学習通信041019
◎「頭を明るい方向に向けることのできない」……洞窟の比喩……。

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 不死の魂

 ここまでで、プラトンは現実を二つの部分に分けて考えた、ということを見てきたね。
 第一の部分は「感覚界」。これについてはぼくたちはあいまいな、不完全な知にしかいたれない。これには、ぼくたちのあいまいで不完全な五つの感覚が使われているわけだ。感覚界に属するものには「すべては流れ去る」ということがあてはまり、長らくもちこたえるものは一つもない。感覚界に属するものは、どんなものもたしかに「ある」、とは言えない。すべて、現れては消えていくおびただしいものばかりだ。

 もう一つの部分は「イデア界」。これについては、理性をはたらかせれば、ぼくたちはたしかな知にいたれる。イデア界は、したがって感覚ではとらえられない。また、感覚界のものとは対照的に、イデア、つまり型は永遠で不変だ。

 プラトンによれば、人間にも二つの部分がある。ぼくたちには体があるけれど、これは「流れ去る」。体は感覚界と切っても切れない関係に縛られていて、しゃぼん玉のような、感覚界のあらゆるものと同じ宿命を負っている。ぼくたちの感覚はすべてこの体と結びついていて、そのため頼りにならない。けれどもぼくたちには不死の魂もある。理性はここに住んでいる。まさに魂は物質ではないからこそ、イデア界をのぞくことができるのだ。

 もう、言うことはすべて言ったようなものだけど、まだあるんだよ、ソフィー。いいかい、まだあるんだよ!

 プラトンは考えをもっと先まで進めた。魂はぼくたちの体に降りてくる前にすでにあった、と考えたんだ。魂はかつてイデア界に住んでいた。(クーヘンの型ど同じで、戸棚の上の段に入っていた。)けれども魂は、人間の体に宿って目を覚ましたとたんに、完全なイデアを忘れてしまった。それから何かが起こる。そう、驚くようななりゆきが始まるんだ。

人間が自然のなかにさまざまな形を見ると、魂のなかにおぼろげな思い出が浮かびあがってくる。人間が馬を見る。それは不完全な馬だけど、(そう、ペファークーヘンの馬だ!)魂がかつてイデア界で見たことがある完全な馬のおぼろげな記憶を呼び覚ますにはじゅうぶんだ。すると、魂の本当の住まいへのあこがれもまた、目を覚ます。

プラトンはこのあこがれを「エロス」と呼んだ。愛という意味で、魂はもともとの源への愛のあこがれを感じる、というわけだ。それからというもの、魂は体やすべての感覚にまつわるものを不完全な、どうでもいいものと見なすようになる。魂は愛の翼にのってイデア界に飛んで帰りたいと思う。体という牢獄から自由になりたい、と思うのだ。

 念のために言っておくけど、ここでプラトンが語っているのは理想のなりゆきだ。なぜなら、魂がイデア界への帰り道につけるよう、すべての人間が自分の魂を自由にしてやるわけではないからだ。たいていの人びとは、感覚界のなかの、イデアの鏡に映った姿にしがみついている。人びとは馬を見て──やっぱりその馬しか見ていない。人びとは、すべての馬はへたなコピーなのだということをわかろうとしない。(略)プラトンは、哲学者たちの歩む道を語ったのだね。彼の哲学は、一人の哲学者の行動の記録として読むといいかもしれない。

 きみは影を見たら、ソフィー、何かがこの影を投げていると考えるよね。きみが何かの動物の影を見る。これはたぶん馬だ、ときみは思う。でも確信があるわけではない。それできみはふりむいて、ほんものの馬を見る。ほんものの馬は、ぼんやりとした馬の影なんかよりももちろんずっとすてきで、輪郭もはっきりしている。そんなふうにプラトンは、自然界のすべての現象は永遠の型、つまりイデアのただの影だ、と考えた。

けれども、ほとんどの人びとは影のなかの人生に満足しきっている。彼らは、何かが影を投げているだなんて考えない。影こそが、存在するすべてなのだから、影を影として体験することはない。人びとはこうして、自分の魂は不死なのだということを忘れる。

