学習通信041009
◎「選べない人間関係をそれなりに生きることが必要」……。

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 若者は大事なひととの関係では、ホットなやさしさを求めている。そして、こちらが何でも話したら相手も何でも話してほしいと期待している。同じでないと親しくなれないからである。自分と相手との間に自分をさらけ出す程度にズレがあることが、彼を躊躇させている。

 若者たちは、浅い関係は互いに干渉しないウォームなやさしさで乗り切っているように見える。しかし、大切なひととのあいだで浅い関係から深い関係へと移行する段階でつまずいてしまう。どの程度うちとけて話していいかわからない場面や、それも迷ったりする相手となると、彼らが理想とする「ホットなやさしさとウォームなやさしさの使い分け」では対応できないからである。

 自分の思うように関係が作れず、大切な相手へのいらだちが隠せなかったり、自分の無力さや孤独に直面しなければならないとき、ホットなやさしさがはたらかないどころか、葛藤を回避してバランスを保とうとするウォームなやさしさも役に立たない。それどころか、キレるといった場面も出てくるのかもしれない。相手の気持ちなどかまわず攻撃的になるのである。

 結局、現代青年は、心理的距離を一定に保とうとすることを重視するために、つねに相手がどの程度自分に対して親しみを感じるかの推測が重要となる。そして、それができないような、あいまいな関係が苦手ではないかと思われる。ここでいう苦手なあいまいな関係とは、まったく知らないわけでもなく、とくに親しいわけでもないのに、長期につきあうことが予想される場合をいう。

 なぜ彼らは自分の思うように関係をつくることができないのであろうか。単に人間関係をつくる能力が未熟だからであろうか。それとも何か現代的な特徴があるのであろうか。私はその両方であるように思う。現代青年には現代青年の友人関係のルールがあるように思う。

たとえば、若者の言いかたを借りると、「友人にもたれすぎない」とかいうことであり、そのために「本音は茶化して話す」とか「親友なら何でもいえるが、知り合いにはとりあえず合わせておく」といったことである。これらはひとつには、彼らが家庭や学校という狭くて、しかも競争や他人の評価にさらされた空間のなかで、選べない人間関係をそれなりに生きることが必要であるという事情によるのではないかと思う。

 それでは、こうした状況を乗り切るのに、現代青年の友人関係のありかたは有効であるかというと、そうとはいえないと思う。そこに問題が生じるが、私はそこにむしろ可能性を見たい。それについては、次にふれよう。

人間関係のつまずきと再生

 あいまいな関係が苦手だというのは、身近な人間関係のなかにもある。大学の三年生の女性は言う。

 Aは母がガンで手術することになり、ゼミの新年会に出席できないことを一番仲のよい友人に電話で話した。ほかに三人の友人がいたが、余計な心配をかけたくなかったし、言う必要もないと考えたからである。欠席の理由を知った三人のうちの一人は「A、なんでお母さんのこと、言ってくれへんかったん?」「大丈夫なん?」と聞いてきた。嬉しかったが、「変に心配させたくないし、言う機会もなかったしなあ……」と、うまく返事ができなかった。

彼女とは少し気まずい空気が流れた。残りの二人の友達は一度も母のことを聞いてこなかった。三人とも気を遣っていてくれていたことはわかっていたので、このことで関係が悪くも良くもならなかった。でも、あとの二人の家族に何かが起こった時には、そのことに触れていいのかなと悩んでしまうだろう。

 彼女はあとで「Aは友達と接するときに区別する」と言われたそうである。これはそんなつもりでなかったとしても、気を遣っている関係のなかでは痛烈な批判となるのではなかろうか。結局、この場合、Aが感じている親しさと相手の感じている親しさにズレがあった。

 これは、彼女にとっては困った事態なのだが、私はむしろ、このなかに新しい関係への可能性を見たい。「大丈夫なん?」と聞いてきた友達は、一歩踏み出していた。そのために問題が生じたが、彼女が保っていた距離を縮めたからである。互いの心理的距離は変化するものであり、こうしてひととひとは出会って互いを理解したり、別れていくものだと思う。

