学習通信040924
◎「汝の車を星につなげ」と。
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地上の星(中島みゆき)
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った見送られることもなく
草原のペガサス
街角のヴィーナス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
崖の上のジュピター
水底のシリウス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
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あきらめる
今の若者はあきらめが早い。これもほとんど定説のように語られていることである。たしかに、就職試験などでも理想の企業を二、三社受けて落ちた時点で「もういいや」と就職するのをあきらめてしまう学生も、ときどき目にする。そういう若者に「私の頃は、採用されるまで三十社、四十社と受ける人もいたよ」などと激励のことばをかけ、「どうしてそこまでするの?」と不思議そうな顔をされたこともあった。
その人の話をよく聞くと、「そうやって納得のいかない会社につとめるなんて、自分にウソをつくことじゃないか」という言い分だった。さらに、「その人、自分の理想をあきらめて妥協した、ってことですね」とまで言われてしまった。たしかにその方が「あきらめ」だと言えなくもない。
理想を追求してうまくいかないとすぐに行動するのをストップする若者と、理想をどんどん下げてとりあえず行動を続ける昔の若者。いったいどちらが「すぐにあきらめる若者」なのだろうか。
「理想を下げたり自分にウソをついたりするのはイヤだ」と行動そのものをあきらめてしまう若者の心の中にあるのは、「いつまでも純粋に理想を追っていたい」という一種の理想主義だとも言える。しかし、だからと言って、どんなことをしても理想を実現しようと思えば、それまでの間は、どうしても純粋ではいられないこともある。
「下積みからコツコツと夢に近づく」というと聞こえはよいが、その下積み時代には妥協、プライドの傷つき、ウソ、泥くさい努力、といった純粋で美しいとはいえないこともたくさん経験しなければならない。それに何より、理想を追求するまでの間にも生活はしなくてはならないのだから、お金も必要になってくる。
若い人たちには、理想を追求し、実現するまでのこの担保期間が、どうしても受け入れられないのだろう。だから、ひとつかふたつ理想の企業を受けたり、歌手志望ならちょっとオーディションを受けたりし、ダメだったら「純粋でいられないくらいなら、もういいや」と引いてしまう。そしてまた何年後かに、ぽっと試験やオーデションを受けてみたりするのである。もちろん、その間も傷ついたり妥協したりするのを避けるために、それらしい努力や葛藤は何も経験していない。だから、次に試験を受けてもまず受かることはないだろう。
そうやって、純粋≠ネまま理想の実現を手に入れようとする若者たち。彼らの行動が大人からは「あきらめが早い」と見られてしまうわけだが、実は彼らほど理想を手放せない、「あきらめの悪い」人はいないのかもしれない。
では、そういう若者たちに大人は、「そうやってただ純粋なまま理想をあきらめずにチャンスを持っていても、ムダなのだ」とはっきり告げるべきなのだろうか。彼らがそうなった背景には、大人たちが「どんな子どもにも無限の可能性がある」「だれでも努力すれば何でもできる」「これからはだれもが個性を生かした職業につかなければならない」といった幻想を吹き込みすぎた、という問題もあるはずだ。
だから、そうやって「理想を高く持て。あきらめずに夢を抱け」とさんざん言ってきた大人が、ある日、突然、「夢ばかり追い求めないで、もっと現実を見て妥協しろ」というのはあまりに無責任だと思う。若者とすれば、「いったいどっちなんだ」と理不尽さを感じてしまうだろう。
では、どうすればよいのか。ひとつの方法としては、若者に「理想を実現するまでは、純粋じゃないと思われることだってしてみていいんだ」と実践して見せることがあると思う。たとえば、いったん社会人になって、しばらくしてから理想の実現のために大学に入りなおすとか、結婚して子育てが終わってから音楽の勉強のために外国に行くとか、そういうまわり道≠して理想を実現する大人がもっと増えてくれば、なかなかうまく行かずに臆病になっている若者たちも、とりあえず社会に一歩を踏み出せるのではないか。「あきらめない」ということは、一本道を突き進むということとは別なのだ。
