学習通信041014
◎「社会への無関心は、その根底に他者への無関心があるということ」

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 叔父さん。

 こんど叔父さんに会ったとき、話そうと思っていたことなんてすが、手紙に書いた方がいいと考えたので、この手紙を書きます。

 僕は一つの発見をしました。それは、たしかに、叔父さんから聞いたニュートンの話のおかげです。でも、僕が自分で、ある発見をしたなんていうと、みんなはひやかすにきまってます。だから、僕は、これを叔父さんにだけお話しすることにします。お母さんにも、当分のうち言わないで下さい。

 僕は、こんどの発見に、[人間分子の関係、網目の法則」という名をつけました。はじめ、「粉ミルクの秘密」という名を考えたんですが、なんだか少年雑誌の探偵小説みたいなので、やめにしました。叔父さんが、もっといい名を考えて下さったら、うれしく思います。

 その発見をどう説明したらいいか、僕には、まだうまくいえないんですけれど、考えていった順序をお話しすれば、叔父さんは、わかってくれるだろうと思います。

 最初、頭に浮かんだのは粉ミルクでした。だから僕は、この話をしたら、きっとみんながひやかすだろうと思うんです。僕だって、もっと立派なものを考えたかったんですが、自然に粉ミルクが出て来てしまったんだから、仕方がありません。

 月曜日の晩に、僕は夜中に眼がさめました。なにか夢を見て眼がさめたのですけれど、なんの夢だったか忘れました。眼がさめたら、どうしたんだか、僕は粉ミルクのかんのことを考えていました。うちで、おせんべいやビスケットをいれておく、あのラクトーゲンの大きなかんです。そうしたら、お母さんのいったことを思い出しました。僕が赤ん坊のとき、お母さんの乳がたりなかったので、僕は、毎日ラクトーゲンを飲んで育ったのだと、いつかお母さんはいいました。

今のラクトーゲンのかんは、その時の記念だそうです。僕は、その話を聞いたとき、じゃあ、オーストラリアの牛も僕のお母さんかな、といいました。だって、ラクトーゲンはオーストラリアで出来て、かんにも、オーストラリアの地図がかいてあるからです。僕はそのことを床の中で思い出しました。そして、オーストラリアのことを、いろいろ想像しました。牧場や、牛や、土人や、粉ミルクの大工場や、港や、汽船や、そのほか、あとからあとから、いろんなものを考えました。

 その時、僕はニュートンの話を思い出しました。三メートルか四メートルの高さから落ちた林檎を、もっともっと高いところにあったと考えて見て、どこまでも考えつめてゆくうちに、ニュートンはすばらしい考えを思いついたのだ、と叔父さんが言ったでしょう。それで、僕も、粉ミルクに関係のあることを、どこまでも考えていったら、どうなるかな、と思いました。

 僕は、寝床の中で、オーストラリアの牛から、僕の目に粉ミルクがはいるまでのことを、順々に思って見ました。そうしたら、まるできりがないんで、あきれてしまいました。とても、たくさんの人間が出て来るんです。ためしに書いて見ます。

(1)粉ミルクが日本に来るまで。
 牛、牛の世話をする人、乳をしぼる人、それを工場に運ぶ人、工場で粉ミルクにする人、かんにつめる人、かんを荷造りする人、それをトラックかなんかで鉄道にはこぶ人、汽車に積みこむ人、汽車を動かす人、汽車から港へ運ぶ人、汽船に積みこむ人、汽船を動かす人。

(2)粉ミルクが日本に来てから。
 汽船から荷をおろす人、それを倉庫にはこぶ人、倉庫の番人、売りさばきの商人、広告をする人、小売りの薬屋、薬屋までかんをはこぶ人、薬屋の主人、小僧、この小僧がうちの台所までもって来ます。(このあとは、あしたの晩、また書きます。)

(つづき) 僕は、粉ミルクが、オーストラリアから、赤ん坊の僕のところまで、とてもとても長いリレーをやって来たのだと思いました。工場や汽車や汽船を作った人までいれると、何千人だか、何万人だか知れない、たくさんの人が、僕につながっているんだと思いました。でも、そのうち僕の知ってるのは、前のうちのそばにあった薬屋の主人だけで、あとはみんな僕の知らない人です。むこうだって、僕のことなんか、知らないにきまってます。僕は、実にへんだと思いました。

 それから僕は、床の中で、暗くしてある電灯や、時計や、机や、畳や、そのほか、部屋の中にあるものを、次から次と考えて見ました。そうしたら、どれもみんな、ラクトーゲンと同じでした。とても数えきれないほど大勢の人間が、うしろにぞろぞろとつながっているのです。でも、みんな、見ず知らずの人ばかりで、どんな顔をしてるんだか、見当はつきません。