相手と距離を保つことのジレンマ

最後に、学生は授業の感想を次のように書いた。

 「『やさしさの精神病理』に登場してくる現代の若者≠スちと私とでは、あまりにも優しさ≠フとらえ方が違いすぎていた……。もしかしたら私は、現代の若者の中では浮いた存在なのかも知れない。そんな想いで頭が一杯になりました。だから授業でみんなのレポートを拝聴した時は、とてもホッとしました。なぜならば、みんなも私と同じようにHotなやさしさを求めていることを知ったからです。」

 「根っこの部分はとてもHotなんだけれど、何かそれを前面に出すのは恥ずかしい、そういう気持ちが強くて、表面的にはWarmを装っているんだなと感じました。」

 「これら二つのやさしさのうち、どちらを持っているというのではなく、時と場合により二つのやさしさを使い分けているように思いました。この点で、今と昔では、優しさのあり方≠ェ変化してきたのではなく、実は優しさが多様化してきたのではないかと思います。優しさ一つとってもこんなに複雑なんだから、今の若者は実は心の内では、とても混とんとして、悩んでいるんだなと実感しました。(私もそうですが)」

 「共感は出来るけど、本当にそれをやさしさと認めてしまってもいいのだろうか、と疑問視しているところが共通していると思います。やはり、ずっと心に残っているやさしさとは、自分が相手(私)にどう思われるかをかえりみずに本音をぶつけてくれたといったように、ホットなやさしさです。世の中が、自分の周りの人がすべてウォームなやさしさであふれたらどうなるのだろうか、そう思うと少しこわくなりました。」

 「相手を思いやる、ということを、相手にあわせる、と感ちがいしているのではないか、と考えます。しかし、相手にあわせることで、葛藤≠ェ解消できることは確かです。自分で決断のできない人にとっては、実によい方法となるのです。」

 「Warmなやさしさも、Hotなやさしさも私はどちらもあまり好きだと思わない、というのが、なんとなく今の私の感情に近いように思いました。HotとかWarmとかでは区別できない(若しくは双方が混在した)形のやさしさが、今、私が考える『やさしさ』であるように考えました。」

 以上の感想からは、若者の揺れる気持ちが伝わってくる。互いに干渉しあいたくないが、ウォームなやさしさでは寂しい。やはりホットなやさしさを求めたい。しかし、それは容易ではない。こういったジレンマを抱えている。

 これはヤマアラシのジレンマである。ヤマアラシのジレンマとは、ヤマアラシ(はりねずみ)が互いに肌のぬくもりで暖めようとして近づくと互いの針で傷つけあってしまう。痛さに耐えかねて離れようとするが、離れることもできないというジレンマをいう。ひととひとでも、近づきすぎると互いを傷つけるが、離れるとさみしい。近づくことも離れることもできないジレンマである。

それゆえ、現代青年は相手との心理的距離を一定に保っておこうとするのだろう。一定に保てば、自分もかきみだされることもないし、ヤマアラシのジレンマに苦しめられることもない。ところが、あいまいな関係の場面となるとそうはいかない。結局は、こうした人間関係を引き受けていくしかないのだが、こうしたことからは、若者がひとを求めるがゆえの生きづらさのようなものが感じられる。
(白井利明著「大人のなりかた」新日本出版社 p62-67)

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 青年は仲間のなかで鍛えられる

 青年たちは、ともすると、孤独に悩むことが多いようです。とくに、家族や故郷を後にして、生き馬の目を抜くような大都会の喧騒のなかに投げ込まれると、自分だけが孤立し、自分だけが白い目でみられているような錯覚に陥り勝ちです。とくに、方言の訛の強い東北地方などから大東京に出てきた若者のかなりの部分が、ズーズー弁を笑われるのを恐れて無口になってゆくようです。井上ひさしの『吉里吉里人』は若い日の著者のコンプレックスの克服の書なのかもしれません。

関西弁が流行になった現在では、大阪では幾分そうした傾向が少ないとおもいますが、それでも、東北から出てきた皆さんはやはり言葉の点て気後れするようです。大学でもそうです。小・中・高と学校では小クラスでのみ生活してきた青年たちは、大学とくにマンモス私立大学にはいった途端に、何万という雑踏のなかに放り出されます。まるで、金魚鉢からいきなり大海原に投げ出された金魚さながら、右へ行くべきか、左へいったらよいのか、うろうろするばかりです。

