかいうふうにも訳されることば。「冷淡」と訳された語は、本来「木でできた」という意味で、そこから比喩的に「ゴツゴツした」「ギクシヤクした」「でくの棒然とした」「無骨な」「砂をかむような味の」という意味につかわれる。

 そして「利己的」と訳された語は、字義どおりには「自我病」「自我狂」「自我癖」つまり「おれがおれが症」ということ。いずれも、「粗野」という表現とともに、袴田という人物の特徴づけとしてつかわれてきたものばかりではないか。

 この人物は、宮本顕治さんたちのことを「およそこの世のなかでもっともいまいましい無頼のやから」呼ばわりした。よほどウオノメが痛かったのだろうか。

 もっとも、この人のウオノメを土足でふみつけにきたのは、鬼頭史郎とそれにつながる連中で、宮本さんたちはむしろ袴田のウオノメをかばおうとしたのだ。それにさわったのは、かばうのに必要なかぎりにおいてだった。ところがそこで袴田はとびあがってしまった。「ある人間が私のウオノメをふんだからといって、そのためにその人が誠実な、いやそれどころかずばぬけてりっぱな人間ではなくなってしまうというわけのものではないだろう」と、さきに引用を略したところでわざわざマルクスは書いていたのだが。

ウオノメの弁

 ウオノメは、足にあわないクツをはいたりして、皮膚に無理な刺激が与えられることによって生じる。ふつうだったら死んでアカになってはがれていくべき、表皮の上の角質層が、死なずに、皮膚のなかにクサビ型にふえていって、表皮の下にある真皮のなかの神経をつつくようになる、それがウオノメだ。

 だれしも大なり小なりのウオノメをもっているだろう。人生のなかでは、大なり小なりの無理をすることはさけられない。身にあわぬ仕事を背負わねばならぬこともおきる。そこから、ウオノメが生じる。

 そのかぎり、それは人生のたたかいの痕として、むしろ誇ってもよいことだとさえ思う──それを、それでもってその人が世界を見、他人を評価する唯一の目にかえてしまいさえしなければ。

 まてよ、マルクスはあの文章をドイツ語で書いたはずだが、という人があるだろうか。ドイツ語では中国語とおなじく、ウオノメのことをヒューネルアオゲつまりトリノメというのだ。

(高田求著「新人生論ノート」新日本出版社 p85-91)

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判断のものさし

 きょうは仕事が休みである。
 私は午後、縁側の日だまりに針箱を持ち出し、紫、浅黄、からし色などの古い半衿をはぎ合わせて襷(たすき)を縫い始めた。
 いつも和服の私は、家事を思いたったとき、手早くかけられるように、台所、居間、書斎のすみにいろんな襷を置いておく。
 長さは五尺五寸だから、半衿二本とすこしでいい。幅は少々広めだけれど一寸二分にして、あとは縫いこんで芯の代わりに……などと寸法を測っていたら、物さしの端がどうも布地に引っかかる。よく見ると、角が割れかかっていた。(オヤ、オヤ)

 仕方がない。この一尺ざしはだいぶまえ、大切にしていた二尺ざしを私が切れない鋸でやっと二つにしたのだから……なにしろあのころは鯨尺(くじらじゃく)が発売禁止で手にはいらなかったのだもの。

 明治女が家の中で小さいものを縫うのに一尺ざしがないと不便だし、メートルざしでは (エエと……五尺五寸と一寸二分──これは何センチになるのかしら。一センチは曲尺の三分三厘として……曲を鯨に直すと……)全くの話、日が暮れてしまう。
 (永六輔さん、どうもありがとう)

 どんな仕事にも、それぞれ使い慣れた物さしがあるのに、なにがなんでも尺貫法をやめろ、と言うのはむちゃな話だ、と永さんが一生懸命、大きな声を張りあげて言いふらしてくださったおかげで、おかみもやっと考え直してくれた。おかげで私も大っぴらに新しい一尺ざしを買うことが出来る。よかった。

 とにかく、物さしは人の暮らしに欠かせない。もしなければ皆、ものを測る尺度がわからなくてウロウロすることだろう。

 (……人間は、こういう竹や金の物さしのほかに、自分の生き方を判断するための人生の物さしとでもいうものを、それぞれ頭の中に持っているらしい。そしてその取り扱いはなかなかむずかしい)

 そんなことを考えたのは、何年かまえのあるテレビ局でだった。
 その夜、稽古の途中で主役と演出家の意見が食い違い、それがだんだんこじれて、若いスターはイライラしていた。
 「冗談じゃない。こんな台詞は言えませんよ、本を書き直してください。ボクは納得できないことは絶対にやりません」
 翌日は朝から録画しなければ間に合わない仕事だったが、彼は頑として譲らなかった。大勢のスタッフはシンと静まり返っていた。

 私は部屋のすみでボンヤリ考えていた。
 (……そうね、納得できないことはしない、というのは立派だと思うわ。いつも狎れ合って生きてるなんて佗しいものね。ただ──納得できるかどうかを決めるのは、あなたの頭よね。つまり、あなたの頭の中には、判断の物さしがちゃんとある、というわけでしょう? キチンと生きるためには、そういう物さしを持つことはぜひ必要だと思うわ。でもね、心配なのは、それがいつも絶対正確かどうかということよ。もし、ちょっとでも狂っていたら、ヘンなことを納得してしまうかもしれない。だから、他人の意見をきいたり本を読んだりして、それを参考に、自分で自分の物さしをきびしく点検しないと、案外、本意ない人生をおくることになってしまうわね)

 あれこれ思いめぐらすうちに、なんてむずかしいことか、とつい溜息が出た。

 一時間後に稽古は再開された。主役と演出家の、どちらの物さしが訂正されたのかしら……どちらにしても、たいした問題ではなかったらしいから──安心した。

 やっと二本の襷が出来上がったときは、もう日がかげっていた。夕方の風はまだ肌寒い。

 (私も気をつけなければ……それでなくてもトシをとると、とかく頑固になりやすいもの)そう思いながら、針箱を片づけた。
(沢村貞子著「わたしの茶の間」光文社 p224-226)

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足の指などに出来た「うおのめ」に悩まされた経験をお持ちの方もおられると思いますが、丸くて真ん中に芯があり、本当に目のような形をしていますよね。昔の人がこれを見て魚の目を連想し「うおのめ」の名前を付けたと思われますが、医学的専門用語では「鶏眼」といいます。ご承知のように日本の医学はドイツ医学を継承しており、ドイツでは「うおのめ」のことを「鶏の目」というためです。日本人は身近な魚の目を連想し、ドイツ人は魚よりも身近な鶏の目を連想したようです。ちなみに英語では「CORN」といいますが、これはトウモロコシの粒を連想したのでしょうか?
(インターネットで検索ヒットから)

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◎「自分なら……だからあの人もこうに違いない。」自分のウオノメでみることってしょっちゅうやっている。

「だから、他人の意見をきいたり本を読んだりして、それを参考に、自分で自分の物さしをきびしく点検しないと、案外、本意ない人生をおくることになってしまう」……。

学習通信040802 も参考に深めよう。