学習通信041003
◎「子供がおとな以上の責任を負い」……。
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二〇〇〇年の秋に
生まれたのは一九三〇年・昭和五年秋。
不景気のどん底で生を受けた。
前途の見えなかった社会は、
いつか満州事変、日中戦争へと
方向を定めてゆき、
一九四一年十二月八日をむかえる。
その日、十一歳。
子供の領域に属して
無知なるまま、
聖戦を信じ、みずからが
生きのこることは許さないと
ひそかに思っていた子供。
一九四五年八月、敗戦の日十四歳。
あの日をさかいに、
それまで頭上をおおっていた
国家と軍隊、それにつらなるいっさいが、
きれいに消えていった。
難民の一人となり、同胞の辛酸のかたわらで
なにも力になれず、
わが身とわが一家の
生きのびる道を探した一年間。
子供がおとな以上の責任を負い、
試練にさらされた日をどうして忘れようか。
政治に対するわたしの初心は
難民としての体験から芽ばえた。
それから五十五年。
かわらず、かわりたくない
かたくななわたしがいる。
「自衛隊は憲法に違反し、
新世紀に日米安保条約は見直されるべき」
この、ごく常識的な発言をするのに、
勇気を試される時代がついにきた。
信ずるままを、飽くことなく言う。
それ以外、わたしのような人間には
生きてゆく道はない。
投げつけられる非難の言葉が、
「バカ」であったり「アカ」であっても、
それにたじろぐまい。
無視され疎外されようとも、
わたしはわたしの道をゆこう。
すべては「個」から、
「一人」からはじまり、
いかなる「一人」になるかを決めるのは、
己れ自身である。
いま、あえてかかげようとする旗は、
ささやかで小さい。
小さいけれど、誰にも蹂躙されることを
許さないわたしの旗である。
かかげつづけることにわたしの志があり、
わたしの生きる理由はある。
二〇〇〇年九月三日
(澤地久枝著「私のかかげる小さな旗」講談社文庫 p4-7)
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歴史と文学のなかで過去と現在の青年の姿と役割がなんであったかをみつけたい。それがこの巻の願いです。そのために多様な青年時代をそれぞれの執筆者に描いてもらいました。私たちは、現代の青年たちが過去と現在の多様な青年の在り方に学んで自分の青春を大切にしてほしいとねがっています。
と同時に、そこで得た知恵を力として人類の遺産を受け継ぎ、未来の建設に小さくとも揺るぎない礎を築いて行って欲しいとおもいます。また、かつて青年であったひとびと、そして未来を青年に託したいとおもっているひとびとには、歴史と文学のなかの皆さんの在り様を自らの青年時代の感激と重ね合わせて、今の青年たちを激励する手だてとしてほしいとおもいます。
一人ひとりの青春
どんな人生にも青年時代があります。それは、ある人にはほろ苦い青春であったかもしれません。ある人には心あたたまる甘い思い出であるかもしれません。しかし、いずれにしても、生まれては死んでゆく何億という人間の一人ひとりがそのひとにしか味わえない青年時代をもっているのです。それが他人にはどんなにささやかであっても、本人にとっては懸命に生きた青春であり、自分という人格をつくりあげた原点です。
青年時代とは何歳から何歳までかと問いかえされると、困りますが、まあ一五歳から二〇歳、いや、いまでは三〇歳までとすこし長い期間としておきましょう。昔から一五歳の元服で少年時代に別れをつげると、大人入りしたわけですが、その後も決して直ちに一人前になるわけではありませんでした。元服後はまさに若衆であり、おとなの世界ではなお半人前にすぎませんでした。
いったいに人間の脳は二〇歳まで成長してやっと現代人の脳の重さになるのだといわれていますから、まさに二〇歳の成人式まで人間は成長しつづけるのです。それからの脳は専ら細胞が減少してゆくこととなります。そうした一五歳から二〇歳までの成長期が、人間という生物にとっての青年期といえるかもしれません。けれども、脳の生物学的発展だけでなく、学ぶことが多くなってきた現代社会の人間形成を念頭に置くとすれば、成年になった後もなお三〇歳までが学びの期間であるかもしれません。