群衆のなかの孤独を痛感するのが学生生活の始まりです。もちろん、それに打ち勝つことが必要ですが、全ての青年にそれを期待するわけにはいきません。かなりの青年が大なり小なり屈折せざるをえません。教室は何百人、あるいは干人をこえる大教室です。自分で掲示板をみなければ、何時休講になるのか、何時試験があるのかわかりません。そのことを誰も教えてはくれません。こうして、失敗の連続の果てにやっと大学生活に適応してゆきます。かつてのように精神的に孤独を感ずるのではなく、実際に生活体験として孤独なのです。

競争社会の現代日本では、すこしでも、他人より上にゆかないと試験や就職競争に生き残れません。いきおい、周囲の友は全て競争相手であり、ある時は敵対者です。となると、本音は吐かずに心を鎖さざるをえません。文化伝達の手段としてのテレビも、ウォークマンも、隣のひとから切り離されたイヤーホーンの世界のなかに生きることを強制しています。スポーツにしても、下手でも自分が参加する野球や運動から、プロ野球の試合や大相撲をテレビで観る娯楽に転落しています。

僕は巨人、私は広島と、一人ひとりが贔屓のチームを争い、家庭のなかでは娯楽をこえて、野球で喧嘩さえ起こりかねません。ともに悲しみともに喜ぶというのは過去の時代のようです。競争社会はここまできたのです。

 しかし、とはいっても青年はやはり仲間を求め、仲間を呼びあって、孤独にうちかち、ひとりぼっちを克服しようとします。本来青年は徒党をくむものなのです。そして、仲間に支えられ、仲間で知恵をよせあい、社会体験を深めて大人になって行きます。歴史的にみても、若者宿や娘宿は、青年を子供から大人へと教育する社会制度にほかなりませんでした。そして、何時の時代でも、時代の閉塞をうちやぶり、果敢に過去の因習に挑戦するのは若者の行動でした。

 特別の激動が若者たちによって担われたことは、多くの歴史家が語っています。明治維新も、若い志士たちの集団的な運動が原動力でした。ヨーロッパの近代革命の一つひとつが、青年の集団の熱狂のなかで進行しました。けれども、青年の集団行動が歴史をおしすすめたのは、なにも激しい大革命だけではありません。どの地域の歴史を尋ねてみても、その村や町の古い壁を打ち破り、進歩と発展をもたらした歴史には青年の集団的活動の足跡が刻まれています。

 丹波のある村の史料にこんな話があります。「当夏若き者ども雪駄をはき申したき企てつかまつり、雪駄ばかりにては申立て少なく御座候ゆえ、女奉公人の給米六斗にきまりまかりあり候事等も申出」と。この村では、古くから村の地主たちが、小作人たちに雪駄を履くことや笠をかぶること、家に破風や縁側や門をつけることなどを禁止していました。こうした身分的な抑圧のなかでこの村の小作人の家からでる女奉公人の給米は他の村では七・八斗あるのに六斗と村で決められていたのです。

そこで、天明の大飢饉の六年前の一七八一年に、小作人たちは地主仲間に雪駄を履かせろという身分的規制の撤廃、給米引上げの要求をだしたのです。男の青年だけでなく、若い女奉公人たちは清蔵という百姓の家にあつまって、給米や主人からの渡物や休みなどの労働条件を「己らが心儒に相決め、もし此決めに不承知のものがあれば、奉公人仲間を義絶する」と固く相決めたとあります。自由と民主をもとめる小作人の若者たちのこうした集団行動は、小作料の引上げ、祭りの民主化、筏労働者の賃金値上げ要求というようにひろがり、天明七(一七八七)年には、ついに米の値下げを要求するこの地方全体の百姓一揆にまで発展したのでした(井ケ田良治『近世村落の身分構造』一九八四年、国書刊行会)。