 その晩、まだほかに、なんだかいろいろ考えたのですが、そのうち眠くなって寝てしまったので、忘れてしまいました。しかし、今いったことだけは、翌日になっても覚えていました。僕は、これは一つの発見だと思います。だって、今まで、ちっとも考えなかったのに、そう思って見ると、何から何まで、みんなそうだとわかったからです。僕は、学校にゆく途中や、学校にいってからも、なんでも手当り次第、眼にいるものを取って考えて見ましたけれど、どれもこれも同じでした。

そして、数え切れないほど大勢の人とつながっているのは、僕だけじゃあないということを知りました。僕は、教室で先生の洋服や靴のことを、ていねいに細かく考えて見ましたが、やっぱり同じだということを発見しました。先生の洋服は、オーストラリアの羊からはじまっていました。

 だから、僕の考えでは、人間分子は、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに、網のようにつながっているのだと思います。それで、僕は、これを「人間分子の関係、網目の法則」ということにしました。

 僕は、いま、この発見をいろいろなものに応用して、まちがっていないことを、実地にためしています。今日は、アスファルトの道がやっぱりそうだということに気がつきました。また、数学の時間に、先生の頭やひげも床屋につながっていると考えていたもんで、久しぶりで、先生から注意されました。しかし、発見のためには、先生から叱られることも我慢しなければいけないと、僕は思っています。

 まだ書きたいのですが、お母さんが、もうお寝なさいと言います。だから、報告はこれでやめにします。叔父さんは、僕がこの発見を打明けた最初の人です。
(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」岩波文庫 p83-88)

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 そもそも使用対象が商品になるのは、使用対象が互いに独立に営まれる私的諸労働の生産物であるからにほかならない。これらの私的諸労働の複合休が社会的総労働をなす。

生産者たちは彼らの労働生産物の交換を通してはじめて社会的接触にはいるから、彼らの私的諸労働の独特な社会的性格もまたこの交換の内部ではじめて現われる。

あるいは、私的諸労働は、交換によって労働生産物が、そしてまた労働生産物を媒介として生産者たちが、結ばれる諸関連を通して、事実上はじめて、社会的総労働の諸分肢として自己を発現する。

だから、生産者たちにとっては、彼らの私的諸労働の社会的諸関連は、そのあるがままのものとして、すなわち、人と人とが彼らの労働そのものにおいて結ぶ直接的に社会的な諸関係としてではなく、むしろ、人と人との物的諸関係および物と物との社会的諸関係として現われるのである。
(マルクス著「資本論@」新日本新書 p124-125)

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人間関係づくり悩む若者
もっと生きること考えて

 埼玉県と神奈川県の事件はインターネットで知り合った若者たちの集団自殺の可能性が出ています。こうした事件は昨年から連続して起き、自動車などの密閉された空間で練炭を使うという多くの共通点があります。

 若者の集団自殺が最初に注目されたのは昨年二月に起きた埼玉県の事件。同県内の男性がネットで「心中相手を探しております」と募集し、連絡してきた神奈川県と千葉県の女性と自殺しました。

 この事件後いくつかの「自殺系」掲示板は閉鎖されましたが、今でも無数に残り、「もう生きていくのが嫌になりました、一緒に逝ってくれる方居ませんか」などと匿名で書き込まれています。

 日本いのちの電話連盟の斎藤友紀雄常務理事は「少子化で人間関係をつくる場所がなくなってきていることがある。今までは家におばあちゃんがいたり、近所に知っている人がいたりして人間関係をつくる練習ができた。それが今できなくなってきている。人間関係がつくれない子どもたちの外部とのコミュニケーションがネットになり、その中で友達ができたり、励まされたりしている」と言います。

 国立精神・神経センター精神保健研究所の吉川武彦名誉所長は「一人で自分の命を絶つ決断をするのは勇気がいる。集団になるのは、集団で決めたことにした方が一人ひとりの気持ちが軽くなる」からではないかと見ています。「彼らはだれかに気持ちを分かってもらいたいと思っている。そういう人たちが集まって『自殺』ということでお互い理解し合えたと感じるのではないか。インターネットは、そうした自殺の仕方を広めたと言えるが、自殺そのものを生んだわけではない」と背景を語りました。

 詳しくは、これからでないと分かりません。しかし、「集団で自殺する」先には何もありません。死んでしまいたいぐらい苦しい時は、一番生きてることを感じている瞬間だと私は思います。(藤川 良太記者)
(「しんぶん赤旗」041013)