とすれば、いまや二〇歳から三〇歳までをも青年時代ということもできます。人間の寿命がのびて、しかも老年者の再労働の必要が叫ばれているのですから、働き盛りは四〇歳を中心として三〇歳から六〇歳までとすると、三〇歳までは青年であっても可笑しくはないでしょう。いずれにせよ、その成長期に刻印された強烈な体験と認識が多くのひとの一生の原点となり、その後の人生の活力の源泉となっていることはたしかです。
一例として戦後漫画全盛時代をつくりあげた先達、最近なくなられた手塚治虫さんの場合を考えてみましょう。戦後に少年少女時代をすごした人々、青年時代をすごした人々で手塚さんの漫画を読んだことのないひとはないでしょう。手塚さんの『ジャングル大帝』や『鉄腕アトム』・『リボンの騎士』などは、今五〇代のひとたちの懐しい心の故郷でしょう。いま働き盛りのひとびとには『火の鳥』か『アドルフに告ぐ』の方が思い浮かぶかもしれません。
『漫画少年』に『ジャングル大帝』が連載されはじめたのが、一九五〇(昭和二五)年ですから、それからもう四〇年間も書き続けられた数多くの漫画は、SFあり、少女漫画や風刺ありで、多種多様ですが、そのなかには一貫した手塚さんの語りかけがありました。斎藤次郎さんの『手塚治虫がねがったこと』(岩波ジュニア新書)は次のようにいっています。
「漫画という方法で、彼は心をこめて、いのちの大切さ(それは人間のだけではない、地球のいのちとでもいうべきつながりとして、手塚治虫は生命をとらえていたようだ)を訴え、いのちをおびやかす悪とたたかいつづけたのだった。「自分の死の恐怖をまのあたりに味わった」世代としての、最大のメッセージがここにある」(五七頁)。
このように手塚の作品の人の心を撃つそのヒューマニズムの原点は、戦争への疑いでした。人はなぜ人を殺さなければならないのか。そして自分も殺されなければならないのか。そうした非人間的な戦争への厳しい疑問が手塚さんの漫画を生み出したといいます。若き日の手塚さんの漫画を愛し「手塚、ながいきせえよ」と口ぐせのようにいっていた友人、乱暴ものの明石は「昭和二〇年にフィリピンで敵艦に突っこんで自爆した……明石は自分の死に場所へ、手塚のかいたクミコちゃんの絵を腹にまいてもらっていったという話である」(斎藤『同書』五六頁)。
このように、「すべての作品で徹底して戦争を否定し、人が人を差別し、支配することを否定し、生命の大切さを訴えることで首尾一貫していた」(斎藤『同書』五七頁)手塚漫画の原点は、かれの戦争という青春の原体験にあったのです。
手塚自身がその死の一年程まえに、次のように語っています。
「ぼくのマンガは、生命の讃歌や反戦反核、自然保護などいろいろテーマにしてますが、基本は一つでしてね。このこわれやすい地球を客観的に見る世代に対してのメッセージというか、お願いなんですよ。君たちが大きくなったときにはもっと地球を客観的にみてくれ、人類を客観的にみてくれ、その中で人間を考えてくれと」(『手塚治虫とっておきの話』新日本出版社、一九九〇年、一四二頁)。
(井ヶ田良治著「総論─青年が歴史をつくる」 講座「青年」第一巻 青年の発見 清風堂書店 p9-12)
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◎「その成長期に刻印された強烈な体験と認識が多くのひとの一生の原点となり、その後の人生の活力の源泉となっていることはたしかです。」
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それから五十五年。
かわらず、かわりたくない
かたくななわたしがいる。
──京都中央労働学校運営委員会のささやかな活動の中にも、みち≠サれぞれを選択する激しさがあります。一生に通ずる選択です。