洞窟の暗闇から抜け出る道

 プラトンは、この考えをうまいこと説明するたとえ話をしている。「洞窟の比喩(ひゆ)」と呼ばれているんだが、それをぼくなりに語ってみよう。

 さあ、想像してみて。人間は地下の洞窟に住んでいるんだ。人間たちは入りロに背を向けて、首と両足をしっかりと縛られている。だから、洞窟の奥の壁しか見えない。人間たちの後ろには高い塀があって、この塀の向こう側を、さまざまな人形を塀の上にかかげた人間のような者たちがとおりすぎる。そのさらに後ろには火が燃えていて、人形は洞窟の壁にゆらぐ影を投げる。洞窟の人間たちが見ることのできるたった一つのものは、この影絵芝居だ。人間たちは生まれてからこのかた、ずっとそこにうずくまっているので、この世には影しかない、と思いこんでいる。

 さあ、想像をつづけて。この洞窟の住民の一人が、囚われの身から自由になるんだ。彼はいつも、洞窟の壁のこの影はいったいどこからくるのだろう、と不思議に思っていた。そして今、ついに自由をかちとった。さあ、彼が塀の上にかかげられている人形のほうにふりむいたとしたら、どうなると思う? もちろん、とっさにはまぶしさに目がくらむよね。くっきりとした人形も、彼の目をくらませるだろう。これまでは、その影しか見たことがなかったんだもの。

もしも塀をよじ登って、犬のかたわらをとおりすぎ、洞窟から地上へ這いあがれたら、きっともっと目がくらんでしまうだろう。けれども、彼は目をこすってあたりを見まわして、なんてすべては美しいのだろう、と思うんじゃないかな。なにしろ、初めて色やくっきりとした輪郭を見たからだ。彼はほんものの動物や花を見る。洞窟ではそのまがいものを見ていたのだった。けれども、そのつぎに彼は疑問をいだくんだ。この動物や花はどこからきたのだろう、とね。彼は空の太陽をあおいで、洞窟では犬が影絵を見せていたように、太陽が花や動物に命をあたえているのだ、と思い当たる。

 さて、この幸運な洞窟の住民は自然のなかに飛び出して、今初めて手に入れた自由をぞんぶんに楽しむ。けれども、まだ地下の洞窟にうずくまっているみんなのことを思い出して、洞窟にとって返す。地下に戻ってくると、洞窟の住民たちに、洞窟の壁の影絵は「本当の現実」のゆらゆらゆらめくまがいものにすぎないんだ、と説明する。けれどもだれ一人信じない。みんなは洞窟の壁を指さして言うんだ。そこに見えているものが存在するすべてなのだ、とね。そのあげくに、外から帰ってきた男を、ありもしないことを言う危険分子としてみんなで殺してしまう。

 プラトンが洞窟の比喩で描いてみせたのは、哲学者があいまいなイメージから自然界の現象の後ろにあるほんもののイデアヘといたる道だ。プラトンは、ソクラテスのことも思いあわせていたにちがいない。ソクラテスは、洞窟の住民たちがなれ親しんでいるイメージを混乱させ、本当にものを見ることにいたる道を示そうとして、彼らに殺されたのだった。そう考えれば洞窟の比喩は、勇気や、哲学者の教育者としての責任を言い表していることにもなるだろうね。

 プラトンは、洞窟の暗闇と外の自然界の関係が、自然界の形とイデア界の型の関係にちょうど重なる、ということに目をつけたのだった。プラトンは、自然そのものがまっ暗でみじめだ、と考えたわけではないけれど、イデアの明るさにくらべればやっぱりまっ暗でみじめだ、と考えた。かわいい女の子の写真はまっ暗でもみじめでもない。その反対だ。でも、やっぱりただの写真なんだ。
(ヨースタイン・コルデル著「ソフィーの世界」NHK出版 p118-122)
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われわれは,洞窟の中で,子供のときからずっと,入り口に背を向けて手足も首も縛られている囚人である.その上方はるかのところに明るい火が燃え,背後からわれわれを照らしている.われわれは,われわれの背後にある「イデア」を火の光(<善>)が照らすことによって洞窟の壁に出来たそれらの影を見ているだけに過ぎない.