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潮流

不覚にも腰を痛め、みじめな気分の朝。NHKのドラマ「わかば」で、主人公の祖母が語っていました。「人生、生きちょるだけで丸もうけ」。たしかに。少し気持ちが軽くなりました▼たしかにそうなのです。しかし、現実は悲しい出来事の連続です。埼玉の皆野町で、男女七人がみずから命を絶ちました。神奈川の横須賀でも三人。どちらも、車の中での練炭中毒でした▼青森から東京、佐賀まで、遠く離れて住んでいた人とも。「あなたたちを生んでうれしかった」と子どもに書き残した主婦、大学生、仕事がみつからなかったり、受験に失敗し、悩んでいた若者……

▼「ぼんやりした不安」を理由に自殺した作家・芥川龍之介も、道連れの人を求めました。死に飛び入るための跳躍台として。しかし、「僕は不幸にもこういう友だちを持っていない」(遺稿)のでした▼いまは、ともに旅立ってくれる友が身近にいなくても、インターネットで募れます。見知らぬ人同士の、見知らぬ世界への道行。皆野町で最期を迎えた七人は、ひもで体を結び合っていたといいます

▼人は、自分で死を選ぶと決めた後も、他人とのきずなや連帯を求めるのです。「万人に共通した唯一の感情」(芥川)、死への恐怖に立ち向かうからでしょう。しかし、生きるための連帯はなぜかなわなかったのか。人間関係の薄さを嘆くのはたやすいが、事件は問います。生き続けていれば、「生きちょるだけで丸もうけ」と思える瞬間にめぐりあえたかもしれないのに。
(「しんぶん赤旗」041014)

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無気力・無関心は子どもだけの問題か

 大人たちが募らせている苛立ちの中身についての私の見方が当たっているかどうかは分からない。しかし、それがどのような中身であるかは本質的なことではない。それがどのようなものであれ、大人たちが子どものしつけや教育に厳しく当たることが、青少年問題の解決につながるとはとうてい思えない。

 ではどうするか。私は、子どもの社会力はむろんのこと、大人自身の社会力を高めることに傾注すべきであると主張してきた。繰り返しになるが、私のいう社会力なる資質能力について簡単に説明すれば、社会力とは、人と人がつながり社会をつくり、つくった社会を運営していく意欲や能力であり、かつまたよりよい社会につくり変えていこうとする志向や構えであり、それを可能にする構想力や実現能力のことである。このような意味での社会力の基礎となり下地になるのが、他者への関心であり、愛着であり、信頼感である。

 社会を構成する人々が、このように説明できる社会力を失ったとき、社会はどうなるか。社会の構成員である誰もが社会の現状に無関心で、社会の運営に積極的にかかわろうとせず、社会の改革や刷新を意図することもないとすれば、社会は、むろん解体同然となり、早晩崩壊するほかはない。では、社会を構成する人々が、社会への無関心を募らせ、社会の運営に積極的にかかわろうとする意欲をなくしていくのはどうしてか。他人に対する関心と愛着と信頼感をなくしていくからである。

他人は自分が生き続け快適に時を過ごすための手段でしかなく、互いに他者と深くかかわることをせず、互いに他者といい関係を保っていこうとする意思も意欲もなくなっているとすれば、社会がどのような様相を呈することになろうが、われ関せずの態度を変えることはない。社会への無関心は、その根底に他者への無関心があるということである。

 二〇〇〇年一二月に公表された総務庁の「低年齢層の価値観に関する調査」の結果によれば、(二〇〇〇年一二月二四日付「読売新聞」)「人といると疲れる」と答えた小・中学生が二〇%に上り、「人は信用できない」と答えた子どもが二三%、「自分が満足していれば、人が何を言おうと気にならない」と答えた子どもが三四%いて、「自分のやったことのよしあしはあまり考えない」と答えた子どもも三四%に上るという。

比較する同様の先行調査はないが、他人を信用せず、他人とのかかわりを避け、他人の目を気にしない子どもが増えていてかなりの割合になっているのは間違いない。大人を対象とした調査が手元にないが、おそらく、大人たちもまた同じような気分を募らせていることは推測に難くない。
(門脇厚司著「親と子の社会力」朝日新聞社 p31-33)

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◎「人と人とが彼らの労働そのものにおいて結ぶ直接的に社会的な諸関係としてではなく、むしろ、人と人との物的諸関係および物と物との社会的諸関係として現われる」と。

人と人の関係……関係から疎外されていく根底になにが……学習通信040401 040402 040403 も重ねて深めて下さい。