村の封建的な古い秩序をうちやぶるこのような運動を村方騒動といっていますが、日本全国のほとんどすべての村が、私腹をこやす庄屋を辞めさせるなどの村方騒動を経験しています。そうした運動の先頭にたっていたのは、正義感にあふれ行動力のある青年たちでした。

 こうした闘争だけでなく、日常的な生活の知恵の点でも、若者宿や若者組の果たす役割は大きかったのです。啄木が嘆いた時代閉塞の結果としての「今日の我々青年が有っている内肛的、自滅的傾向」、未来を奪われ、孤独なみずからの心のなかに閉じ籠もって絶望的になっている現状を打開する道は、青年たちの仲間の力による自由と権利の回復しかなかったのです。

 いつの時代にも、若者たちは友を求め、仲間をつくり、そのなかで成長してきたのです。自分たちの集団をつくる自由は、自由で民主的な社会の建設のために決定的に大切です。現在の日本は自由社会だといっていますが、はたして青年たちの仲間づくりの自由を保証しているでしょうか。青年婦人部の自由な活動を親組合が抑制したり、若い裁判官が青年法律家協会に加盟することを最高裁判所事務総局が抑圧しているのが日本の実際です。

ついでに各国の裁判官の自由をみると、フランスでも西ドイツでも裁判官のかなりの部分が労働組合を組織し、しかもそれによって昇進に何の不利益をもうけてはいません。それにひきかえ、日本の裁判官は官僚体制のなかにガンジがらめにされてきています。青年裁判官の自由が奪われているのです。自由と権利をまもるべき裁判所のなかに自由がないのです。このような状態はかならずや打破されなければなりません。そうでないと、啄木ならずとも時代は閉塞してしまうのです。いな、もう日本は閉塞しているのではないでしょうか。

──略──

 しかしかし、よくよく考えてみると、こうした青年の意識の劣悪さは、決して青年の罪ではなく、もともとは青年たちの意識をこのような状態に追い込んでいる大人たちの責任なのです。けしからんのは大人たちであり、資本のための人づくり教育を強行してきた政府であり、日本の社会を企業主義、会社主義に追い込んできた支配階級の罪だといえます。もちろんそれに負けてしまったのでは、青年たちもやがて無罪とはいえなくなるでしょう。しかし、ともかく日本の大人がいけないことはあきらかです。

 青年は情熱的で改革的ですが、それだけに脆く挫折し崩れることもあります。あるいは時代閉塞に絶望して自ら破滅的になる危険もあります。成長期にある青年たちは、発展の可能性をもっているだけに、悪や力づくの流れに弱い一面をもっています。可塑性に富むだけに、教育によってどうにでもなる一面があるわけです。

こうした、危険に対する青年の抵抗力の弱さを巧みに利用して世界に恐ろしい害毒をながし、沢山の人々を苦難と悲劇に追いやったのがナチスでした。天皇陛下のためならば、何で命が惜しかろうと、撃ちてしやまんとばかり、悪と感じずに、東洋平和のためと信じて侵略戦争にかり出されていった日本の青年たちもその代表的な例です。

 ディミィトロフは、『反ファッショ統一戦線』のなかで、何故ナチスに敗北したかを反省しています。青年をナチスに奪われた。農民をナチスに奪われたと。そうした苦い経験に学んで、西ドイツでは保守といえども反ナチスが原則ですが、日本ではどうでしょう。日本のみは、侵略戦争を正当化する空気が支配的です。日本が侵略したことをあまりしっかりと教えると、義務教育の諸学校の教師は教育委員会によって注意され、左遷され、酷い時には処分されます。こんな国は世界のなかに日本以外にはありません。軍国主義の敗北は日本では教訓にはなってはいないのです。

 これは、啄木のいう時代閉塞ではないのでしょうか。それが、青年を内肛・自滅的にしているのではないでしょうか。現代の青年は悪い時代に生まれ合わせたものです。
(井ヶ田良治著「総論─青年が歴史をつくる」 講座「青年」第一巻 青年の発見 清風堂書店 19-27)

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◎「いつの時代にも、若者たちは友を求め、仲間をつくり、そのなかで成長してきたのです。自分たちの集団をつくる自由は、自由で民主的な社会の建設のために決定的に大切です。」と。