人生には、ポーズボタンも再スタートボタンもある。このことを若者に、大人が身をもって示してやる必要がある。
(香山リカ著「若者の法則」岩波新書 p180-183)
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志について
馬車と星
星が好きな人に悪人はいない、とだれかがなにかに書いていたように思う。もし私の思いちがいだとすれば、私がその「だれか」になってもいい。
もちろん、私のいう「星の好きな人」とは、星占いの愛好者のことではない。星占いの流行は、都市の夜空に星が姿をかくすようになった、それと歩調を一にしていたのではなかろうか。
そしてそれは、現代における「理想喪失症」のひろがりともむすびついているのではないか。なんといっても、星は理想の象徴なのだ。
地獄の遍歴は、まるい脱出口のかなたについにいくつかの星の姿をかいま見、やがてそとをあとにして満天の星々を仰ぎ見ることによっておわる。煉獄の旅は、その星々へのぼりゆく身の準備がととのうことによって完了する。──これは、ダンテの『神曲』の話だが。
ダンテはその『神曲』の各篇を「星々」の一語でむすんでいた。寿岳文章氏はこれに注して書いている──「エマスンの有名なことばを借りて表現するなら、ダンテこそわが荷車を星に結んだ$lといえよう」と。
「荷車」でイメージがわかない人のためには、「馬車」という訳語もある。──汝の馬車を星につなげ。
「馬車」ではかえって、という人のためには、たんに「車」と訳した例もある。―汝の車を星につなげ。
なんという壮大なイメージだろう。もちろんこれはその車を星につないだ人だけがつくりだしうるものだ。
ボーイズ・ビー・アムビシャスー
一八七七年(明治十年)といえば、それからもう一〇〇年余の歳月が流れている。
その年の四月十六日、ウィリアム・エス・クラークは、八ヵ月そこで教鞭をとった札幌農学校をあとにした。
当時はまだ、汽車はなかった。クラークも、見送る学生たちも、みな馬だった。札幌から二〇キロほどはなれた島松村まできて、そこでクラークは学生たちと別れた。
「見送っていった生徒とそこで別れるときに、皆と握手して馬にまたがり、馬腹に一鞭をあてて、姿は消えましたが、そのときの最後のことばがボーイズ・ビー・アムビシャス≠ニいうことばでありました」と内村鑑三は伝えている。
これは一九一二年(大正元年)十月、札幌教育会会堂(もと札幌農学校演武場)でおこなわれた公開演説の一節で、クラークのことばを公に伝えたものとしてはもっとも古いものの一つにぞくするのだろうと思う。もっとも、内村自身が札幌農学校に入学したのは、クラークが去った翌年であったのだが。
クラークのことばは、ふつう「少年よ、大志を抱け」と訳されている。「少年よ」というと、小中学生の男の子のイメージがもっぱらうかぶが、これは実情にもあわないから、「青年よ」あるいはもっと一般的に「諸君」と訳してもいいだろう。「大志を抱け」のかわりに「野心をもて」と訳すこともできる。事実、内村はそう訳している。そして、「野心というと悪いことばのようにきこえますが、クラーク的の進めということばであります」と注釈をくわえている。
それから十四年後、すなわちクラークが札幌をはなれたちょうど五十年後の一九二七年(昭和二年)、内村は、札幌農学校の後身北海道大学の中央講堂において「ボーイズ・ビー・アムビシャス」と題する講演をおこなった。そのなかで内村はふたたび、クラークが「ビー・アムビシャス」といった、その意味について解説をこころみている。
アムビシャス、名詞形にしてアムビション、これは日本語に訳すれば、まあ「野心」となるだろうが、野心というとなにか秀吉やナポレオン流の野心を連想しがちだから「大望」といったほうがいいかもしれないが、「わかり易く申せば、将来自分がなしとげてやろうとする仕事をしっかりきめる精神をいうのである」と内村はいう。
そしてさらに──
