学習通信041012
◎「もし「あいつらは甘えてる」という意識でのぞめば」……。

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ニート 「Not in Education, Employment or Training」の頭文字(NEET)による造語で、学生でもなく、職業訓練もしていない無業者のこと。仕事をせず、就職意思がない点でフリーターと区別される。
 厚生労働省が10日閣議に提出した2004年版「労働経済の分析」(労働経済白書)によると、15歳から34歳の若年層のうち、03年のフリーターは前年比8万人増の217万人、ニートは52万人に上ることが分かった。

 ニートの数は、総務省の労働力調査を基に今回初めて集計した。02年のニートは48万人と推計され、1年間で4万人増えた。
 厚労省はニートに対する就職支援として、パソコンの使い方や建設機械の操縦法など、就職に向けた基礎的能力を養う合宿型「若者自立塾」の開設を、来年度から全国40カ所で予定している。

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働かず、学校にもいかない
「ニート」をどうみるか

 働かず、学校にも行かず、職業訓練も受けない若者が増え、「ニート」と呼ばれています。どう見るのか。対策はあるのか。総務省二ート研究プロジェクトの責任者を務める、東京大学社会科学研究所助教授の玄田有史さんに聞きました。(坂井希記者)

「ニート」はまだ明確な定義はありません。僕は個人的には、学生と主婦を除く三十五歳末満で、職業に就きたいと思っているが求職活動をしていない人と、仕事に就くことをあきらめてしまっている人を「ニート」と考えています。

 厚生労働省の「労働経済白書」が出した五十二万人という数字は、その一部だと思います。総務省が五年ごとに行っている「就業構造基本調査」で試算すると、「就職を希望しているが仕事を探していない一五-三十四歳の無業者(求職しない理由が家事、育児、通学、介護、看護の人を除く)」は、OO二年に百四十一万人。十年前より四十万人増えています。

 これもあくまで一つの数字です。ニートはもともとつかみどころがありません。本人たちもなぜ自分からかいまニートなのかわからない。不況、家庭、教育の問題などが背景にありますが、一人ひとり違うのです。

ありのままに

 「ニート」という言葉が知られたことで、行政も職探しに踏み出せない若者への支援を決めたのは重要です。ただ「意欲の低い若いやつがこんなに増えたのか」という解釈も、社会には根強くある。大事なのは、彼らをありのよまに認めること。社会のお荷物とか、ダメな人間とみないことではないでしょうか。

 行政の「若年対策」はこれまでなかなか成功していません。若者に「これは私への支援策なんだ」と思わせるしかけが必要でしょうね。もし「あいつらは甘えてる」という意識でのぞめば、それこそ若者にそっぽを向かれ、失敗するでしょう。

 また、よく「若者が働かないと労働力不足に対処できない」「年金制度が維持できない」、だから問題だ、という議論をききますが、そんなことをいわれても若者は「働こう」とは思いません。二ートは心の奥底では働きたいと思っているんです。でも自分の力では何ともならない。だから他人が少しだけおせっかいして、きっかけを与えることが必要なんです。それが結果的に、労働力不足の解決などのマクロ対策にもなっていくんだと思います。

「14歳の挑戦」

 ニート問題の解決には時間がかかります。社会全体を巻き込んだムーブメント(運動)にしなくては。一番いい担い手は、心ある中小企業の経営者や美容師さんなど、地域にいる人たちです。その力をお借りすることです。彼らに、若者が働くことへの恐怖感や過剰な意識を払しょくできる経験をする機会を、早い段階でつくってほしい。

 僕がとくに主張しているのは、十一月の第三週に、全国百三十万人の中学二年生がいっせいに働く一週間をつくろうということです。名づけて「全国の十四歳の挑戦」です。

 中二の秋という多感な時期に、親でも先生でもないおとなと五日間過ごす。職業意識の啓発≠ニか適職探し≠ナはありません。働くことはしんどいな、でも自分でも努力すれば何とかなるんだな≠ニいうリアルな体験を義務教育段階ですることが、すごく大事なんです。

90年代の失敗

 フリーターやニートを「問題視」することには反対ですが、そういう人たちが増えている現状をいいと思ってはいません。できるだけみんなに安定した雇用を確保することは大事だと思っています。

 企業には「それをコストと思うな」といいたい。九〇年代の失敗は、人を育てることを過剰にコストと考えたことです。即戦力じゃないとだめだとか、自助努力で高度な専門技能を身につけろとかいってきた。企業が採用を抑制するとともに、人を育てることからも撤退したと思います。みんながもう一回、人を育てることにかかわるような環境をつくらないといけないと思います。

