学習通信040928
◎あらたな転機≠ノどうこたえるのか……。

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春闘 労働組合運動の新たな転機

はじめに

 多国籍企業化の推進と高利潤体制の構築という財界戦略にもとづくリストラ攻撃は、労働者の状態をこれまでになく悪化させています。完全失業率5%前後、失業者三百万人台という深刻な事態が四年も続いています。現金給与総額は三年連続マイナス、勤労者世帯の消費支出は六年連続のマイナスです。

 リストラによる労働者構成のゆがみと成果主義賃金による競争の激化が、なかでも三十代男性労働者にしわよせされ、この層のほぼ半数が週四十九時間以上働き、四分の一が六十時間以上(土曜も含めて毎日十時間以上)も働いています。うつ病、過労死・過労自殺、さらには「少子化」の原因としても社会問題になりつつあります。

 財界戦略と小泉「構造改革」による中小企業の倒産も、昨年一年間で一万六千二百五十五件という深刻さです。重要なことは、近年、中小企業の絶対数が減少していることです。

 今年の三月期決算では上場企業の二割が過去最高益を記録すると見られていますが、急速な「V字型回復」を遂げても首切り・賃下げ攻撃の手を緩めようとしません。

 大企業の雇用・労務管理が、リストラを利潤拡大の主要な手段にするという新たな段階に入っているからです。そのため労働組合運動も新たな転機をむかえています。

一 「パイの理論」の破たんと労働組合運動

1、「パイの理論」の破たん

 人減らしと不安定雇用への置き換え、定昇廃止と成果主義賃金の導入というリストラ攻撃は、財界・大企業と労資協調主義組合によるイデオロギー攻撃の主柱であった「パイの理論」が破たんしたことを示しています。
 「パイの理論」とは、賃金は生計費ではなく「生産の分け前」だからパイすなわち生産自体を大きくしなければならないというもので、「生産性向上」に協力させながら、わずかの「分け前」の範囲に賃上げを抑制しようとするものでした。いまでは、年金・社会保障費の企業負担分もふくむ総額人件費の削減が、企業収益改善・利潤創出の最大の柱と位置づけられ、わずかの「分け前」すらださなくしようとしています。

 製造大企業六百三十六社の九月中間決算では、売上高は2・1%の伸びにとどまっているのに、営業利益は13・1%、経常利益は22・0%も伸びています。売り上げの伸びはもっぱら輸出によるものですが、それを上回る営業利益の伸びは、「リストラ効果」すなわち下請けいじめと人件費削減によるものです。

 全労連の分析によれば、巨大企業二十社の内部留保(ため込み利益)は、二〇〇二年の二十五兆八千百五億円から〇三年の二十七兆九千五百十八億円へと二兆千四百十三億円も増加したのに対し、従業員数は五十七万七千二百五十人から五十三万六千七百三人へと四万五百四十七人も減っています。

 財界・大企業が労資協調主義組合を育成し、取り込むために使ってきた「パイの理論」が破たんし、それに代えて導入してきている成果主義によるイデオロギー攻撃も矛盾をあらわにしているもとで、いま、日本の労働組合運動は新たな転機にたっています。

 一つは、イデオロギー攻撃の破たんを労働組合の新たな「変質」によってとりつくろおうとする動きです。もう一つは、労働組合運動の原点があらためて問われる事態が広がり、労働組合運動前進の条件が成熟しつつあることです。
(「しんぶん赤旗」040213)

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 しかしながら、CGTの『教科書』に素描された労働組合運動の階級的・民主的強化の方向は、運動の自然成長的な発展によってはけっして達成されるものではない。資本家階級は、労働者の日常的利益をまもる労働組合運動にたいしてさえ、その発展を阻止するためにあらゆる暴力的な手段を講じてきた。ましてや階級的な労働組合運動が国際的に発展しはじめるや、資本家階級は労働組合運動を経済主義や階級協調主義の範囲にとじこめるために全力を集中してきたからである。

 「ブルジョアジーは、実際に彼らの強力な手段と、彼らのイデオロギーに征服された人々の仲介とによって労働者の活動に干渉し、労働組合のかこなう階級闘争をゆがめて、ブルジョアジーの根本的目的を支持する政治を実施させるように努めている。

このようにして労働者階級と労働運動は互いに矛盾する二つの思想の系統──これは彼らの表現の多様性から来るのであるが──すなわち、階級闘争の思想と階級協調の思想とにみちびかれた二つの基本的な概念に直面する。こうした現状を巧妙に利用して、ブルジョアジーは労働運動を分裂させることに成功し、階級協調のための労働組合組織をつくり、階級闘争の組織の分裂を生じさせている」。(CGT『階級闘争と労働組合』、総評調査研究所『フランス総同盟教室資料』、一九六一年、一二八ページ)

 したがって、労働組合運動の階級的・民主的強化のためには、組合主義・協調主義の右翼的潮流とたたかい、これを克服するたゆみない行動が要求される。

 ところで、各国の労働組合運動は、それぞれの国に固有な資本主義の発展過程と労働者階級の状態を基礎にして展開されてきたものである。だから、各国の労働組合運動は、それぞれの過去・現在・未来をもつ。したがって、われわれはフランス労働者階級の労働組合綱領から多くの貴重な経験を学ぶことができるにしても、それだけでわれわれ自身の運動の諸問題をすべてにわたって解決することができるわけではない。

たとえ多くの共通点がふくまれるにしても、われわれ自身の綱領的な立場を確立することがいっそう重要である。われわれの課題は、さしあたり日本労働組合運動の階級的・民主的強化であり、したがって、なんらかの空想的な観念からではなく、一九六〇年代の日本労働組合運動の歴史的な現実から出発しなければならない。