「それについていま思いだすのは、エマスンのことばに汝の車を星につなげ≠ニいうのがあるが、これは望を高く抱け≠ニいうことで、クラーク先生がボーイズ・ビー・アムビシャス≠ニ平易にいうたことを詩的にいいあらわしたのであって、まったく同精神に出でている」
クラーク先生とアメリカ独立宣言の精神
クラーク先生のことばとエマスンのことばとのこのむすびつけは、私にとっては目のさめるような新鮮さだった。
しかし、さらに目のさめる思いをしたのは、「この言(ボーイズ・ビー・アムビシャス)は果たしてクラーク先生の創始の言であったかをしらべたところ、これはけっしてそうではないと思う」と内村が述べていることだった。
「ボーイズ・ビー・アムビシャス≠フ精神は、当時のニュー・イングランドの文献をしらべてみれば、すでに各州に発表されてあったことは疑のない事実であって、クラーク先生がこの言を発せらるるにいたった経路を考えるに、先生の生国すなわちニュー・イングランドにはこの精神がみちみちていて、その精神的環境のなかから、プライアント、ソロー、エマスンのごとき偉人を生み、また先生を生んだのである」
「そのニュー・イングランドのピューリタンの意気が、先生をとおしてこのことばとなったのであって、このかんたんなことばの背後に、全ニュー・イングランドあるを考えるときに、これ実に意味深いことばとなるのである」
「ニュー・イングランド」とは、故国の宗教的圧迫をのがれて新大陸にわたったイギリスのピューリタンたちがはじめに住みついた、その大西洋岸北部の地をいう。ここはアメリカ独立戦争の中心地であった。
ニュー・イングランドの精神とは、すなわち「アメリカ独立宣言の精神」ということができるだろう。
ニュー・イングランドは、南北戦争における北軍の中心地でもあった。南北戦争勃発のしらせがとどいたとき、クラークはニュー・イングランドの母校アマスト大学で教鞭をとっていた。ただちに招集された全学集会において独立宣言をよみあげたのは、クラークだった。三月後、町の独立記念祝賀会で「当日議長」にえらばれ、独立宣言をよみあげたのも、やはりクラークだった。
そしてそのクラークは、北軍不利のニュースにじっとしておれず、みずから志願してマサチュセッツ第二十一義勇連隊にぞくし、砲火の下をくぐったのだった。(ジョン・M・マキ『クラーク』高久真一訳、北大図書刊行会)
英雄と英雄主義
ボーイズ・ビー・アムビシャスー 「志をもて」とこれを訳してもよいだろう。こころのさすところ、これを「こころざし」という。
もっとも、田中角栄や小佐野賢治を「立志伝中の人」などとよぶ、そんな「志」もあるわけだ。こころのさすところが金や地位のたぐいであるような、そんなのが。
「汝の車を星につなげ」というのは、その車を札束につないだ田中や小佐野の「志」とのちがいをもいいあらわしていよう。
その車を星につなぐ人、これを「志士」という。
もっとも「志士」ということばにはすでに特殊なニュアンスがつきすぎているから、かわりに「英雄」ということばをえらんでもいい。──その車を星につなぐ人、これを英雄という。
「英雄」ということばにも、もう手アカがつきすぎているかもしれないが、ここでいう英雄とは、けっして「スター」のことではない。
手近の名声やなんかにではなく、遠くの星にその車をつねにつなぎつづける、それをこそ真の意味で英雄主義という。これはいわゆる「スター」のなかなかよくしないところだ。
英語の「スター」は、日本語の「星」だ。しかし「汝の車を星につなげ」という、その星はけっして日本語の「スター」ではない。
同様に(なにが「同様」なの、かはじつはあやしいが)「ボーイズ・ビー・アムビシャス」の「ボーイズ」も、単純に「少年」「青年」とイコールではないと思う。
「ボーイ」とは「アムビションを有する人」のことであり、「前途の希望に邁進しているものは、年は六十をこえてもなおボーイ≠ナある」と、一九二七年の講演で内村は述べていた。「私自身はまだアムビションをもっているから、自分がボーイ≠ナあることを確信している」と。
ときに内村は六十七歳であった。
(高田求著「新人生論ノート」新日本出版社 p105-111)
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◎「手近の名声やなんかにではなく、遠くの星にその車をつねにつなぎつづける、それをこそ真の意味で英雄主義」……。
あなたにも理想≠ニすべき何かがあるだろうか。それを追い求める生活があるだろうか。