 まだ日本は「アウト」ではないと思います。子どもたちのためにおとなが汗をかきましょうよ。「十四歳の挑戦」、いっしょにやりませんか。
(2004.10.11 「しんぶん赤旗」)

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 子どものまえにつぎつぎと自然と技術の生産物をひろげて見せ、かれの好奇心を刺激し、好奇心がかれを導いていく跡を追っていくことによって、わたしたちは子どもの趣味、好み、傾向を研究し、子どもになにかはっきりした天分があるなら、その最初の火花のひらめきを見ることができる。

しかし、一般の過ち、あなたがたが用心しなければならない過ちは、偶然の機会にもたらされた結果を豊かな才能のせいにすること、人間と猿に共通する模倣の精神、人がしていることを見て、それがなんの役にたつかもわからずに、なんでもしようとする気持ちを機械的に両者に起こさせる精神を、あれこれの技術へのいちじるしい好みと考えることだ。世の中には、自分がやっている技術にたいする生まれつきの才能をもつこともなく、しかもごく幼いときから、そういうことをやらされている職人、そしてとくに芸術家がいっぱいいる。

人々はなにかほかに都合のいいことがあってそういうことをさせているのか、あるいは、もし子どもが、はやくからまったく別の技術を見ていたら、やっぱりそういうことにたいしてもつことになったかもしれない表面的な熱意にだまされているのだ。ある者は太鼓の音を聞いて自分は将軍だと信じこみ、ある者は家を建てるのを見て建築家になろうと考える。人はみな自分の見ている職業が人から尊敬されていると考えるとき、それに心を誘われる。

 主人が絵を描いたりデッサンをとったりしているのを見ていて、自分も画家になろうと考えついた、そういう従僕をわたしは知っている。そう決心するとすぐに、かれは鉛筆をとりあげ、その後ずっとそれを捨てず、鉛筆を捨てたときにはこんどは絵筆をとりあげたが、これは一生捨てるようなことはしないだろう。人から教わることもなく、規則を学ぶこともせず、かれは手あたりしだいにデッサンをとりはじめた。

まる三年間というものかれはそのまずいデッサンのうえにかがみこんでいた。勤めのほかにはどんなことがあってもそれをやめず、それほどの素質もないのでたいして進歩しなかったにもかかわらず、けっしてあきらめることはなかった。たいへん暑い夏の六ヵ月のあいだ、そこを通っただけでも息もつまりそうな南向きの狭い控えの間で一日じゅう椅子に腰かけて、というよりは釘づけになって、一つの地球儀をまえにして、それを描いてはまた描きなおし、どうにも手のつけられない執念ぶかさで、たえずはじめてはまたやりなおし、自分の仕事に満足できる程度にかなりうまく円みを表現できるまでやっていた、そういうかれの姿をわたしは見たことがある。

最後には、主人に援助され、芸術家に指導されて、かれはお仕着せをぬいで絵筆で暮らしていけるところまでいった。ある程度までがんばりは才能のかわりになる。しかし、かれはその程度にまでは到達したが、それ以上に出ることはけっしてないだろう。このまじめな男の粘りづよさと人に負けまいとする気持ちはほめてやっていい。かれはとにかくその努力、忠実さ、行ないによって人々に尊敬されるだろうが、扉のうえの装飾のようなものしか描くことはないだろう。

かれの熱意にだまされて、それをほんとうの才能と思いちがいしないでいられた人があるだろうか。喜んである仕事をすることとその仕事に適していることとのあいだには大きなちがいがある。自分の素質ではなくむしろその欲求を示している子ども、そして人は素質を研究することを知らずに、いつもその欲求によって子どもを判断しているのだが、そういう子どものほんとうの天分と趣味をたしかめるには、人が考えている以上に細かい観察が必要なのだ。

わたしはだれか分別のある人が子どもを観察する技術についての論考を提供してくれたらと思っている。この技術を知ることはひじょうに大切なことなのだ。父親たちと教帥たちはまだその基本的なことさえ知らないでいる。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p355-356)

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◎「喜んである仕事をすることとその仕事に適していることとのあいだには大きなちがいがある」……と。

◎「九〇年代の失敗は、人を育てることを過剰にコストと考えたことです。即戦力じゃないとだめだとか、自助努力で高度な専門技能を身につけろとかいってきた。企業が採用を抑制するとともに、人を育てることからも撤退した」……利潤第一主義。