 もし,縛めを解かれ,洞窟の外に出ることができても,われわれは眩しくてすぐには上方の世界の事物を見ることが出来ないだろう.しかし,われわれは「慣れる」ことによって,徐々に上方の事物を見ることが出来るようになるだろう.同様に,まず,いま自分が見ている世界がイデアの似像であることを知り,イデアの世界(洞窟の外)へ思惟によって辿り着き,そして<善>(太陽)へと向かうのである.
(プラトン「洞窟の比喩」ネット検索から)

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客観的観念論の代表者(1)−プラトンの場合

 客観的観念論の代表者として、まず古代ギリシアのプラトン(紀元前四二七〜三四七年)をあげることができる。プラトンは、デモクリトス(紀元前四六〇〜三七〇年)とともに古代ギリシアを代表する哲学者である。もちろん、プラトンは観念論の、デモクリトスは唯物論の代表的存在であって、古代ギリシアの哲学史をプラトンの路線とデモクリトスの路線の闘いとして描くことができる。プラトンの主著に『ソクラテスの弁明』『饗宴』『パイドン』『国家』『プロタゴラス』などがある。岩波書店から『プラトン全集』が出ているほか、古典文学の全集類や岩波文庫をはじめとする文庫のなかで主要な著作が翻訳出版されている。

 プラトンは、古代ギリシアにおける代表的な客観的観念論者だったが、同時にギリシアの代表的な都市アテナイの反動的な貴族階級の一員でもあった。彼は伝説上の軍神アカデモスを記念する庭園に学校をつくった。そこでこの学校はアカデメイアと呼ばれた。これが現在のアカデミー、アカデミズム、アカデミックなどの語源にもなった。この学校はまた研究所の役割もはたしていて、入口には「幾何学を知らないものはこの門をくぐってはならない」と書いてあったということである。ちなみに、プラトンの先生がソクラテスで、弟子にはアリストテレスがいたことはよく知られている。

プラトンの観念論思想

 プラトンは多くの学説を主張したが、ここで関係のある重要な学説は「イデア論」である。これは「二世界説」とも呼ばれる。彼は、私たちの生活する「現実界」の外に「イデア界」を設定する。「現実界」はそれだけでは支えのない移ろいやすい世界であって「イデア界」の存在によってはじめて成立する。「現実界」はそれを超越して存在する「イデア界」の影にすぎないのだと主張する。だから、たとえば「現実界」での私たちの生活は、影の人生、偽りの人生にすぎないということになる。

またたとえば、「現実界」に属する馬は、いつか生まれ、成長し、働いて、またいつか死んでいく。これは現実の馬は「イデア界」に属する馬のイデアの影、不完全な写しにすぎないからである。なぜこのような考え方が発生したのであろうか。

 私たちは、「三角形」という言葉を聞くと、三つの線分に囲まれた図形を念頭に浮かべる。ところが、現実にはそのような純粋な三角形は存在しない。私たちの念頭にある三角形のイメージは現実の多くの三角形から抽象されてできあがったものである。また私たちが「イヌ」という言葉で頭のなかに描きだすのは、秋田犬にも、ブルドッグにも、どんなイヌにも通用する性質を備えたものである。ところが現実に存在するイヌは具体的な個々のイヌなのである。これらのイヌと数多くつきあうなかで私たちは、個々のイヌとはちがった、「イヌ」というごく一般的なイメージをつくりあげる。このイメージ個々のイヌに属する個々の性質は捨象され、イヌに共通の一般的なイメージなのである。

プラトンは、この副次的、派生的(「根源的」に対立する意味での)なイメージのほうが真実に存在するもの、根源的なものと考え、現実の「三角形」、現実の「イヌ」を、この「真実存在」、つまり「イデア」の写しだと、しかも不完全な写しだと考えたのではないかと思われる。

「洞窟の比喩」

 プラトンは自分の考えを表明するのに、具体的な比喩をもちいた。これが有名な「洞窟の比喩」である。たとえば、彼は現実の世界における人びとの日常生活を、暗い洞窟のなかで住む囚人にたとえた。洞窟のなかには、背中を入口に向けたままで頭を明るい方向に向けることのできないように鎖でつながれた囚人がいる。洞窟のそばをさまざまな形をした道具をもっている旅人たちがとおる。太陽の光はこれらの道具を照らし、その影が洞窟のうしろの壁にうつる。

鎖につながれた囚人たちは、これらの影を見ることができるだけで、太陽をも、旅人たちをも、洞窟のそとにあるものをなにひとつ見ることができない。プラトンは、感覚的事物はイデアの影にすぎず、人びとは世界そのものを認識しようとつとめながらも、ただ影を見るにすぎず、太陽の光、つまり真理は感覚器官ではとらえられない、というのである。
(仲本章夫著「哲学入門」創風社 p26-28)

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