しかも、現在は、過去からの歴史のなかでつくりあげられたものであり、現在の労働組合運動は、現在を未来にむけて変化させつつある運動として把握される必要がある。われわれは、こういう過去をせおった労働組合運動の現実を科学的に分析し、労働組合運動を階級的・民主的に強化する闘争の必然性、その内容、発展行程と発展の条件を、具体的に明らかにしていきたいと思う。

そこで、左右の日和見主義的潮流に対決する姿勢をつらぬきながら、われわれの分析すべき項目はつぎのように提起される。

一、労働組合による労働者階級の組織化──ここでは、労働組合による労働者階級の質量にわたる組織化、すなわち労働組合運動の発展過程が、資本蓄積の一般法則、歴史法則が貫徹していく過程の反映であることを日本の戦前と戦後の対比によって明らかにする。「左翼」日和見主義の歴史性を無視した非科学的見地にたいし、史的唯物論の真に革命的な見地を対置する。

二、日本の労働者階級の戦後史にかける前進指標──労働組合運動を現象的にみて右翼日和見主義の傾向を過大視し、大衆的にかきている階級的前進を見ることのできぬ「左翼」日和見主義への批判。

三、右翼的潮流の拡大の社会経済的基礎──右翼的潮流の性格規定。その経済的基礎と限界性。

四、労働組合の右翼的潮流を克服する条件の成熟と労働組合の階級的統一──「合理化」反対闘争、賃金闘争など日常闘争の現実的困難性はなにに原因するか。しかし、また反対に作用する諸要因の形成も不可避であること。一般民主主義をめざす闘争条件の成熟と国家独占資本主義下にかける新しい闘争形態の問題。労働組合の階級的統一。

 以上で、われわれの問題提起は終わるが、本論にはいるにさきだち、つぎのレーニンの言葉をもってしめくくりをつけておこう。

「マルクスによれば、科学の直接の任務は、真の闘争の合い言葉をあたえることである。すなわち、この闘争を、生産関係の一定の制度の産物として客観的に表示する能力をもつこと、この闘争の必然性、その内容、発展行程と発展の条件を理解する能力をもつことである。『闘争の合言葉』をあたえることは、闘争の一般的性格、その一般的目標──いっさいの搾取といっさいの抑圧とを完全にかつ終局的に廃絶すること──を見うしなわず、しかも、当面の各瞬間に情勢を規定することができるように、この闘争の各個の形態をきわめて詳細に研究し、この闘争が一つの形態から他の形態へ移行していく一歩一歩をあとづけることなしには、不可能である。」(『人民の友とはなにか』レーニン全集第一巻 p344)
(戸木田嘉久著「日本の労働組合──その過去・現在・未来」大月書店 労働組合運動の理論@1969年 p104-106)

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 だが、マルクスは、彼の理論が「その本質上、批判的(@)、かつ革命的である」点に、この理論の全価値があると考えていた。そして事実、こののちにあげた特性は完全に、また無条件にマルクス主義に固有のものである。

なぜなら、この理論は、近代社会におけるいっさいの形態の敵対と搾取を暴露し、それらの形態の進化をあとづけ、それらが経過的な性格のもので他の形態への転化が不可避であることを証明し、こうして、プロレタリアートにできるだけすみやかに、また、できるだけ容易にあらゆる搾取を清算させるために、プロレタリアートに奉仕することを、自己の任務としてはっきり提起しているからである。

あらゆる国の社会主義者をこの理論に引きつけている打ちがちがたい魅力は、まさにこの理論が厳格な、最高度の科学性(それは社会科学の最新の達成である)と革命性とを結合しており、しかも、偶然的にではなく、たんにこの学説の創始者が学者の資質と革命家の資質とをその一身に結合していたからだけではなく、理論そのもののうちに、内的に、かつ不可分にそれを結合していることにある。

実際、ここでは理論の任務、科学の目標は、現実におこなわれている被抑圧階級の経済闘争において彼らをたすけることに、はっきりとおかれている。

………………

@<批判的>マルクスがここで言っているのは、唯物論的な批判──彼は、このような批判だけを科学的な批判と考えている──のことだということを注意されたい。すなわち、それは、政治=法律上、社会上、日常生活上、等々の事実を経済に、生産関係の制度に、また、あらゆる敵対的な社会関係を基盤として不可避的に形成される諸階級の利害に照合する批判である。ロシアの社会関係が敵対的な関係であることは、おそらく疑うものはなかったであろう。しかし、このような批判の基礎に、この関係を取りあげようと試みたものは、かつて一人もいなかった。

「われわれは世界にむかって言いはしない、──君の闘争をやめよ、それはつまらないものだ、と。われわれはただ、世界に真の闘争の合言葉をあたえるだけである。」〔本書、一八四ページ参照〕

………………

 したがって、マルクスによれば、科学の直接の任務は、真の闘争の合言葉をあたえることである。すなわち、この闘争を、生産関係の一定の制度の産物として客観的に表示する能力をもつこと、この闘争の必然性、その内容、発展行程と発展の条件を理解する能力をもつことである。「闘争の合言葉」をあたえることは闘争の一般的性格ヽその一般的目標――いっさいの搾取といっさいの抑圧とを完全に、かつ終局的に廃絶すること──を見うしなわず、しかも当面の各瞬間に情勢を規定することのできるように、この闘争の各個の形態をきわめて詳細に研究し、この闘争が一つの形態から他の形態へ移行していく一歩一歩をあとづけることなしには、不可能である。

(レーニン全集第一巻「「人民の友」とはなにか」大月書店 p343-344)
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◎科学的社会主義の労働組合論を学ぶ活動家の任務とはいかなるものか、いまこそ理論の力を生かさなければならない。